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「おかえりなさいませ」
 母屋に寝ろという姉を振り切って離れに行くと、式の3人が出迎えた。
「ああ、久しぶり」
 ついてきた姉には独り言に聞こえる。姉は、さっさと布団を敷きに入った。
「みんな、元気になったかい?」
「おかげさまで。主さまは、お疲れのようですね。母屋の方では入院していると言っていましたが」
「ああ、ようやく退院だよ。撮影も始まってるし、悪いが疲れた。話はまたな」
 シャワーを浴びて、姉が敷いてくれた布団にもぐると、部屋の隅で式3人が膝をつきあわせてぼそぼそ話し合っている。
「でも」
「いや」
「やはり」
 何か画策しているらしい。長く放置したからといって、妖にしてみれば一月など、ほんの一時だ。 いったい何を話しているのやら。
「やはりお前にまかせる」
「まかせた」
「でも。あっ」
 瓜姫と笹後の気配が消える。柊だけ残されたらしい。
 名取は、寝たふりをやめてそちらに顔を向けた。
「いったいなんの相談だったんだ?」
 柊が、ぎくりと肩を動かした。恐る恐るといった様子で、名取を見る。表情は面で見えないが、困っているらしい。
 そのまま見ていると、名取の枕元まで移動してきた。じっとみつめて、ため息を落とす。
「なんだ?」
「・・・・・・主様。いったい、どこでそんな毒を得てきたのです? 離れた私の失態です」
 式たちは、撮影先で的場を救ったことを知らないのだ。いつもなら撮影でも一人くらい連れて行くのだが、 あの日は、全員手負いで、みな疲れていた。撮影隊に合流する時に柊も帰してしまったから、誰もいきさつを知らないのだ。
「帰れと命じたのはおれだ。おまえたちがいたところで、変わらなかったさ」
「今あるその毒は、的場ですね。的場にまた会ったのですか?」
「撮影先の宿にいたんだ。死にかけてね。見殺しにするわけにもいかず、助けたらこのザマさ。 的場に抜かせるのはごめんだし、時間はかかるが、じょじょに抜けていくだろう?」
「2〜3ケ月はかかるでしょう、自然にまかせていては。禊などで浄化しても、早くて1ヵ月」
「禊ね。明日から、早速やるよ。だから、今夜は寝させてくれ」
 38度くらいは熱がありそうな感じだった。これくらいなら、朝には37度くらいに落ち着くはずだけれど。
「・・・・・・すぐに、落とす方法があるのですが」
「へえ・・・・・・」
 名取は、関心を示さなかった。名取には、多くの知識がある。禊以外の方法も知っている。けれど、 選択肢に加えられるものはないのだ。柊の提案も、選択できないいずれかに決まっているのだ。
「的場は主様から多くの気を奪いました。主様にとっては、あの男の気は毒ですが、 それは主様が奪う側になれぬ体質だからです」
「知ってるよ」
「的場に主様の中の的場を取り戻させるのはおイヤなのでしょう?」
「ごめんだね。男に身を任せるのは二度とごめんだ」
 たとえば、夏目だって奪う側になれる。夏目自身のことは友人として好いてはいるが、寝ようとは思えない。
「女なら良いですか?」
「女じゃ術が成立しないだろう?」
「成立しますよ。・・・・・・妖なら」
「・・・・・・却下」
 妖は、常に奪う側の存在だ。性別に関係なく。名取の式たちは全員、女だが、名取はそういった対象と思ったことはない。 理由がそれだ。それで身を滅ぼした者たちがいることも知っている。
「3人でそんな相談をしていたのか? これを落とすのに、お前たちの力は借りない。お前ももう休め」
 頭から布団をかぶって背を向けた。ため息を落とすのが聞こえ、気配が消える。
 そういえば、一ヶ月経つのだから、そろそろ満月か・・・・・・。
 満月の日でなければ、成立しない。
 この毒が柊を抱くことで消えるのなら、さぞ楽だろう。それでも、その選択肢は安易にとるべきものではない。 柊を、嫌いではないけれど。
 しょせん、柊は、妖なのだ。
 おそらく、前身は人だ。山神に捧げられた神子。そうして人から山守へと変じた妖。
 地道に、毒を抜く。
 名取は、改めてそう決めた。

 翌朝は、日の出前に起きた。
 道着に袴をつけて、離れを出る。自宅の敷地内には、道場がある。名取家運営の、杖術榊之原神道流の道場だ。 更に敷地の隣りには、名取家が神職を務める神社がある。名取はくぐり戸を抜けて神社側へ入り、更に本殿の裏にある、 鎮守の森への境界の戸を抜けた。
 入院している間に、冬になろうとしていた。
 神社の方は、年末年始に向け、準備に忙しい時期だ。一応、名取も神職の末席にあるのだが、今年は何の手伝いもしていない。 撮影の方は、今撮りためている分が一段落すれば、少し間が空くはずだった。年末年始も撮影はない。 その時は神社の仕事もしなければ、と思う。年明けには道場の奉納演武会があるし、名取の参加は決まっているから、 そちらの稽古もしなければならない。結構忙しい。倒れている場合ではないのだ。
 森を進むと、軽くひと泳ぎできるくらいの大きさの池がある。名取は衣服を脱ぎ捨て、裸身となって池に入った。
 まだ凍るほど気温は低くないが、水温は一桁だろう。水深は深いところで胸辺り。大きさの割りに深い。 名取は一度もぐり、池の中で目を開けてみた。
 どこまでも澄んだ水だった。
 水深が浅くなっていく、端までが見通せる。魚はいない。底は、藻が張り付いた石と土。よく見れば、 石の間から水が湧き出すのが見える。
 頭を出して、息を整える。手をあわせ、身を清めるための祭文を唱えた。
 長文の祭文も、名取は完璧に暗記している。幼い頃から指導を受けているし、専門の大学にも通い、 その後も神職のための研修なども受けている。もちろん神職の資格ももっている。表のもう一つの顔は、 この榊之原御霊神社の権禰宜、だ。
 妖祓い人としての裏の顔と、神職としてお祓いもする表の顔。更に、俳優という仕事。
 正直、一番自分を解放できる仕事は、妖払いだった。神職としておごそかに務めるのも悪くはないのだが、 名取の呪力を発揮する場面は少ない。長男とはいえ、名取家は女系なので、姉が神職の者を婿にとって跡を継ぐ形になる。 名取自身は世間の次男坊のような自由度があるのだ。家族は苦々しく思いつつも、名取に物申すことはあまりしない。 姉が小言を言う程度だ。
 母亡き後、後妻に入った女は名取とは挨拶しか交わさないし、父は宮司として、道場主としてしか名取と話さない。 姉の婿は兄弟的に話してくれることもあるが、基本的には父と同じだった。
 名取も、もういい大人なので、寂しいとは言わないけれど。頼ろうと思えば、頼らせてくれるだろうとは思うのだが。 大勢の中で暮らしながら、誰にも心を開放できない、孤立感を自覚していた。
 人は生まれながらにして一人で、死ぬときも一人なのだから、と、言い聞かせつつも、誰かを欲している。それも自覚していた。
「嫁でももらえよ」
 ふいに、声がした。
 名取は顔を上げる。目の前に、狩衣をまとった少年が立っていた。
「相変わらず物好きだなあ、ヒトには寒いだろうに。しばらく見なかったが、どっか出かけてたのか? 土産の酒は?」
 少年の姿で現れた者は、この神社のご祭神だ。正式には、この日の国を作った神々を祀っているのだが、実際にいるのはこの少年。 かつて怨霊として世をおびやかしたこともある御霊。鎮められ祀られた、元ヒトの神様だった。
「病を得ましてね。入院していたんですよ。治療のために。なので土産はありません」
 名取は頭をなでて髪を絞ると、岸に向かった。表面の毒は神水で解毒された。
「病気ねえ。今のヒトは病院で治すんだっけか。それでいなかったのか。確かに、元気ないな。妖怪にやられたのか?  今ある毒はヒトのもののようだけど」
「両方ですよ。妖怪の毒は抜けたんですが、ヒトのはこれからです」
「ふうん。頑張って元気になってね。そうだ、この間の酒うまかったからまたちょうだいよ。今度、友達くるんだ」
「この間、てのはいつのこの間です? 銘柄言って下さいよ」
「おまえが土産だって持ってきたやつさ。名前なんか覚えてないよ」
「あれは現地でしか手に入らないんですよ。また今度行く機会があれば買ってきますから、ご友人との飲み会は別の お酒にして下さい。適当にみつくろっていいですか?」
「そうだねえ。寒くなってきたから、雪景色っぽく、にごり酒がいいなあ」
「長野の仙酒でどうです?」
「うん、西尾ね。それでいいよ。よろしく」
 話が決まると、少年は足取りも軽く消え去った。
 あれで、怒ると怖い元怨霊。色々力のある神様である。そういえば、夏目のところの猫も酒好きだった。赤笹の実の礼を 言っていなかったな、と思う。
 名取は、濡れたまま胴着を着直して、池を後にした。

 次は道場だ。鍵はいつでも開いている。外は明るくなりはじめたが、屋内はまだ薄暗かった。あえて明かりは点けずに、 名取は軽く準備運動をする。それから、壁にかけてあった杖をとった。
 長さは竹刀より若干長い。ただの棒だ。右手で端を持ち、眼前に立てる。真ん中辺りに左手をあて、構える。 自身の気の流れを確認する。正しく循環している。丹田を意識する。体内の濁りがわかる。気の流れを操作する。 体内を巡らせながら、清い気と穢れた気とをより分けていく。杖を右に払う。左足で床を打つ。左後ろを突き、前を突く。 右足で床を打ち、左に払う。
 一本の杖が、払い、突き、打つ。基本の型を繰り返す。かなり鈍っている。もう汗が散っている。いやに冷たい汗が。 息切れがしてきて、名取は舌打ちして杖で床を突いた。
 杖を支えに、荒い息をつく。全然駄目だ。
 小さな物音。名取は、はっと、入り口を向く。一瞬視界が乱れて、焦点を合わせなおす。道場の入り口が開いて、 父と義兄の姿が見えた。
 着物に袴。神社へ向かうところだったらしい。床を杖で突いた音が聞こえたのだろう。
 とりつくろおうにも、息切れがひどくてどうしようもない。名取は杖を壁に戻し、入り口へと向かう。2人が入って来て、 それぞれ座って迎えた。
 名取は適した距離よりも下がった位置で、崩れるようにして座し、両手を突き頭を下げた。
「この度はご迷惑、ご心配をおかけいたしまして、大変申し訳ありませんでした」
 肩で息をしながら、ようやくそれだけのことを言う。
 救急車に同乗したのは義兄だという。しかし、名取の意識が戻ってから、病院でこの2人の姿を見たことはない。 来た身内は、姉だけだった。
「みはしら様に戻った報告はしたのか?」
 父の声。
「はい。ご友人が来られるそうで、御酒の用意を申し付かっております」
「では手配を頼む」
「はい」
 2人が立ち上がり、去って行く。名取は伏せたまま見送った。気配が消えてから、そのまま突っ伏した。
 冷たい床に横倒しになる。なかなか息切れはおさまらない。吐き気までしてきた。入院して3週間、ずっとベッドの上で。 一ヶ月、ほとんど食事をしていない。必要な栄養素は点滴で与えられていたが、自然なものと人工的なものとではやはり違う。 早く食べられるようにならなくてはいけない。体の組織自体が正しいものでなくなっている。これは長期戦だな、と、 名取は自嘲した。
「主さま。風邪ひきますよ?」
 目を開けると、柊が見下ろしていた。
「・・・・・・呼んでないぞ」
「姉君がお探しです」
「ああ、そう」
 様子を見に来たのか、それとも朝食か。名取は本来自炊なのだが、しばらくは姉が用意すると言っていた。 しかし、名取はまだ、おかゆさえも食べられない。
 体を起こし、立ち上がる。柊が助けてくれた。助けを断りたかったが、体が言うことをきかない。肩を借りて離れに戻ると、 柊に布団に押し込まれた。
「毒が少し減っていますね。無理をしたかいはありました」
 言い置いて、部屋を出て行く。少しして、盆を持って戻ってきた。
「姉君が置いて行きましたよ」
 朝食だ。小さな土鍋に茶碗、梅干とお茶。
「・・・・・・卓に置いておいてくれ」
 とても食べられる状態じゃない。
 30分ほど休むと、なんとか落ち着いてきたので、布団から這い出して道着を脱ぎ、普段着に着替えた。
 座卓の前に座ってみる。
 土鍋の蓋を開けてみると、五分がゆが固まりはじめていた。名取はため息を落として蓋を戻し、湯のみをとる。 お茶はなんとか飲めた。
 土鍋でおかゆを炊くのは大変だとわかっているが、手間をかけさせたのに一口も食べないのは悪いと思いはするが ・・・・・・食べたくない。
 時計を見ると、もう8時近い。午後から撮影だ。その前に医者に行って点滴を受けねばならない。 病棟で受けるので順番待ちは関係ないが、点滴の時間を考えれば、もう出かけなければいけないだろう。
 ここまで弱っていて、食べることができないのでは、いくら体の組成に影響が出るといっても、 点滴を受けないわけにはいかない。俳優の仕事に備えねばならないのだ。
 名取は、座卓に手をついて、重い体を持ち上げ、立った。
「帰りは何時になるかわからない。待つな」
「お供します」
 じっと部屋の隅に座っていた柊が言う。
「来なくていい。・・・・・・裏の仕事は当分請けないから」
 眼鏡に帽子、上着に財布、診察券と、事務所支給の携帯電話。
「行ってくる」
 どこへ、とも言わず、名取は見送る式神たちに背を向けて、離れの戸を閉めた。


 名取病気編でした。病みやつれた感じも色気ありそう♪ ちなみに、名取の役のイメージは仮面ライダーWの黒っぽい兄ちゃんです。よく見てないので話はわからないんですが、幼児雑誌の写真からイメージ(笑)
 やっぱり、妖とHはまずいと思うのです。できないことはないだろうけど、人にいいとは思えないので、禁忌ということにしました。
 でも、腐れた管理人はそのうち、名×柊と笹後×柊を書こうと画策してたりします〜。

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