タキが学校から戻ると、家の縁側の方から楽しげな男女の声が聞こえていた。
片方は、母らしい。もう片方は、若い男だ。
タキは、小首をかしげた。
この、響きが良いのにさらりとした声の持ち主は・・・・・・。
ひょいっと玄関脇の植え込みから縁側をのぞくと、母と名取がまったりとお茶していた。
「おや、透ちゃん、おかえりなさい」
目ざとく気づいた名取が、にっこりと笑顔を飛ばしてきた。
「ただいま。また、おじいちゃんの資料ですか?」
「うん。これから見せてもらうんだけどね。一緒にどう?」
どうやら、母の話が止まらずになかなか目当ての蔵へ行けないでいるようだった。
「はい。じゃあ、着替えて来ますから、先に行ってて下さい」
タキが着替えて戻ると、まだ母の話は止まらず、名取は縁側にいた。にこにこと相槌を打っている。これでは止まらないだろう。
「お待たせしました。行きましょうっ」
タキは無理やり話を打ち切らせて、名取と共に蔵へ向かった。
「すみません、うちの母おしゃべりで」
というか、今ではすっかり俳優名取のファンなのだ。テンションが高くなっていて、娘の方が恥ずかしい。
「お母さんと話すのも久しぶりで面白かったよ。前回は居なかったものね」
すぐ目の前の蔵に入るために、いったい何時間つきあってやっていたのだろうか。
「忙しくないんですか?」
「今日はオフ。時間余ったら近くに住んでる友人のところへ行こうかと思ってるんだけどね」
蔵の鍵を開ける。開くと、古い物の匂いがする。名取が、お邪魔します、と、嬉々として入って行った。
「今日のお目当ては、すぐみつかりそうですか?」
「透ちゃんの部屋に持っていってる本あるの?」
「今日はないです」
「じゃあ、すぐみつかるよ。でも高いところにあちこちあるから、下で待機しててくれると助かる」
「はいはい」
ここの蔵書すべてを記憶してでもいるのだろうか。
名取は、小さな明かり取りからの光を頼りに、はしごに上って棚の奥やら箱の中やらから目当ての本を発掘しては、タキに渡してきた。
5冊ほど出して、名取が下に降りてくる。そうして、蔵の入り口に出て、早速本をめくっている。
なんとなく、流れから隣りに座って残りの本を抱える係りになってしまったタキは、暇つぶしに選ばれた本をめくってみた。
なんと書いてあるのかも、タキにはほとんど読めない和綴じの手書きの古書から、昭和の印刷本まで色々だ。
名取は、本のおおまかな内容までも覚えているのか、すぐに目当てのページをみつけると読み込み、タキに返して次の本をみる、という作業に没頭している。
タキは、最初に名取が返してきた、妖怪の絵やら陣の図やらが出ている本を、名取と並んで読み始めた。
家に戻るとまた母がうるさいだろうし、名取の選ぶ本にも興味があったから。
「・・・・・・おやおや」
しばらくして、名取が楽しげにつぶやいた。
タキが顔を上げると、名取は本に視線をやったままニヤニヤと笑っていた。
「? 楽しいことでも書いてあったんですか?」
名取が読んでいたのは版画のように印刷された和綴じ本で、覗きこんでも何が書いてあるかよくわからないのだが。
「ああ、本じゃなくてね」
名取はタキを横目に見ながら本を閉じ、タキに寄越した。
タキがそれを受け取りながら残る一冊を渡そうとすると、名取の手が、本を受け取らずにタキの頬に触れた。
「? 名取さん?」
ぱたぱたぱたっと。足音が聞こえた。
「???」
「おや、逃げるか。そうくるかあ」
名取はタキから手を離し、本をとった。
「? 今のは? もしかしてお母さんっ?」
あはは、と名取は笑って本をめくり出した。
「様子をうかがってたようだね。お母さんは婚約話覚えてるのかな?」
「もうっ。覚えてましたよ、浮かれてました。まったく、何期待してるんだかっ」
タキが立ち上がろうとすると、名取が腕をつかまえた。
「いいから、もう少しつきあって。本面白い? わからないところあったら教えてあげるよ?」
「いいえ、戻ります。読みかけのだけ持って行きます。ゆっくりしてって下さいね」
タキは名取の手をゆるく払って、振り返らずに家へ戻った。
「お母さんっ!」
娘と若い男とに何やら期待したらしい母は、娘の剣幕におそれをなして夕飯のメニューに話をそらす。
「名取さん食べてってくれるかしら?」
「この後お友達に会いに行くって言ってたから、無理でしょ」
残念がる母を残して、読みかけの本を持って部屋へ上がった。
本当は、本の中身で尋ねたいところがあったのだけれど。
「ニャンコ先生でもわかるかしら?」
そう思いついたら、元気が出た。
明日にでも、夏目に頼んでニャンコ先生に会わせてもらおう。
そう決めて、タキは本の続きを読み始めた。
「主さま、この後夏目に会うと教えてあげないのですか? さきほどの娘に」
本を片付ける名取の助手をしながら、柊が尋ねる。
「ん? ああ、教えてあげないよ、まだね」
楽しげな返事に、柊は首をかしげる。
「夏目から、透ちゃんの話が出るのを待ってからだな。様子を見ないと。夏目の恋路の邪魔はしたくないからね」
名取は蔵の鍵をかけると、タキの母のところへ返しに行く。
キラキラと俳優名取のきらめきをばらまきながら「今日はありがとうございました。またお伺いしてもいいですか?」と殺し文句にぶんぶんと頷かせ、さわやかに立ち去った。
夏目の家へ向かいながら、紙人形を飛ばす。
それは、風に乗ってふわふわとタキ家へと戻っていく。
かすかな音に、タキは窓を見た。
白い人型の紙切れが、窓に貼りついていた。
「いったいどこから・・・・・・」
警戒しつつ窓を開けると、わずかな隙間が開いただけでそれがするりと部屋に入ってきた。
そうして、ふわふわと、タキの手元に落ちてくる。
『またね』
紙人形には、ただそれだけ。
「名取さん?」
尋ねたところで、返事はない。タキは、窓の外を眺める。もう、名取の姿はどこにも見えなかった。
息を一つ吐いて、タキはまた、本を手にとった。
そうして、しおり代わりに紙人形を本に挟んだ。