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妖と人

「おひいさまっ・・・・・・!」
 名取の横を、少女が駆け抜けて行った。
 名取は、顔を見なかった。後ろ姿は、見慣れた柊。けれど、それは名取の式の柊ではなく、人間の少女のようだった。
 石は、神々しい気配を放っていた。年末とは打って変わって元気になったらしい。
 見れば、宮司が石に向かって深々と礼をとっている。名取も、その背後でそれにならった。
 本来、神は見てはいけない存在。
 名取は、神と知らずにみはしら様とつきあい始めたので、つい慣れてしまっていた。
 が、それが年末の事態を招いたのだ。
 神と人が、友人になれるはずはない。
 では、神と妖は?
 柊は、石の女神の気配の中へと消えた。目で見れば違う光景があるのかも知れないが、気配を読むだけならば、柊の気配は神の気配に呑まれてしまっている。
 柊の、うれしそうな、せつなそうな声。主を忘れて駆けて行った。
 無論、名取に柊を責める気持ちはない。神と人では格が違いすぎるのだ。
 みはしら様は、元ヒトだった。
 柊も、元はヒトだった。
 名取は、今現在ただの人だし、妖にも神にもなる気はない。
 まして、目の前にあるのは自然神。
 神と妖の邂逅。
 神とはなんなのだろう。妖とはなんなのだろう。
 神を敬い奉りながら、妖を使役し憎悪する、タダビトの自分。
 神にも妖にも変化し得る可能性を持つ、ヒト。
 ヒトを憎み祟りをなし神となったみはしら様。  巫女として神に捧げられ妖となった柊。
 名取は、宮司について鎮守の森を出る。柊を残して。
「次は、あなたの番ですね」
「え?」
 宮司は、名取を拝殿へと案内してくれた。
 仕度する様子から、お祓いを受けるのだとわかる。ああ、父が電話しておくと言っていたのは、これか、と名取は思う。
 名取から神気を祓う。
 神に気に入られ採り込まれかけたその身を、完全にタダビトのものとするために。
 神になる気も、妖になる気もない。
 名取は、祭壇に向かう宮司の背を見る。
 父には、自分たちの敬い奉る神を祓うことはできないのだ。
 名取は視線を下ろし、目を閉じる。
 祓いを受けるために。

 大丈夫ですよ、少し休めば楽になりますからね。
 そんな言葉を聞いた気がする。
 支えられながらとはいえ、自分でちゃんと歩いたと思う。
 シーンが繋がらない。
 まるで、泥酔した翌朝に前夜のことを思い出そうとしているかのようだ。
 石段を何段か降りた。
 木の床を踏んだ。
 障子の枠に触れた。
 冷たいけれど柔らかい寝具に身を横たえた安心感。
 年配の男の声は宮司のもの。若い女性の声も聞いた。
 名を呼ばれて、返事をした。けれど、その姿を見た覚えがない。
 ふと気づいたら、和室の天井が見えた。
「あなたのお父さんがね、言ってましたよ」
 男の声。白い背が見えた。
 自分に話しているのではない。名取は見ていられなくて、また目を閉じる。
「最初の奥さんは、同年代の男たちの間では、憧れの君だったんだ、と」
 ああ、母のことだな、と名取は思う。
 気高く美しいと評判だったと、よく話に聞いた。ではやはり自分に話しているのだろうか? でも見えたのは背中だった。
「その憧れの君と死に別れて、再婚する気はないって言っていたのにね。あなたのお母さんとは幼馴染だったとかで」
 薄く目を開けると、宮司の向こうにやはり誰かいるようだった。
「気軽になんでも話せて自分のことをなんでもわかってくれる子だったんだってね」
 話の流れからすれば、相手は律なのだろう。そういえば、律。どうしたんだっけか?
 名取は、また気が遠のきそうになるのを考えることで留めようとする。
「なのに離縁されて戻って来たと聞いて、何も考えずにその場で結婚したいと父親に申し出てしまったって」
 律は、美容院に置いて来たんだった。迎えに行かないと。いや、ここにいるのか。いったいどうしてこういうことに?
「子供ができないで離縁されたと聞いていたのに子供も授かったと、嬉しそうに言ってましたよ。憧れの君とは別に、素朴に、好きな子、てヤツだったんだな、て」
 宮司の話している内容を反芻してみる。ただの声が、言葉として理解できる。意識が鮮明になってきた。
「いい年こいた親父がねえ。まあ、酔っ払ってたから白状したってとこですが」
 名取は、ぱちりと目を開けた。和室の天井。宮司の背中。障子から差し込む日。寝具の感触。
 お祓いを受けて、体のバランスがおかしくなったのか自由がきかなくなって、宮司に社務所に運び込まれたのだと、思い出す。
「おや、気づかれましたね。楽になりましたか?」
 にこやかに振り返った宮司の向こうには、短くなったお下げを垂らした、律がいた。
「・・・・・・すみません、楽になりました」
 名取は体を起こす。ひどくだるい。まばたきを繰り返して額をなでると、意識は危なげなく戻っていると確認できた。
「律、は。どうやってここに?」
「神社に行くってお兄さん言ってたから。早く終わったから社務所に行って聞いてみたら、中で休んでるって言われたの」
「で、話をしてたんだよ。若いから回復が早いねえ、真っ青だったのに、顔色も戻ってきてる。けど、話足りないし、もう少し休んでなさい」
「いえ、もう、大丈夫ですから」
 部屋にあった柱時計をみると、昼近かった。お祓いを受けてから1時間くらいか。
 体の重心をどこに置いたらいいのかわからない感じで、体がふらつく。
 宮司は、今昼ご飯用意してるから、と名取を布団に押し戻す。
「あなたは食欲ないでしょうけれど、妹さんは健康体ですからね。律さん、おいでなさい。周さん、お茶ぐらいは運ばせますから、大人しく寝てて下さいね」
 確かに、今、食べ物はみたくない。やむなく、律をまかせて、また布団に身を横たえた。
 軽い吐き気と貧血っぽい感覚はあるが、そう気分は悪くない。もう少し休めば運転にも支障はないだろう。
 体はだるいが、ひどく軽くなった感じがする。
 自分ではないものに占拠されていたのだと、ようやく実感できた。
 みはしら様は怒るかな。
 それより、酒の調達係がいなくなる方が困るだろうから、気にしないか。
 午後の予定はどうしようかと時間配分を考えていると、人の気配が近づいて来た。
「失礼します」
 若い女性の声がして、縁側に面したガラス障子が引き開けられた。
「あ」
 名取は、意外な人物の登場に唖然とする。
 お茶を盆に載せて現れたのは、小柄な、飾り気のない女性。
「霊感娘」
「片桐です!」
 そういえば、神社が実家だとスタッフが言っていた。

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