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怖いもの

 3日、同じ生活を続けた。
 早朝からの禊と稽古、朝食抜きで点滴、昼食抜きで撮影、夕食抜きで就寝。あとは神様に頼まれた仕事を合間に少々。
 それから3日も、少し変えた同じ生活。
 早朝からの禊と稽古、そこに神社での清掃の仕事を加えた。ほんの数口ながら、朝食の五分がゆを食べる。点滴のために病院に行く。せめてこれくらい、と病院で勧められた半ゼリー状の栄養食を昼食と夕食に。あとは撮影を昼や夜間にこなし、就寝。
 胃に何かを入れることに慣れてきても、流動食系から抜け出せない。普通の食べ物を見ると、吐き気がする。医者にはきっぱり、医学的にはもう食べられるはずなので食べられないのは精神的なものが原因だと指摘されている。心当たりは、一つだけ。
 ヤモリだ。
 的場に食われたヤモリは、名取の頬で少しずつ、色濃くなってきていた。もう数日で復活するだろう。
 それが食われたあの光景。飲み下しただけで、咀嚼されてはいなかったが、固形物を見ると連想して吐き気がしてくるらしい。無理して食べてみようともしたのだが、本当に吐くはめになったのでもう少し食欲が出てくるまで待つことにした。
 更に一週間。禊・稽古・神社の仕事・俳優の仕事・病院。五分がゆなら、小ぶりな茶碗一杯分くらい食べられるようになり、なんとか栄養補給して、点滴の時間を減らせるようになった。血液検査の結果も、異常値ぎりぎりにまで落ち着いてきた。肝機能以外は、だが。
 禊や汗をかくことによって、ヒト毒の浄化は進んでいるが、進んでみると、根っこのようなものがあるのがわかってきた。それを取らないと、そこからまた毒が少しずつとはいえ湧いてくる。そんな感じのものが、寄生しているのだ。
 さて、どうやって除去するかな。
 簡単な方法が二つある。
 一つは、妖に取り除いてもらうこと。
 もう一つは、的場に取り除いてもらうこと。
 浄化が進んでいるので、完全に身を任せるほど濃厚な接触は必要ないはずだが。
 はっきり言って、的場とキスするくらいなら柊とする方がいい。
 柊の姿に、安易な誘惑に負けそうになるが、気を引き締め直す。妖の色香に迷ってはならない。理由がなんであれ、一歩踏み込めば、たとえ柊にその気がなくとも、名取の身は破滅に導かれることになる。妖の性はヒトを狂わせるのだ。
 もう少し体が治って、仕事に暇ができたら、少々荒行に身を投じることにしようと、名取は思う。
 下界を離れた修行場に入る。しかし、最近、どうやら俳優として売れてきたらしいので、月単位での休みが取れる見込みはない。
 すでに、12月に入っている。
 的場の依頼があったのが10月半ばだったのに。未だに心身とも損なった状態にあることが、ひどくなさけない。これほどに自分が傷つくことになるとは、予想していなかった。
「お疲れですか?」
 思わずため息を落とした背に、若い女性の声。見ると、小柄な女の子がケーブルを持って立っていた。
「・・・・・・霊感娘」
「片桐ですっ!」
 名取が笑うと、女性はとっととケーブルを持って走り去る。霊感娘というのは、今回のドラマのプロデューサー兼脚本家兼監督の立花率いる立花組の音声担当で、立花にそう呼ばれているのだ。立花は部下たちをほとんどかなり的を射たあだ名で呼ぶので、他のスタッフや役者らまでそれで呼びたくなってしまう。ほとんどの部下が抵抗ない中、この霊感娘だけは抵抗して名乗り返す。特に妖力は感じられないのだが、多少見えるタイプらしい。
 撮影直前に、頬が汚れている、と指摘してきたのが、彼女に気づいた最初だった。
「ええ? どこに? 何、怪我するとか霊感? また」
と他のスタッフに返されて、眉をひそめていた。そのスタッフから、彼女がオーラが見えるという人で、体調不良や怪我を予知することがあるのだと聞いた。名取はあえて、ヤモリの影について話すことはしなかった。
 今日から3日、隣り合ったペンション2棟を借り切っての撮影だった。名取は朝、点滴を済ませてからロケバスに便乗してきたのだが、今日の出番は早々に終わっている。ペンションはドラマの探偵が調査することになる夫婦の自宅という設定場所なので、ここでの撮影のメインは夫婦と周辺人物。名取は今日はあと夕方に夕陽限定という明日撮影分の立花の得意技、ロング10分ワンカメラ撮影のリハがあるだけだった。
 境などは出掛けてしまった。部屋が確保されているのでそっちにいてもいいのだが、寝ていなければならないほど具合悪くはない。ごく軽いものとはいえ昼食を摂ったばかりなので、体を動かす気にもなれないし、名取はなんとなく、撮影を見学していた。
 たまに、人の動きの中に、妖気を感じる。これまでの撮影では、感じなかったものだ。隠れているようで、姿は見当たらないが、あまり性質の良いものではなさそうだった。誰か憑かれているらしい。
 明日明後日点滴に行けないと医者に言ったら「明日休みだから出張してあげる、往診制度あるんだようちは」とのことで、その条件の部屋の確保と役者たちのサインの依頼をぼちぼちしながら、名取はスタッフの動きを眺めていた。
 たぶん、150cmそこそこしかないのだろう。霊感娘がちょこまかと動き回っているのがやけに目についた。音声兼小道具兼雑用係というところか。ベテランぶりからして、かなり若く見えるが、実際には名取より年上なのだろう。今のところ、ヤモリの影を見た以外、霊感娘の異名に適う様子はみられない。妖憑きが誰なのかも、狭いところでごちゃごちゃ人が動いているのでよくわからない。
 撮影の前半は名取自身が不調すぎたので、スタッフの様子まで気が回らなかったが、立花組は全員一体となって無駄なく動いていた。たまに立花が怒鳴り飛ばしているが、雰囲気は悪くない。立花のカリスマと人を操る能力の高さが、作品に反映しているようだった。
 役者の能力もうまく引っ張り出してくる。名取などは恋愛者の色男系だけというこれまでの傾向からやや外れた役柄になるので、どう扱ってくれようか、と虎視眈々と狙われている気がする。これまでは名取が不調だったので冒険していないようだが、この泊まり撮影は無事ですまない予感がしていた。
 なんにせよ、時間がありすぎる。
 名取は小道具の木刀を一本借りて、外へ出た。建物の裏にまわると、小さな鳥居があった。氏神が祀られている様子だった。程よい広さがあったので氏神に挨拶してから、名取は杖術の稽古を始めた。
 退院から2週間経ち、これも、30分くらいなら平気で続けられるようになってきていた。基本の型を繰り返してある程度満足すると、年明けの奉納演武会の動きを復習する。演武は真剣で行われる。杖術の中の居合術だ。武士の歴史のせいで、多くの武術には居合が取り入れられているのだ。
 名取の家の杖術は、特に実践を意識したものとなっているので、真剣を扱うものは、はたから見ているとかなり怖いものになる。実際、わずかにでも意識が外れれば、切るか、切られるか、事故に繋がる。それほどのものだが、事故の歴史は皆無だ。せいぜい、3日もすれば治る傷くらい。それだって、修行不足稽古不足集中力の不足を指摘され、下手をすれば破門だ。
 途中、ギャラリーが現れた気配があったが、中断せずに通す。今、真剣でやりあったら、怪我をさせそうだ。あと約一ヶ月で、完成させなくてはいけない。
 通したあと、気配のした方を見ると、さきほどの鳥居の影に妖が一匹立っていた。氏神として祀られている家守りらしい。
「邪魔かな?」
 声をかけると、びっくり眼で鳥居にしがみついた。
 名取は木刀を一振りして、雲ごしの太陽を見る。3時は過ぎているだろう。そろそろ中に戻った方が良さそうだ。
「おまえ、私が見えるのか?」
「見えるよ」
 特に振り向きもせず、家守りの前を通りすぎる。
「なんだか騒がしいのはなんなんだい?」
 後をついてきながらたずねるのに、
「撮影だよ。明後日には引き上げるから静かになる。構うなよ、ちょっかいだすなら、祠に閉じ込めてしまうからね」
 家守りは、びくりと立ち止まった。
「『怖いもの』が来ている。あれも一緒に帰るのだろうね?」
 名取は振り返る。
「置いては行かないよ。また場所を借りに来る。他の人間を構うなよ」
 言い置いて表に回ろうとしたところに、霊感娘がいた。
「あ、いた。リハはまだですけど、木刀がいるんです。リハで使う人が振り回したいって」
「ああ、すみません」
 名取は、肩にかついでいた木刀を両手に持って渡した。あっと言って、それを片桐が取り落とした。
 木刀から片桐に、何かが流れる感じを、名取も捉えた。片桐は慌てて木刀を拾った。
「なんか感電したー。静電気体質ですか、名取さん」
「ああ、そうみたい。よく電気製品壊すんですよ」
「えー? じゃあ機材に近づかないで下さいよ、絶対っ」
「大丈夫、心得てます。痛かったですか?」
「いえ、驚いただけ。木刀振り回せるほど元気になったんですね、良かった」
 並んで歩き出しながら、にこにこと名取を見上げてきた。頭一つ分以上低い。
「色々ご心配おかけして申し訳ありません」
 名取は、俳優名取らしく、愛想良く丁寧に言った。片桐は、わずかに目を瞠り、顔をそむけて前に進んだ。名取の煌めきが若干効いたらしい。
「さっきの、鳥居のところに何かいましたね」
 顔をそむけたまま、霊感娘が言った。
「名取さんは、話ができるんですね、あの光るものたちと」
 名取は、黙ったまま並んで玄関に向かった。
 霊感娘はあえて回答を求めず、名取も口止めをすることなく、屋内に入り、別れた。

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