「お兄さん」
ニャンコ先生が立花から刺身をゲットしている様子を眺めていた名取に、律が話しかけてきた。
「ん?」
「監督のサイン、頼まれてきた」
律はごそごそと、リュックから色紙とサインペンを引っ張り出す。
「・・・・・・誰に?」
「お父さんとお母さん。お姉ちゃんとお義兄ちゃんも欲しそうだったけど、母屋にあれば眺めに行けるから遠慮するって」
なかなかに衝撃的な発言に、名取は固まる。
立花のサイン?
・・・・・・ちょっと待て。
「お父さんもお母さんも立花監督のファン。映画もドラマも観てる。お兄さんが出た奴もみんな観てた」
律は、いつもどおりの無表情で淡々と言ってのけたが、名取にはかなり破壊度が高かった。
「律ちゃん、頼んであげるからおいで」
固まる名取の心中を察したのか、片桐が律を促して席を立つ。
「・・・・・・名取さーん」
夏目が目の前で手を振るのに、名取ははっと我に返る。
「ええと・・・・・・」
家族が、名取も出ているドラマを観ていた・・・・・・。あの父と、あの義母までが。
夏目が、名取の顔をのぞきこむ。
「みんな観ててくれて、良かったですね」
名取は表情が壊れないようにするために、黙って箸をとる。箸で崩れそうになるやわらかい豚の角煮にからしをつけて、口に運んでごまかした。夏目はニコニコとそれを眺め、自分も角煮を狙う。ニャンコ先生が戻ってきたら奪われてしまいかねないので。早いもの勝ちだ。
年末に名取の家で世話になったときに見た、名取の家族関係。
なんだかんだ、義母と妹は姿を見ることはなく。父親と義兄は仕事と武道でつながっている感じで。家族らしいのは姉だけだった。
見れば、律は立花の脇に正座してサインするのを見守っている。心持ち緊張しているようだ。その向かいでは、ニャンコ先生が森にしがみつかれて暴れている。それを困り顔で諌める滝川、うらやましげに笑っている真砂子。
有名監督のチームに、ゴーストハンターに霊能者たち。妖祓人兼俳優に、男子高校生と女子中学生。
珍妙な集まりが、ニャンコ先生のおかげで一気に和やかにまとまっていた。
いい映画ができそうだな。
巻き込まれることになるとも知らず、夏目はごちそうに舌鼓を打った。
ニャンコ先生騒動の間にデザートまで料理が出切ってしまった。仲居は、ご注文の際はお声をおかけください、と、立花の膝の上にある招き猫をチラ見して出て行った。
「では、門外不出閲覧のみ映像行きまーす」
ご機嫌で森がパソコンを再び立ち上げる。生の妖怪を前にして、映像はすっかり後回しになっていたのだ。
「まずはイギリスのウィンブルドンの某お屋敷に住まう貴婦人。はっきり映るんですけど、季節限定な上にご先祖の安寧を守りたいと、家主が非公開希望なので閲覧のみでごめんなさい。ちなみに右上にあるのはサーモグラフィーの映像。右端の他の画像はモロモロ計測器のデータですけど、まあ気にしないで観てくださいな」
映像は、三分ほどだった。屋根裏部屋にいる幽霊。人物だけ若干画像が荒いように観える。よく見れば、輪郭は向こうが透けている。部屋の端から現れ、窓辺に寄り、外を眺めて立つ。それだけの映像だった。
「地味ですけど、研究者にはデータとり放題でいいんですよー。映り方としてもよく映っているでしょう? ちなみに彼女は、二百年ほど前に息子を戦争に送り出して帰りを待ちわびて最上階になる屋根裏部屋からよく外を眺めていた女性だろうと推測されています」
「屋敷も二百年前の?」
「屋敷は十七世紀に建てられたものです」
森はノートパソコンを操作し、もう一度同じ映像を流す。
「真砂子ちゃん、どう?」
森が、撮影チームの後ろから観ていた真砂子の意見を求める。
「推測されているとおりの方だと思います。ただ、この方はもう目的を忘れてしまっているようですわ。何かを待っているけれど、景色に感動しているようです。夏、ですかしら?」
「そう、夏の終わり。そうかあ、じゃあ、消えるのも近い?」
「さあ。ただ繰り返すばかりになっているようですわ。悪霊になる余地もないほど簡素化しています。場がある限り存在するかも知れませんし、もう現れないかもしれません」
「うーん。まあ、新しい測定器の精度を見るのにも便利なんだけどねえ。まあ、本人にもわからないんでしょうから、おまかせでしょうがないわねー」
あっけらかんと言ってのけて、森はまた次の映像を出す。
「もし派手な幽霊をお求めでしたらごめんなさい。強い幽霊は電子機器と相性が悪くて、ブラックアウトしちゃうんです。こんな感じで」
家具の置かれた洋室が映し出される。右脇にもろもろ観測器のデータ。その一番上のサーモグラフィーがだんだんと青い部分が出てきて、他の数値やグラフデータにも異常が見え始める。そして、ブラックアウト。
「ちなみに、ここの幽霊は凶悪で。この後観測機器は全滅ー」
あはははは、と言ってのけるが、滝川と真砂子が顔をこわばらせた。
「? どうしたの? 滝川さん」
サブプロデューサーの永井が気付いて問うのに、滝川はひきつった笑顔を見せる。
「いやあ、女史が扱う機器類って、精密機械だから、めっちゃ高級。それ、総額ウン千万じゃ・・・・・・?」
「うん、そうー。保険掛けてあるけどね」
「保険会社さんご愁傷様です・・・・・・」
「何か思い出すわねえ」
ちらりと、片桐が名取を見る。
「思い出すなあ。まあ、保険掛けてあったがな」
立花もうんうんと頷いている。
「何かありましたの?」
真砂子が名取の顔を見る。名取はだんまりを決め込んだ。
「カメラもデータも全滅だったよなあ、あれ」
「まあ、すげえもん生で見れましたけど」
「何見たんです?」
「空中浮遊?」
「除霊しようとして妖怪が暴走した?」
「雷落ちた」
「・・・・・・ああ」
撮影組の断片的な話に、夏目は、いつだか名取が柊を祓おうとした時の様子を思い出した。確かに、あんなことがあれば精密機械は全滅だろう。
「幽霊絡みの撮影じゃあ、保険たっぷりかけとかなきゃいけませんねー」
森が、それはそれはにこやかに、笑顔を振りまいてくれた。