「名取、名取っ!」
ぱちっと、名取は目を覚ました。
自分のすぐ耳元で大声を出されて。
目の前に、マネージャー安藤の顔があった。
びっくりしすぎて、目を開ける以外のことができない。
部屋の鍵はかけたし、合鍵を渡していない。
住所は教えてあるが、近場で待ち合わせることはあっても、これまで部屋に入れたことはない。
その安藤が部屋の中にいることにもびっくりだが、ド素人がすぐ脇に来ていてもまったく目覚めなかった自分の警戒の緩さに何より驚いた。
「・・・・・・くっ」
なんでここに、と言おうとしたのに、息が切れて言葉にならない。
「ああ良かった、意識はあるな」
心底ほっとした様子で、安藤が腰を落とす。見れば、その隣に柊がいた。
「チャイムが鳴っても気がつかれなかったので、私が鍵を開けました」
「病院行くぞ、起きられるか?」
あせる安藤を手をあげて押しとどめ、名取は自力で体を起こした。
ひどくだるいし、酸欠な感じはするが、思ったより大丈夫そうだ。消耗しすぎて爆睡してしまっただけらしい。
「大丈夫、ですよ。どうしたんですか、こんなとこまで」
息切れで細切れにしながらも尋ねると、安藤がしばし黙った。
「仕事、ですか?」
何か急な。この体調の名取に仕事を押し付けていいものか、悩んでいるらしい。
「・・・・・・ああ、小谷の穴のCM撮影があるんだ。別の若手の予定だったんだが、やはりお前の方がいいだろうということになって」
見れば、FAX電話に紙が数枚。留守電のランプもついている。この分だと、俳優業用の携帯電話も着信記録だらけだろう。
「すみません、明け方戻ってから熟睡してしまったようで。よく寝たので、大丈夫ですよ」
ふうっと、息を吐く。
時計を見ると、10時過ぎだった。5時間は寝た。
ふいに、電話が鳴った。
安藤以外にも、名取に連絡をとりたい者がいるらしい。
この部屋の電話は黒電話ではないので、基本的にはとらない。が、今日の体調なら余分なパワーで壊す心配はなさそうだった。
家具に手をつきながら電話を見ると、自宅の電話番号が表示されている。名取は、受話器をとった。
「はい」
「周か?」
「そうです」
声は、父親のものだった。
名取の父は、簡潔に用件を伝えてきた。
曰く、近所の囲碁仲間でもある高橋という氏子と碁を打っていたら宅配便が来た。名取宛で、発送は東京からで、差出人は女性名になっている。
だが、その荷物からは『男の悪意』が強く感じられるのだという。
「どうする? 高橋さんは榊署の刑事さんだ。本人の了解が得られているなら家族があけてもいいと言っている」
「・・・・・・ちょっと待って下さい。今、ちょうどマネージャーが来てるから」
名取は安藤に話を伝える。
「・・・・・・小谷、かな」
安藤が言う。
「・・・・・・かもしれません。知らない名前だし、偽名でしょうから」
結局、電話を繋げたまま、開封してもらうことにした。
「ダンボールの中身は、ハワイ土産によくあるチョコの箱だな。それが一箱入っているだけだ。何も包装はない。すぐ蓋が開く」
「じゃあ、開けて下さい」
「ああ、開けた。チョコが並んでいるな」
電話の向こうの会話が聞こえてくる。高橋という刑事が、チョコをひっくり返しているらしい。
「・・・・・・一つ、底側がえぐられて何か入ってる」
「高橋さんに預けて、調べてもらえますか?」
向こうで気安い会話を交わしているのがわかる。仲がいいらしく、二つ返事で了解しているのが聞こえた。
「もしもし、榊署刑事課の高橋ですが」
「名取です。いつも父がお世話になっております。今回は面倒ごとが起きてしまったようで、お楽しみのところ申し訳ありません」
「まあ勝負は負けそうだったんで構わないが。で、この荷物の送り主に心当たりはあるのかな?」
「・・・・・・所属事務所の、マネージャーの安藤さんに代わります」
名取は、刑事に電話が替わったから、と、安藤に受話器を渡した。
安藤は慎重に、行方不明の小谷が名取と同じ所属であること。彼が名取を極端にライバル視していたことを伝える。
本当は、社長とよく協議した方がいいのだろうが、下手に間をおいて余計な疑いを持たせる方がまずいと判断したようだった。
安藤は自分の携帯番号を高橋に伝え、名取に受話器を戻した。名取がとると、相手も父に替わっていた。
「ご迷惑おかけします、すみません」
「・・・・・・後は、高橋さんにまかせておけ。落ち着くまで、こちらには戻るな」
それで、電話は切れた。
「なんで、お前の実家の住所が・・・・・・。ああ、テレビ、取材かっ! 小谷の件でインタビュー、神社名が割れたのかっ」
実家がばれたので、家に戻ってくるなということらしい。この部屋はそうそうばれることはないだろう。
「お前、無用心だから引越し考えろよ、そろそろ。今回の騒動を無事に乗り切れれば、人気上昇中だしこっちも売る気なんだから」
名取は、笑ってみせた。確かに、これではうっかり爆睡もできない。
何かの仕掛けなら式が追い払ってくれるだろうが、人間相手ではなかなかそうもいかない。
「まあ、落ち着いたら考えます」
手早く支度をし、明日の台本を持って部屋を出る。
支度している間に、安藤は社長と電話で話していた。
部屋を出ると二人は黙ったまま歩き、車に乗り込んで大通りに出てから、安藤が口を開いた。
「小谷はお前が榊市出身だということは知っていたらしい。それで神社がすぐ絞りこめたんだろう」
「そうですか。私は教えた覚えないけれど」
「境さんが何かのついでにしゃべったことがあるそうだ。県境の都側が奴の出身地だから、覚えていたんだろう」
実家が近いのも、ライバル視される原因の一つだったのかもしれない。
なんにせよ、そちらの件は警察にまかせておくしかない。
安藤から、今日の仕事の資料を受け取り、話をきく。
ワインの宣伝で、新進女優を相手に、誕生日を祝う恋人達、という設定だという。
スタジオに作ったマンションの部屋で、ワインを飲みながらロマンチックなひと時を過ごす様子を演じることになるそうだった。
名取は、明日の撮影のシナリオをめくる。台詞はほとんどない。印刷されたキャスト一覧には、小谷の名が3番目にあった。
台詞は少ないが、作品のキーになる人物役だ。
人物、か。人の姿をした魔物、か。途中まで惑わして。魔物らしいとわかってからも人らしさを失わない。
無邪気な子供のように悪意なく悪事を行う、そんな役だった。
今日の仕事とギャップがある。できるだけ早く撮影をこなして、予定の人物づくりにかからなくてはならない。
名取は、ため息を落とす。
荷物の不審物は、麻薬の類だろうか。警察の事情聴取にも行かなくてはならなくなるかも知れない。
来週には探偵物の稽古が始まる。妖祓いの仕事は、しばらく控えないと体が持たない。
せっかく、妖祓い人としての立場もしっかりしてきたところだったのに。
体調を崩して仕事を請けられずにいたので、きっと信用が落ちている。
ああ、そろそろ、本家の連中がしびれを切らす頃かな。
妖祓い『名取家』の本家。名取の実母の実家。実母は分家に養女に来て、それから別の分家の父を婿にとった。
血縁の濃い、なのに、妖祓いの能力を持つ者は、名取ただ1人ということになっている。
妹は家の外から入った女の子供なので、能力があるとはまったく疑われていないだろう。
神職という建前を持たない本家は、不動産業で生計を立てている。
名ばかりの本家のくせに、能力者である名取をあの手この手で縛ろうと仕掛けてくる。鬱陶しい存在だった。
母の実家だからか、父は特にたてつこうとはしない。名取も、あえてたてつきはしない。
けれど、とても、存在自体が鬱陶しい。
暗くなる気分を、名取はCMの資料を開いて盛り立てにかかった。
こんな気持ちでは、恋人同士の雰囲気など出せない。
家のことも、小谷のことも、思考から一時追い出して。
心身の気の流れを整え、気を増幅させ、体調を整え。
俳優名取の気配を取り戻していく。
車がスタジオに着いた頃には、名取はいつもの俳優名取の煌きを取り戻していた。
安藤は、さすがだな、と、呆れつつも頼もしく、名取を見た。