「夏目様、名を返してくださいませ」
とっくに就寝していた丑三つ時。夏目の部屋の窓が叩かれた。
熱帯夜続きのため窓を開けていたので、その音よりもその声で夏目は飛び起きた。
「静かに、早く中に」
声に驚いた夏目だが、逆に滋らには声は聞こえない。窓を叩く音が聞こえなかっただろうかと、心配しながら妖怪を招き入れた。
ニャンコ先生はと辺りを見れば、お馴染みの「呑みに行ってくる」の書き置き。夏目は、がっくりと首を落とす。
まったく、いったいどこが用心棒なんだか。
とはいえ、いい加減慣れたものだ。友人帳が薄くなるとぶつぶつ文句を言われるよりはいいかもしれない、とも思う。
向かいあうなり妖の方からレイコさんに奪われた経緯やら何やらを語り出す。
この手の妖は素直に礼を言って去るタイプと、名を返した途端手のひらを返したようにして襲いかかってくるタイプとにわかれる。
眠いし、話の間も持たないし、妖のサイズは子供程度なのでいざとなれば夏目の鉄拳でもなんとかなりそうだ。
夏目は妖が語りに満足すると、友人帳を開いた。
友人帳が勝手にぱらぱらと動く。その一枚が、ぴっと自己主張する。
「あったぞ、おまえの名前」
「おお、ありがたやありがたや」
いつもの手順で、夏目は名を返してやった。
妖は、嬉しそうにしばし身を揺らしていた。
夏目は、ひそかに拳を握りつつ、妖の反応を待つ。喜んで立ち去っていくか、襲い掛かってくるか、と。
妖は、ゆらりと立ち上がり、深々とおじぎをした。
「夏目様、ありがとうございました。私は人の過去を夢に見せることができます。御礼に、良い夢をお見せしましょう」
「いやいや、礼には及ばないから。眠いので、早く帰ってくれればそれで十分だから」
「ええ、ではどうぞおやすみ下さいませ。眠らせて差し上げます」
「いやいや、自力で勝手に寝るから構わないでくれ。夢も勝手に見るから」
「そうおっしゃいますな。最高の夢をプレゼントいたしますから」
妖がじりじりとにじり寄ってくるのを、夏目もじりじりと下がって行った。
そうこうしているうちに、布団にたどり着く。
「おお、ではおやすみなさいませ、夏目様」
「いやいやいや」
「どうぞ、ご堪能下さいませ。あなた様の、一番最初の」
妖が、にんまりと笑った。
「苦しみの記憶の夢を」
いらない、と言う間はなかった。
ぐらりと、視界が回る。
次には、苦しみの内にいた。
やられた。
夏目は、ここはどこだ? と辺りを見回してみる。
暗いような明るいような。何も見えない。なんだかわからないけれど、苦しんでいるらしい。
痛いような、呼吸が苦しいような・・・・・・。そんな、身体的な苦しさだ。
いったい、いつの記憶だろう。
目をつぶったままそんな苦しさを味わったことがあっただろうか。
親戚回りの間に、殴られたりしたこともあるし、学校でいじめられたこともある。
風呂に投げ込まれた時か? 階段を転がり落ちて息が詰まったことがあったけれどあれか?
プールに顔を浸けられた時のことか? 体操マットをかぶせられて上を跳ね回られた時か?
幸い記憶なので今の夏目が苦しいわけではないけれど、心臓がドキドキいっているのもわかるし、実際に体験しているかのようだ。
これが、おれの、一番最初の苦しみの記憶・・・・・・。
思いつく範囲に、同じような苦しさの覚えはない。では、もっと昔のことなのだろうか?
物心着く前の、もしかしたら、実の親と一緒の頃の?
夏目は、自分の心臓がどくりと強く打つのを感じた。
実の親と一緒にいた頃に、こんな苦しみを?
親の記憶はない。ないけれど、悪いことがあったとは思いたくなかった。なのに・・・・・・?
「!?」
急に、体が滑る感覚があった。そして、強烈な明るさの中に出た。
すっと、苦しさが消えた。
けれど、苦しまされたこと、そしていきなりの明るさに、昔の夏目が泣き喚いている。
そんな体を何かが掴んでいる。何のすべもなく自由にされている。これは・・・・・・?
「・・・・・・・・・・・・」
泣き声の合間に、声が色々聞こえてくる。
目を開けてみる。まぶしい。けれど、最初ほどじゃない。ぼんやりと人の頭らしいものが見えたりもした。
これは、まさか・・・・・・?
色々怯えたり驚いたり怒ったりで泣き続けている自分。体を拭かれたりなんだりして、ようやく、何か布に包まれる感じがした。
そうして抱き上げられたときには、苦しさはすべて消えていた。
ああ、これは・・・・・・。
抱いて、運ばれる。そして、誰かの腕に渡された。
見上げると、誰か女の人の顔があった。ぼんやりしていて、どんな顔だかわからないけれど。
その脇から、男の人がのぞいていた。
誰かの手が、女の人の腕から男の人の腕へと夏目を移した。夏目は、ただぼんやりと男の人の顔を見た。なんとなく、目鼻の位置がわかるだけだったけれど。
もっとはっきり見たい。
そう思ったとたん、夏目の意識が、昔の夏目から離れていくのがわかった。
待て、もう少し、もう少しだけ・・・・・・。
遠ざかっていく昔へ向かって、夏目は呼んだ。
お父さんっ、お母さんっ。と。
気づくと、息苦しかった。
夏目の胸の上に、ニャンコ先生が寝ていた。
「なんだ、起きたのか」
ニャンコ先生はちらりと夏目を見て、そっぽを向いた。
夏目は、ニャンコ先生を抱くと、重いので体を横にして布団に降ろす。そのまま、抱いていた。
「なんだ? 暑いぞ」
「・・・・・・今更何言ってんだよ」
あの、妖。
本当に礼だったのか、悪意があったのか。それはわからないけれど。
本物の、過去の記憶。
夏目は、ニャンコ先生を抱いたまま、眠りの中へと戻る。
あの続きが、見られればいいのに、と思いつつ。
今回、先にブログで流しておいたんですが、ほぼ気づかれてなかったようで(笑)
タグ作業分先行公開できるしコメもいれやすいかなあと試してみたんですが。不発でしたので。おとなしく今後はテキスト置き場アップにいたします〜。
てことで、タグ作業に半月もかかっていた管理人でした。ごめんなさい〜。