真夜中。
眠る名取の意識に、異変が起きた。
夢を見ていた。
式たちが・・・・・・柊が、瓜姫が、笹後が。
助けを求めている。消されようとしている。
名取は駆けつけようとしていた。助けようとしていた。
なのに、近づくことができない。
姿も見えない暗闇の中、必死に彼女たちの名を叫び、やめろ、と呼びかけた。弓を引く的場に。
そんな名取が、力強く何かに引かれていった。
まるで、巨大な妖に全身鷲掴みにされ、振り回されたかのように。
驚いて我に返って、不思議な場所にいることに気づいた。
たった今、無理やり連れて来られた場所。
何が見えるわけでもないのに、さまざまな何かが渦巻いている場所だった。
ここはどこだ?
夢ではない。さっきまで見ていた夢とは違う。自分の意識が、いつもと違う、どこか知らない場所にいる。
感じるのは、ありとあらゆる、想い。
ひどく重い、まとわりつき、脇で渦巻き、離れたところで存在感を訴える、様々な想い。
亀裂が入った。
そちらには、明確な意識があった。
なとり。
呼びかけてきたそれは、的場だった。
まとば。
声を返す。音声にはならないが、確かに伝わることはわかる。
しきたちのはなしはほんとうだったようですね。
式たち? そういえば、彼女たちは名取の呼び出しに応じられなかったのだ。的場が絡む理由で。
そこにわたしのしきたちがいるんですか。
急に、名取の意識がタールのような重い想いにまとわりつかれた。
ここにいますよ。あなたがまだびょうきだときいておたくをたずねたんですよ。そうしたらあなたのしきたちがでてきた。あなたのなかのどくをけせと。
なんて危険なことを。
名取は亀裂の向こうに行こうとした。あちらに式たちがいるのだと思って。しかし、まとわりついたタール状の意識が、名取をその場から放さない。
主の命もなく勝手な行動をとる式を、的場が快く思うはずがない。まして、他人の式の分際で、的場という強力な祓い人に頼みごとをしてくるなぞ、その場で消されなかったのが不思議なほど危険な行いだ。
刺激してはいけない。消してしまおうと思わせてはいけない。式たちを助けなくてはいけない。
そんな名取に、熱を帯びた想いがかぶさってくる。熱い。苦しい。
まとば。
呼びかける。それしかできないから。
熱の想いと重い想いとが、名取の意識を奪っていく。
急にそれが取り払われて、ふわりとやわらかいものに囲まれた。
まとば。
ああ、ここは的場の、意識の奥なのだ。そう思った。
まとば。あなたのかけらがまだわたしのなかにいる。わたしののうりょくではあなたはつよすぎてどくになる。けすこともできない。あなたのてをわずらわせたくはなかったがじぶんではどうしようもない。なんとかしてもらえないだろうか。
素直に言ってみた。
ふわりとしたものの外側を、黒いものがかすめていく。何かが体当たりしていく。侵入してこようとする。
守ってくれているものも、攻撃してくるものも。
これは、すべて的場だ。
わたしをたすけてくれたときにのこったんですね。それではせきにんをとらなくてはいけませんね。いばしょはしきたちにききました。あすこちらのしごとがかたづいたらそちらにいきます。あなたのなかのわたしをとりに。しきたちもかえしましょう。
やわらかいものが厚みを失っていく。また負の想いが近づいてくる。
まとば。うちのさつえいたいのひとりにしきがうたれている。そちらのてのものがやったらしい。はらってもいいだろうか。
それもせきにんをとりましょう。こころあたりがありますよ。
遠くで、炎のようなものが上がったのがわかる。強い怒りだ。
あなたははやくもどったほうがいい。あなたのなかのわたしのはなしをきいてあなたをこちらにつれてこられるかためしてみたんです。あなたのなかのわたしをけせばもうできなくなるでしょうけれど。このままここにいてはあなたはわたしのなかできえてしまう。あすあいましょう。
そうだった。的場は名取を吸収できるのだ。残された楔を頼りに、すさまじい吸引力で引き込むことができるほどに、激しく。
名取を囲む想いたちの気配が弱くなった。名取は自分の体に帰ることを思う。本来の場所へと強く念じると、どこかへと吸い込まれるように流されていった。
急に、自分の体の重みを感じた。重い体、浴衣を握る手の力、空気を求める肺の苦しさ。
誰かの声。息ができない。苦しさにのたうつ体の下は粗いカーペット。
「・・・・・・っ!」
呼吸が戻る。酸素を求めて、荒い息をついた。心臓の鼓動が耳を打つ。また誰かの声。聞き取れない。誰かの体温。名取は、とっさにその体温を求めた。
脈が一定していないらしい。間が長くあいてまた呼吸が止まりかける。掴まえた誰かの腕を強く握って、息苦しさに耐えた。
少しずつ、落ち着いてくる。
的場のところへ意識が引きずられている間、この体は死んでいたのかもしれない。
知らない内に苦しんで。
ベッドから転がり落ちるほどに。
「大丈夫か?」
ぼんやりと聞こえたのは、男の声。
薄く目を開けると、体格のいい男に上半身を抱かれているのがわかった。境だ。
まだ話せる状態ではなかったので、返事の代わりに腕を掴む手の力を緩めた。
「ベッドから落ちたらしい音が聞こえたんだ。隣りだからな。とにかくベッドに。医者を呼んできてやる」
名取は手に力を込めた。今度はうまく力が入らない。
「呼ぶなってのか? 冗談じゃない、おまえ息止まってたんだぞ!?」
意思は通じたらしいが、同意してくれない。ベッドに戻されたが、名取は境の手を離さなかった。この状態で医者を呼ばれたら、病院行きだ。まだ撮影が残っているのに。
「おい、離せって」
強く振れば振り切れたろうに、境はそれをしなかった。同じ役者だし、事務所のことも考えて、迷うところがあるのだろう。なおも掴んでいると、反対の手で名取の指をそっと外してきた。
「わかった。今は呼ばないから。心配しないで休め。とりあえず俺がついてるから」
そう言って、乱れた名取の浴衣を直して、布団を掛けてくれた。
呼吸が楽になっても、しばらくは話せなかった。体が重くて、砂袋にでもなったようだ。心臓が正常に働いていない感じがする。どうやら、また名取の気がいくらか的場のところに取り残されてきたらしい。どうせなら、的場のかけらが戻ればいいのに。おまけに、直に的場の意識に触れてきたせいで、毒が大量についてきたようだった。妖の毒に比べればマシだが、量が多い。
「落ち着いてきたか? 大丈夫か?」
境が名取の顔を、髪を払いながらなでた。熱を測ろうと額に手を置く。自分でも、体温が下がっているのがわかる。医者の助けを借りずに済むのかどうかは、自信がない。けれど、助けを借りれば、撮影も、的場との約束もおしゃかになってしまうのだ。境がまた迷うのを感じて、名取は、なんとか声を押し出そうとした。
「・・・・・・だ、、じょう、ぶ・・・」
我ながら、とてもじゃないが大丈夫に聞こえない。
「あし、た・・・」
「は? 明日?」
名取はうなずいて見せた。
「ぜんぶ、、、解決、するから・・・・・・」
「はあ?」
細かい説明まではできない。
境は少し考えて、大体のことを正しく推察したらしかった。
「まあ、わかった。とにかくお前は医者に見られて病院行きになりたくないし、明日になれば全部解決してお前の体も治るんだな? だから今は医者を呼ぶなと。明日も撮影に参加したいと。そういうことか?」
名取は、目を開けて薄く笑った。
境が、たっぷりとため息を落とした。
「今度息が止まったら迷わず医者呼ぶぞ。俺も後悔はしたくない。頼むぞ」
境は、何かあっても気づくように、と、名取の背中側に回って布団にもぐってきた。ペンションの部屋はツインだが、基本的にカップル向けなので、ベッドの幅が広い。大の男2人には狭いが、名取は寝返りを打つ元気もなかったので、背を背で温めてもらいながら、眠った。