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つかわれしものたち

「・・・・・・あれは、抜け殻だな」
 ニャンコ先生が、縁側から名取を眺めながら、言った。
「抜け殻?」
「器だけだ。まだ死んではいないが、本体が長く戻らないとそのうち死ぬだろうな」
 夏目は、遠くで眠る名取をあらためて見た。
 離れに、名取は床をとっている。名取以外、人も妖も中にはいない。
 夏目のそばに、柊も、瓜姫も、笹後もいた。
 学校から帰宅して、塔子から、名取が退院したとテレビでやっていたと聞いた。夏目は名取の自宅に電話してみた。2度に及ぶ入院後だ。できれば、近いうちに見舞いに訪ねたくて。
 電話に出た名取の姉が、よくわからないが大変だ、という。とにかくお邪魔しますから、と来てみれば、名取は静かに、眠っていた。
 普段住んでいるという離れで、たった一人で。
「近づけないの」
 名取の姉が言った。たしかに、これでは近づけない。
 夏目も、名取に近づけなかった。建物に入ることができない。
「式たちは追い出したって、夫が言っていたわ」
 柊たちも、近づけないのだという。
「無理に近づけば、名取の命は消えるだろう」
 そう、柊は言う。
 詳しくは母屋で、という名取の姉について行った。2世帯住宅になっているという和風の大きな家だった。半分を父親と後妻、その娘が使い、残る半分に姉と婿、その息子が住んでいるのだと、前回聞いた。
 名取は、姉たちの方へは用があればくるが、父親の方には行かないのだという。後妻とうまくいっていないらしいことが、姉の言葉尻からうかがえた。
 名取が大学に行くため家を出てから建て替え、そこには、名取の部屋は用意されなかった。名取は家業の手伝いのために戻ると、祖父のいる離れに泊まっていた。祖父が亡くなり、そのままそこを使うようになったのだという。
 本当なら、父方の建物の方に部屋を用意するべきなのに、部屋は余っているはずなのに、そちらに入れる気がないのだという。名取もそちらに行く気はなくて、だからといって新婚の姉夫婦の方へも来ず、離れを選んだのだ。
 実の家族がいるのに、その輪の中からはじき出されて暮らしている。
 夏目は今は、血のつながりはないものの、温かい家族の輪の中で暮らしているというのに。
 熱い緑茶と和菓子を用意して、姉が名取が退院してからの話をしてくれた。
 退院当日のうちに、一度ここに帰って来たのにまたすぐ出て行ってしまった。父親と諍いがあったらしい、と姉は言う。翌朝、誰も知らないうちに帰って来て、たまたま、社務所にいた婿が、裏の鎮守の森へ向かうのを目撃していた。
 昼にその話を聞くまで、姉は名取が戻ったことを知らなかった。離れに見に行ってもいない。霙まじりの雨が降りしきっていた。
 婿がまさか、と言いながらも父親とともに鎮守の森へ行き、名取を連れ戻して来たのだという。 「池があるのだけれど、そこに沈んでいたって話なの。なのに、あの2人は救急車も呼ばないし、私にも近づくなと言うの。だから、離れに運んで世話したのもあの2人。あの2人しか、離れには入れないの」  姉が、不安そうに語る。
 ニャンコ先生を見ると、和菓子をうまそうに食っていた。
「・・・・・・悪い感じはしないです。妖にやられたとか、憑かれたとか、そんな感じは」
 夏目は、なんとか気持ちを安らげてあげたくて言った。
「全然逆で、あれは、なんというか・・・・・・」
 確かに知っている気配。あれは・・・・・・。
「神に気に入られたんだろうよ、名取は」
 ヒゲについたあんこを舐めながら、ニャンコ先生が言った。
「名取の本体は、神社の方にいるな。ほうっておけば、神に取り込まれてしまうだろう。そうして、体も死ぬ」
「そんな・・・・・・」
 せっかくなぐさめようとしたのに、と、夏目はニャンコ先生を睨んだ。人の短い寿命のことなど気にかけない先生は、夏目の分の和菓子を眺めている。
「昔から、そんな話はあるの。何人も鎮守の森の池で死んでいるって。助け出しても、数日のうちに死んでしまう。うちでは『神に近づきすぎると死ぬ』と言われているのよ」
「何か、助ける方法はないのか?」
 ニャンコ先生の話を裏付ける名取の姉の話に、夏目が焦って尋ねた。
「手でも握って、呼んでやればいいんじゃないか?」
 そうっと和菓子に前足を伸ばしながら、ニャンコ先生は言う。夏目は、和菓子を取り上げた。
「手を握るどころか近づけないじゃないか、結界でもあるみたいに」
「みたいじゃなくて結界だ。浄化された者しか近づけんのだ。神職のようにな」
 夏目の肩に飛び乗って和菓子を追いかけながら、言う。話を飲み込もうと動きを停めた夏目の手から和菓子を奪うと、ニャンコ先生は満足気に言った。
「神にとっては、ほんの戯れだ。気に入ったヤツを、少しそばに置いてみたかったんだろう。どうせ、人はいずれ死ぬ。神のような存在からすれば、今も50年後も大差ない。死ぬなら死ぬで、構わないんだろう」
「そんなこと・・・・・・っ」
 神様にとってはそうかもしれないが。
「でも、おれは、まだ名取さんと話したいことがたくさんある。話してないことがたくさんあるし、話してもらいたいことだってたくさんある。死なせたくなんかないっ」
 ニャンコ先生は、器用に包みを開けながら、言った。
「お前なら助けられるだろう。名取の父親と義理の兄に、名取に近づけるよう清めてもらえ。この間の要領で手を握ってやれ。そうして、呼ぶんだ。ただし、逆に引っ張られるなよ。相手は神だ。気をつけろ」
 夏目は名取の姉に話を通してもらって、神職のような和装を借り、神社の本殿で清めてもらった。
 名取の父も義兄も、事務的だった。心配する様子も見せず、ただ、わかった、と。淡々と。
 済んだと言われると、夏目は礼を言って急いで離れに向かった。効果あって、離れに入ることができた。そうして、ようやく、名取の枕元に座った。
 名取は、静かに、眠っていた。
 夏目が勢い込んでそばに来ても、微動だにしない。
「名取さん?」
 声を掛けても、なんの反応もない。
 夏目は、布団をさぐって名取の両手を出す。力を失っているので、重い。けれど、まだ温かい。
 両手で両手を握り、目を閉じた。
 名取さん、名取さん、名取さん・・・・・・っ。
 そう、心で唱えながら。名取の中を、ぐるぐると巡る気の流れをイメージする。前回は、イメージに呼応するものを捉えることができた。今回は、それがみつからない。
 名取さん、名取さん・・・・・・。
 必死に気の流れを探すと、細い糸の端切れのような、名取の気配をみつけた。
 名取さんっ。
 それを手がかりに、巡るイメージを繰り返す。少しずつ、糸が長くなっていく感じがした。
 名取さん、名取さん・・・・・・。
 ひたすら繰り返す。
 糸の端が、手元まで来た。あっと思った時には、意識が光の渦に巻き込まれていた。
 嵐のような勢いの光の流れが去ってみると、夏目は白い世界にいた。
 まぶしくはないので目は開けていられる。けれど、それは、ただ光だけの世界だった。
「名取さんっ!」
 呼びかけてみる。全身に、鳥肌がたっていた。怖くはない。怖くはないが、自分がいていい場所ではないと感じる。いてはいけない。そんな、畏れ多いことをしでかしてはいけない。
 そうか。
 夏目は気づいた。
 これが、名取の家が守る神社の、神の居場所。神そのもの。
「名取さんっ!」
 ならば、名取はここにいるはずだ。
 感じる畏れを、自分の両手を握ってはじき出す。そうして、名取の体内で名取の気が巡るイメージを取り戻した。
「名取さんっ!」
 繰り返すうちに、自分のそれぞれの手が握る手は、名取の手になっていた。自分の意識が体に戻りかけている。
「名取さん、名取さん、名取さんっ!」
 光の世界が消えて行く。自分の声が耳に聞こえるようになる。
 夏目は、離れの一室で、眠る名取の手を握って、座っていた。
 元通りに。
「名取さんっ」
 名取りは相変わらず、反応がない。
「・・・・・・そんなっ」
 あそこまで行ったのに。名取がいるはずの場所まで。
 けれど、名取の気配はあの場所にはなかった。圧倒的な存在に呑まれてしまっていたのか、本当にいなかったのか、わからないけれど。
 夏目は、ぎゅっと、手を掴み直す。
「名取さんっ!」
 もう、手放す気はないと、教えるために夏目を引き込んだのだろうか。そうして、うるさいからと、追い出したのだろうか。あそこ以上の場所へはとても踏み込めない。もっと奥にいたのだろうか。もう自分には何もできないのだろうか。
「名取さんっ!」
 悔しくて、夏目は叫んだ。ただ、名取の名を。ひたすら、名取の名だけを。
 ぽんと、その背が叩かれた。
「もういい」
 見ると、男2人の姿があった。
 夏目の背を叩いたのは、婿の方。
 名取の父は、部屋の入り口に立っていた。声は、こちらのようだった。
 夏目は、にじむ涙を手でぐいとぬぐって、彼らを睨みつけた。
「よくないですっ。こんなんじゃダメです。必ず名取さんを取り戻しますっ!」
「もういい」
 名取の父が、今一度言った。
「ダメですっ」
 名取の義兄が、夏目の肩をぽんぽんと叩いた。
「もういいんだよ、大丈夫。ありがとう」
「・・・・・・え?」
「目は覚まさないようだけど、戻ってる。大丈夫だよ」
 夏目は、唖然として名取を見下ろした。
 先ほどまでと変わりなく、名取は眠っている。ただ、眠っている。
「戻って来た例はない。なので、これからどうなるかはわからん。一度はみはしら様に取り込まれたのだ。すぐには体と意識が適合しないだろう。なじむまでは、目覚めないかもしれない」
 名取の義兄は、父親の話を聞きながら呆然としている夏目の手を名取の手から引き剥がし、布団を掛けなおしてやると、あらためて夏目の手をとった。
「ありがとう」
 そう言って。
 ああそうか。
 夏目は、ほうっと息を吐き出した。
 彼らは、心配していなかったわけじゃない。
 名取の体だけでも生かすために、結界を張って守り。
 神につかえる者として、務めを果たす。
 みはしら様を敬い畏れ祀り。
 その信心を確固として示す。
 それしか、できなかった。それ以上のことはできなかった。それでも、名取を救うために、最大限のことをしていたのだ。
「うまくいったようだな」
 トテトテと、ニャンコ先生が縁側から入り込んで来た。その後ろから、柊、瓜姫、笹後が遠慮がちについて来る。
「先生」
 先生は、名取の枕元に落ち着くと、しばらくじいっと見下ろしていた。
「ふむ。大丈夫だろう。ちゃんと名取が丸ごと帰って来ている。ただし、このまま目覚めたらただでさえキラキラしてるヤツなのに、直視に耐えない有様になってしまうからな。しばらく眠って、夢を見たり深く眠ったりを繰り返して体に合った人らしい意識に戻れば、目を覚ますだろう」
 それを聞いて、夏目はニャンコ先生の頭をなでた。
「ありがとう、先生」
 抱き上げて、ぎゅっと体を抱いた。
「さっきの和菓子もうまかったがな。礼は酒で寄越せ酒で」
 じたばたと先生が言うのに、
「そういえば、また長野の酒造から酒が届いてましたね」
「ああ、みはしら様ご要望のを、周が頼んでたやつだろう。いつも多めに頼んでるな」
「みはしら様への御礼が済んだらあげるから、待っていなさい」
 猫がしゃべって酒を要求していてもなんの抵抗もなく、2人はそう言い置いて出て行った。
 そうして、ニャンコ先生が神様ご要望の酒の味を夢見てヨダレを垂らしながら熟睡した頃に戻って来て、日本酒の一升瓶を一本くれた。
 ようやく話を聞いたらしい名取の姉が飛んできて、夏目に何度もお礼を繰り返した。その騒ぎで目を覚ましたニャンコ先生が日本酒をみつけ、早速飲むと大騒ぎをし、名取の姉が夕飯を食べてけ、泊まっていけと言い出して、帰るに帰れなくなった。
 結局夏目は、酔っ払いのニャンコ先生と式神たちと一緒に、名取の眠る離れに泊まることになった。

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