「・・・・・・さんっ、名取さんっ!」
女性の声で、名取は意識を取り戻した。視線を上げると、片桐の顔がすぐそばにあった。
「ああ、気づきましたか? ちょっと待って、お医者さん呼んできますからっ」
呼ばなくていい、と言いたかったが、片桐はさっさと部屋を出て行く。ああ、自分は倒れたのか、と思いながら、体を起こそうとしてみる。指先がわずかに動いた。おかしいな、と、気力を引き出して再度体を起こそうとしてみた。今度は、その場に座る姿勢に直すことができた。どうやら貧血を起こしたらしい。妙に体が冷たく感じるし、頭を上げているのがつらい。複数の足音と話し声が階段を上ってくる気配がする。騒ぎを起こしてしまった。
医者と、立花に「力持ち」と呼ばれているスタッフが現れた。肩を貸してもらって、名取はベッドに横になった。
「先生、食事は?」
「とっくに済んだよ。いったい何時間倒れてたの? 名取さん」
後から奥さんと片桐が診察バッグを持って入ってきた。医師以外は結局部屋を出され、診察の結果、貧血でしょ、ということになった。
「夕飯食べた?」
「いえ」
「また入院させようか?」
「勘弁して下さい・・・・・・」
「肝炎の予後は安静が大事だって言ってるでしょうに。慢性化しちゃうよ?」
「無理は、してないつもりなんですけど」
「下で色々話きいてきたけどね、あなたの『無理』て基準が違うみたいだよ? 僕とは」
とにかく、最低限の出番以外はベッドにいるという約束で、即入院は勘弁してもらえることになった。
「ただし、熱でも出したら話は別。首に縄つけてでも病院連れてっちゃうよ? まあ、僕も明後日の朝までのんびり奥さんと過ごしたいんで、協力してちょうだいよ」
やっぱり変な医者だ。明日は室内の撮影が2シーンと、夕方の撮影だ。殺陣シーンの前に体を動かしたかったが、あきらめるしかない。
「また、熱、もどることあるんですか?」
「名取さんね、まだ肝機能正常値に戻ってないでしょ? ぶりかえさない保障ないよ」
原因不明の肝炎、ということになっている。実際、そうらしい。原因は妖の毒だったわけだが、血液検査でもなんでも検出されなかったわけだ。今残っている的場毒のせいで、肝機能がやられたままになっているのだろうか。禊や稽古をしなければ、毒が広がるし、でも体を動かしすぎると倒れるし。うまくバランスをとっていたつもりだが、思った以上に体の負担になっていたらしい。
「気をつけます」
医者が出て行くと、入れ違いに立花と境と片桐が入ってきた。
「すみません、お騒がせして」
寝たまま名取が言うと、立花がうなずいた。
「で、この第一発見者だが、色気づいて来たわけじゃないと本人は言ってるんだが、どうなんだ?」
むっつりと、片桐がそっぽを向いている。いきなり何を言い出すんだか。境を見ると、言っちまえ、と目線で言っているように見えた。
「私が話したいと呼んだんですよ・・・・・・永井さんの件で」
「境さんが言うには、神主だって?」
「そうです」
「霊感娘が言うには、おまえは自分より見えるってよ」
「さあ、どうでしょう?」
「更に言うには、次の映画の調べごとを永井としてる時に、若い俳優の呪術師がいるという話を聞き込んだそうだ。あと『名取』という呪術師の家系があることもな」
「次はそういう映画なんですか?」
「ああ。境さんから、お前は呪術師のような役は絶対引き受けないと聞いたぞ」
「やりませんよ。気をつけないといい加減な台詞でも機能してしまうことがありますからね」
変な役を立花の勢いで押し付けられかねないので、名取は正直に言った。これで片桐への疑いは消えるだろう。
「あ」
その片桐が、窓の方を見て声をあげた。
見ると、するりと、紙人形が窓の隙間から部屋の中に入って来たところだった。紙人形は、布団から出した名取の手の中へと飛び込む。
「なんだそりゃ?」
立花が呆れた調子で尋ねた。
「『式』ですよ」
映画を撮るつもりなくらいだから、知識は入っているだろう。紙人形がわざわざ帰ってくるとは、どういうことだ?
見ると『不在』と出ている。
「あ」
また、霊感娘が紙人形に視線を送って声をあげた。あちらからは裏しか見えないはず、と、裏をめくると。
「!」
そこには、黒丸を更に丸で囲った図が描いてあった。
「わっ」
立花と境が慌てた。紙人形が名取の手の中で突然、燃え上がったから。消火しようとする間もなく、ほぼ瞬時に紙人形は燃え尽きた。灰さえ残らない。名取の手にも、火傷した様子はなかった。
「今のは『的場家』の家紋じゃないですか?」
霊感娘が言う。名取は、紙人形の消えた手を、ぐっと握った。
的場にさらわれた。式3匹が。
そして、ため息を落とす。
またあのご当主は、何を考えているのやら。
「おい名取」
「ああ、そうです、的場の家紋ですね。今のは、私が自分の家に送った式なんですけどねえ、的場紋つけて帰ってきちゃいましたよ。どうやら、うちに来たようですね」
「知り合いですか?」
「まあ、狭い世界だから。年も近いしね、あそこの当主は」
「・・・・・・お前が体調崩して撮影に現れた日に、宿で助けたヤツじゃないのか?」
境が言った。そういえば、七瀬が『的場』と口にしていた。さすが役者の記憶力だ。
「そう、あれが的場のご当主ですね」
「あのときの話だと、そもそもお前が体調崩した原因もヤツだったんじゃあないのか?」
七瀬との駆け引き中に、そんな話の元があった、そういえば。これまで何も追及されなかったので、気にされていないと思っていたが。
「・・・・・・まあ、色々面倒があるんですよ。狭い世界ですからね。で、そちらで、的場と接触したわけですか?」
話を変えても、境はあえて追及しようとはしなかった。名取が認めたので良しとしたらしい。
霊感娘が言うには、映画のために実際の呪術を体験してみた方がいいだろう、と、呪術の大家である的場家に呪術の見学を依頼したのだという。担当は、永井と片桐だった。
相手方の了解を得、日時も設定されたのだが、最終的に立花の判断でドタキャンした。立花も、ぎりぎりまで迷ったのだという。ここで実際の呪術に関わるべきか否か、をだ。
「オレは見たかったんだがな。どうも、その的場というのが、気に入らなかったんだよ。話を聞いてるだけで警戒信号が点滅してくる感じでな」
「正しい判断でしょうね」
「でも、永井さん、祟られてるんだろう?」
境が訊いてきた。名取は、手で目元を隠して光を遮りながら、説明する。
「永井さん一人で済んだ、と思うべきですね。呪術について他人事な素人は嫌いですよ、あちらは。呪術の依頼ならともかく、見世物じゃあない。もっとも、当主の指示ではないと思いますけどね」
見えるということで、周囲から阻害され、社会からはみ出し、行き場を失った末に自分の居場所をみつけた、とばかりに、的場一門の中で自分たちは特別な存在なのだという意識でいる者たちがいる。
おそらく、そういった連中の独断だろう。的場当主そのものは、ある意味純粋培養されているので、一般人との差に、そういった攻撃を加えようという発想はないはずだ。
「たとえば、お前ならどうだ? 見せてくれるのか?」
立花が、慎重な声で言った。
「事情がわかってる人なら構いませんよ、私は。まあ、普通は依頼人にも現場は見せませんけどね。見えない人が見てたって、一人芝居にしか見えませんから。かなり滑稽でしょう?」
「ほお。じゃあ、永井のお祓いを頼みたい。うちの連中の見学付で」
「いいですよ。体調次第で、日を決めるってことでよければ」
「ああ、頼む。早めでな」
立花が明るく言う。なんだか、声が遠くなってきた。ヤバイな、と、名取は思う。
「危なくないのか、その永井さんのお祓いは?」
「あれくらいなら、いつもなら簡単な方ですよ。呪術は、疲れるんです、結構・・・・・・」
「ちょっと待って下さい。名取さん、大丈夫ですか?」
大丈夫じゃない。霊感娘片桐が、名取の応えを待たずに後はまたにしましょう、と話を切った。実際、もう目を開けていられないし、まぶた越しの光でさえ耐えられない。明かり消しますよ、隅のだけ点けておきますね、と、部屋が暗くされた。名取はようやく、目を覆っていた手を落とした。立花と境が、明日には調子戻せよ、と言い置いて部屋を出て行く。片桐が、照明やらカーテンやらをいじってまわり、最後に名取のそばに来て、額に触れた。
「少し、熱ありますか? ああ、冷えてますね。貧血って話でしたね。足上げて置いた方がいいですよ」
落としてあった枕とソファのクッションを名取の足元に仕込んで、布団をかけ直してくれた。
「寝る前にまた様子見に来ますから。おとなしく休んでて下さいね。後でお水持って来ます」
片桐も去り、慣れない部屋に一人残されて。
名取は、貧血で働かない頭で、式と的場のことを考えた。
自分の式にしようということではないだろう。名取に会いたい理由があるらしい。
あれから一ヶ月半。案外、長くあちらも寝込んでいたのかも知れない。迷惑をかけたままだということを気にしてくれているのかも知れないが、天邪鬼な彼のことだ。素直に詫びをいれるわけがない。
きっと、近いうちに、接触してくるだろう。
紙人形でも寄越すか、電話でも寄越すか、人を寄越すか。
名取は、待てばいい。
今は、撮影のために体調を少しでも回復させねばならない。
普段着のままだが、着替える元気はない。一応衣服は緩められているので、もう、そのまま眠ってしまうことにした。
途中、片桐がやってきて、目を覚ました。水を貰って、貧血症状がやわらいでいたので足元の枕とクッションを外して貰い、ペンション備え付けの浴衣に着替えるのを少し手伝って貰った。
「ありがとうございます。すみません、余計な仕事を」
「気にしないで下さい。もう私も休みますけど、一人で大丈夫そうですか? なんなら寝袋とって来ますけど」
「大丈夫ですよ。眠れます。見張ってなくても勝手はしませんよ」
いくらなんでも、女性と同室で寝るわけにはいかない。
「お疲れ様でした、おやすみなさい」
「・・・・・・おやすみなさい。隅の明かりは、点けたままにして行きますね」
着替えたし、足元がなくなったので眠りやすくなった。頭に枕は使わずに、名取は布団をかぶる。
すぐに、眠りが訪れた。あまり、いい夢は見られそうになかったけれど。