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おひとよし

「おいこら名取! 迎えに来させるとは一人前になったなあっ」
 地味なバンの後部座席には、すでに元気な親父が陣取っていた。
「すみませんねえ」
 名取はそっと乗り込んだ。急ぐと、体が痛む、特に、座るのが苦痛なのだ。
 ドアを閉める、車はすぐに発進する。
「まったくだぞ名取。境さんや小谷さんが事務所まで来てるのに、なんでお前の迎えに来なきゃいけないんだ」
 マネージャーの安藤が、運転しながら小言を言う。彼が担当するのは名取だけではない。 名取のお迎え希望のおかげで、今回の運転手兼全員の付き人役を押し付けられたようだった。
「すみませんねえ。小谷さんも、回り道させてすみません」
「別にいいよ、僕は。境さんのお話をその分長く聞けるから」
「おっさんの小言が楽しいかい? 小坂よぅ」
「楽しいですよ」
 境が愉快そうに笑う。が、境が小谷を嫌っているのを、名取も安藤も知っていた。 本当は一緒の予定じゃなかったはずだが、何か変更があったのかもしれない。なんにせよ、気にする余裕はない。
「どうした? 名取。なんかよれてねえか?」
「はは、そうですか?」
 家に帰る余裕がなかったので、妖とやりあったままの服だった。 中身も、9時に起こされてから屋敷を出るまでに2時間もかかるほど、回復しきれていなかった。 最寄の駅前まで迎えを頼み、的場の屋敷からそこまでタクシーで乗り付けて、なんとか間に合った。
 今日は名取出番の最後の撮影日。ドラマも半分が終わり一段落つくので、撮影用の貸切旅館でそのまま打ち上げだ。 もちろん、名取に打ち上げに参加する元気はない。が、小谷は今日撮影がないはずなので、 打ち上げで顔を売るためについてきているのだろう。
 タイヤが、小石か何かを踏んで軽くはねた。
「っ」
 上半身に痛みが走る。傷ついた場所。痛めた左肘。媚薬の過剰摂取による頭痛。
「おい、名取? 大丈夫か?」
 痛みがずきずきと残り、目が回った。右手で額を支える。小谷のいる助手席には影響を与えたくない。
 ぐいっと、肩を引かれた。横倒しにされて、名取は呻いた。
「具合悪いなら、この境さんが膝を貸してやろう! どうせお前シャワーシーンだけだろ? 一眠りしてったって支障ねえよ」
「わーっ、名取、起きろ、境さん、心配しないでください大丈夫ですよー!」
 安藤があわてて騒いでいる。事務所ナンバーワンの大物俳優だが、本音で気さくな男なのだ、境は。 かえって、周りの方が困るほど。なので、若い者と一緒の車になんか乗っている。正直痛かったが、名取はおかしくて少し笑った。 が、気を抜いたせいか、目眩がひどくなって、本当に起き上がれなくなってしまった。
「お、後ろに毛布もあるな。寝てろ寝てろ」
 横になると、確かに体は楽だった。だからといって、まさか本当に大先輩の膝枕に甘えるわけにはいかない。 いかないのだが、根源に近い辺りまで生気を奪われた体には、ここまでの移動も相当な負担だったらしい。 目眩の奥から、暗転していく。そのまま、意識が落ちた。
 それに気づいて、境は名取の様子を改めて見た。
 眠っている、というより、気絶している、ようだった。
「呆れますね。本当に寝ちゃった。撮影前に寝るなんて、顔はむくむし、プロ意識足りないんじゃないですか?」
 大物の境に取り入りたい小谷は、自分の株を上げるために、名取を落とそうとして言った。境はそちらを見もせずに、 名取の眼鏡と帽子を外し、体勢を楽なように直してやると、座席の後ろから毛布をとり、体にかけてやった。膝を貸したまま。
「境さん、いいんですよ、戻して。足痛くなっちゃいますよ?」
 安藤が悲鳴のように言った。
「構わねえよ。息子みたいな年だしなあ。かわいいじゃないか。さあ、静かに運転してやってくれ。 相当あちこち、お疲れのようだぜ」
 境の言い様で、安藤にも名取は本当に体を休める必要があるのだと察した。
 名取の裏の仕事のことは、事務所でも知る人間は限られる。社長と、相談役の境と、 名取のマネージャーを経験したことのある者だけだった。
 当然、小谷は知らない。小谷はまだぶつぶつ言っていたが、境が反応しないのでようやく黙った。 売れていたグループが解散して、この事務所に入ってきたので、そもそも名取とは出が違う、と本人は思っている。 ドラマの役も、小谷は境と共にレギュラーを張っている。同じ年でも、事務所の先輩にあたっても、 一ヶ月分しか出番のない名取とは違うのだ、と。
 名取は演技も職業意識もしっかりした、長く安定して仕事をしていける奴だろう、と、境は見込んでいる。 どんな長台詞もとちったことはないし、名取のせいで撮りなおしになったことは一度もない、とマネージャー達は言う。 裏の仕事で表の仕事に支障を与えたことも、これまではなかった。あるとすれば、 そもそも長期のレギュラー役を引き受けられないということと、呪術師のような役は絶対に受けない、ということだけだ。
『だって、無事の保障はないんですよ、大穴開けたらご迷惑でしょう?』
 具体的な内容は知らないが、命にかかわることもあるらしい。そんなヤツをわざわざ使う必要もないのだが、社長はそれでも、 とスカウトした。初めはぎこちなかったが、慣れてくると、社長の目は確かだったな、と境も納得した。 自由に俳優として立って欲しいのだが、本人がそれを選んでくれない。社長の頭痛の種だ。

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