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つかわれしものたち

 神社の方が忙しいので、今回は姉も2度ほど顔を出しただけだった。タクシーで病院から帰宅して、名取は勝手に離れに戻って座敷で一休みする。病院から連れ戻された瓜姫と笹後がすぐに現れてそばに落ち着いたが、特に語りかけるでもなく、ぼんやりと庭を眺めてみた。
 敷地の隅にある離れのことで、庭といってもたいしたものはない。塀との間に手入れの行き届かない植木が点在しているだけだ。季節が季節なので、雑草さえも元気はない。
 それでも、庭を眺める余裕など長らくなかったので、気持ちが落ち着く感じがした。
 そして、思い出した。
 的場が、名取のヤモリの痣を喰らったことを。
 的場が、名取を的場の中へと引き入れたときのことを。
 的場が、名取の中のかけらを取り戻しに現れたときのことを。
 ヤモリの痣を喰らわれたときの恐怖を。
 的場の中の様々な想いを。
 名取の中を無慈悲に貫き傷つけ、目的を達し去っていた的場を。
「主さま?」
「主さまどうしました?」
 瓜姫と笹後が、名取の変化に気づいた。
 名取は、体をこわばらせたまま、一つの答えに気づく。
 みはしら様が。
 滅多に眺めぬ庭を注視させ、心の隙をついて眠る嵐を引き出させた。
 神社に隣接する名取家は、みはしら様の手の内なのだ。
「主さま、布団が敷けましたよ、お休み下さい」
 隣りの部屋へ行っていた柊が戻り、そっと語りかけてくる。
 ヒトという生き物の不安定さを、柊は知っている。病後の名取が不安定な状態であることには気づいていた。ずるずるとひきずるよりも、早く出て来た方がいい、とも。
 名取はしばらくの間じっとしていた。
 何事かとうかがう瓜姫と笹後を、柊は顔を向けただけで黙らせた。式である自分たちは、名取の最善を常に考えて行動しなければならない。たとえ、それが名取にとって酷であっても、名取の命令に違えることであっても、だ。
 名取は、ふいに立ち上がると外へ出た。式たちは少し離れてついて行った。道場の脇を通り、母屋を無視して、神社への通用口へと向かう。数メートル手前で、名取が立ち止まった。
 柊たちは、道場の前で立ち止まった。それ以上近づけなかったから。
 式は、神社の領域には立ち入らない。名取に禁じられている。中々名取が中から戻らない時など、柵越しに覗き込んだりすることもあるが、中には入らないようにしていた。
 しかし、今日は、近づくことさえできなかった。
 名取が足を止めたのも、同じだった。名取は、拒否されているのだ。
「周、帰ってたのか?」
 母屋から、義兄が出てきた。ちょうど午後の仕事が始まる時間だった。
「迎えに行けなくて悪かったな。今日くらい休んだらいいだろう? どうした?」
 義兄は、名取の脇まで来て、その気配に気づいた。
「これは・・・・・・?」
 更に、人の気配。柊が見ると、名取の父が母屋から出てきたところだった。
 義兄が、名取と名取の父とをうかがう。神域の拒絶の気配に、名取の父も気づいたようだった。しかし、彼は名取の脇を過ぎ、通用口を開く。
「行くぞ、豊」
 義兄を振り返って。
 そして、名取を見る。
「役に立たぬなら、出て行け」
 そう言って、戸口を抜けて行った。
 柊からは、名取の表情は見えない。ずっと、ただ背中を見せていた。
「周。今日はゆっくり休め。たまにはこういうこともある、気にするな」
 ぽんと肩を叩いて、義兄も戸を抜けて行った。
 通用口が閉まってからも、名取はしばらく立っていた。
 何を考えているのか、柊たちにはうかがい知れない。
 急にくるりと向きを変えると、早足に式たちの方に戻ってきた。
「主さま・・・・・・」
 柊たちを無視して、離れへと向かう。そうして上着と帽子をとると、門外へと向かった。
 追ってくる式たちに何も言わずに。
 式たちも、ただ後をついていった。
 駅で電車を待つ間に、名取が紙人形を一枚取り出し、何事かを書いていずこへか飛ばした。
 上り電車に一時間ほど乗って、式たちも知っている街へ出た。東京の、名取の隠れ家がある街だった。駅からはかなり歩く。路線を乗り換えて最寄駅へ行くより歩いた方が早いからだが、今日退院したばかりの名取にはつらいはずだった。
 それでも、名取は黙々と歩き、かつて通った大学の近くの、当時から借りっぱなしになっている安アパートの1Kの部屋へとたどりついた。
 名取が取り付く島もないので、式たちは紙人形に寄り付いて懐に入ることもできず、ずっと歩いたり浮いたりしながらついて来た。名取は彼女たちに構わず、部屋に入るとまっすぐ、ベッドに倒れこんだ。
「主さま・・・・・」
 突っ伏したまま、顔を見せようともしない。
「上着を脱いで、布団をかぶって下さい。私たちは、台所の方にいますから」
 柊はそう声を掛けて、瓜姫と笹後の背を押して台所へとおさまった。
「主様は、どうしてしまったのだ?」
「離れで休めば良いのに、こんな狭いところにわざわざ」
「・・・・・・みはしら様の拒絶を、受け入れたからだろう」
 柊は、狭い台所のシンクの下に座り込みながら、言った。
「主さまは、みはしら様に仕える者。父君の出て行けという言葉は、みはしら様のお言葉を代弁したようなものだろう。今の主さまでは、みはしら様にお仕えできぬ」
 的場に負わされた傷を抱えたままでは。
 毒に侵されていたときとは違う。心を侵されてしまっている。
 ただ、傷を抱えているだけならば、構わなかったかもしれない。
 けれど、今の名取は、的場へのあらゆる想いをその心に抱えて、その傷口からもらしている。
 個人的な想いにまみれすぎていて、仕える者として失格の烙印を押されてしまったのだ。
 拒絶を拒否することはできない。受け入れるしかない。みはしら様のためにも。
 だから、名取はわざわざ家から遠く離れたここまで来たのだ。
 みはしら様の感知外へ。
 他の2人は、よく理解できていないようだったが、長丁場になることはわかったらしく、柊に後をまかせて外に出かけて行った。彼女たちもこの街に長くいたので、色々つきあう先があるらしい。
 時間を置いて柊が部屋をのぞくと、名取が上着と帽子を放り出して布団の上で眠っていた。やはり、退院したてでの長時間移動は疲れたのだろう。
 柊は名取の体を動かして布団を掛けなおしてやった。
 冬の夕暮れは早い。
 日当たりの悪い部屋は、早くも薄暗くなり始めていた。

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