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人と人

「どの辺まで登ればいいんでしょう?」
 名取が訊ねたスタッフは、にっこり笑って「半分以上」と言った。
「小谷さんは3mくらいでしたけどね。時間があったのでCGとスタントでなんとか。今回は放送日決まっちゃってるんで、この場ですべて撮りたいんです」
「了解しました」
 名取は、20m近い木を眺めながら、ため息を落とした。
 今日もハードだなあ、と。

 昨日、共演女優のせいでかなり難儀したCM撮影をこなした後、名取は倒れた。
 病み上がりの多忙、神気のお祓い、予定外の妖祓いに予定外の俳優の仕事。
 共演女優は今回のCMを機に清純派アイドルから大人の女優に切り替えたいという事務所の意向を知っているくせに全く理解しておらず。
 今回は、新発売のワインのおかげで心が通ったばかりの恋人たちがおずおずと一線を越えることになるという設定のCMで、事務所の意向にわざわざ合わせてあるというのに。
 CMの役を放り出して、カメラの前で『名取の恋人になりたい』という状態で色気たっぷりで攻めてきた。
 そもそも『清純派アイドル』という古くさい設定自体が完全に演じられていた役柄であったらしい。
 雰囲気と設定以外はほぼ役者まかせで状況に合わせて監督が指示を出してくるという撮り方だというのに、全然「清純派」でも「気持ちが通ったばかりでまだ体の関係がない純な恋人」でもない状態の女優に、かなりの時間を無駄にされた。
 休憩時間に、名取は女優がマネージャーに怒られながらもまったく気にしていない様子を尻目に、こっそりと監督と交渉し。
 時間がかかっても本来のコンセプトに沿った作品になるように女優の気持ちを持っていくことにして。
 一度女優を色男モードで本格的に落として主導権を握り、清純派アイドルモードに戻してからほやほや恋人モードにし、それから本来のコンセプトどおり『初々しい恋人たちの一夜の前半』をなんとかカメラにおさめさせることに成功した。
 撮影が終了して監督らにねぎらわれても、名取はしばらく役から抜けずにいた。
 女優があっという間に本来の姿に戻り、撮影のために名取が本気で落としたこともあって、この後一緒に食事に行こうだのと誘ってきたが、名取はすでに限界だったので。
「本当に撮影、終わったんですよね?」と確認をとってから、役から抜けた。
 役に入っているうちはごまかせたが、抜けたらもうだめだ、と思ったので『撮影終了』を確認してから抜けた。
 途端、予想通り意識が飛んだ。
 気づいたらスタッフが複数で体を起こしてくれていて、安藤が声をかけてくれていた。意識が飛んだのはわずかな間であったらしい。
 楽屋に移動することもできなかったのでスタジオの片付けの間、しばらく隅で休ませてもらい、後は上背のあるスタッフと安藤に支えられて車に乗せられて、事務所の仮眠室に運ばれた。
 翌日の撮影の代替はもはやきかないので、救急車や病院は事務所も避けたかったのだろう。もとより、名取もいやだったのでちょうど良かったのだが。
 そのため、安藤はスタジオから名取の主治医に連絡を入れ、わざわざ事務所まで往診を依頼していた。
「名取さんねえ。あなた、出した薬も飲んでないでしょう? 年明けたら診察に来てって言っておいたのも綺麗に無視しておいて、倒れたって自業自得でしょう」
 さすがの変な医者もやや怒りモードが入っていたが、ぶつぶつ言いながらも点滴をしてくれた。
 体を自然な状態に戻すために薬を断っていたというのに。とはいえ、背に腹は変えられず、名取も大人しく点滴を受けた。
 その最中に、警視庁から刑事がやってきた。
 名取家に届いた荷物の件で。
 やはり、菓子の中に隠されていたのは麻薬の一種だったのだという。
 名取の状態が状態だったので、主な説明は安藤がしてくれた。
 医師立会いでの事情聴取となったので、名取が入院していた時の状態やその結果にも話が及び、名取の同意の下に医師が説明し、病気と麻薬は一切関係ないと証明してもらえた。
 改めて、検査データを確認するということだったが、困ることは何もないので名取は「どうぞ」とだけ言った。
 今回の状態も『病後の安静不足とオーバーワークによる自業自得』と医師がため息たっぷりに証言してくれた。
「名取さんね。明日も丸1日突貫工事な撮影だって聞いたけど。明日は僕、結婚記念日だから出てこないからね。無理しないでよ」
 そう、医者に脅されたのだが、なんとか回復させて翌朝早々に撮影現場にやってきてみたら、20mの大木が待ち構えているという状態だった。

「高いところは大丈夫ですか?」
「木登りは得意ですよ」
 神社にある鎮守の森。以前は、祖父が主に管理していた。
 祖父が生きている頃から手伝っていた関係で、現在は名取が主に管理している。
 本格的な手入れは業者を呼ぶが、多少のことなら自分たちでなんとかする。
 よって、名取は大木の木登りに関してはプロだった。

 台本どおりなら、体力を一番使うシーンが一番最初ということになる。
 名取は、幹の凹凸を目で確認すると、さっさと一番低い枝の上までたどりつく。おそらく、小谷の撮影地点はこの辺りだろう。
 下で「おお〜〜〜」とスタッフが何人か感嘆している。名取はにっこりと余裕の笑みを見せてから、更に上へと登っていった。枝が出てくれば楽なもんだった。
「名取さ〜〜ん、その辺で一回待ってくださ〜〜い」
 どこから撮るのがいいか下でもめている間、名取は辺りを見回した。
 この大木を見学できるように、なのか、周囲の半分は狭いながら広場になっている。残り半分は、背丈の低い樹木が続き、ちょっとした林になっていた。
 森林公園の中なので、広場の向こうも樹木だらけ。大木から常緑樹の林の上を見下ろす感じだ。
 鎮守の森の木登りとは、だいぶ景色が違う。
 真冬とはいえ、風もなく、今日は陽射しも暖かい。
 少し、気分がよくなった気がした。
「?」
 強い気配。
 名取は視線をそちらへ向ける。
 妖の気配ではない。何か、強い、念?
 広場の反対側の樹木の間。枝葉の陰に、人がいる。
 何か、手に持ったものを掲げている。
 あれは・・・・・・。
「小谷さん・・・・・・?」
 パンッと、爆竹が破裂するような音が聞こえた。
 ほぼ同時に、ほんの半瞬ほど遅れて、すぐそばの枝葉を何かが音を立てて突き抜けていった。
 スタッフらが何事かとざわめくのがわかる。
 名取は、小谷が何かを構えなおすのを見下ろしていた。
 悔しそうな顔をして、黒い塊を両手で握っている。
 銃?
 2発目は、手を掛けていた幹に食い込んだ。振動が、手にも伝わってきた。
 ざわめきが、怒鳴り声になっていく。
 小谷が、拳銃で名取を狙撃しようとしている。
 名取は、幹から手を離した。

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