「ずるい・・・・・・」
「・・・・・・・は?」
ジーンの呟きに、三人が様子をうかがう。
ジーンは額をなでる。ナルの気配はない。本気で逃げたらしい。
「えーと、すみません、ナルは手が痛いからまかせたと言って逃げました」
三人は、沈黙を返すのみだった。そろって、残った酒を空ける。ジーンも、ウーロンを空けた。
「ユージン、さん?」
全員のグラスを隅にまとめながら、安原が尋ねる。
「ジーンでいいよ。ゆうべからナルが近いんだよね。怪我した辺りから」
「はい飲み物おまたせーっ! つまみは足りてんのかい? 今日は団体初回だからサービスするよ?」
「ありがとうございます、ご贔屓にさせていただきます! こっちの人も食べられそうな野菜だけの、なんかつまみっぽいのありますかね?」
安原が菜食主義とカミングアウト済らしいナルを指して言う。
「そうさねえ、ミニトマトのベーコン巻を一串だけトマトだけにしてあげようか? あとはチヂミはどうだい? 野菜だけで油もごま油にしてあげるよ?」
「両方お願いします! ベーコン巻四串で一本はミニトマトのみ、チヂミは二枚、一枚は野菜のみ」
「じゃあ一枚は海鮮チヂミでどうだい?」
「はい、お願いします!」
「・・・・・・何かお酒あわせてください」
ジーンが言った。
「ん? 兄ちゃんいいのかい? ビールいっとく?」
「はい」
「あいよーっ、一杯だけだよ?」
おばちゃんが去り、三人に注目されながら、ジーンは苦く笑う。
「今回はナルの意思ですからね。以前はご迷惑おかけしました。なんか思いがけないことになるようで、僕も戸惑ってるんですけどね」
「というか、ジーン君。酒飲んでいいのか?」
「君て。やだなあ。ジーンでいいですってば、滝川さん。お酒一杯くらい大丈夫ですよ、痛いの少し麻痺させた方がいいでしょう。それに、イギリスでは十六でもビールくらい飲めますからね、飲んだことあります」
リンは、無言でジーンを見ている。見極めようとしているのかもしれない。
「あ、女子会の様子だったら僕も見てますよ? ナルも圧倒されて無駄口ひとつ叩かず言われるがままに野菜とワイン差し出して、ワインはコルクも左手で抜いてあげて、書斎へ退場。女の子たちの料理はおいしそうだったけどさ、酔っ払い女子トークに巻き込まれるのは僕でも遠慮したい」
「生中お待ちーっ。いいかい兄ちゃん、一杯だけにしときなよ?」
「はい、治ったらまた」
「よっしっ」
ビールを持ってきたおばちゃんに、ジーンはナルの無表情で応対する。おばちゃんは機嫌良く去って行った。
「それじゃ、改めて、乾杯でも」
すでに適応している安原の提案で。
「こんばんはジーン、てか?」
まだ適応しきれていない滝川も応じて。
「はじめましてで」
ナルの無表情を借りて淡々とジーンが言い。
「はい」
と、リンも了解して。かんぱーい、と、今度は四人、ジョッキをぶつけた。
「これ飲んだら、ナルと交代して帰ります」
一口飲んで、ジーンが宣言する。
「そうですね。でも、ミニトマトの串焼きと野菜チヂミは食べてってくださいね」
「トマトはともかく、チヂミ入るかなあ。かなり食べてるよ、ナルにしては」
「食っちゃれ食っちゃれ」
「ナルに怒られるぅ」
「ナルじゃないならイカも食えるのか?」
「体はナルだから。確かに、食べたいとは思わないなあ。昔は僕、ナルにかまわずステーキでも食べてたけどね。うーん、不思議、イカも卵も『死んでる』感じに視える。ナルは自分が食べていいものが視覚的にわかるみたい」
「へえ。それ、ジーンの霊媒の視覚じゃなくて?」
「それはそれで視えるよ。まあ、ナルが僕の体解剖しても無駄だったってことかなあ。もしかしたら双子そろってどっか人と違ってて、特殊能力の出方が違うだけなのかもしれないから、それなら何かみつかったかなあ」
自身の解剖を特にいやがってはいなかったということか。
「視える、んですか?」
安原が、意外そうに言う。
「ああ、幽霊? うん。この店はいいね。入口の外に守り神みたいな幽霊がいる。おばちゃんの身内かな。変なの背負ってる奴は入ろうと思っても入れない。だからね、昨日の奴も実は入ろうとしてたの、ここに。なんか、ナルに敵意をすごく持ってた。麻衣にも恨みがある感じだったなあ。挑んで行こうとしてたけど、入る前に急に気が変わって、別の店で発信機頼りの待機に変更したみたい。生霊じみた気配が残ってる。憑りつかれていたわけでもないのに、こんな短期間であんなにこじれるなんて。人間ってすごいなあ」
そこに落ち着くか。
「はは。ところで、ヤツはいつ出てくるんだ?」
確かにナルとは違うなあと、滝川は思いつつ、安原に尋ねる。
「えーと、彼の親方から僕のところに電話がきたんです、昨夜、警察から連絡があったって。僕の調べが甘かったようで、彼は前歴があるそうです。二件。いずれも女性への暴行で、大学をやめたのも結局それが原因だったんですね」
「それは大きい調査漏れじゃないのー? 安原さん」
遠慮なくジーンが突っ込む。
「申し訳ありません。仕事上の調査は結局、現場の人間をさらっと調べたところで解決してしまったので後追いしていなかったんです。ほぼ親方情報。親方が結構しゃべってくれたんで、隠し事があるとも思わず。まさかあの気の弱そうな男が前歴二件とは全く想像していませんでした。仕事ならちゃんと調べたんですけどね。安原的に痛恨のミスです。公私を分けすぎました」
確かに、ナルが現場に入った当日に、死んだ看護師の関係者がいるはずだから探せと言われ、現場作業員の名前に同じ苗字をみつけて関係者と聞き出したところでそのまま解決してしまっていた。後は、彼が麻衣の周辺をうろついているので注意してほしいと親方を訪ねた時に、多少聞き込んだだけだ。言われてみれば親方も挙動不審だったのだ。こちらに黙ったまま必死に奴を押さえようとはしていたようだが。
「親方の話で、早速、本日みつけだしましたよ、被害者を。どちらもすぐ警察から釈放されたんで、当事者たちしかほぼ知らなかったようなんです。初犯のときは同級生を階段から突き落としたんですが、幸い三段しかなかった上に被害者が柔道やってたとかで怪我もなくて。大学をやめるということで示談になって被害届取り下げ。再犯は最初の勤め先で同僚の女性へのつきまとい行為がエスカレートしてお部屋を覗きこんでいて、帰宅した同棲中の彼氏にみつかって警察に突き出されました。彼氏に殴られて、怪我をしたのが加害者側だったこともあって、おとがめなし。仕事も自主退職。どちらも、思い出したくもないと、とにかくキモかった、と。なので周りにも具体的に名前を挙げたりはしないで、遠回しにしか話したことはなかったそうです。名前も口にしたくないって。なので、うわさもなかったんです。親方がしゃべらなかったら調査不能でした」
安原としては、調べられない領域があるのは納得しがたく、ちょっと悔しい。
「まあ、確かに、好きでもない男にそっちも好きになってくれるはずと妄想されまくって追っかけられたらキモいわなあ」
「そんなわけでこれまで起訴されたことはなかったんですけど、今度はそうは行きませんね。凶器を用意しているし、周囲から散々注意も受けていたし、谷山さんも事前に相談していたし。傷害に器物損壊に不法侵入。電波法違反と凶器準備については計画的だという証拠ですしね。親方も、これからも面倒はみてやるつもりだけれど、罪はきちんと償わせると、そう言っていました。刑事事件になって裁判で実刑。執行猶予が出るかは、あちら次第こちら次第」
被害者はナルと麻衣である。正直、被害者側からすれば、出てこない期間は長い方がいい。
「麻衣はイギリス行くんだよね?」
「ああ。それまでくらい入っててくれた方がありがたいなあ。ところでジーンは、ナルと記憶共有してるのか?」
「んーと。新しいのは結構わかるなあ。だから事情はなんとなくわかるけど、具体的にはわかんない。それに、今、ナルが論文モードなんだよね。こっちのことは僕におまかせで。脳みその一部がそっちなんで、僕は今、あまり思考力ないよ」
「へえ。本当の二重人格みたいですね。所長にしてみたらずいぶん効率のいい」
「面倒なことは全部僕に押し付けて論文に必要なことがあるときだけ出て来たりして? 裏で考えられるなら確かに便利だけど、ナルもその辺は期待してないみたい。あっちはあっちで考えるのに足りない部分が出てるみたい」
「ナルなら本気でやりそうだったが、そりゃ良かった」
「じゃあ、やっぱり『統合』なんですねぇ」
「まあ、僕は当事者だから疑ってないけど。実際のところ、誰にも見分けられないよね? 僕がジーンか、ナルが僕を失って作った人格か、ナルが僕のマネをしているか。わかる? リン」
これまで黙っていたリンに、ジーンが問う。リンは、ため息をつきつつ首を振る。
「わかるわけがありませんね」
「だよねえ。本気で入れ替わった僕らを見分けられるのは、ルエラだけだもの」
ジーンの周りの少しとがった空気が、ふっとやわらかくなった。
「はい、チヂミお待たせーっ」
おばちゃんが二枚のチヂミを運んできた。ちゃんと野菜チヂミは八等分、海鮮チヂミは六等分にされている。大きさはそれほどないので、ジーンも野菜チヂミをとった。
「ジーンがナルのマネ、はともかく、ナルにジーンのマネなんてできんの? そもそもジーンの性格知らんけど、俺は」
滝川がリンに話を振る。リンは、片手で額を押さえた。
「海鮮チヂミは私もいりませんのでお二人でわけてください。・・・・・・ジーンは、谷山さんが似ていますよ。想像もできないでしょうけれど、姿かたちが一緒でマネされたら、全くわかりません。ナルも必要なときは完璧にこなしますから、私も何度も二人に騙されています」
「あはは。まあ、ほとんどは忙しすぎるナルの手伝いを僕がしてただけ。どうでもいい方に僕が顔出して。ナルが僕のマネをすることはあまりないけど。ああ、一回、脅し透かして僕の代理でデートに行かせたことがあるんだけどね。初デートが二件だぶっちゃって」
「何やってんだよ」
「なんてことしてるんですか」
「所長が初デート・・・・・・」
「昔のことだから許してねー。どっちも捨てがたくてさあ。でも、僕って初デートで終了ってパターン多いんだ。長くても一か月とか。すぐなびくけどすぐ振るんだよねえ、僕に構ってくれる女の子って。僕もちょっといいかなあで遊んでただけだけどさ、一応傷つくんですけど」
「ちょっと待て。そんなにとっかえひっかえか?」
「聞くところでは本当です」
「誠実じゃないから持たないんでしょう?」
「うーん。まあ、熱意はなかったけどね、確かに。やりたいこと色々あったし、ナルやSPRの手伝いもあったし、忙しくて。それでもできるだけご希望は叶えてるつもりだったけどなあ」
「はい、ベーコン巻おまたせっ。兄ちゃん、トマト焼きはサービスで二本だよ、しっかりお食べっ」
「ありがとうございます」
ジーンがぺこりと頭を下げるのに、ご機嫌でおばちゃんは退場する。
「二本・・・、いけるかなあ。そう、それで、ダブルヘッダーデートはね、結局僕は振られて、ナルにまかせた方は続いたの、その後最長記録でひと月半! もちろん二回目以降は相手は僕だけどね。相手は全然、一回目が別人だって気づかなかったよ」
「それは気づかない方が幸せでしょう」
安原が、いい加減話に飽きたらしく海鮮チヂミを一口で放り込む。
「まったくです。トマトは私が一本いただきます。ベーコン巻はお二人でどうぞ」
リンは、早速焼きミニトマトの串を奪う。
「悪い男だなあ。ベーコン巻は少年、二本食え」
滝川は、ベーコン巻をとった。
「・・・・・・そろそろナルに戻ってもらおうかな」
旗色が悪くなってきたジーンは、焼きトマトの串をとる。
「へー、トマトって焼いてもおいしいんだね。そういえばトマトソースおいしいもんね」
「ベーコンとセットもいいなあ。ちょっと食べにくいけど」
「アツアツいいですねえ」
ジーンはトマトを食べ、残ったビールをあおる。いい飲みっぷりだ。
「さて、今日は楽しかったです。また単独で機会があるかはわかりませんが、とりあえずナルをよろしく」
言い切るが早いか、皆が視線を向けた時には、瞬きをするナルがいた。
「・・・・・・なんだ、いきなり戻して」
ナルは空になったビールのジョッキから手を外し、ぬるくなったホットウーロンを手にする。両手で包むように。
見れば、左手も包帯から見える右手もやけに白い。ビール一杯飲んでいるのに顔色も悪かった。
「所長、大丈夫ですか?」
「少し寒いかな。胃だけ温かいかな。何を食べたんだ、あいつは」
「野菜チヂミとミニトマトの串焼きです。今度味わってみてください」
ナルは、残っている皿を見てため息を落とす。おなかが破裂しそうだ。おまけに寒くて、眠い。
「ナルちゃんや。ジーンのダブルヘッダーデートの代行はどうやって成功させたんだ?」
ナルは、ホットウーロンのグラスで手を温めながら、滝川を睨む。何をしゃべったんだあいつは。
「・・・・・・ジーンがやりそうなことをしただけ。デートコースは絶対にかぶらないように反対方向で設定していたし、ばれないように僕の担当は一日つぶせる遊園地だった。あまり話すこともなかったし、適当にジーンらしく感想を言ったりしてただけ」
「デートらしく色々したりはなかったんか?」
「初デートでがっついたら振られるだろう? 僕の任務は次のデートにつなげることだったから、ただ遊園地の乗り物につきあって適度にエスコートしてジーンの小遣いで少し奢ってやっただけ」
ようするに、ジーンはがっついて振られていたということだろうか?
とりあえず、三人は黙った。今ナルに下手なことを言って統合したあと思い出されても困るので。
「ナルちゃんも、ジーンの記憶はまだ共有していないのか?」
滝川が、ジーンへ聞いたのと同じことを尋ねる。
「ないな。統合すると、過去も知ることになる、か。そうだな」
眉をひそめるナルに、滝川は自分の記憶がすべて他人にばれた時のことを想像してみる。
・・・・・・かなり嫌だ。
「まあ、大きな試練が待っているようだが。助けがいるときは言ってくれ」
「役に立つと?」
ナルは、ぬるいホットウーロンを飲みながら視線を投げる。
「まあ、年の功ってやつ?」
「僕も年が近い分、別のところで役に立つかも知れませんのでよろしく」
「昔馴染みで役に立つかも知れませんのでどうぞ」
三人にそれぞれ言われ、ナルはため息を落とす。
確かに、大きな試練かもしれない。・・・・・・お互いに。
「ジーンの記憶と、僕の記憶、ね」
実際、それは、大きな大きな試練だろう。一緒に育ったとはいえ、すべて同じ経験ではない。それぞれの、経験。
自分がジーンのそれに耐えられるのか。そして、ジーンが自分のそれに耐えられるのか。
「必要なときは、よろしく」
本当に、必要に、なるかもしれない。
けれど、越えなくてはいけない。
外したことのない未来予知。
わかっている未来ではあるけれど。
通過点は、確実に、努力を要するのだ。
さまざまな、試練に耐える努力が。
解散後、ナルはまだ営業していた小さな店に立ち寄った。
ナルは、ゆっくりと歩きながら鞄からスマホを出す。コールすると、すぐに麻衣が出た。
「はーい。四者面談どうだったー?」
「おまえが逃げたおかげでひどい目にあった。倍返しを要求する」
「変な日本語ばっか覚えるよね。あのね、大家さんが前に入れないように建物の脇塞いでくれたの! 他の部屋とは繋がったままだけど、もともと誰も外に出ることないし、女性とお年寄りしかいないしね。一安心。窓も交換してくれてあった」
「そうか。今は部屋に?」
「うん。玄関はチェーンもかけちゃった。警察にいるから大丈夫だってわかっちゃいるんだけどさ」
「いいんじゃないか? もうすぐ着くから、チェーンをかけたまま少しドアを開けろ」
「へ?」
「渡すものがある」
通話を切り、ナルは足を進める。麻衣のアパートの方へ。昨日よりも足首は回復している。転んで打った膝のせいで、相変わらず早くは歩けない。
麻衣の部屋の、玄関脇の窓に明かりが見える。キッチンになっているのだろう、鍋などの影が曇りガラスに見えた。
チャイムを押すと、すぐにドアの向こうに人の気配がする。
「僕だ」
言うと、そっとドアが開いた。麻衣はナルだと確認すると、チェーンの長さだけドアを開ける。
「何? 渡すものって。おいしいもの?」
「残念ながら、店の土産はない。コレ」
ナルが出すこぶしの下に、麻衣は手を伸ばす。
その手のひらに、ポトンと、鍵が落ちてきた。
「僕の部屋の鍵。困った時は逃げ込んで来ていいから。ゲートの暗証番号は覚えたな?」
麻衣は、びっくりして鍵とナルの顔を見比べている。
「リンとジョンも持っている。お守りだと思って持っておけ。閉めるぞ」
リンは最初から。ジョンは破門にされて一時居候していたので持っている。
ナルは、返事を待たずにドアを押して閉める。踵を返すと、すぐにまたドアの開く音がした。
「あ、ありがと!」
振り返りもせず、ナルはただ左手を上げた。
自室への道のりを辿る。
何故麻衣に鍵をあげようなどと思ったのか。
下心がありそうだな。
自分の行動にも関わらず、そんなことを思う。ジーンの存在を感じつつ。
鍵で頼ることになるのは、次はこちらかもしれない。
二人が統合される。記憶も何もかもが。
なるようになる。
ただ、迎え受けるだけだ。
お互いに。
何を思っても。
すべてを。