社長がマネージャーの安藤を伴って病院に入ると、名取の姉が待っていた。
挨拶やら詫びやらのやり取りの後、病室へ案内してくれる。
「名取君の様子はどうですか?」
社長が、名取の姉に並んで話しかけた。
「熱がひどくて。飲み食いもできないし。今は薬で熱下がっていますから、大丈夫ですけど、熱が上がるともう、
とても話せる状態じゃないですね。原因がわからなくて、治療もうまくいってないみたいです」
「それはやはり、もう一つの仕事のせいなんでしょうか?」
「だと、思いますけど。本人が話さないのでわからないです。私には何も言いませんから」
「そうですか」
社長が名取に会ったのは、名取がまだ学生の頃のことだった。就職せず、妖祓い人で身を立てようと、
他の学生が就職活動に駆け回っている中、本格的に仕事を始めたばかりの頃。
社長の母方の実家での怪異を鎮めるためにやって来た若者。若いのに、そんな仕事だというのに、礼儀正しく、
愛想良く、相手を不安にさせることなく、周りの空気を読み、手際良く片付けてくれた。
社長は、社長として名取に一目ぼれして、片付いたところで、事務所に入れとナンパした。
冗談だと思った名取を、大学にまで押しかけて説得し、ようやく、俳優業に限るということでゲットした。
顔がいい自覚はあまりなかったらしい。そもそも、ずっと気味悪がられて人が寄り付かなかったという。
演技は、日常的に必要だったからできるだろう、とも言った。見えるものを見えないように見せる必要があったから。
嫌われている人々の中で生きるために、それ以上の和を乱すまいと、常に愛想よく冷静であらねばならなかったから。
そして、妖怪相手に芯の強い人間であらねばならなかったから。
妖怪嫌いということだったが、人間嫌いでもある、と、社長は見抜いていた。
始めてみて、芯の強い気にあふれた若さと美貌で、周りがメロメロになると気づくと、それを楽しむようになった。
だましているつもりなのだ。嫌われていた人間たちが好意を示すように。だまされてやがる、という満足感を得ている。
本人の自覚がどれだけあるかわからないが、そういうことだ、と社長は見ている。だまされているのではなく、
名取自身が本当に好かれているのだと、彼は自覚することができないのだ。
事務所がいくら売り出そうと思っても、本人に実力と誠意がなければ売れない。名取は、常に周囲に気を配り、
仕事にミスることもなく、演技力も人望も得て、一人前の俳優に育った。
それなのに、妖祓いの仕事は、今も続けている。特殊な才能ゆえに需要があるのだろうが、社長としては、
そろそろ俳優業に専念して欲しいと考えていた。
今までは、そちらの仕事が俳優業に影響することはなかった。
とうとう、穴を開けてしまったことになる。もっとも、ちょうど仕事の隙間に入ったので、
今のところ確実に影響を受けるのは2時間ドラマ1本だが、その後には連続ドラマが控えているのだ。
そちらへの影響を見極めに、社長自らやって来た。今後のことも話し合うために。
しかし、病室に行くと、面会が適わなかった。熱が上がりだして、落ち着くまで駄目だという。
それで、姉と一緒に医師の話を聞くことにした。医師は、熱さえ下がれば、という。
「急性肝炎、ですね。ただ、肝炎の原因がわからないんですよ、検査しても。あとはどれか薬が効いて熱が下がって食べられるようになれば、退院できますよ。その熱が、いつまで続くかなんですけどね。今のところ、見当つかないんですよ」
あっさりと、医師は匙を投げた。珍しいタイプの医者らしい。
話していると、年配の看護師がノックして入ってきた。
「名取さん、落ち着きましたよ。40.8度です、先生」
「おお、41度超えなかったか。優秀優秀」
「それで、面会の方に会いたいそうですけど、どうしましょう?」
「できるだけ短くして下さいね」
ということで、ようやく、社長らは名取に会えることになった。
病室に通されたが、名取は、いつもの愛想がなかった。40.8度では、当たり前だが。
「このたびは、大変、申し訳ありませんでした」
周りが止めるのも聞かず、無理に体を起こして詫びてきた。
「ま、とにかく、寝て」
おとなしく横になる。動きは相当つらそうだったが、表情には出さない。
「いつもよりは楽そうじゃない? 41度超えなかったって聞いたけど」
「大丈夫」
姉の言葉に、一言だけ。
「2時間ドラマは?」
安藤に尋ねる。穴を開けたドラマのことが心配らしい。
「あれは、小谷にやらせることにした。ちょうど空いてたしな」
安藤が応える前に、社長が言った。
「アレはえり好みする上に仕事もアレだから。干され出してる。前の事務所のヤツに頼まれて入れたが、
もう自分でヨソに乗りかえようとしてるらしいぞ。歌手の方がいいとかなんとか。どうも、
お前と同じ事務所ってのも気に入らないらしいな」
「・・・・・・・・・・・・」
「お前の空けた穴と聞いて喜んでたぞ。主役だしな」
社長の目を見返しているが、言葉はない。胸の動きからして、呼吸の回数が多い。あまり話せないのだろう。
「あ、新聞見たか? こないだの撮影の話。お前が倒れたおかげで話題になってな、視聴率上がりそうだぞ」
安藤が、名取のシャワーシーンの写真が出た新聞をみつけて言った。姉が見ていないが説明したと語る。
名取は、困ったように笑んでみせた。
「次の連ドラの方は、できれば出て欲しい。境が選んだ相棒なんだしな。台本読みが来週始まるし、とりあえずは、
小谷に回しておくが、撮影には間に合わせてくれ。アイツじゃあ、プロデューサーが納得いかないと思う。無理。
お前にしても珍しい配役になるが、お前なら心配してないんだ。頼むよ」
「はい」
とても、今後のことまで話し合える体調ではないので、2人はそれだけで帰ることにした。
「撮影は2週間後からだ。いいな、治せよ」
と言い置いて。