案内されたのは、旅館の部屋かと見まごうばかりの、2階にある客間だった。
連れて来た男が去り、すぐに茶を持って別の男がやって来た。それが下がったかと思うと、次に現れたのは七瀬だった。
「やあ、とんだことになったねえ、名取」
狸な笑顔で、座卓の向かいに勝手に座る。名取も育ちは良いので、きちんと正座していた。
が、返事をする気には到底なれない。
疲れのせいか、ひどく手足が冷たい気がした。
「引っかかったことには気づいたろう?」
「・・・・・・何故、私なんかに気が向いたんですか? ご当主は」
この狸ババア、と思いつつ、名取は表情もなく訊いた。隠す気はまるでないらしいので。
「そりゃあね、お前は、まるで双子のように『気』が似ているから。性質が異なると、せっかくもらってもなじまず
放出されてしまうもんだがね。おまえのならば、同化するだろうよ」
「的場さんほどの力があれば、十分でしょうに。式を欲しいっていうならわからないでもないけれど」
「遊び心だろうよ、単純にな。明日仕事があるのは本当だ。強い式が欲しかったのもな。まあ、うまくなじめば、
妖ではない式でも十分なものが作れるだろう。ちょうどいい機会だったんだよ。いずれは、と思っていたんだ」
悪趣味だ。どうやら、今この場をごまかして帰ったところで、またややこしい方法で同じ結果を招かせられることに
なりそうだった。
名取は、香りを運ぶ湯呑から上がる湯気に視線を落とす。自分の身にこれから起こることを、考えたくなかった。
「女の経験はあるだろう? 男はなかったのかい? 男好きされそうな顔じゃないか」
「ありませんよ」
女だって、それほど経験があるわけではない。大学に入って、ようやく「見える奴」というレッテルから解放された一時期、
顔めあてに寄ってきた先輩たちに少々遊ばれた程度。すぐに、高校の同級生から話が流れた。
それでもつきあった女が何人かいたけれど、結局、顔目当ての女たちとは長く続かなかった。妖祓い師として活動し始めたし、
その仕事先で何故かスカウトされ、事務所に女性関係を厳しく言われたので、ろくにつきあう機会もなかった。
俳優業関係で、言い寄ってきた男がいなかったわけではないが、そもそも男に身を任せてまでも登りつめようという意欲は、
俳優業にはないのだ。
では、祓い人としてなら、身を任せるのか?
抵抗するだけ無駄、なだけだ。力の差は認識している。『名取の若様』と呼ばれてはいても、一度は廃業していた家だ。
親も自分も、なんの権力を持っているわけではない。
蛇に睨まれた蛙だ。すくんでしまって身動きがとれない。
必死に逃げればいいかって。逃げ切るためには、すべてを捨てて身を隠すしかない。けれど、相手はその気になれば、
いとも簡単に名取をみつけてしまうだろう。
「まあ、安心したよ。余計な手間をこれ以上かけないで済むようだ」
七瀬は、名取に抵抗する気がないのを確認すると、席を離れた。
「依頼料は予定通り払おう。そうそう、明日の予定は? 泊まるだろう?」
「午後撮影がある」
「何時に出れば間に合うんだ?」
「10時には出る」
「じゃあ、9時に起こそう。どうせ、朝食採る余裕もあるまい。せいぜい眠るがいいよ」
言いたいだけ言って、七瀬は去る。名取は、ただ薄らいでいく湯気を見ていた。
明日の撮影は、ドラマのワンシーンだけ。シャワーを浴びるシーンだから、体に傷を残さないよう前もって言って
おかなくてはいけない。
好きでもないいけすかない権力のある年増女に命じられてやむなくベッドインした後、という設定の撮影だ。
ベッドシーンはないが、その代わりのシャワーシーンの独演だ。セットでシャワーは使えないので、それだけ撮りそびれていた。
名取はそのワンシーンだけのために出向くのだが、他の役者は同じ場所でいくつかまとめて撮るらしい。
半年のドラマに、一ヶ月だけ出番がある。まだまだ売り出し中、だ。
リアルなシーンが撮れそうだ。
ぼんやりと思った。