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三人がかりで移動の痕跡を消しつつ、忍術学園のここ三代の六年生と一部の先生方しか知らない小屋へと移動した。こうした小屋は、数代ごとに作られているという。隠された場所に作られ、利用も少ないゆえに、長持ちするものではない。せいぜい、六年生が卒園し、二〜三年持てばいい方だろう。
就職して二〜三年の若手の頃に困ったときに利用できる。忍術学園から卒園生への温情がこめられた小屋だった。
毎年秋になると、その年の六年生が中に蓄える藁と薪、非常食を運ぶ。小屋は使われていることもあれば、何もないこともあるのだという。今年の六年生が藁を運んだ時には、囲炉裏に火を入れた跡があり、非常食が少し減っていた。医薬品の一部も減っていたので、怪我をして逃げ込んだ先輩がいたのだろう。死体があったこともある、と、引率した教師は言った。そうすると、使用した年数が短くともそこは打ち捨てるのだという。死体を残したまま。
焼いて処分するにも、うまく隠れる場所に作っているだけに、山火事になりかねない。小屋がそのまま墓になる。次に利用しようとした先輩がいれば、利用できるものを利用しつつやはり遺体は置いて去るだろう。もしくは、ともに眠ることになる。
三人は、藁を布団に半助を寝かせ、火を起こし、お湯を沸かす。小平太が忍術学園へ報告に戻り、文次郎は伊作の指示に従いつつ、水を汲みに出たり周辺の様子をみたりした。伊作は発見時の状況から、半助がまた吐いたようだと知り、ショックを受けたようだった。それでも、できる限りのことをする。掘り出した根を炒り、煎じ、半助に少しずつ与える。口移しで。日が昇っても半助は目を覚まさない。
文次郎と伊作は交代で半助の脇で体を休め、非常食をつまむ。火は温めるためと湯を沸かすための最小限にしないと、匂いで敵を呼び寄せかねない。
日が昇って間もなく、斜道と新野が訪ねて来た。
「ご苦労様でした。ここは私たちにまかせて、家に帰りなさい。人が多いとみつかりやすいですからね」
途中離脱に二人は抵抗したが、最後の冬休みであり、来年からは正月に家に帰れるとは限らない、親孝行しなさい、と、追い帰されてしまった。
部屋にまとめていた荷物は小平太が持って先に町へ行っているので、学園へ戻らずこのまま帰るように、と。
たしかに、人が多いというだけで発見率は上がる。二人は、おとなしく町へ行き小平太と合流することにした。
合流場所に指定されたのは、京のはずれにある土井の家だった。
二人が訪ねると、大木雅之助と小平太がいた。小平太に話を聞いて、雅之助は早々に変装を解いてしまったのだ。
「きり丸は?」
「バイトー」
当たり前だろ? と、小平太が言う。
「正月三日が過ぎたら、中在家の家へ行け」
雅之助は、三人に指示を出す。
「土井先生が回復するにはそれくらいは軽くかかるだろう。おそらく、今後事態は中在家の地元の方へ動く。必要があれば声をかけるから、家の人に頼んで待機していろ。勝手には動くなよ」
中在家長次の家があるのは、京よりも西。タソガレドキ領主の息子のところへ、養女を嫁に出すという噂のあるところだった。