注意:この7以降、オリジナル設定が増加します。ご承知おきください。
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コソリ事件の翌春。
ナルが事件に巻き込まれ、怪我をした。
渋谷サイキックリサーチの面々とイレギュラーズでもって養生中のフォローをすることになり、食べ物は綾子が引き受けてくれたので、毎日誰かが綾子の元を訪ねるか、綾子が渋谷の事務所へ届けに来て、それを誰かがナルの元へ運ぶことになった。
ナルは十日ほどはリンのマンションで養生し、その後現場検証に駆り出されてからは自分のマンションに戻った。その頃には痛みも楽になり、本や資料を見たりする余裕も出て来ていた。
痛み止めで頭がにぶっているのでインプットはしてもアウトプットはしない、と、ナルはキーボードに触れることなく過ごしている。
ソファで英語の分厚い宗教学の本に没頭しているナルを横目に、滝川は綾子の料理を夜朝昼の分として、タッパーから皿に盛りなおしていた。
本人はタッパーのままでも構わないというが、滝川のこだわりで飾っている。ナルの部屋には電子レンジがないので、煮物は鍋に、焼き物はフライパンに移し、残りは皿に盛ってラップをかけて冷蔵庫へ。
「ナル坊。皿三枚冷蔵庫。温めるのは鍋とフライパンにあるから適当に食ってくれ。あとおにぎりとサンドウィッチはテーブル。残すなよ」
「わかりました。ありがとうございます」
本からから目を離さずに、ナルは言う。礼を言うだけマシだろう。今回の事件には相当腹を立てていて、不機嫌極まりない。勝手にローテーションを組んで世話を焼く滝川らに、ナルは最初の内は不機嫌だった。しかし、警察対応や怪我の痛みなどが落ち着いてくると、ありがたみを感じる余裕も出てきたようで、反応も改善してきていた。
「コーヒー飲んでっていいか?」
「セルフサービスでよろしければ」
ついでにナルの紅茶もティーパックで入れてやる。事務所のティーカップの二倍は入りそうなマグカップがマイカップなようで、麻衣が泣くなあ、と思いつつ。
お茶っ葉とティーポットもあるが、ティーパックもある。気分と忙しさによって使い分けているらしい。
コーヒーも常備されている辺り、カフェイン度の都合もあるのだろう。
ナルカップを置いて向かいに腰を下ろすと、一人掛けのソファにあったクッションが投げてよこされた。博士はあくまで資料をみたままだったが、滝川はありがたく腰の下に敷いた。
これが、あのオリヴァー・デイヴィス博士なんだよなあ。
ホットコーヒーをすすりながら、滝川は見上げる。
今回、事件で狙われたのは十代後半の美少年美少女。
スウェットでくつろいでいて、髪は寝たり起きたりでぼさぼさなままだというのに、伏し目がちに資料を眺めるその顔は美しいという形容詞がよくあてはまる。
その内にある脳みそはどういった構造になっているものか、攫われたほかの少年たちと逃げる際に目撃した、自分以外の被害者写真二十二人分を一瞬見ただけで記憶し、捜索願が出ている少年少女リストから候補を拾い出し、ナル達以前の四グループの動向のサイコメトリをしてきわどい救出作戦を強行させた。
弱っていて船から捨てられた一人の少女だけは、救出できなかった。
事件の被害者にならなければ、まったく知らなかっただろう被害だ。それでも、ナルの心に多大な影響を与えているのだろう。アウトプットをしないのは、それらに絡む本人の感情が制御できていないからだと、滝川は思う。
おそらく、ナルは慣れているのだろう。だからといって、他の人間よりその場合の心の整理をつける方法を知っているというだけで、無感動なわけではない。
すでに死んでしまった少女のことではなく、次の自分の現実に目を移す。今はその作業の最中なのだ。
まだ、十八歳の少年。
大人か子供かといえば、ほぼ大人だ。
けれど、知識も社会的経験もあるからといって、何事もなかったようにはいられない。
今回、食後に鎮痛剤と、胃の保護のための胃薬が処方されている。ナルは今はその薬に頼って、薬を飲むとベッドに入る。鎮痛剤には、眠気を催す効果があるので。
それでも眠りは短時間で、一日三回寝ている状態なのだという。被害にあった当初は爆睡しまくっていたが、今は逆に不眠気味なのだ。
綾子は一定量の食事を用意している。それで食欲の回復をみるためだ。事件から二週間が経って、ようやくほぼ残さなくなってきた。まだ杖なしだとぎこちないが歩けるようになってきた。来週には英国へ帰るという。
帰国予定を来週、と決めると、早く帰って来いと心配してせかしていたパトロンがすぐに航空券を手配してしまったので、月曜には帰国しなければならない。
ナルが、本から目を離さずにカップに手を伸ばす。
飲みながら、わずかに眉をひそめるのを見て、滝川はにやりと笑う。
「そろそろ麻衣の紅茶が飲みたいだろう?」
「・・・・・・」
ナルが冷たい視線を滝川に送る。そんな視線にもニヤニヤとこたえない様子に、ナルはため息を落とす。
「そうですね」
「おや、素直」
「この半月、ティーパックかペットボトルでしたからね」
「味がわかる博士様はお茶も本物志向なのね」
「そういうわけじゃない。飲めればなんでもいいんだが・・・・・・。単に、普通の生活に戻りたいだけなんでしょう。その象徴?」
「なるほど?」
滝川は笑う。
「『普通』の象徴が、麻衣の紅茶、ね」
こりゃ気づいてないな、と、滝川は思う。
自分が麻衣に普通以上の想いを抱えていると気づいていたら、滝川にそんな話はしないだろう。
博士様も、男の子だなあ。
間違っても、口に出したりはしない。
にぶい奴。
と思ったことも。
「帰国前に事務所へは?」
「余分な行動はするなと言われている。ここからまっすぐ空港だ」
麻衣の紅茶にありつけないまま、帰国するということだ。
普通の生活、は、数か月単位でお預けらしい。
「じゃあ、帰るまでにおいしいお茶っ葉差し入れしといてやるよ。何がいい?」
「フレーバーティーじゃない紅茶」
「即答かい」
種類が多そうだ。まあ、麻衣に相談すればいいだろう。帰国する頃に。
「了解。じゃ、お大事にな」
滝川は手早く自分のカップを洗うと、ナルが軽く手を挙げるのに挨拶しつつ、部屋を出た。
英国へ渡ったナルが戻って来たのは、半年後のこと。
背も伸び、少年らしさが消え、一人の青年となって、帰ってきた。
その間、両親に大量に服を仕入れられたあげく日本にも送り飛ばされた。
ジーンの弔いという言い訳が成り立つ中で横着していたカラーコーディネイトを人任せに済ませたのが、おかげで、相変わらず黒っぽいことに変わりはないが、必ずしも黒ばかりではなくなった。
ダーク系とはいえカラーシャツにネクタイを締めて出かけることもあり、そうして、海外出張にも出るようになった。
英国の成人である十八歳も過ぎ、日本の成人である二十歳も近い、十九歳。ついに観念して、業界にある程度顔出しするようになったのだ。
東洋系で年齢がわかりにくいのをいいことに年齢不詳はそのままで、英国在住であるかのようにごまかしつつも、少しずつ、オリヴァー・デイビス博士が、世に出始める。
なんで、この人ここにいるんだろう?
と、『外』での彼の評判を聞くごとに、身近な日本の仲間たちは思う。
その博士から物を手渡されたり、名前を呼ばれたり。明らかに自分を見て語ることもあれば、どうかすればついでにお茶を入れてもらえることさえもある。
少しばかりの違和感。けれど、すぐにそんなものはふっとばし、近しくからかったりもする。
半年の間に生まれた違和感を少しずつ埋め、日本のメンバーは離れることなく、新たにつながりを深めていった。
誰もが、年をとっていく。
安原も、ナルも、そして麻衣も、二十歳を越え。
成長し、確実に足元を踏みしめて、大人になっていった。
麻衣は幽体離脱による浄霊というスタイルを確立し、SPR本部にも招かれてその実力を認められ、まどかから進学希望の麻衣の大学卒業後の進路をがっちりとつかまれた。おかげでSPR出資で奨学金を受けられることになり、関連学科という制限はついたが、大学へ無事に進学。後輩のために下宿からアパートへ引っ越し、ナルと最寄駅が同じだと後で知ってびっくりしたり。
ナルも心理学や宗教哲学等博士号の数を増やし、トリニティカレッジをたまの帰国時に通うだけで卒業し、院に入った。
ナルが英国へ一時帰国する回数や期間が増え、身分も日本分室長という立場でとどまらせることができず、アジア地区総括、という役がついたが、分室長はそのまま兼務して日本に居続けている。
ナルを留まらせる日本という国に興味を示し、本部や他部から研修生が送り込まれてくることもあり、安原と麻衣も英語は必須と、クイーンズイングリッシュをアルバイトをしながら仕込まれることとなった。
綾子が親に泣かれてしぶしぶ資産家の大病院の次男坊であるところの父親の病院の整形外科医とお見合いをし、その人柄にほだされゴールインが決定。霊能者を引退することになった。結婚して子育てをして一段落しても能力が残っていたなら、再開も考えるが、当分は仕事を受けないと決めた。
その豪勢な結婚式に、ナルが安原に指導されて若者らしい明るめのスーツ姿で登場したため、理知的で高身長の安原とセットで大注目を浴びることとなったが、事態を予想して麻衣と真砂子をパートナーであるかのようにそばに置いておいたので、年齢のこともあり、争奪戦は起きなかった。
ジョンは勝手に除霊してまわっていたことが問題になり、紆余曲折の末にとうとう破門とされた。師匠と世話になっていた教会はなんとか守りきることができたので良いのだと、ジョンは処分に感謝したという。その後、ナルの推薦でSPRに就職することとなり、教会のすぐ近くに居を構えつつ、処分を通達する文面から信徒として通う分には許容されると読めないこともないと、いいように解釈してほぼ教会の元の部屋にいるという状態に落ち着いた。所属はSPR本部で、特に指示のない時は日本分室の補助ということになったが、本部からの指示で海外出張に出されることも多かった。
滝川と真砂子はそれぞれ芸能界に居続けている。自分の仕事を全うする職業人としての能力と立場を維持し続けているため、干されることも飽きられることもなく、その居場所を確保していた。
安原は大学院に入り、引き続きアルバイトを続けている。大学在学中に様々な資格を取得し、司法試験も通った。SPRの日本企業スポンサー獲得営業に絡み、卒院後に就職しないかという大企業からのお誘いも多々あり、本人がどういうつもりなのかは不明ながら、将来有望株である。
そんな状況の中、孤島での調査があり、また、負傷し高熱に侵されたナルがジーンに体を乗っ取られるという事件が起きた。
日本支部が発足して、六年。
十六で来日したナルも、二十二歳を越える。
ジーンが死んで、六年。
長らくさまよっていた彼が、繋がりの深い双子のナルとの関係を再構築する。
変化が、訪れようとしていた。