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閑話休題 阿川事件後 リンさんを慰める会(笑)

「なんか、あのナルが、かわいそうに思えてきた‥」
 SPR日本支部関係者の、大人の飲み会。阿川家事件後のお疲れ様会という名目であるが、呑む気漫々のところに名目をつけただけなので、未成年者にはご遠慮願った。
 結果、メンバーは滝川と綾子、ジョンとリンの四人だった。
 今回、麻衣がジーンへ抱いていた恋心と別れを、メンバー全員が知るに至った、そしてその再会という事実にも。
 今回のメンバーの中で、麻衣の恋心について知っていたのは綾子だけだった。他のメンバーは、麻衣がナルに好意を持っているのではないかとなんとなく想像していた者はいても、それは全くの予想外だった。
 綾子によれば、遺体が見つかれば帰国するというナルに麻衣が告白したことから、ジーンの死後の存在が判明し、麻衣が好きになった相手がナルではなくジーンであったことがわかったのだという。
「聞いてなかったのか? リン」
 複雑な顔付きで滝川が話を振るのに、リンはしばし間を置いた。はっきりした表情はないが、途方に暮れたようにも見える。
「……今回、初めて知りました」
 確かに、調査についてデータ解析上も理論上もジーンの存在は関係がない。なので仕事上言う必要はなかった。
「そりゃ、水くさいってもんだよなあ。麻衣は綾子達に話してんのに。俺らはともかくなあ」
 リンにまでなあ、とジョンを見れば、ジョンは冷酒の入ったグラスを持ったまま、なにやら考えているらしい。冷酒は、綾子が頼んだ『麒麟山』だ。
「なんだ?」
「いえ……もしかしたら、渋谷さんはどなたにも話したくなかったんやないかと」
「なんでよ?」
 綾子が先を促すのに、ジョンはリンを見る。同じ事を考えているようだと、視線を交わした。
 リンは、ジョンがあえて自分では言わず、リンに語るよう促しているのだと感じた。
 リンはため息を落として、言う。
「ナルは、谷山さんに好意を持っていたと思いますよ」
 滝川と綾子が、目を丸くする。
「え!?」
「積極的に行動する気は全くなかったと思います。そもそも自覚があったかどうかもわかりませんが」
「ハイ。そう、見えましたです、僕にも」
 唖然として顔を見合わせた滝川と綾子は、更に複雑な顔になる。肯定する材料はないが、否定する材料もない。
「いっつも、馬鹿だの役立たずだの言っておいて?」
「公私を分ければ、仕事上は上司と部下です」
「公私の私で会うことあるんか? あの二人」
「ないでしょう」
 仕事しかしないナルのことだ。確かにないだろう。仕事外の行動の例外は、ジーンの捜索だけだ。あの湖での時間と、帰国前の僅かな時間くらい。
「・・・・・・だと、すると。現状は?」
「好きな子から告白されたけど」
「自分にじゃなかった」
「告白されたけど、失恋?」
「あのナルが?」
「・・・・・・・・・・・・」
 四人ともが沈黙する。
「なんか、あのナルがかわいそうに思えてきた」
 綾子の言葉に、男三人は視線を交わしあい、密かに同意した。
「でも、麻衣は一応フリーでしょ。まあ、複雑だけども」
「まあ、ちいと時間は必要だろうが、相手が相手だ。ナルにもチャンスはまだあるだろう?」
「今のナルの気持ちはわかりませんが、どちらにしろ進展させようとは思っていないと思います。おそらく自覚もしていないし」
「でも、ナルだって健全な男でしょう? ご両親だって孫の顔みたいでしょうし、孝行する気はあるんじゃない? まだ若いから、今相手決めなきゃいけないってことはもちろんないけど」
 リンはため息をグラスを傾けて飲み込んだ。健全かと言われれば、不健全なのだ、ナルは。中国酒を置いていないから、と、滝川に勧められた『むすひ』という酒だった。まあ、日本酒とは思えない味ではある。アルコール度数は足りないが、まあ、気分の切り替えにはいいだろう。
「以前、ナルに近づき過ぎないよう言ったことがありますよね?」
 敵対心のある『同業者』から『協力者』になった頃、彼らはリンに釘を刺されていた。
「あったなあ」
 滝川と、そしてジョンに。ナルと女性陣は知らないことだ。
「原さんに腕を組まれたりしとりましたから、その反応で意味はわかりましたです」
 気安くするなという意味ではなく、体の距離感のことだと。
「なあに? 接触嫌悪? あ、お兄さん、仙酒(そまざけ)ある?」
 初めてきいた綾子が、日本酒の四合瓶を頼みつつ口をはさむ。
 滝川が眉を顰める。
「そうか、サイコメトリ‥……」
 当時は知らなかったが、ナルは一時犯罪捜査にも協力したことがあるサイコメトリストだ。
「到底、ローティーンの子供に耐えられるようなものじゃない。酷い事件もあったんです。ナルのおかげで行方不明事件の犯人が捕まり、そして遺体が見つかって。それでようやく、ナルがどれほどの経験をしたかが判った。そんなものもあったのです」
 複数の女性が性的暴行を受け惨殺された。司法解剖の結果、行方不明後ごく短時間で死亡しており、体中に及ぶ傷害には生体反応があった。
「最後に協力させられた殺人事件のあと、ナルは一月近く入院しました。体中に傷痕が浮き出して、実際に痛みもあり、切り落とされた指には麻痺が出ました。まともに眠ることも食事をすることもできなくなったほどです。学校がちょうど夏休みだったので、身内と関係者しか知らないことですが。その後はどんな依頼もSPRと身内で断っています。カウンセラーの力も借りましたが、さすがというか、新学期には一見わからないレベルまで治していました」
 事件の概要と共に説明され、あまりな話に皆、言葉もない。日本でも、ジャック・ザ・リパーの再来、と、英国の猟奇殺人事件として報道されたほどの事件だった。
「今後も長い付き合いになるでしょうし、年頃ですからね、ご協力が必要なこともあるでしょうからお話ししておきます。ナルも知られたところで気にしませんから」
 勝手にこんなこと話していいのかと思いつつ聞いていたところに、最後の台詞が続く。
「気にしない、か?」
 早い話、女性に性的関心を持てないということだろう。
「今時の草食系だと思えばいいんじゃない? 絶食系かしら?」
「関心を持てないというだけで、機能がないわけではないそうです。ナルの場合、余分な欲に時間をさかれず仕事ができると思っている節もあります」
「あ、なるほど」
 納得する滝川と、同じく草食系認定のジョンが笑顔を見せる。
「前向きでんな」
 綾子がグラスの『麒麟山』を一気に飲み干し、ふうっと息を吐く。そうして、どぼどぼとどぶろくのような『仙酒』を注ぎながら、リンを見る。
「触られるのはダメって、男に、てこと? 真砂子に腕組まれても一応大丈夫だったわよね」
「あれが男だったら、そもそも腕を組まれる隙は与えませんよ。女性から積極的な態度をとられるというのは想定できないようで、女性に対する防御は甘いですね。相手があからさまに性的魅力で近付こうとしてきたなら、あの顔で丁重に撃退しますが」
「そういえばそんなこともあったわね」
 そうして振られた場面を綾子は思い出す。出会った最初、麻衣の学校でのことだった。言われてみれば違和感はあった。肩に手をかけたのだ、自分は。首から上は大した態度だったが、体は微動だにしなかった。
「日本に来る前に一度、貴族の依頼人に襲われた事があるんですが、その時はジーンがいたので。血相を変えたジーンを見かけて追いかけてみたら、ここだとジーンが言う部屋は鍵をかけられていて」
 仲間と引き離し、用意周到に連れ込まれたということだ。
「それ、男?」
「ええ、男性です。ジーンが、扉をぶっ壊せ、と叫んで」
 斧でも壊すのに時間がかかりそうな、分厚い一枚板の立派な扉だったが。
「ジーンに引っ張られて壁によけた途端に、扉が壁にぶち当たる勢いで開きました。二人がかりで押しとどめて。危うく潰されかけましたよ」
 PKでぶち壊した、と。
「で、相手は、無事だったのか?」
 滝川が青ざめつつ問えば、リンはそれを軽く睨みやる。
「ナルがPKを人に向けることはありません。軽い電気ショック程度はやりますが、力を制御する必要があるので咄嗟には無理です。相手は驚いていただけですよ」
 リンが止める間もなくジーンに殴られていたが。
「幸いすぐ駆け付けたので未遂でしたが、ジーンによれば、まるで抵抗できなかったようだと。恐怖で硬直してしまって。・・・・・・フラッシュバックです」
 サイコメトリした事件の体験が、戻ってきたのだ。
「ジーンによれば、部屋に入る前に依頼人が見て貰いたい物があると言っているから見に来いと、部屋の場所をチャットで伝えてきていたそうで。向かおうとしていたところでいきなり回線が開いてパニック状態が伝わってきたそうです。ジーンが言うには『絶望的な恐怖感』が体当たりしてきた感じだったそうです」
 ジーンは必死にすぐ行くからと呼びかけていたそうだが、パニック状態で返事もない。扉を壊せという直前に、チャットで最大ボリュームで声を投げつけた。それで声が届き、ナルは加減なく扉をぶっ飛ばした。
「チャージしてませんでしたから、そのまま意識不明で。幸い、調査中に危険がある可能性もあると、依頼人がお抱え医師を待機させていたので助かりました。チャージなしで本気を出したらどうなるか、がわかった事件でもありましたね」
 本人は何も言わなかったが、退院後しばらく、慣れた相手でも近づくことができないでいた。
「まずはジーンから。次にルエラ。それからマーティンにある程度近づけるようになってから、研究所に出てくるようになったんです」
 普段のナルからは想像もつかない。あの無感動な様子は、内側にある記憶の爆弾を起こさないための、防御でもあるのだろう。
「ですから、谷山さんへの好意も、それだけ、なんだと思います」
 リンは、綾子を見る。
「女性好みで言えば『恋』というところ止まりでしょう」
 綾子は、視線を受けて流し見る。
「『女性』というより『女の子』ね。麻衣あたりにはちょうどいいところだったのに。相手違いとはね。麻衣は、今のところジーン、だと思ってるわ。切り替えられないのも『女の子』な感じよね」
 言いながらドリンクメニューを手にする。飲まなきゃやってらんないわ、という雰囲気がにじみ出ていた。
「思ってる、って? 何よ?」
 滝川が『蓬莱泉』をあおりつつ綾子に応えを促す。
「だって、麻衣はナルとジーンを混同していたのよ? だからこそナルを好きだと思ったんでしょう? 本当に、ジーンだけ、を好きになれるもの? 夢と現実の両方があったから、好きになったんでしょう?」
「・・・・・・ギャップ萌え?」
 滝川の突っ込みに、綾子はがっくりと首を落とし、コップをテーブルにガツンと落とした。
「ふざけんな破壊僧! おかわり寄越しなさい!」
「いやあ、だってそうでしょ? 昼間は厚顔不遜の無表情、夜は優しく微笑む美形だぜ? 落ちるって、それ、ただでさえあの顔だぜ?」
 ジョンが店員に新たに『花春』の四合瓶を頼む。
「まあ、混同してはったんですから、それは片方だけではないと、僕も思いますです」
「そう、でしょう、ね」
 リンも同意する。
「谷山さんはジーンだけだと思っているでしょうけれど」
 と。
 恋する乙女だ。やむを得まい、と、皆思う。
「とりあえず、見守りましょ」
 綾子がまとめ、その話は終わりになった。

 リンは、麻衣をバイトとして雇う話をナルが持ちかけてきたときのことを語り出す。
 たしかに、万事二人でこなしていたので、雑事にかまける時間が惜しかった。メカニックであるリンは機械に触るのが仕事だが、大人であることが必要なもろもろを担当していた。必然的に、本当の雑事をナルが担当していた。本人曰く、手を動かしながらでも頭は自由だから、と。
「あのナルが雑用〜?」
 協力者三人は、意外そうに眼を丸くする。
「元々理論の人ですから。資料を頭に詰め込んでしまえば、ある程度は行動の自由があるんです。ぼーっとしながらお茶を入れて掃除して資料を片づけて。本人は意識的に行動していないので、うっかりミスもよくありましたが、まあ問題ないので」
「あのナルが、ミス?」
「ああ、慣れた行動はロボット化するから」
「そういえば本を読んで歩いていてぶつかった壁に謝ってたことがあったって、森さんが言ってはりましたね」
「いったい、ナルってば何やらかしてくれちゃったの?」
 ジョンまでが興味深々で、リンに四合瓶を傾けている。
「本当に、たいしたことじゃないんです。お湯をわかし忘れたまま水でお茶を入れるとか、同じところをまた掃除するとか、ラベルナンバーが逆から貼られているとか。大きな被害は、観葉植物に水をやったかわからなくてあげすぎて腐らせかけたくらいです」
「自動化しているから作業が記憶に残ってないのか」
「アイスティーが出てきたり一カ所だけピカピカになってたりするわけ?」
「そうです。洗面台や流しはよく掃除していましたね。細かいところが多いので、移動せずに掃除できるから集中できるんだそうですよ、頭の中が」
 洗面台を磨くナルを思い描いて、滝川らが大いに笑う。少年の頃からナルを見ているリンには、意外性はそれほどない。ナルは自立心が強いので、なんでも自分でできるように努力していたことを知っている。ルエラの教育方針も、いざという時未来の妻をいたわれるよう家事全般覚えておくべき、だった。強制はしていなかったが、ジーンよりもナルの方がルエラのサポートをよくしていた。
 愛想の良いジーンに人気はあったが、二人をよく知る女性陣では、恋人にするならジーン、夫にするならナル、と言われていた。そう聞いて、聞き手達は納得したり、疑問視したり、反応は様々だった。
 酔いがほどよく回っているらしく、リンが珍しい話をする。一人だけ持っていた情報を開示したことで、肩の荷が下りたのだろう。
「苦にはならないにしても、インプットアウトプットにはやはり時間は必要ですし、調査もたまにはありますから。人手が欲しくなかったわけではありませんが、やはり特殊ですし。そうですね、人材との出会いを待っていた、感じではあったんです」
「それで、麻衣に白羽の矢が立ったわけか」
 白羽の矢、とは、良い意味ではない。今はともかく、当時としては麻衣には良いか悪いかわからない話だったので、使い方としては間違っていないだろう。
「ナルに言わせれば、高校生なので機動力が落ちる代わりによけいな詮索をする能力もないし時間もない。学校に行っている間は正体がばれる心配なく行動できる。そして、単純で扱いやすく、頼んだ作業はきちんとこなせた。何より、自分の顔にだまされなかった」
 ここで、リンは少し間を置いた。
 実際に、ナルの台詞に間が空いたのだろう。
「彼女は孤児で、頼る者もないらしい、と。最後に、一言、足していました。私は彼女のせいで捻挫をしたので、あまり気乗りしなかったのですが。それを言われたら、反対できませんでしたよ」
 リンにすれば、大人である必要がある部分も担ってくれる人材が欲しかったのだが、ナルの実力が削がれることも良しとしていなかったので、麻衣の採用を了解した。
「確かに、ナルの言うとおり、平日日中と谷山さんが来て以降で切り換えれば良いので、うまくいっていましたよ。日本支部設置当初にくらべれば成人した人間の出番もそう多くはありませんでしたしね」
 麻衣の才能が認められ調査員に昇格し、更にタカがバイトに入り、笠井が超能力の訓練のために出入りする。すべて、高校生。協力者たちが出入りするようになっても、麻衣がいる時間を狙ってくるのでほぼ支障はない。
「まあ、滝川さんが、落とし穴でしたね」
「へへん。俺にだって脳みそはあるっつーの」
 真砂子に正体を見破られたのは痛かった。
 しかも、真砂子は果敢にナルに挑んだ。ナルの年齢を考えればいいか、と、実のところリンは彼らを放置した。ナルの機嫌が悪くなるのも放っておいた。たまには年齢相応の社会的経験値も上げておいた方がいいですよ、と。
 言い方次第で、ナルは素直だ。
 嫌々ながらも、必要性を認めればこなす。真砂子については、社会経験と秘匿という実益があったので、やむなく時間の無駄としか思えないデートにつきあっていた。
「麻衣は、まあ、あれも奇特な奴だよな」
 滝川が、ジョンに表面張力まで注がれたグラスを手に言う。
「あの年頃の女性でナルの顔に騙されなかったのですから、変わっていますよね」
「麻衣が言うには、目が笑ってないから一発で本性わかったって言ってたわよ」
「女子高生で見抜けるって、すごすぎですねん」
「あんなお子ちゃまなのになあ」
 そんな飲み会が、成人になった人間を増やしながら、時々開催された。

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