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妖と人

 なかなかハードな年末年始だった。
 名取は、東京のアパートの部屋にたどり着くと、すぐに風呂の準備をした。
 榊市の家を出る時には、雪がちらつき始めていた。東京は降っていないが、冷え込みが厳しい。
 1人暮らしなのでシャワーで済ますことも多いのだが、休みの最終日だし、ゆっくり温まることにした。
 何せ、高熱で入院したままなし崩しに休みに入り、退院するなりみはしら様の拒絶に遭い、的場と一夜を過ごすことになった翌朝には神池に沈められ。
 体も意識も危険な領域を行き来し、その間に道場でぶちのめされたりもし、雑誌にネタを売られてお祓いのただ働きもさせられ。
 潔斎に身を投じ神官としての仕事もこなしつつ稽古もし、奉納演武会とマスコミの取材も乗り切り。
 今日一日だけでも、妹の乱闘騒ぎに自分のお祓いだ。
 明日から俳優の仕事も再開だ。少し気分を切り替えよう。
 風呂がもうすぐできるな、という頃。
 ひらりと、紙人形が舞い込んで来た。
 紙人形には、的場紋と、一言。
『少し時間ありますか』
 時間は、なくはない。まだ夜の八時だ。
 が、今から風呂なんだけどなあ、と、冷えた体をなでながら、名取はため息を落とす。
 明日の夜は的場家主催の新年の会合があるはずだが。ご当主ともなれば暇なのだろうか?
 むげに断るのも悪いか、と、名取は、o.k.と返事を送った。
 酒飲むのかな、と、酒の在庫を確認する間もなく、部屋のチャイムが鳴った。
「はいはい」
 扉を開けると、今日はジーンズにコートの的場が立っていた。
「東京でお仕事ですか?」
「人と会う約束があったんですよ」
 仕事じゃない人と会う約束だったということだろうか?
 的場は遠慮なく部屋に上がり込み、名取はせっかく新年なので一番いい日本酒とお猪口二つを出してきた。
「今年もよろしくお願いします」
 と、コタツで軽く乾杯する。
 お互い黙ったまま、何度か互いに酌をしあった。
 色々ありすぎて、名取は話すことができなかった。
 的場の方も、何か考えることがあるらしい顔つきで、会話の糸口をつかもうという気はなさそうだった。
 まして、名取を誘惑しようとか、そういった考えはまるでなさそうで、安心した。
 前回の約束は、浸透済みらしい。
 じゃあ、なんでこんな狭い部屋をわざわざ訪ねてきたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・」
 考えてみても、思いつかない。けれど、わざわざ訊く気にもなれなかった。
 名取をどうこうしようという気はないようだが、どうも、的場からは少しなまめかしい気配がする。
 女がらみで何かあったのだろうか?
「・・・・・・お風呂の、においがしましたね」
 向かいの壁を見たまま、的場が言った。
「ちょうど入れたとこだったんですよ。今日は寒いですからね」
「入って来ていいですよ、お酒いただいてますから」
「いえ、全部飲まれてしまうにはそれは惜しいので」
「少しくらいとっておいてあげますよ?」
「いえいえ、せめて半分」
 冗談とも本気ともつかないやりとりの結果。
「じゃあ、私に入らせて下さいよ。私も冷えてるんです」
 ということで、何故か的場が名取の部屋の風呂に入ることになった。
 なんでそうなる? と思いつつ、断る理由もないのでタオルや着替えなどを的場へ渡す。的場はそれらを持ってカーテンの向こうに消えた。
 また名取と関係を持とうという気では、ないはずだが。
 なまめかしい気配と、ぼんやりとした様子と。
 どうやら、何かがあって風呂に入りたいような気分になったらしい。
 語る気はなさそうだが。
 まあ、こちらから尋ねてやるほどの関係でもない。
 年は近いが、立場も実力も違う。2人の関係をどう言い表すのが正しいかと言われれば、ランクは違うが同業者同士、か。
 色々あった関係で近しく思ってくれているのかも知れないが、的場と名取の双方を知る者から見れば理解不能な組み合わせだ。
 友人だ、などと言えば、的場の当主と対等であるなどと驕り高ぶるにもほどがあると噂されることだろう。
 案外、的場当人は人づきあいをいちいち構えていないのかもしれない。
 友人はいない、と言っていたけれど。
 的場の職業を知らぬ者が相手であれば、相手はあっさり気安く友人扱いしているかもしれない。
 名取には、友人と言えば夏目しかいない・・・・・・。
 遠い昔には、友達はいた。
 けれど、だんだんと1人を選んでいった。
 夏目と知り合って。弟分と思うには夏目の自意識は強くて。対等な友人というのが、ふさわしいと思えたから。
 だから、友人ができた。
 仕事仲間、はいるけれど。
 友人は、夏目だけだった。
 もしかしたら、仲間の中には友人だと思っている者もいるのかも知れないが。
 悪いが、自分にはそう思えない。
 友人というものに対してのハードルが高いのかも知れない。理想が入っているのかも知れない。それでも、別に良いと思う。
 友人など、いなくても困らないから。
 夏目という友人を得て、友人という関係の良さはわかったけれど。
 杯を嘗めつつ、風呂の方を見やる。
 的場は、友人になるのだろうか。
 名取の、2人目の友人に。

 的場と入れ替わりに湯に浸かって、じわじわと皮膚の内側へと伝わってくる熱に身を預ける。
 名取の部屋の風呂への的場の感想といえば、狭いですね、の一言だった。
 当たり前だ、学生用の貧乏アパートだ。風呂トイレが独立しているだけ贅沢な方だ。それだけはこだわったから。
 他人と毎日共同で使うのは嫌で、寮生活も蹴った。数日なら割り切りもするが、毎日は我慢できない。
 東京で風呂トイレ付1Kという贅沢の代わりに父が付けた条件は、神社の行事ごとに手伝いに戻ることと、アパートの近所の道場に通うことだった。
 こちらの道場には最近顔を出していない。
 昔の棺おけのように狭い湯桶の中。
 名取は、ふと駆け去って行く柊の後ろ姿を思い出した。
『柊の神』の元へと走って行った、少女の。
 柊はいない。神社へ置いて来た。代わりに、妹を帰したついでに瓜姫と笹後を連れて来たが、用もないので好きにさせている。2人とも遊びに出かけた。
 東京の部屋に来ると、たいてい2人は遊びに行き、そばに残るのは柊だけだった。
 用がなければ、声をかけることもなかった。
 柊はいつも、ただ黙って、流しのそばに座っていた。

「世話の焼ける人ですねえ」
 すっかりのぼせてベッドに倒れこんだ名取の頭に、的場が濡れタオルを載せてくれた。
「テレビではいやに神臭い気配だったのが、抜けたようですね。色々忙しい人ですね」
「・・・・・・」
 何も言い返せずに、名取は転がっていた。
 的場の言うとおり、神気を祓った影響なのだろう。体調の割りに長湯をしすぎたのだ。
「まあ、お酒はありがたくいただいてますから、こちらは構わず少し休んで下さい」
 気持ち悪くて、酒への魅力は今や感じない。
 的場は勝手にテレビをつけて見始める。ボリュームは落としてくれたが、何か正月番組をひきずったような芸能人番組を見ているらしいのはわかった。
 10分ほどで少し楽になったので、いい加減に引っ掛けていた服を着直した。
 濡れタオルを頭に載せ直して更にもうひと休みして、ようやく体を起こしていられるようになった。
「おや、生き返りましたか」
「はあ。すみません、放っておいて」
「お酒は一応残しておきましたけど、今日はもう飲まないですよね?」
「やめておきます」
「それがいいですよ。多分、あなたが自分で思っているほど、あなたの体は回復していませんよ」
「・・・・・・そうですかね」
「あなたはご自分の体調不良を認めたくないようですが、精神力や思い込みでカバーするにも限度はあるんですよ」
「それはよくわかっていますよ、たっぷりと経験しましたから」
「それで懲りているようならわざわざ言ってやりはしませんよ」
 的場は、リモコンでテレビを消し、立ち上がった。
「東京に来ているということは明日は早いうちから仕事なんでしょう? 表の。あなたのことだから夜も来るんでしょうね」
「新年の会合のことですか? もちろんお伺いしますよ」
 的場は、くすりと笑った。
「やっぱり懲りてないじゃないですか」
 ごちそうさま、と、ついでのように言って、的場は帰って行った。
 名取は、見送りもせず。
 的場の気配が遠ざかり消えると、明かりを消して布団にもぐった。
『懲りているようならわざわざ言ってやりはしませんよ』
 懲りるとかそういうことではなく、やらねばならない予定をこなすだけのことだ。
 ・・・・・・まだ、気持ち悪い。
 吐き気を感じつつ、朝には体が回復していることを願い、眠りへと入っていった。

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