管理人より。
本当は『一夜』は一話で終わりでした。
正確に言うと、ずるずる長編にしてしまう癖があるので、長くなっていたんですが、無理やりカットしまくってなんとか一話にして後半はざっくり切り捨てたのです。
そこに、「まつきよさん」から「その後」の妄想(笑)イラストをいただきまして。
・・・・・・スイッチ入りました(爆)
そんなわけで、その2をお楽しみくださいませ。スイッチを入れた「まつきよさん」のイラストも間に入っておりますよ♪(クリックすると拡大しますが、それでもよく見えない時はブラウザの表示を125%くらいにすると大丈夫かな〜と。スマホは大丈夫かと。)
ちなみに、「まつきよさん」のトコのナルちゃんは呑兵衛設定なんです♪ その辺のイラストは、コソリ部屋の充実で、じょじょに公開させていただきますので、こちらもどうぞお楽しみに〜(^ ^)/
マスコミは、センセーショナルに報道を開始した。被害者や関係者を探しまわり、何人かは特定されて関係者がインタビューを受ける様子がテレビに映る。
ナルがマンションに帰ったのは正解だった。
安原が早速お世話係ローテーションを組み、リンと安原、そして滝川が交代で世話をすると、ナルが眠っていてまったく知らぬうちに、決まった。綾子が食事の世話を引き受けてくれたので、毎日誰かが綾子の元を訪ねるか、綾子が渋谷の事務所へ届けに来て、それを誰かがナルの元へ運ぶ。
初日の午前中にはすべてが決まっていたため、誰もが、うっかりしたことがあった。
「こんにちはー」
事件の日の夜、六時頃麻衣がオフィスにやって来た。
その時、リンは事務室で英語で電話応対中、安原はリンの部屋で目覚めないナルを見守る係りなっていた。
麻衣は、明かりが点いているのに扉にクローズの札が掛けられていたことについて尋ねる相手もおらず、リンの電話の邪魔をしないよう静かに給湯室へ行き、お湯を沸かしてお茶の用意をする。雑巾を濡らして所長室へ向かい、ノックをして開けると、真っ暗だった。今日は出勤してこなかったのかなあ、と思いながら机と応接セットを拭く。事務室に戻ってこちらの応接セットと安原と自分の机を拭く。資料室はやらなくていいことになっているし、リンの机は電話中なので今日は省略する。給湯室に戻ると、ちょうどお湯が沸いた。
(リンさんと二人かあ)
安原がこの時間にいないということは、休みか退勤した後なのだろう。
どうしようかなあ。
とりあえず、紅茶を二人分、と。用意してお盆を持って出ると、リンが受話器を下ろしたところだった。
「谷山さん」
リンは上着をとり、羽織りながら出口へ向かいつつ言う。
「八時までで結構ですから、留守番をお願いできますか? オフィスは鍵を掛けてしまって構いません。電話だけ、かかって来たら私の携帯へ架けるよう案内してください。お願いします」
「あ、はい」
「ナルは熱も出て寝込んでいますが、心配ありませんから」
では、八時には締めて帰ってください、と慌ただしく出て行った。麻衣はぽかんと見送って、ハッとする。英語の電話も受けろと言うことかー!?
一応、仕込まれた。まどかが所長代理で来て以降は、電話や郵便の整理もまかされるようになったのだ。しかし、そもそもこの事務所の電話が鳴ることはあまりないし、安原がいれば彼がとることになっていた。
仕込まれたのは、ナルかリンに代わる場合と、二人とも留守の場合。そして、留守でそのまま断る場合と携帯を案内する場合。
「ええと、携帯番号は教えない。携帯にかけろと言って、知らないと言う場合は後日かけろ、と」
伝言は聞き取りが怪しいので正確に伝えられないからとはっきり断る。
引き出しからノートを探す。アルファベットに発音を平仮名で書いたマニュアルページを見つけ、ほっとした。
「安原さんも来ないってことだよなあ」
麻衣はオフィスの鍵を内側から掛け、紅茶をつぐ。
そういえば、ナルが寝込んでるって、風邪かな? ここんとこ根詰めてたから、体調崩したんだな、きっと。
「さてっと」
麻衣は、カバンから宿題を取り出した。
リンさんが大丈夫だって言うんだから、大丈夫でしょっと。
今日は前日からの仕事の持越しもないし、整理する図書類も置き場所にない以上、仕事はない。
そうして、結局電話もなく、麻衣は楽勝のバイトタイムを過ごした。
事態をまったく知らぬままに。
ナルは事件明けの朝から、昏々と眠り続けた。怪我もあるし、微熱もある。何より、サイコメトリをやりすぎている。おまけにPKを少しとはいえ使った。
リンが麻衣に留守を頼んでナルのマンションに戻った時も、まだ眠り続けていた。
リンと交代で部屋にいた安原によれば、たまに痛そうに寝返りを打っていたという。
「先程所長の携帯に警察から電話がありました。所長が行方不明者リストから十四人ピックアップしたんだそうですね。その内、七人を被害者だと特定したそうです。二人は目撃者があって被害には遭っていないらしいと。残る五人についてはまだ周辺調査中で確定しないそうですが、数勘定は合いますね。写真二十三枚中十一人が脱出・救出済み。残り十二人」
「そもそも捜索願が出ていない人もいるかも知れません」
「そうですね。救出可能性もわからないですし、警察も慎重になっているみたいです。七人のうち五人の持ち物を預ったそうで、それについてはこちらからの連絡待ちです」
既に十二時間眠っている。捜索は早い方がいいに決まっているし、ナル自身がやると言っているのだ。起こさなかったせいで手遅れになったら、後々悔いが残るだろう。
リンはナルの様子をうかがう。相変わらず熱がある。眠り続けて薬も飲んでいないのでは、痛みもあるだろう。いつもならさわられて起きないなどということはあり得ない。しかし、脈も呼吸も安定しているので、起こせば起きるだろうし、問題もないだろう。
「できればこちらへ持って来るよう連絡してください。あと、くれぐれもマスコミに気付かれないようにと」
「了解しました」
安原がリビングへと移動する。直後、リンの携帯も着信が来たので、リンも廊下へ出た。まどかからだ。
「ナルの様子はどう?」
「まだ目を覚ましません。警察が被害者の持ち物を持って来る予定なのでそのときには起こしますが」
「持ち出してくれるかしらね。ナルの名前は渋谷一也で通すことになったわ。いなかったことにはできないし。未成年だから公表されないはずだしね。幸い日本警察は能力には懐疑的だし、プライドもあるから超能力者の協力なんて口がさけても口外しないと思うわ。念のため、ナルの部屋に出入りさせない方がいいんじゃない?」
「しかし、体力的にも移動は厳しいかと」
「病院はどうなってるの?」
「松崎さんの実家の病院が車で一時間ほどなので、明日一度診て貰えることになっています。今日起きれば連れて行ってもいいことになっていたんですが、起きないので」
「現場の千葉でも東京でもないのね?」
「山梨です」
「入院は?」
「警察へ協力するとなると遠いので」
「じゃあ、病院の後はリンのところで預かれば?」
「…そうですね、しばらくそうします。ちょっと待ってください」
安原がリビングから顔をのぞかせる。
「こちらはまどかです。警察の方は?」
「持ち出しに難色を示しています。一応こちらは身動きできないからと言ったんですが、あまり頼りたくもないようですし。また連絡すると言って切られました。どうも、意見が分かれているようですね、あちらも」
「そうですか」
リン、と呼ぶ声がした。まどかではない。寝室の扉を開けると、ナルが軽く手を上げている。
「ナル」
「警察が持ち出せる所まで行く。マスコミがうろつく心配がないところを指定させろ」
少し話しずらそうだが、意識ははっきりしている様子だった。
「安原さん」
「了解です」
リンの指示に、安原が出て行く。
「まどか」
「ナルが起きたの?」
「はい。警察が持ち出せるマスコミがうろつかない場所で、と」
「ならそのまま病院行けば。それでリンの部屋直行」
「相談してみます」
「じゃあ、あとでメールちょうだい」
簡潔に通話は切れた。リンはナルの枕元へ移動する。
「気分はどうです?」
「……痛い。頭が、グラグラする」
「それでもやるんですか?」
「ああ」
リンはため息を落とす。
「とりあえず、水を」
最寄りの警察署へ捜査本部の者が行くということで話がつき、ナルは手当てをし直して出かける支度をする。しばらくリンのところで世話になることに同意したので、その準備も。もちろん、動いているのはリンと安原だ。
綾子とも話がつき、警察から病院に直行する事になった。幸い、整形外科医が当直でいるのだという。綾子は、先に行っている、と言ってくれた。夕べは夜間救急で治療を受け、病院に戻る予定のところをそのまま帰宅してしまった。昼間、綾子が清算しながら転院できるよう手続きをしてきてくれたという。縫ったところもあるし、イギリスの両親も心配するので、病院には行っておかねばならない。
リンと安原が付き添い、最寄りの警察署へ行く。また車椅子を借り、小会議室へ案内される。
二人の私服刑事が待っていた。
少しでも手がかりを得るために、ナルは五個すべての物をサイコメトリした。
必ずしも、こちらの望むものが視えるわけではない。直近の、もっとも印象深いものが視える確率が高いのだが、それが手がかりに直結するとは限らない。
視えたのは、一つ目は攫われた場面。
二つ目は大勢で倉庫から船に乱暴に移されるところ。
三つ目は現在の環境で、これはまだコンテナの中だったが、救出済みの七人よりも更に劣悪な環境になっており、当人の他に五人の人物が押し込められていた。
更に四つ目は、別のコンテナの中で、一人がコンテナから引きずり出される様子を視た。
写真で判明した行方不明者は残り十二人。コンテナの中が視えた二人は、それぞれ別のコンテナに入れられていたので、割り振りもわかった。
そして、最後に視た品。ちょうど、コンテナから引きずり出されるところから、視えた。引きずり出された当人。コンテナには五人が残され、扉は閉じられた。
警察は、どれが誰のものかは一切語らなかった。
ナルは、それぞれを視て、わかったことを伝えた。
最後の一人は、死亡している、と。
その女性が、最後に見たもの。
弱り切っていて、食事の差し入れに来た男に、同じコンテナにいた誰かが医者に診せてやってくれと頼んだ。医者に診せる気など当然ないだろうが、中で死なれても面倒だと開けて様子を見て、これは持たないと判断されたのだろう。船から海へ捨てられた。
他に行き交う船もない中、真昼間に。
彼女は、一度は海面に浮上し、そして、見たのだ。
船を。その大きさ、形状、色、そして、船名を。
船はまだ目的地に着いていない。彼らはまだコンテナ船の細工されたコンテナの中にいる。一人を除いて。
ナルが行方不明者リストからピックアップした内、巻き込まれていないと判断された二人を除く、ちょうど十二人分の写真が用意されていた。コンテナに振り分けられていた十二人と、同一人物に見えた。ナルは、その写真をコンテナごとに分ける。一枚は、コンテナの中の光景を視た人物なので、顔はわからない。しかし、死亡した一人は、引きずり出されるところを視たので、わかる。その光景を視たコンテナの中の人物も。
ナルは、持ち物がだれのものか、コンテナの中を視た二人と、死亡した一人についてだけは写真を示した。残る二人の内一人は、手の爪が赤をベースに飾りがついていた。今一人は、前髪が長いようだ、とだけ。
あらゆる手がかり。伝えられるだけ伝えたのを確認すると、リンはすぐに、後はおまかせします、と、ナルを連れ出した。車に着いた時にはもう、ナルは深い眠りに落ち、意識がなかった。
安原と二人がかりで車の後部座席に寝かせるが、自力では全く動かなかった。
「大丈夫ですかね」
「呼吸と脈は正常ですし、寝ているだけです。それに、行き先は病院ですから。明日は昼前から滝川さんが私の部屋に来てくれます。交代して出勤しますので、安原さんはいつも通りで結構です」
「はい。四時過ぎには出勤できます。松崎さんが食事を届けてくれるはずですけど、時間はよくわかりません」
「交代で私は部屋に戻りますので、間に合えば持って戻ります」
「はい。間に合わない時は、帰りに届けますよ」
通りがかりに安原を彼のアパート前で降ろし、リンは高速を目指す。
ナルは後部座席で熟睡していた。
病院に着き、綾子の指示どおり通用口に乗り付けると、綾子が車いすを用意して待っていた。
「ナル、着きましたよ」
声を掛けたくらいでは、全く目覚めない。
綾子が後部ドアを開ける。頭の側だった。
「ナァル、起きて、車いすに移ってちょうだいっ」
かすかに眉が寄せられて、わずかに身動きする。綾子は、容赦なくナルの頬をぺちぺちと叩いた。
「ほらっ、起きて。リン、引きずり降ろして乗せてちょうだい」
さすがにうっすらと起きた。しかし、寝ぼけと痛みで、自分ではまともに動けず、結局リンに引きずり降ろされて車いすに乗せられた。
「車は向こうの駐車場へ。整形外科はここ入って右にまっすぐだから、先に行ってるわよ」
ナルを頼もしい綾子にまかせ、リンは車を置くと後を追う。綾子は廊下で待っていた。
「リンは入って説明して。ナルは意識がおかしいわよ。一仕事してきたから?」
「ええ、仕事のし過ぎです」
「まったく」
綾子が深々とため息を落とす。リンが診察室に入ると、医師と男性看護師がナルを診ていた。綾子は脱がすので追い出されたのだろう。
「右肩と左足の打ち身がひどいですね。お嬢さんが預かってきてくれたレントゲンも診ましたけど、左足のこの辺」
医師が、レントゲンとナルの実際の足を指さして言う。
「この細い方の骨、うっすらヒビがあるでしょう」
リンには言われてもよくわからないが、プロが診るとわかるのだろう。左足の下腿、後ろ側の細い骨、腓骨の膝に近い辺りを指さしている。言われてみれば、うっすら線が見える気もする。
「幸い折れてないし、膝と足首の接点のところも大丈夫そうですね。レントゲンでは少しずれてるけど、今は正しい位置になっているようですね。何かしました?」
「整体の心得があるので、私が」
「そうですか、右肩も?」
「はい」
医師が言うには、今は正しい位置にあるという。ギブスをした方が安心だが、他の怪我もあるし、しばらく安静にしているのならテーピング程度でもよい、と。
リンはギブスは断り、テーピングをしてもらう。松葉杖は貸してくれるという。
リンは、今は多忙だったせいもあってスイッチが切れたようでよく寝ているが、病院に戻るはずだったので薬は何も貰っていないこと、ずっと寝てばかりなので水分も栄養もろくにとっていないことを伝えた。
「じゃあ、ベッド空いてるから朝まで寝かせてあげたらどうです? 病棟の方、用意させますよ?」
たしかに、無理に連れ帰ってもリンの部屋まで運びこむのが大変だ。背負うなり抱くなりして運ぶにしても、本人の意識があるかないかで苦労はかなり違う。
朝まで休ませてもらうことにして、点滴を受けることになった。帰る前には頭の傷の抜糸をしてくれるという。片道一時間かけて来たかいはあっただろう。
廊下に出ると、綾子が待っていた。
「聞いたわよ、朝まで病棟ね。リンはどうする? 病室は付き添いできないけど、院長室のソファなら提供できるわよ。あんたも昨日からほとんど寝てないんじゃない? 運転手が居眠りしたら大変よ?」
確かに。昨夜は一時間も寝ないうちに安原からの電話で起こされた。それからあちこちの連絡調整やらで寝ていない。既に日付が変わろうとしている。
「私は裏の実家に泊まるから。明日、東京まで乗せてってよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
朝まで病院で休ませてもらい、通勤渋滞が解消された頃、三人は東京へ戻った。ナルは相変わらず寝ていたが、起こせば目を覚ましてちゃんと動ける程度には回復していた。
ラジオをつけると、ニュースの度に集団誘拐事件の話が出る。まだ、十二人の行方はわからないらしい。被害者の総数もナルの証言しか明確なものがないため、二十人以上と思われると、はっきり確定されていない。実際、写真がすでに片づけられている被害者もいたかもしれない。しかし、それはナルには預かり知らぬところだ。限界を超える。どこかでラインを引かねばならない。
綾子をマンション前で降ろし、リンは自分の部屋を目指す。途中、滝川から連絡があり、すでにリンの部屋へ向かっているとのことだった。リンの住む建物は地下に駐車場がある。駐車場の入口で煙草を吸って待っていた滝川が、車について駐車場へやってきた。
「よお、とんだこったな」
「まったくです」
リンは車を降りると、後部ドアを開ける。ナルが寝ていた。
「リンは荷物と鍵頼むわ。さて、おんぶかな? おーい、ナルちゃんや、おっきしろー」
滝川のそんな呼びかけに、ナルが目を覚ました。かなり不機嫌そうに。
「自力では起き上がれません。あと、左足の膝下の細い骨にヒビがあるそうなので、気をつけてください」
「ギブスとかは?」
「断りました。テーピングはがっちり。左足はほぼ曲がりません。あと、右肩がひどいです」
体を起こしてやると、なるほど、左足は伸ばしたままだし、右腕を吊っている。後部座席の足元に色々つめて、なんとか横になってきたらしい。頭にも包帯だ。
「博士殿、頭打ったのか?」
「塀にぶつけたら切れた。二針。さほど強くは打っていない」
「そうか。とりあえず、部屋行くべ」
無事な左腕をとり、滝川はナルを背負う。ナルはおとなしく背負われるが、右腕が上がらず背中との間に挟まる形になり、左腕だけでつかまっている。左足も曲がらない。
「こりゃ大変だ。急ぐべ」
リンが荷物と松葉杖を持ち、エレベーターへ向かった。
リンの部屋は、二十階にある最上階ワンフロアすべてというとってもセレブな部屋だった。
そもそも、建物自体がリンの実家の持ち物であるという。地下は二階分駐車場、一〜二階は住居付飲食店など店舗、三階から十九階まではオフィス用だ。元々、長期滞在用にキープされていたものの、短期であればホテルだし、リンがナルと来ていた時は監視役でもあったので一緒にホテル住まいだったので、ほぼ空き部屋だった。以前、リンが留学していたころには使っていたし、ホテル滞在中も荷物置きに使っていた。日本支部が存続すると決まって来日して以降は、リンはこちらに移ったのだ。そうして、ナルの部屋が決まるまでは、ナルはここに居候していた。ゲストルームという名の空き部屋は三部屋もあるので。
掃除は定期的に入るし、頼めば下の飲食店が時間外でも出前をしてくれる。もちろん滞在費は無料だ。
金持ちって、ホントにいるんだよなあ〜。
自分もオフィスビルの一階分を丸ごと借りているとはいえ、超事故物件で無料なだけだし、改装する余裕もないのでただぶち抜きなだけのオフィス空間である。プロが家具まで整えたであろう高級な部屋は、派手さはないが一般庶民には落ち着かない。なので、滝川は何度か遊びに来ているが、たいていは外飲みだった。
ナルが一時借りていたゲストルームのベッドへナルを下ろす。着替えさせて寝かすと、ナルは一瞬で寝落ちした。着替えを手伝っている間も、言われるままに動いて着替えていたが、おそらくほぼ寝ていたのだろう。
おやまあ、と滝川はその寝顔を見下ろした。
呼吸をしているのかと疑いたくなるほど、深く眠っている。
ぶつけたせいで顔にも少し青あざがあったものの、その美貌を損なうほどではない。
ほんっと、顔いいよなあ。と、滝川は布団を襟元までかけ直してやって、部屋を出た。
リンが、リビングで茶の支度をして待っていた。
テレビを点けっぱなしにしながら、事情を詳しく聞く。こんな大事件に巻き込まれるとは、まあ。
状況からして、ナルが巻き込まれなかったら、彼らは誰一人二度と自宅に戻ることはできなかったかもしれないし、そもそも事件として世に出ることもなかっただろう。
ナルを含む二十三人中、十一人は脱走もしくは救出、一名は死亡、十一人は救援待ち。
これだけの事件であれば、外国に向かっているであろう船も政府が出てなんとか港で確保するだろう。ただ、船を特定したのはナルの能力のみだ。政府間でその能力の確認までされている可能性もある。
「怪我さえなけりゃ、お国に飛んで帰ってるところか、ね?」
「もちろんです」
リンはお茶のおかわりを注ぎながら強く頷いた。
「あと、ナルが自主的に救出のために乗り出したので、できなかったんです。怪我と事件が落ち着いたら、しばらくは帰国させようと思います」
「そっか。まあ、それがいいだろうな」
すべては警察が有能だったから解決したのだと。そうでなければ、ナルはもう二度と日本に戻れない。
そろそろ、英国心霊調査会の重鎮コースからの圧力が日本警察にかかってきているだろう。大企業や政治家、元公家などのルートから。本気になれば、この程度の事案なら、政府にさえ余分な気は起こさせない。
「二〜三か月?」
「そうですね。ナルは日本の夏は苦手ですし、秋までいてもいいと思います」
ジーンがみつかった時でも、帰国は一か月ほどだった。
「長いな・・・・・・。まあ、そのためには、一通り終わらせていかないと、な」
「ええ。近々現場検証に呼び出されることになるようですし、怪我もあるので、半月くらいは日本で大人しくしているしかありませんが」
秋かあ、そら寂しいなあ、と、滝川は呟いた。
「日本支部はどうするんだ?」
「まどか次第です。所長出張中で通すか、代理を置くか」
「まあ、閉鎖しちゃうわけでなければいーけどね」
一服すると、リンは事務所に行ってくる、と、出かけて行った。
ナルの部屋を覗くと、相変わらず爆睡している。
滝川は、そばにクッションを置き、本を読んで過ごした。
夕方、麻衣が渋谷の事務所に着くと、綾子がビルを出てくるところだった。
「あれー綾子? 来てたの? 帰っちゃうの?」
「遅ーい。これから用があるのよ、デートよデート。ご飯は置いてきたから、ナルんとこ届けてね。ちゃんと食べてさっさと治せって伝えてちょうだい。じゃ、急ぐから」
急ぐという言葉どおり、綾子は待たせていたらしいタクシーの方へ走って行く。
「ご飯? ナルに届ける? 治せ?」
ここのところ、根を詰めて論文執筆に集中していた。資料と本とパソコン以外の物はほぼ視界に入っておらず、麻衣がお茶を届けても全く気付かず、事務室で大騒ぎしていても苦情を言うどころかまるで耳に入っていない様子だった。いつ帰宅しているのかも不明で、どう見ても疲れが溜まってきているようなのに、目と指先だけは疲れ知らずとしか思えぬ有り様。研究に夢中で戦争していたことにも気づかなかった学者ってこんなんだったんだろうなと、お茶を出したり下げたりする度に思ったものだ。昨日リンは大丈夫だと言っていたが、結構重症なのかもしれない。
「こんにちはー」
オフィスへ入ると、安原がいた。応接セットのテーブルの上に、風呂敷包みがのせてある。
「あ、こんにちは。松崎さんに会いましたか?」
「うん、下ですれ違ったよ。ナルにちゃんとご飯届けろって、伝言も預かった。あたし行くー」
はいはい、と手を挙げて立候補する。ナルのマンションとやらは行ったことがないのだ。
「えーと。そうですね、リンさんが帰るのに間に合えば持って行ってもらうはずだったんですけど、残念ながら行き違いで。僕が帰りに届けようと思っていたんですが、八時まで留守番を頼まれているんですよねえ。遅くなっちゃいますね。谷山さん、今日のお仕事は?」
「なんっにもないよ。ほら、今日もリストつくる本ないみたいだし。昨日なんかずーっと宿題。鍵かけていいっていうから来客ももちろんないし、電話もなかったし。なんかお仕事ください。外仕事なんて大歓迎っ」
「行きたいんですね?」
「行きたいっ、ナルん家」
「残念ながらリンさんのおうちに一週間ほどお世話になるそうですので、リンさんのお部屋です」
「えっ!? それも初訪問っ! 行くっ」
「では、お願いしますね」
住所と簡単な地図を貰い、ではそのまま直帰しまっす、と、麻衣は風呂敷を抱えて道玄坂を下って行った。
リンさんのおっうっち〜〜〜。と、想像をたくましくしながら。
麻衣がオフィスを出た頃、リンは自室に帰り着いた。
「おう、ビッグニュースが入って来たぞ」
テレビを観ていた滝川が画面を指さし、言う。テレビには、記者会見の様子が映っていた。
「先のコンテナ船が港で捜索されて、十人以上の若い男女が保護され身元確認中、だと」
曰く、アジアの某国某港沖合で接岸待ちをしていたコンテナ船に某国の海上で活躍する警察が捜索に入り、彼らを発見し、保護した。先の事件同様の被害者である可能性が高く、日本大使館の職員が病院で面会し、身元を確認中である、と。
「今んとこずっと寝てるけど、起きるようなら教えてやれよ」
「はい、そうします」
リンがナルの部屋に行くと、戸を開ける音で身じろぎした。
「ナル、起きましたか?」
リンの呼びかけに、小さく手が挙げられる。声を出す気にはなれないらしい。
「具合はどうです?」
「・・・・・・だいぶいい。動かなければ痛くない」
「食事はできそうですか?」
「ああ、少しなら」
「わかりました。食後の薬が出ていますよ」
「わかった」
「昨日サイコメトリした分のコンテナから、十人以上保護されたそうです」
ぱっと、ナルの目が開いてリンを見た。
「まだ詳しい情報はありませんが、テレビで警察が発表しています」
「・・・・・・そうか」
救出、そして、一人死亡の確認。
何も、感じてはいけない。
ナルは、ただ、その事実を受け止める。
自分が関わり、助けられるものを助けた。無理なものは、無理なのだ。
関わらなければ、何も感じることはなかった。
たとえ、全員が死に絶えていたとしても。
終わったのだ。
それだけを、思った。
「こんばんはー」
滝川が帰ろうとしたところに、玄関チャイムが鳴る。
インターホンはあるが、ちょうど玄関にいたので扉を開けると、麻衣が風呂敷包みを抱えて立っていた。エレベーターで二十階までノーチェックで来られるのだ。
「ぼーさんも来てたんだ? これ、綾子から。配達でーす」
「おう、ごくろーさん」
滝川が受け取り、そのまま見送りに立っていたリンへまわす。
「ナル、どうですか?」
上目遣いにうかがうと、リンが薄く笑った。
「起きていますよ。ちゃんと食べるよう言ってやってください」
「はいっ」
麻衣は滝川のいる扉の内側に入った。マンションだというのに、二人いても余裕の広さだ。
「んじゃ俺時間だから帰るけど、麻衣、おまえ長居せず帰るんだぞ? もう遅いんだから」
「うん、綾子からも伝言あるからね、伝えて様子見たら帰るよー。お邪魔しまーす」
「どうぞ」
麻衣はナルに見せる! と、リンから風呂敷包みを取り返す。
「きっとリンさんの分もあるね、三段だもん」
「さあ、どうでしょう」
綾子のことだからあるのだろうと思いつつ、リンは滝川を送り出し、麻衣をナルの部屋へ案内する。軽くノックすると、返事を待たずに扉を開けた。
「ナル、谷山さんが松崎さんのお弁当を届けに来てくれました」
ナルは、背を向けて寝ていた。動くと痛むので、すぐには反応できない。
「ナル、具合どお−?」
麻衣は気にせず風呂敷を抱えてベッドへ寄る。
「もー、リンさんから聞いたよまた倒れたって。ちゃんと食べなきゃダメじゃー……ん?」
ナルの頭に、包帯。
「どしたの? 倒れた時頭打ったの? 大丈夫?」
更に視界に妙なものが入る。手の届くところに、松葉杖。
「か、階段とかで貧血起こしたのっ!? 大丈夫? 足もなのっ?」
「・・・・・・」
ナルもリンも、麻衣の話がおかしいことに気がついた。リンがベッドの反対側へ行く。
「谷山さん、安原さんから聞いては?」
「へ? 何を?」
「事件のことを」
「じ、事件!?」
リンの手を借りて、ナルが体を起こす。痛みに顔をしかめるナルの顔にも青あざがある。リンはベッドのヘッドに寄りかかれるよう枕やクッションをおくと、布団をはだけて軽く抱いてナルの体を動かす。ナルが右腕と左足を動かせないことが麻衣にもわかった。
「い、いったい何がーっ!?」
「うるさい」
ナルは、丸二日近く情報を得られる立場にありながら状況認識ができていない、そのくせ先天的センシティブであるというこの目の前でパニックになっている女子高生を、深く呆れつつ、興味深く眺める。
有り得なすぎて。
「だって、ナルは寝込んでる、とか、そんなんで、論文忙しそうだったし、だから、だと、うう、、、」
とりあえずパニック中で独り言を言っている麻衣を放置して、リンが風呂敷包みを持って一度出て行く。
風呂敷には、ナルの三食分とリンの一食分だとメモが入っていた。メモの指示どおりナルの分を取り分け、飲み物や薬と合わせて盆にのせて戻ると、麻衣はまだ頭を抱えており、何を考えているのかナルは無言でそんな麻衣を見ていた。
「食べられそうですか?」
「ああ」
ナルが左手だけで食べられるように用意された食事をとっている間に、リンが麻衣へおおざっぱに説明をする。
「ゆ、誘拐? で、こんな怪我して? で、監禁? て、大事件じゃん!!?」
うあああああああっ、と麻衣が枕元で暴れ出す頃にはナルは食事を終え、薬を飲んでいた。
……有り得ない。
コップを手にその様を眺めつつ、ナルは思う。
理解不能だ。
わからないものを追究したくなるのが研究者という人種である。
暫く動けないし、ろくなインプットもアウトプットもできない。
ここは、長らく懸案事項でありつつも放置していたことについて一考するのもありかな、と、ナルは思った。
リンの部屋で世話になっていた間に、刑事が二度、事情聴取に訪れた。
刑事らは、ナルのサイコメトリの能力にもそれによって得た情報にも触れることはなく、一被害者としての事情しか尋ねることはなかった。
事件の十日後、海外で保護された人々も日本に戻り一段落したところで、最初に保護された四人の現場検証が行われることになった。
四人目は別の場所だが、同じ日に行うことから三人に会いたい、と、倉庫での現場検証から参加することになったのだという。
ナルは、外出に合わせ、そのまま自分の部屋へ帰ると決めた。当日持っていた荷物も発見されたので、返却されるという。事件の後戻った時は、リンが持っていた合鍵で部屋に入ったが、ようやく自分の鍵も戻る。今後のことを聞いて、英国へ戻る日程を決めねばならない。
早い方がいい。
半月もすれば日本はゴールデンウイークになるため、航空券が手に入りにくくなる。肩は大きく動かすと痛むが、ほぼ治った。左足も杖なしで部屋の中くらいは安定して歩けるようになった。他の部分は痛みも痣ももう残っていない。
あと数日すれば、注意すれば移動にも支障はないだろう。
当日早朝、自宅最寄りの警察署からリンのマンションへ刑事らが迎えに来て、まずは誘拐現場で検証をする。ナルは、撥ねられた場所と状況を説明する。ナルがぶつかった塀に、わずかながら血痕が残っていた。
そこから、パトカーで倉庫へ移動する。未成年でなので、保護者の同行をと言われていたが、これには広田が休暇を取ってついてきた。リンは広田の方がここでは適任であろうと、身を引いた。
「今回の現場検証が広田さんのお役に立つとは思えませんが?」
「今回もサイコメトリしてるんだろう? 実際にかかわりつつサイコメトリしている場合というパターンは珍しいじゃないか。ユージーンの場合は関わっていればそのパターンだ。役に立つかもしれない」
「『かも』というあたりで、すでに見込みがありませんね」
カチンときつつも、知り合いの刑事もいる車中でキレるわけにもいかず、広田は強く自制する。九九の九の段を一から九まで心の内で唱えるうちに、なんとか怒鳴り飛ばす勢いだった憤りは落ち着いた。
東京から現場検証をし、そのまま千葉まで立ち会う刑事らは、五人の持ち物からコンテナ船を突き止めるというナルの能力を目の当たりにした刑事たちだった。
「・・・・・・ジーンを撥ねたのは、女だ」
広田の沈黙をどうとったのか、ナルが伏し目がちに語り出す。
「シルバーのセダン。ナンバーは視えなかった。女はジーンを撥ねて車を降りてきたが、助からないと思ったのかなんなのか、車に戻り、轢き直した。そのとどめで、ジーンは死んだ。トランクに積み込まれて、車庫へ。車庫が本人のものかはわからないが、バイクのヘルメットが視えた。そこで銀色のシートに包まれて、湖に運ばれてボートに積み込まれ、少し漕ぎ出したところで投棄された。僕に視えたのはそれくらい」
遺体発見時の調書にも、確かにその発言は記録されている。しかし、読むのと直接聞くのでは、かなりインパクトが違った。
「・・・・・・とどめって、それは轢き逃げどころか、殺人だろうっ!?」
ナルは、視線を車外に向けたまま言葉を続ける。
「ジーンは加害者の顔を視なかった。死んでからも。相手が視界に入るのを避けたのかもしれない。目線は固定されていたから、目を開けたまま死んだのかも。けれど、シートに包まれたあとも、外の世界が見えていた。だから僕は投棄された湖とその場所を特定できた。霊として、それでも体の支配下で、ジーンは見ていたのかもしれない」
死の瞬間、ジーンが思ったこと。
『ごめん、ナル』
グリーンに視界が埋め尽くされる瞬間に、ジーンが思ったこと。
死者を視れば、その光景は初めからグリーンがかっている。
しかし、ジーンの死を視た時、それはその瞬間からだった。
ナルが視たまさにあの瞬間に、ジーンは死んだのだ。
グリーンに染まってからは、ジーンは何も思うことはなかった。ただ、視ることだけができた。
「発見時のお前の証言から、死亡したという日にチェックアウトした宿を探したら、すぐにみつかった。その後の足取りはわからない。持っていた荷物もみつかっていない。おまえの言う轢き逃げ現場にももちろん、なんの痕跡もなかった」
「失踪届を出してすぐならまだ何かあったかも知れませんが。一年以上経っていましたからね。荷物はトランクに一緒に入れられた。どうなったかは視てしません。まあ、たいしたものは入っていないでしょう」
「仕事関係の記録とか、お前の好きそうなものは?」
「一応僕の兄ですので、記憶力は良かった。それに、面倒くさがりの奴が記録をつけるなどということをしたはずがない」
まったく、死んだ兄弟にも容赦のない奴だな、と広田は思う。
二人は、あとはろくに話もせずに現場へ向かう。
倉庫のある港に入る時、マスコミが張っているので隠れた方がいい、と刑事がナルに言う。
被害者が身を隠す理不尽さを感じつつも、ナルは用意していた上着のフードをかぶり、身を伏せた。
「美形っぷりを披露しなくていいのか?」
「見せびらかしてスポンサーがつく現場ならいくらでも」
ナルも、パトロンという言い方が日本では誤解を招くことは学んでいた。
港内は関係者しか入れないようだったので、体を起こす。
「こんな事件に巻き込まれたと広く知れたら、英国から出られなくなりかねない。広田さんも困るんじゃないですか?」
「時効が延びる」
「殺人が時効になるまで今の職場にいるつもりで?」
「冗談じゃない!」
車は、倉庫の中に入った。その後、出入り口が閉められる。対岸から写真を撮ろうとするマスコミもいるので。
ナルが松葉杖を頼りに車を降りると、すでに来ていた少年たちが駆けつけてきた。
「一也君、やっと会えた!」
「おう、元気そうだな」
「初めまして」
昴は、小走りに自力で駆け寄って来たが、真佐人は車椅子だ。警察が用意したようだった。そうして、初めて会う四人目は、ナルと同じで松葉杖だ。
「ほら、竜介君、これが噂の一也君」
「はは、なるほどー? 俺、井手竜介。よろしく」
竜介は軽く手を挙げてにまにまと笑顔を見せる。
美形が四人も揃うと、なかなか迫力がある。犯人は明らかに顔で選んでいるなと、広田は思った。
「・・・・・・渋谷一也です」
昴と竜介は、何やら意気投合していた。ナルが真佐人を見ると、意地悪そうにニヤけている。
「なんだ?」
「俺らを凶悪に脅しまくって一緒に逃亡させた上に、犯人だまくらかしてぶちのめした極悪人の美形って、昴が宣伝してたぞ?」
「・・・・・・」
ぶっと、後ろで広田が噴き出した。
「で、一也君がー」
「そうそう、凶悪に脅してくれて逃げることに」
「なんて言って?」
「「『逃げるぞ。手足を切り落とされて、売り飛ばされて、何年間も死ぬまで、一日に何度も爺どもにレイプされ続けたいなら、別だが』って」」
尋ねた刑事も青ざめた。
「だから俺なんか、今死んでもいいから逃げるって」
「うん、俺も這ってでも逃げるって決めた」
一言一句覚えている辺り、この二人は顔だけではなく頭もそれなりなのだろうなと、ナルは思う。もっと頭が良ければ言われずとも動いただろうが。
「えーと」
まだ若い刑事が、涼しい顔をして杖を頼りに立つナルを見る。
「彼らの言うとおりです」
にこやかに、さらりと言ってやる。昴と真佐人は嬉しそうにニヤニヤし、刑事は「あ、そう、なの」と、視線をそらして記録をつけた。
「で、ドアの周りに集まって、一也君が大嘘こいて見張り呼びつけて開けさせて」
「何やったかよくわかんねえけど、一瞬で見張りの男、落ちたんだよな」
「うん、バチって音がした気もするけど。で、結局何やったの? 一也君」
「ぶちのめしただけ」
「そんな動きには見えなかったけどぉ?」
広田は、スタンガンか、とひそかに思った。ナル自身から放たれる、電撃。それで倒して逃げたのだろう。
他の三人の保護者たちは離れたところにいるが、広田は検察庁のしかもゼロ班の事務官ということで、特別に刑事らに紛れていることを許されていた。ナルが超能力者であるから、だ。
具体的にどうやって見張りを呼びつけたのかなど、詳細が記録されていく。広田はナルの行動を苦々しく思いつつも、それが最終的に二十人以上の若者を救ったのだから、とんでもない奴だ、とも思う。
どこまで読んで行動していたのか。
二人を脅しつけた台詞からすれば、その時点ですでに自分たち以外の被害者の存在を悟っていたのだろう。その頭脳でか、その能力でか。
「戸を閉めて見張りの男を閉じ込めようとは思わなったの?」
「そんな余裕全然なかった!」
刑事に尋ねられて、昴が三人を代表して叫ぶ。扉を外から塞いでいた角材は、10センチ角はあろうかという丈夫なものだった。しかも、人の背丈ほども長い。重量的に、怪我人三人でどうにかしようと思えるものではない。
次に、大扉の脇に移動する。
壁に貼ってあった二十三枚の写真。彼ら四人の写真は一番下の端にあったのだという。
昴と真佐人は、二十枚くらい、もしくは以上、とだけで、自分たち以外の人間の顔は全く覚えていなかった。せいぜい、目立つ服装や印象程度。ナルは今でも、その配置も写真の詳細も覚えていた。
「一也君、なんでそんなの覚えてんのー!?」
昴の叫びに、
「見たから」
と、ナルは面白くもなさそうに言う。
「いや、俺らも、見たけど、さ」
真佐人が、呆れた様子で呟き、見学の竜介はニヤニヤと笑っていた。
倉庫の外には出ず、車に乗り込み走り出すまでの過程を捜査車両を使って再現させる。
この時点で昴が高校生で免許なし、真佐人は左足重傷ということで、ナルが運転することになったのだと三人は説明した。
「運転免許証は?」
「財布に。後でお見せしますよ」
免許証には本名が出ているので、今出すわけにはいかないのだ。
「俺も今年免許取るんだ、受験終わったら」
「俺どっちみち初心者マークのペーパードライバー」
ナルはそれを聞いてため息を落とす。監禁場所から車までの移動で、体はかなり限界だった。運転する間中、痛みと戦っていた。右足が無事でよかった。
「で、撃たれたのはどのタイミングで?」
刑事に問われ、三人は顔を見合わせる。
「んー、ほぼ、発進と同時?」
「割れた途端に走りだした感じ」
「ブレーキを外して、ギアを入れたところですね。窓が割れるのとほぼ同時にアクセル踏み込みました」
「ハンドブレーキ、あの車だとフットブレーキか。それを外すのは一番最後だろう? 発進手順としては」
広田が口を出すのに、ナルは冷たい視線を投げる。
「左足は怪我でうまく動かせなかった。右足でブレーキを踏みながら、手で自分の足を持ち上げて動かしてようやくフットブレーキを外したんです。通常の手順で動けるくらいなら、割られていませんよ」
撃ちこまれた二発の弾丸。それらは、フロントガラスと、運転席脇の窓を割った。
「誰も当たらなくて良かったよねえ。弾はどこにあったんです?」
「あ、そうそう。車ン中?」
昴と真佐人の素朴な疑問に、刑事が表情を固くして言う。
「フロントガラスに当たったやつは、助手席のヘッド。いなくて良かったね。もう一発は、どこかで勢いをそがれたみたいでね、運転席脇のガラスを割ってそのまま下に落ちてたよ」
ナルは特にコメントしない。広田は、これもPKだな、と思った。すさまじい力だ。
角度的に、ガラスを抜けていればナルに当たっていただろう。
後は、道路案内を頼りに道路に出て、数百メートル離れた工場へ乗り付けたことを説明して終わりだった。
「容疑者のアパートから荷物がみつかりましたんで、確認してください」
ナルが住居をみつけた容疑者から、他の二人の名前などが割れた。見張りの男もその話を聞いて自供したという。被害者たちの荷物の一部は、新しい分は彼らの部屋からみつかっていた。古い分も、まとめて捨てられているのがみつかっているという。
長テーブルの上に敷かれたシートの上に、三つの鞄が置かれていた。
昴の塾のバッグ、真佐人のリュック、ナルのビジネスバッグが。
「一也君、学校行ってないの?」
昴が、塾のバッグを拾いながら訊ねてきた。
「大学に在籍はしているけれど、あまり行っていない」
英国の、とは省略だ。今回帰ったら、しばらくはおとなしく学生をしようと思いつつ。
「中身を出して、確認してください」
刑事に言われ、シートの上に荷物を広げる。
昴は塾のセットに定期や財布、鈴のキーホルダーにアパートの鍵など。真佐人は大学の教材、定期、本やCD、いくつか鍵のついたぬいぐるみのキーホルダーなど。ナルのは英文と数字だらけの資料ファイルにメディア、クリアファイルに仕事の書類、キーホルダー付の部屋の鍵、そして、パスポート、だ。
「うわあ、一也君だけ中身レベル違う」
「ホント、マジ」
「日本語がないよ」
昴と真佐人に、竜介までが言う。
「一也君、日本の人じゃないの?」
英国のパスポート。突然仕事で移動することも稀にあるので、常に鞄に入れていた。
「国籍は英国」
「じゃあ、渋谷一也って、通り名みたいなもん?」
「ああ」
「本名は?」
「日本では必要ないな」
「ふうん。まあ、一也君て呼んでいいならいいけど」
「別にいい」
なくなっているものがないか確認し、誰も不足物がないとわかり、書類にサインをして荷物を取り返した。
「今後、呼び出されることはまだあるんですか?」
ナルの問いに、刑事は警察としてはない、と言う。検察の方で呼ばれることはあるかもしれないと言う。
ナルは広田を見る。
「必要があれば、だな。まあ、誰かの証言で足りるだろう」
ならば、もう出国できるのだ。怪我の状態さえ良ければ。
「では、渋谷君以外の二人はこれで終わり、送りますよ。渋谷君はもう少し訊きたいことがあるので。井手君は次の現場へ移動ね」
刑事に言われて、散るかと思えば、昴と真佐人がナルの元へ集まった。
「一也君、連絡先教えて!」
「そうそう、落ち着いたら会おう。同窓会」
なんだそれは。
「しばらく帰国するからいない」
「いつ戻ってくるの?」
「さあ」
「戻ってこないか?」
「さあ」
広田がくすりと笑い、口を出す。
「裁判前には戻ってもらわないと困ることがあるかも」
ナルは広田を睨む。
「・・・・・・遅くとも秋には戻っているだろう」
「まあ、国外だとしても、携帯の番号とメアド教えてよ。国境ないでしょ」
「・・・・・・」
昴の押しに、ナルはため息を落とす。諦めて、携帯電話の番号を呟いた。
「ほとんど出ないぞ」
「うん。メアドは? LINEとかやってない?」
やむなく、携帯のメアドをメモして昴へ渡す。横から真佐人と竜介も携帯に登録している。
「返事は・・・・・・」
「うん、期待してないよ。できる時はちょうだいね」
昴の押しの強さに、残る二人もアドレス交換をしている。
「渋谷君」
刑事に、また監禁場所へと誘われ、ナルはその場に背を向けた。
「一也君、今日中にメール送るから、電番」
「あ、俺も」
「俺も。登録しといてね」
ナルは、振り返らずに片手を挙げた。
吊り橋効果、という言葉が頭をよぎる。
男同士で良かった。
三人が去り、ナルは見張りを昏倒させた状況と、弾丸を止めた状況を説明する。
信じようと信じまいと関係はない。
役職が上の方らしい刑事が本当のことをちゃんと言え、とうるさかったので、手を出させて強い静電気程度の体験をさせてやると、黙った。リンがいなくてよかった。
「弾も、止めたのか?」
刑事の一人が言う。
「何か投げてみてください。僕の方へ」
毒を食らわば皿まで、ということわざが日本にはあるという。
刑事が書き損じの書類を丸めて、ぽいとナルへ向かって投げた。
ナルは、眉ひとつ指一本も動かすことなく、ただ視線を向けた。そして、それをはじきとばした。
紙屑は、まるでラケットかバットで打ち返したかのように、投げた刑事を越え、後ろの壁に当たり、また刑事の脇を通ってナルの足元へ戻ってきた。更にはじかれ、跳ねあがる。ナルはそれを片手で受け止めた。
そうして、唖然としている刑事の手に紙屑を返した。
「・・・・・・あとは、免許証ですね」
ナルは、ポケットの財布から運転免許証を出す。
日本の運転免許証。オリヴァー・デイビスの名の。
「僕は来週には英国に戻ります。携帯は通じますので、出ないときは留守電へどうぞ。かけ直しますから。お急ぎのときは英国心霊調査協会へお電話をどうぞ」
英語で架けられるものなら、と心の内で一人ごちつつ、ナルは名刺を渡してにこやかに告げた。
五日後、ナルは機上の人となる。
前日、最後の診察を受けて松葉杖は返却した。まだ左足は無理をしないよう言われたが、歩くだけなら転んだりしないよう注意すれば良いと言われた。
今回は、ナルは一人で帰国する。リンが所長代理で残ることになった。英国の空港へは、両親が車で迎えに来てくれるという。
中断してしまった論文は、あちらで落ち着いてから再開すると、一時諦めた。
当分は、心配している両親の元で、残された一人息子として過ごすと決めている。
仕事は最低限にして、しばらくは大学生らしく過ごす。この機会に親孝行をしておけば、また日本にも戻りやすいだろう。
その間、考えること。
有り得な過ぎる馬鹿娘。去年の夏、聞いた言葉。
『好きだった』
ジーンへの想い。ナルへではなく、兄への。
確認した自分。そうして、兄への想いだと気づいた、彼女。
・・・・・・ナルは、傷ついた自分を知っている。
傷ついた、という言葉に当てはまるのだと悟るまでに、随分と時間を要した。
普段、あまり仕事以外のことを考えなかったので。
何故傷ついたのか、という原因に行き当るまでにも、時間がかかった。
少し、年相応に、大学生をやりつつ、両親の元で考えてみるのもいいだろう。
年相応、という時間が必要であることは、知識として知っている。
麻衣は、リンの部屋で会って以来、会っていない。このまま、数か月置くのがちょうどいいだろう。
英国へ戻り、両親への感謝を、二人分。ジーンの分も、あの両親へ。
アメリカでの、出会い。双子を二人ともを引き取ってくれるとは、想像もしていなかった。いくら感謝してもしたりない。これまでまったく縁のなかった保護者の愛を、二人にたっぷりと注いでくれた。ジーンと二人、両親を大切にしていこうと、それだけは、確実に意見が一致していたのに。
実の両親は、日本を知らない。母の祖父母と、父の祖父母のどちらかは、この国にいたことがあったのだろうけれど。そんな国に初めて来て、死んだ、ジーン。
仕事にはいい国だ。貴重なデータをくれる。
けれど、ここは、生まれた時からずっと一緒だった兄弟の、命を奪った国。
それでも。
ナルは、また日本に戻ると、決めている。
仕事もしやすいし。何より。あの仲間たちの元へ、戻る。
安心して背後をまかせられるような、あの仲間たちの元へ。
けれど、その前に。一度ゆっくり英国に戻り、両親の元で。
自分が、年相応に懸案事項と向き合って何を結論づけるかを知り。
それから、仕事と、自分と、両親の、未来を切り開いていく。再び。
自らの礎を強固にするいっときを、過ごしてこよう。
成田を後にして、ナルは思う。
自分たちの、その先を。