ビルの前の歩道に出る。名取は、オーラを消して帽子を深くかぶり、眼鏡をかけている。立花は、サングラスにハンチング帽という格好だ。
このビルに芸能事務所が入っていると知っていれば、芸能人の疑いをかけられること確実だが、師走のあわただしい最中のせいか、道行く人たちは気づかない。
社長室を出る前に、安藤が耳打ちをしてきた。
社長と境には、例の話は伝えた、と。
事務所への車中で、名取は小谷が麻薬に手を染めている可能性があると伝えた。
証拠はないが、人としての気配がずれているのでわかるのだ、と。
証拠はこれから彼らが探し、事務所として対応を考えるだろう。
安藤の話では、小谷は年末年始はハワイだそうだから、結論は年明けになるだろう。
歩道の端に寄るのとほぼ同時に、2人の前にウインカーを出して車が停まった。よくある大衆車だ。
運転手が、ただ視線を寄越す。見覚えのある顔だった。
「乗りますよ?」
立花に声を掛けて、名取は後部のドアを開ける。開けて、乗り込むタイミングを少し遅らせる。
すばやく、柊が乗り込んで助手席へと移動する。名取は立花を先に乗せて、後から入ってドアを閉めた。車は、すぐに発車した。
「お久しぶりです、橋本さん。お忙しいでしょうに、自らお出ましですか?」
「そちらこそ忙しいんじゃないですか? お連れはどなたです?」
「助手兼用心棒です。花田といいます」
偽名は打ち合わせ済みだ。立花は、無言で頭を下げた。
「口が堅いのは保障します。特に説明はしていませんので、そのつもりでお話し下さい」
「承知しました。昨日相談を受けたばかりなんですが、新しく庭石を置いてから当家や近所でよくないことが起こるという話で、その解決をお願いしたい」
石は、一抱えほどのもので、大の大人ならばかろうじて持ち上げられる程度のもの。
枯山水仕立ての庭に置きたくて、石屋に手ごろなものをと頼んで一週間前に入手したものだという。
置いたその晩、孫が階段から転落して足を単純骨折して救急車を呼び。
翌日、回覧板を置きに来て新しい石を見ていった隣人が脳卒中で救急車を呼び入院。
更に翌日、家政婦がボヤを出し、壁紙が少し焦げただけだったが消防車と救急車が出る騒ぎになり。
次の日には塀に向かいの家の車が体当たりして救急車とパトカーが駆けつけ、人は無事だったが車は廃車。
連日の救急車騒動に、石が来てからだと気づいた主人が石屋に電話をすると、心筋梗塞で急死した社長の葬儀の真っ最中だった。
そして、臨月の息子の嫁が縁側から転落して自家用車で緊急入院し。
ボヤを出したことを口実に家政婦が突然やめ、嫁も入院してしまったので慣れない家事に手を出した妻の料理で一家全員食中毒で入院。
今、家は無人だという。
「・・・・・・それはまた、すごいですねえ」
立花はおとなしく無言でいるが、信じられん、と顔に書いてあった。
「家の中には入れませんが、門には鍵をかけていないそうなので、敷地内に入る許可は貰ってあります。臨月のお嫁さん以外は大晦日までには退院できるそうです」
「何事もない状態の家に帰りたいでしょうね、それは」
「石屋も恐れをなして引き取りを拒否したそうです」
さて、何が憑いているのやら。
名取は、過去の経験と知識から相手と対処法を考える。
「石は、どうなってもいいんですね?」
「二度と見たくない、そうですよ。うちの先生は害の無いものなら引き取ってもいいと言ってますが。まあ、その場に固定しなければ好きにしてもらっていいですよ」
破壊しようが運び出そうが構わないが、いい石のようなのでできれば無害にしてもらってから貰いたい、ということか。
考えているうちに、車は高級住宅街の一角に停まった。車庫のシャッター脇の磨かれた石の塀に、派手な傷がついている。よく、人が無事だったものだ。
家政婦がいたような家だけあって、家と言うよりはお屋敷だった。庭も広い。門を入ってすぐの辺りは洋風だったが、接客用に和風になっているところがあるのだという。
来たことがあるのでわかる、という大臣秘書の後をついていくと、建物の縁側の前に芝生で長方形に形づくられた空間があった。
20畳ほどのエリアに、白い小石が敷き詰められ、その中に一抱えほどの様々な石が7個置いてあった。
そうして、その石の周りを小石で水の流れがあるかのように模様をつけてある。
「どの石かわかりますか?」
試すように、橋本が言う。
無論、名取には一目でわかった。
車を降りた時から、異質な気配は感じていた。案内されなくてもその方角がわかるほど、それは隠すことなく発されている。
名取は、おとなしく案内されて来た。案内されているのでなければ、近づきたくない。そういった気配だったから。
柊も、名取について芝生の縁に立った。急に襲ってくる類のものではないが、不敬を働けば容赦しないだろう。それは、そういうモノだった。
「わかるようですね。そうです、あの、一番真ん中に近いヤツですよ」
依頼人が絵を描いて説明してくれた通りの配置なので間違いない、と橋本は言う。橋本は、名取がその石しか見ていないことを確認して、そう言った。
すでに、この場にいる4人は全員危険だ。
そう、名取は判じた。
2日ほど放置され、ようやく現れた人間は妖連れで、しかも『ヤツ』呼ばわりだ。
橋本を車に帰そうとも思ったが、もはやそれも危険かも知れない。名取は周囲を見る。
手前の雨戸の脇に、小さな戸があった。鍵はなさそうだったので勝手にそこを開けてみると、思ったとおり、竹箒などの縦長の庭の手入れ道具が入っていた。
「まずは、この模様を消します。手伝って下さい」
橋本と立花が寄って来る。
「で、あの石、なんとかなりそうですか?」
橋本が、竹箒を受け取りながら尋ねる。
名取は、石の配置を見直しながら、固い表情で言った。
「なんとかできる『ヒト』がいればお目にかかりたいですね」
と。
「私にできるのは『移動』できるようにすることだけ。あれは・・・・・・」
柊が、石の前にしゃがんでいる。まるで、語りあっているかのように。
「あれは・・・・・・『神』ですよ」