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フラッシュバック 8

 真砂子は、麻衣のアパート前でタクシーを降りたところで、救急車がサイレンを鳴らし出すのを聞いた。
 麻衣の部屋は、ドアが開きっぱなしで中も暗い。道の先に赤い光が見えたので、そちらへ行くとパトカーや警官、そして、麻衣がいた。
「麻衣っ」
 呼びかけると、強張っていた顔がくしゃりと崩れる。
「・・・・・・っ」
 駆け寄る真砂子に、泣きついてきた。
「お話中ごめんなさいまし」
 刑事に謝って、麻衣の頭を抱えてやる。真砂子を見て、若い刑事が狼狽えた。
「えっと、あの、原、真砂子、さん?」
「はい。友人なんです」
 刑事の反応からすると、真砂子のファンらしい。真砂子は麻衣に付き添う許可を得て、現場検証や自室での事情聴取に立ち合った。
 麻衣のバッグからは、覚えのない太めのボールペンが一本出てきた。解体すると、怪しい部品が詰まっている。
「盗聴器ですね」
 どれだけの話を聞かれていたのか。麻衣が固まっているのに、真砂子がその肩を抱く。
「麻衣、バッグをつかまれたのは先週のことだと言ってましたわね? その時、麻衣に近づかないようナルとリンさんが言い聞かせて彼を帰して、以来、彼を見かけたことはなかったのでしょう?」
「う、うん。あの人、仕事上がって渋谷辺りまで出てくるのはどうしたって七時近いはずだから。それ以降の時間は外に出る時は必ず誰かと一緒にいるようにしたし。みんなも気をつけてくれてたけど、見たって話はなかった」
「ええ、私も聞いていませんわ。昨日、事務所へ電話して安原さんに様子を聞いたんです。見たけど言わなかったというわけではないと思います」
 真砂子は、麻衣の顔をのぞきこむようにして、笑顔を見せた。大丈夫だと、安心していいと、麻衣の背に腕をまわして体温を伝えて。
「それに、こんな小さな機械ですもの、少し離れてしまえば受信できませんわ。渋谷のように人も電子機器も溢れた場所では音声を拾うことは無理でしょう。おそらくは、こちらの最寄駅周辺かこのアパートの周辺で行動していたのではないかしら? 麻衣は部屋で独り言を言う癖はないでしょう?」
「うん、ない、けど。それに、荷物は大抵玄関で、電話とかはこっちの部屋でするし。いつもは、ナルに送ってもらう時も、たいした話はしてない」
 いつもは。そもそもナルはあまりしゃべる方ではないし、麻衣も遠回りさせているのが申し訳なくて、ほとんど話をしていなかった。
「今日は、いつもと違いましたの?」
「ごはん、食べて来た。駅の近くで。ナルが食べられる店増やそうって、居酒屋行って。大丈夫だったからナルも少し機嫌良かったし。それに、調理法とか聞いたから、作ってあげるつもりだと思ったかも。だから、聞いてるだけだったら、いい雰囲気に聞こえたかもしんない」
「ナルはお肉もお魚も、卵もダメですものね。お出汁でも、調味料でも。たしかに、誤解したのかも知れませんわね。調理法まで細かく聞いていれば」
「帰り道も、いつもより話した。就職試験の話とかだけど。ここ着いてすぐ、いつもどおりあたしが部屋入って鍵かけるの確認してからナルは帰ったけど。十分くらいして、ピンポンが始まったの」
「ナルが確実に帰ったかどうか確認していたのかもしれませんわね。そして、男と親しくする様子に腹を立てて接触を試みたのかしら? 今度は一般人のお説教では足りませんわね。刑事さん、お願いしますわね?」
「え!? は、はいっ!」
 真砂子ファンらしい古川という刑事が激しく反応して赤くなるのに、一緒にいた先輩刑事がげんこつを食らわせた。
 そうして、改めて刑事らが話を聞き直し、事情聴取を終える。ダンボールがなかったので、牛乳パックとガムテープで窓を補修するのも、刑事が手伝ってくれた。
「今夜は、原さんが付き添うんですね?」
 補修したからといって、異性が乱入してきた部屋に一人ではとてもいられない。
「ええ。麻衣の上司、怪我された方ですわね、あの方が歩いて十分ほどのところにお住まいですの。鍵を預けてくれたそうなので、これから支度してそちらへ行きますわ。仕事絡みでこの事態ですから、責任を感じてるのでしょうね。暗証番号を入れないとエレベーターホールに入れないマンションだそうですから、大丈夫ですわ。麻衣は、彼の部屋に何度か行ったことがあるんですわよね?」
「ナルが高熱出した時に見張りに行ったけど、それだけだよ」
「では、支度ができたらお送りしますよ。彼の自宅の場所も確認しておきたいので、案内してください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきましょう、麻衣。ほら、急いで支度して。私の着替えも貸してくださいまし、二人分ですわよ」
「はあい」
「原さんのそのお荷物は?」
 古川刑事が待つ間に尋ねた。真砂子はずっと、紙袋を一つ持ち歩いていた。コンビニの袋がのぞいている。
「撮影の打ち上げ中に電話があったんですの。帰ると伝えたら、タクシー待ちの間にスタッフの方がいつの間にかコンビニへ行かれてて、飲み直してください、とくださったんですわ。あと、お店の方がタッパーに詰めてくれたんです。これから、麻衣と飲み直して気分を切り換えさせますわ」
「それはいいですね」
 真砂子のおかげで、麻衣もだいぶ落ち着いた。支度と言っても一晩のことだし、調査などで旅支度は慣れている。五分もかからずに、麻衣は荷物をまとめ終えた。

 刑事らにマンションまで送ってもらい、エレベーターホールの入口で麻衣が暗証番号を打ち込み、開いた自動ドアを抜ける。
「あらあら、慣れてらっしゃいますこと」
「え!? 何言ってんだよ、鍵と一緒に教えてくれたの! あたしだってこんな仕掛けのとこ初めてだよ! 前に看病に昼来た時は管理人さんがいたしさ」
 エレベーターの箱は一階にいたので、すぐに三階へ上がる。
「ナルがこれだけ高い建物の三階、というのは、少し違和感ありますわね」
 十五階建ての三階。道路の反対側の歩道から見上げれば、ベランダ越しに窓が見えてしまう程度の高さしかない。ベランダにいれば、道路上からでも顔がわかる近さだ。
「そうだよねー、最上階とか住みそうだよね、ホテルすごかったし。ここ、幽霊出没で激安家賃なんだって。浄霊されたって話だけど」
「まあ、そうでしたの? でもそうですわね、案外、ナルは庶民派ですわよ。いくらパトロンがついているといってもあくまで研究費であってお給料が高給ってわけではないでしょう? 日本の、特に東京の物価は高いですものね。本の印税も、その分野では有名でも、多分わたくしの関わった本の方が部数は出てますわよ、きっと」
 心霊写真鑑定やら何やら、雑誌社の企画物の本が何冊か出ているのだ。真砂子が書いたわけではないが、真砂子が鑑定したり話したりした内容を、読者受けするように写真多用で載っているような本だった。
「まあ、趣味も仕事だし、本当に生活費しかかかってないんだろうから、家賃さえ安ければなんとかなるんだろうね」
「無駄遣いする要素はありませんし、困ってはいないのでしょうね。それに、ナルのことですから住めればどうでもいいのでしょう。どうせ、ベランダにだってろくに出ませんわ」
「そうだよねー。中も、広いよ。なんせ物がないから」
 鍵を開けて、ナルの部屋に入る。
 玄関に靴は一足も出ていない。廊下にも物はない。リビングには一人掛けのソファと二人掛けのソファがあり、間にガラステーブルがある。二人掛けのソファはひじ掛けと背もたれが倒れてソファベッドになるものだ。
 続くダイニングには二人用のダイニングセットがあったが、後は冷蔵庫と、床に直置きのテレビがあるだけだった。
「・・・・・・まあ、ナルらしいといえば、ナルらしい部屋ですわね」
「でしょー。前はソファも一人掛けだけだったらしいんだけどね、ぼーさんが押しかけて帰れなくなった時に困るから買わせたって言ってたよ」
「滝川さんは泊まりに来ることがあるんですのね」
「言うわりに来てる風じゃないけど、でも、こないだナルが高熱出した騒ぎの時は大活躍したよ? あたしも休ませてもらったし、安原さんも泊まったって。まあ、今日はベッド使っていいって言ってたから、家主がここに寝るんじゃないの?」
「帰っていらしたら、ね。さあ、男性の家主が戻ってくる前にお風呂を借りてしまいましょう? 麻衣、道路に座り込んでいたでしょう? わたくしも外の撮影でしたので、せめてシャワーだけでもいただかないと眠れませんわ」
「あ、そうだね」
「足が汚れてますわよ、お先にどうぞ」
 麻衣がシャワーを浴びてパジャマに着替えて出てくると、真砂子は帯を外し着物を脱いで、襦袢だけでダイニングテーブルに何やら広げていた。
「? どしたの? それ」
「お酒の準備ですわよ。ほら、ナルの二十歳の誕生日だけはみんなでプレゼントを用意したじゃありません? わたくしがさしあげたのが、これですの」
 それは、お銚子とお猪口のセットだった。流しの下にあるのをみつけたのだという。
「そっか、それ聞いてあたし一升瓶あげたんだった!」
「そうですわ。見てくださいませ、一升瓶、まだありましたわよ? 一応飲んでるみたいですけれど、三分の一も残ってますわ。二年以上たつのに。味が変わっちゃってますわよ。熱燗にしちゃいましょう?」
「あ、あたしがやっとくから、真砂子、シャワーどうぞ?」
「あら、そうですわね。こんな恰好で失礼しましたわ。じゃあ、お願い。この紙袋に、いただいたビールとおつまみ、それにお店で詰めてくださったおつまみが入っていますわ。わたくし、飲み会を抜け出して来たんですのよ? 責任とってくださいましね?」
「わかったよ」

 治療を済ませ、病院に現れた刑事らと話をしてからマンションにタクシーで帰宅したナルは、鍵を持っていなかったので自室のインターフォンを押した。相手が受話器を取った音を確認して、「僕だ」と言うと、麻衣の声がした。・・・・・・酔っぱらっているとしか思えない、よれよれ大音声だった。
「おかーえりーっ!! 先にお風呂いただいたよー。大丈夫? 何針? あ、真砂子もいるよ?」
 ナルは、ドアを開けるなりしゃべりだす麻衣を押し込んでドアを閉める。隣になんだと思われかねない。
「酔っぱらってるのか?」
「うん、まだ『鬼殺し』残ってるじゃーん! 真砂子と熱燗にして飲んじゃったー。一口くらいなら残ってるよ、飲む? で、何針?」
「十二針だ。酒は飲めない」
 リビングに行くと、酒臭い。熱燗にしたせいだろう。先に駆け戻った麻衣は、すでに真砂子と二人、宴会モードに戻っていた。真砂子はお猪口を片手に座り込んでいる。
「おかえりなさいまし。ジーンが切られてナルが怪我したのですって? 大丈夫ですの?」
「大丈夫です」
「良かったですわ、二人とも」
 にっこりと、真砂子が笑む。真っ赤な顔をしたまんま。
 大けがして帰宅したらパジャマの女が二人泥酔しているというめったにない状況に、ナルは眉をひそめる。片方は男に自室に侵入され包丁を持って追いかけられたはずだし、もう一人も撮影の打ち上げ中だったのだから思いっきり心霊現象という死の現場に密着してきたばかりのはずなのだが。
「麻衣、お酒が足りませんことよ!!」
「おつまみも無いよ〜!」
 そんな二人が酔っぱらって、浮かれている。
 すでに缶ビールと缶酎ハイが空。飲みかけだった一升瓶ももはやない。どこから発掘したのか、酒器セットも活用されていて、何をつまみにしたのか皿も出ている。更には、何やら駄菓子の袋まで・・・・・・。
(うわあ・・・)
(かなり、飲んでるな・・・・・・。)
 ジーンも圧倒されている。

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 いい方に解釈するなら、ストレスが大きかったということだろうが、神経が図太いだけなのだろうか?
「あれえ、ナル、その袋、何?」
 ナルは、紙袋を抱えていた。
「宅配ボックスから回収してきただけだ。八百屋が届けてくれるんだ」
「八百屋ぁっ!?」
「駅に行く途中にある。朝は開いていることもあるが、帰りは閉まっているからな。適当に持ってきてくれている」
「そんなシステムあるんだ。へー」
「本当は個人にはやらないそうだが、僕は野菜がメインだし。向こうが言い出したんだ」
「顔にほだされたのかなあ」
 言いながら、麻衣はナルから袋を奪うと勝手に品定めを開始する。真砂子と二人、どうつまみに変身させるか論じだす。ナルはすでに酔っ払いたちの眼中になかった。
 まあ、ちょうどいい。
 やたら怪我を心配されるのもうっとうしい。ナルは二人をそのまま放置して、シャワーを浴びに行った。
 戻ってくると、二人はサラダや焼きもの、おひたしなどを並べていた。すでに二時近いというのに。
「・・・・・・寝ないのか?」
「寝られないよ! 明るくなるまで! なのにお酒終わっちゃったの! 外行きたくないから買い足せないじゃない!」
「失敗でしたわ、お酒を飲むつもりでせっかく頑張りましたのに。どうしましょう。全部ラップかけて朝ご飯ですかしら? ああ、せめて焼き野菜・・・・・・」
「・・・・・・」
 ナルは、酔っ払い女二人を相手に文句を言ったり注意をしたりするような愚行は犯さなかった。
 ただ、黙ってキッチンの上の棚に寝かせてあった白ワインとワインオープナーを出し、女たちに言われるままにグラスの場所を教え、左手メインでなんとかワインを開けてやった。更には、八百屋が先日サービスでくれた手作りディップの余りも冷蔵庫から出してやる。冷蔵庫に入れて置いた豆腐と菜の花のおひたしはすでに消えていた。
「僕は書斎にいる。好きにしろ」
 そう言って、ご機嫌の二人を置いて退散した。すでにベッドは貸すことになっているのに、自分の寝場所になるはずだったリビングを占拠されてしまった。だからと言って、酔っぱらった女たちと飲み会などする気はない。それしか方策がなかったのだ。
 右の手のひらから腕にかけて十二針。
 しかし、男に部屋に乱入され、包丁を持って数百メートルも追いかけられた女性の心的ショックの改善を優先するのは、やむを得ないだろう。
 ナルは、マウスを左手に資料を閲覧し思考する程度の作業をし、ふと気づいたら窓の外が明るくなっていた。作業を始めたころしていた女たちの声やトイレに行き来したりする物音も、ずいぶん前からしていなかった気がする。
 やっと寝たのか?
 自分の徹夜は構わないが、喉も乾いたのでナルはリビングへ行ってみた。
 二人の姿はなく、ダイニングテーブルにはラップをかけた料理があった。どうやら、ナルの分を取り分けておいてくれたらしい。リビングもダイニングもきちんとテーブルを拭いてきれいにするところまでやってあったが、流しには皿とグラスがおきっぱなしになっていた。そうして、ソファには毛布と枕があり、代わりにクッション二つがなくなっている。
 ナルは水を飲むと、書斎の片づけをし、洗濯乾燥機からゆうべセットして乾燥まで終わっていた洗濯物を出してかごに移す。タオル類だけ片づけて、寝室に本来しまうものは軽くたたんでそのまま洗面所に残した。下着は見えないようにして。それから、リビングのソファで一眠りする。二時間も寝ない内に起き出し、残されていた料理をいただくと、流しの皿とあわせて食器洗い機に放り込み、仕事に行く支度を整える。女二人は、目を覚ます気配もない。
 ナルは、これ幸いと静かに部屋を出て行った。
 麻衣から携帯に電話がきたのは昼を回ってからのこと。夕方、一度麻衣の部屋に寄ったという二人が事務所へやって来た。真砂子は、麻衣に借りた洋服だった。
 二日酔いでぐったりしている二人に安原がイオン飲料を勧めている。
 ナルは、麻衣から部屋の鍵を取り返し、言った。
「何事も、ほどほどにしろ」
 と。

終わり

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