赤笹の実のおかげで、妖怪の毒が抜けていき、体が楽になっていった。
ニャンコ先生の見立て通り、実が無くなる頃には熱も微熱になり、自分で気を整えることも可能になった。
圧倒的な妖怪の毒と病魔を祓ってみて、ようやく、それに気づく。
まだ、ある。
毒が。赤笹の実が効かない毒が。これは・・・・・・。
的場、だ。
どうやら、的場を救った時に妖の毒と共に名取の中に残ったものは、的場の気だったらしい。
名取の体質では、他者を受け入れない。内側から取り込んだせいで、逆に抜けなくなっているのだ。
本体は抜けられても、今更こんな半端なものを引っ張り出すことはできない。
的場にとって名取は完璧に吸収できるものなのに、名取にとって的場は、毒だった。
他人の性質というせいもあるが、あの恐怖体験からくる忌避感も精神的影響を与えているのだろうと、
自分でも思う。身のうちの毒を思う時、ヤモリを食らう的場の顔がフラッシュバックしてきて、ショック
を受ける。それを繰り返しているのだから。
結局、微熱が続き、水分も食べ物もあまり摂れず、点滴がなかなか外せない。大分良くなったとはいえ、
血液検査のデータも微妙なラインらしい。にぶい頭痛と、吐き気が続いている。
的場を思い出すと本当に吐くこともあったし、悪夢にうなされて熱が上がることもあった。
ほとんど食べられないので、吐くものは胃液だ。あっという間に、
連ドラの撮影日が近づいてきた。安藤が届けてくれた台本を読み直して、台詞も動きも頭に入っているが、
肝心の退院許可の条件が整わない。
抜け出すしかないかな。
名取は、撮影に出ると決めていた。小谷には悪いが、現実として、小谷にできる役ではない。
癖のある脚本家兼プロデューサー兼監督業の仕事で、10分以上の連続映像というものが頻繁に出てくる。
台詞も動きも多い。名取には自信があったが、小谷はどうせできると思って本番に臨んでミスりまくることだろう。
回診に来た医師に退院を希望すると、あっさり、妥協点を提案してきた。
「まあ、環境を変えるのも手でしょう。栄養が摂れないので退院は許可できませんが、外出はいいですよ。
撮影に参加できるとは思えないですけど、ご自分の判断でどうぞ。死にはしないでしょ」
変わった医者で助かった。夜は帰る条件で、とりあえず、明日、撮影現場に行くことで安藤と調整した。
出演予定は小谷。名取は、あくまで、撮影初日に侘びを入れに行くのだ。安藤の話だと、
小谷が切られるのはほぼ確実だという。
更に、嫌われるなあ。
もっとも、痛くもかゆくもないけれど。
安藤運転の車で、久しぶりに都心に出た。空ばかり見ていたので、都心の風景は目にきつい。
目を閉じて乗っていた。
「台詞は頭に入ってるんだな?」
「大丈夫」
「動けるのか? しゃべれるのか?」
「たぶんね」
「おいおい」
「小谷さんよりはマシじゃない?」
「ならいい」
会話はそれだけだ。愛想を振りまく元気はない。
街中で、すでに撮影が始まっていた。
境が探偵役。小谷は、その助手の役だ。主役は探偵だが、助手の方が出番も台詞も多い。小谷が怒鳴り飛ばされていた。
「もう一回だ、もう一回だけ通しで撮るぞ! 覚悟してやれよそこのクソガキ!」
脚本家兼プロデューサー兼監督の大御所、立花がわめいている。わめく前に、彼は確かに名取の姿を目に止めた。
その上での台詞らしい。
近づくと、案の定、顔も向けずに名取に言う。
「よく見ておけ。これ失敗したら責任とってお前やれよ、一発でな」
小谷は名取に気づいていないらしい。名取は、黙ったまま向こうから見えない位置にずれて撮影を見守った。
関係者は道沿いの大規模公園にいて、公園沿いの道路と、近くのビルが撮影場所となる。流れを見るために、
名取は勧められた椅子を断った。移動のせいか、頭痛と吐き気が強くなっている。
場面は、オープニング直後の14分にわたるシーン。探偵助手が女と別れ、情報屋に会い、探偵事務所へ出勤し、
探偵と仕事の話などをする。ずっと、一つのカメラで撮るのだ。
緊張した面持ちのまま、小谷が女との会話と別れを演じる。情報屋相手に話しながらの移動。名取は、
公園側をゆっくりと歩いてついていった。
情報屋の方が目立っている。台詞もまちがえたりとちったり。まずい演技だ。止められないせいか、
小谷は調子よくやっているつもりらしい。が、小谷が下ろされるのはほぼ確実だった。
ドアを開けっ放したままのビルに入り、同じく開けたままの事務所へ入る。カメラや音声らスタッフが、
前になり後ろになりついて行く。名取は、更にその後ろについて階段を上った。
事務所の中に入るわけにはいかないので、カメラにうっかり映らないよう、廊下の壁に寄りかかって聞き耳を立てる。
境の落ち着いた声が聞こえる。また、小谷が台詞を間違える。境がフォローする。なんとか、14分間の撮影が終わった。
「お前はクビだ。ク・ビ」
終わるなり、立花が言った。
「おい、名取に準備させろ。一発で頼むぜ名取。早く病院帰りたきゃな」
姿を現した名取を、小谷が憎憎しげに睨みつけた。
もちろん、名取は完璧に演じた。飄々とした、いい加減なんだか優秀なんだかわからない、軟派な探偵助手。
さんざんてこずっていたせいか、14分の撮影が終了すると、拍手がわいた。名取は、座っていたソファに
そのまま倒れこんだ。どっと冷たい汗が噴き出してきた。頭はがんがんするし、気持ち悪い。本当に吐きそうだった。
誰かが探偵助手の帽子をとって、名取の頭をなでた。
「お疲れ」
境だった。
その日、あと2シーンを撮影して、名取は病院に戻った。撮影の合間に吐いたし、フラフラだった。
朝まで、死んだように眠り、点滴を受け、また迎えに来た安藤の運転で撮影に向かう。
3日目には夜間の撮影があり、病院に朝帰りした。相変わらず、食事がほとんど摂れない。ロケ弁は最初からもらわない。
吐き気止めにアルカリ飲料だけ。水分がとれるようになっただけ良かった。
あまり抜け出すので、一週間で医者が退院許可を出した。なんだかんだ、一ヶ月近い入院になってしまった。
しばらくは、毎日通院することになった。
点滴を受けてから退院して、そのまま撮影に行って。その晩、久しぶりに、自宅に帰宅した。