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怖いもの

 曇りで、監督好みの夕焼けにならなかった。予定通りリハだけが行われる。境と名取が演じる探偵と探偵助手は、夫婦の家を出て歩いているところを、チンピラどもに囲まれる。名取は木刀を奪って応戦し、適当に倒してから境と共に夕陽に向かって逃げる。危機にありながら探偵と探偵助手が掛け合い漫才のようなやり取りをするのが見所だった。殺陣(たて)も、木刀あり鉄パイプあり短刀ありをくぐりぬけながらの口喧嘩だ。これまでの役どころでは、殺陣などなかった。せいぜい女から平手打ちを食らうとか、恋敵手から喧嘩をふっかけられるくらい。
 初めてとはいえ、武術歴20年の名取には、軽いものだった。
「なんか武道やってんのか? 名取」
 監督があっけに取られて聞いてきた。
「杖術歴20年ですよ、私は。居合も少々」
「段持ってんの?」
「杖術3段居合2段」
「そら恐れ入ったね」
 ちなみに、境は空手2段だ。名取の分だけ途中で木刀を奪うのではなく一人目の攻撃をかわしたところで奪って木刀を操るよう変更になった。境の方とバランスをとりながらになるが、殺陣師が喜んで組み直した。
 リハが終わり、境と名取の今日の仕事は終わった。他のスタッフたちは、夜の屋外シーンの撮影がある。歩いて10分ほどの湖に移動して行った。境や出番のない役者は夕食に向かったが、名取は食事も断ってあるので、着替えてから撮影の見学に行った。家守りも気にしていた『怖いもの』の正体を見極めるために。
 場合によっては、式を呼び寄せねばならない。立花組の撮影を邪魔させる気は、名取にはない。
「気づきましたか?」
 いつの間にか、霊感娘が傍にいた。
「今日から合流した、サブプロデューサーの永井さん。最近、身の回りに不幸が続いてて、休んでいたんです。時々、黒いものがまとわりついているのが見えるんですけど」
 片桐の示す方を見ると、やせた坊主頭の男が周りに指示を出していた。確かに、見かけない男だった。名取は眼鏡をかけた。集中して見ると、確かに、妖気のかけらくらいはつきまとっている。どうやら、本体は今、そばにいないらしい。
「眼鏡、実用なんですか?」
「伊達ですよ。見るものによっては、この方が見やすいんです」
「へえ」
 するりと、片桐は仕事に戻って行った。勘がいいのか、察しがいいのか、それとも、名取の副業を知ってでもいるのか。なんにせよ、なんとかしてくれ、ということではあるようだ。
 名取は、湖から離れた林に入った。懐から、紙人形を一つ出す。筆ペンで呪を書き込み、手のひらにのせた。
「探してこい。家守りの言っていた『怖いもの』を」
 紙人形は、ふわりと名取の手を離れる。名取は、簡単な探し物なら、いちいち陣を張らなくてもできるのだ。
 撮影隊に気をつけながら追うと、湖を見下ろす木の上に、何かが立っているのが見えた。相手に気づかれる前に、紙人形を回収する。先ほど永井についていた妖気と、同じ気配がする。名取は慎重に、気配を読んだ。
 中級の妖怪。身の回りの不幸、は明らかにこいつの仕業だろう。怪我や病を運ぶ妖怪だ。けれど、気配が少しおかしい。
 式か。
 誰かに使役されている。永井に打たれた式。消すか、封印するか。下手に返すと、打った相手に呪いが返る。
 打った相手が呪術師ならば、返しても自業自得だしなんとかするだろうが。呪術師の中には、最後の仕上げだけ、呪いたいという依頼人にやらせて、失敗したときはそちらに返るようにしている連中もいる。自業自得ではあるが、素人にあれが返ったら、重症か重傷になるだろう。後味のいいものではない。
 まずは、打った相手が誰か、心当たりを聞いてみるしかない。片桐が何か知っているだろうか。
 撮影は、順調に進んでいるらしい。式には、何をやっているかわからないようだ。大勢いて、不幸を与えるべき対象がわからないのだろう、ただ見ている。
 病を与えるには時間がかかるし、怪我をさせるような、事故に繋がるものは現場には見当たらない。撮影隊は慎重だ。この場は大丈夫だろう。
 名取は、式たちを呼ぶことにした。命を記した紙人形を自宅の離れに送り出してから、ペンションに歩いて戻った。
 あてがわれている2階の部屋で、用意してきていた和紙で工作していると、9時過ぎになって撮影隊が戻ってくる騒ぎが聞こえてきた。彼らはこれから食事だ。名取の主治医もそろそろ着く頃だったので、名取は下に降りてみた。
「お疲れ様でした」
「あ、お疲れでーす」
 名取の見込み通り、その後も大丈夫だったようだ。後片付けに動き回るスタッフの中に霊感娘をみつけると、
「後で時間とれますか?」と声をかける。
「遅くなってもいいですか?」
「構いませんよ」
 周りには気づかれなかっただろう。そのまま外に出ると、車がもう一台やってくる。真っ赤なスポーツカーが排気音も賑やかに。
 中身は、名取の主治医だった。やはり変な医者だ。予定通り夫婦で現れた医師に駐車場の場所を教え、荷物運びを手伝い、ペンションのいくつかある離れの一つに案内する。事前に鍵は預かってあったのだ。あとは食堂の場所を教えて、退場する。こんな時間にあわただしくスタッフの食事の準備をしているペンションの人に、医師らの到着を報告して食事を頼んで、名取は部屋に戻った。悪いとも思ったが、さすがに、食卓の手伝いをする気にはなれない。名取も夕食は摂っていなかったが、多少疲れが出ているようで、摂りたくなかった。食欲がどんなものだったか、すっかり忘れてしまった。さきほどの工作の続きでもしながら片桐を待とうと、部屋に戻った。部屋の明かりを点けると、やけに光がまぶしかった。
 とっさに目を閉じたら膝の力が抜けて、床に手をついた。
 あれ?
 何が起きたのか、と考える間もなく、名取はその場に倒れていた。目を閉じていても、眩しい。
 せめて明かりを消したいと思った。けれど、指一本動かすこともできないまま、意識が沈んで消えていった。

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