一週間、ナルはジョンの部屋で過ごした。ほぼ眠っていた。時々、ソテロの読むラテン語の聖書の言葉を聞き、日替わりの医師の診察を受け、様子を見に来るリンと短い会話を交わしながら。
五日目には点滴などの管類を外され、首を短時間なら支えられるようになったので、室外に出られるようになった。支えてくれる人と杖は必要だったが。六日目には杖をつきながら教会まで足を運べるようになり、七日目には杖なしでもベッドからドアくらいまでなら歩けるようになった。まだ片目はよく見えないし、首はぐらつくし、杖なしで歩けるといっても痛みがあるのでごくゆっくりだった。
しかし、七日目の晩、ナルはリンに支えられて教会を出た。寄付を含めた医療費を支払い、老いた体でナルに付き添ってくれたソテロと抱きあって別れを惜しみ、ジョンと教会の司祭や医師らに深く礼を述べて。
「自宅ではまだ少し不自由では?」
ナルの帰るという決定には従ったものの、リンが車で問う。
「ジョンは付き添いで部屋に帰らず寝袋で寝ていたし、ソテロ氏も高齢で負担になっていた。とりあえず歩けるし、医療措置はもう必要ない」
「今日は私が泊まりますよ」
「必要ない。・・・・・・寝るまでは、いてもらえると助かるが」
「わかりました」
意外と素直な反応に、リンは快諾する。部屋に置いたらすぐ追い返すつもりかと思ったのだが。
恐らく、それなりに居心地は良かったのだろう。
頼ってもいい、というこの一週間の感覚が、そうさせたのだろう。
追体験もほぼなかった様子であるし、やはり預けた場所が正解だったと、リンは安堵する。リンにはキリスト教の感覚はわからない。だが、ナルには受け入れやすい要素があったのだろうと思う。大阪弁の外国人老人という規格外の存在や、高学歴高給取りのはずなのに親しみやすいボランティア精神あふれる医師の存在なども、良かったのかも知れない。
リンは運転しながら、ジョンがこれまで語らなかったサイコメトリによる『未来』について話した。ナルは、ただ黙して聞いていた。ジョンは、自分がジーンに未来を語ったと、それだけしか言わなかった。
何故、ジーンが姿を現したのか、何故、自分は彼を選んで語ったのか。
その疑問にさえたどり着く余裕はなかった。リンから聞いて、ようやくそれを思う。
ジーン・・・・・・。
歓迎する思いもなければ、拒絶する意思も湧いてこない。
なるようになるのだろう。
考えることができない。
まだまだ本調子には遠いな、と思う。
まだ食欲はないし、部屋にあるシリアルで食事は足りるしそれくらいならできる。
翌日以降、リンか誰かが夜一度顔を出すので、必要なものは連絡を寄越せば買って行くということで、話がついた。
ナルがシャワーを浴びている間に、リンはベジタリアン用の缶詰のスープを温め、出てきたナルの首と足首の手当をする。食事をとらせ、後はベッドに連れて行く。
「後は、大丈夫。追体験もしない、制御できる。・・・・・・ありがとう」
「では、明日、夜様子を見に来ます」
「ああ。寝てるかも知れないから、勝手に入ってくれ」
マンションに着いた時に、ナルが体調不良なのでしばらく誰かが様子を見に来ることは常駐の管理人に言ってあるので、入れてもらえるだろう。
「わかりました。何かあれば連絡するように」
「わかった」
首がつらかったようで、枕の位置を決めると、ナルは動かなくなった。
リンは静かに部屋を出て、オートロックの扉を出て行った。
下に降りると、まだ管理人がフロントにいた。
心配そうにする管理人に、一日一回は誰か、管理人も顔を知っている誰かが尋ねてくるので、ナルの回復具合は伝えさせると話すと、ようやく安心した顔をする。事情はわかっていないが、ジーンがナルを乗っ取った騒ぎのことも知っているし、心配性にもなるのだろう。リンは、なんだかんだと周囲に愛されるナルに、ジーンを思い出す。まったく、よく似た双子だと思いつつ、マンションを出た。
麻衣の顔が浮かんだ。
一週間
麻衣も、耐えた。
ナルの様子を、話を聞くだけで。
けれど、麻衣の言葉がきっかけで発症した。
まだ、会わせるわけにはいかない。
ナルが、自主的に出勤して顔を合わせるとわかっている状況になるまでは。
更に一週間、ナルは仕事を休んだ。
出勤してこなかっただけで、次の調査の資料をリンに運ばせ、復帰次第現場に出るということで、様々な指示が飛んできていた。
時間があったので安原が現地調査や周辺調査、過去調査を済ませており、リンと麻衣も現場に入って要点は確認済みであった。
ナルが復帰する二日前から指示地点にカメラが設置され、工事現場で働く人々の証言と、その証言する時間の種々のデータなどがナルの元に届けられた。
指と片目にはやや不自由が残るものの、ゆっくりなら杖なしで歩き続けることも可能になり、ナルは仕事に復帰する。
リンに乗せてもらって、廃病院に出動する。
現地集合で、安原と麻衣に合流する。
麻衣が、ほっとするのがわかった。
ナルは、ただ、それを認識した。大丈夫。何も誘発されない。
「麻衣はA地点の暗視カメラを増やせ。安原さんはB地点の現場付近で働く人物の話を聞いてください。関係者がいる可能性があります。リン、昨夜の映像を見せてくれ」
あまりにいつも通りの様子に、安原と麻衣は視線を交わしあい、ため息を落とした。
調査は、一日で片付いた。
「所長、みつかりました」
工事現場に、屋上から飛び降り自殺した看護師、本田千恵子の息子、達也が作業員として入っていたのを、安原がみつけた。二十歳の時に母親が亡くなり、父は離婚し新しい家庭をつくっていたので頼れず、学費に困り大学を退学。その後は職を転々としていたのだという。
安原の調査で、すでに本田千恵子のことは調べがついていた。彼女は親しくしていた女性患者が急死したことに責任を感じていた。その思いをそそのかす人物もいた。当時の主任看護師が、かなりきつく彼女を責めていたのだという。その主任看護師によって、退職に追い込まれた同僚が何人もいたという証言を得ていた。
そんな人物の存在に気づいていた急死した女性患者が、自分が死んだら千恵子が追いつめられるのではないかと、心配して浮かばれずにいたのだ。
現場で作業を邪魔していたのは、患者がいるのに病院を取り壊そうとしていると勘違いした、千恵子。病院内をさまよっていたのは、急死した女性患者だった。
霊姿も現象もある程度は記録が採れている。目新しいものはない。ナルは、いつまでも関わっているほどの調査ではないと判断した。
麻衣の働きにより、二人は仲良く旅立って行った。取り残された達也がひどく落ちこんでいたため、疲れた体にムチを打って、麻衣がこれをなぐさめた。
ナルは撤収に携わることなく、ハイエースの助手席に倒れこんでいたので、麻衣が困った事態に陥っていたことは全く知らなかった。
手伝うふりをしていつまでも離れない達也の様子に、安原が麻衣に自分の作業を手伝うよう指示を出すことで一時引き離す。
どうも、達也という男は、自立心が欠けているようだった。すでに三十代も半ばであるというのに、母親が生きていれば、父が浮気しなければ、自分は大学を卒業して一人前になれたのに、などと言い、なれていた自分を前提に、麻衣に好意を伝えようとしているかのような状態だった。
「まずいですよ、谷山さん」
「ですか、ね」
「同情もほどほどに、て。所長みたいですけど。所長は正しいですよ、やっぱり」
「モテモテ経験故ですかね」
「方向性が違いますよ」
「・・・・・・助けてください」
「鋭意努力します」
安原は作業の切り目を狙って、麻衣をハイエースに荷物と一緒に突っ込んだ。
安原とリンが作業を続けているし、車二台はそのままあったので、達也は見当たらないだけで麻衣もどこかにいるのだろうときょろきょろしている。
更に三十分ほどで撤収作業完了となり、残っていた依頼人と現場監督に挨拶に行くと、帰り際に達也が安原に寄って来た。
「あの、谷山さんは?」
「彼女は先に帰りましたよ。彼氏が迎えに来るって。通りで拾ってもらったはずです」
達也が愕然と立ち尽くすのに、安原は、では、お元気で、と放置していく。後は一人で勝手に立ち直れ、と。
麻衣は優しすぎる。三十過ぎの男を甘やかす必要などない。
フリーターだろうが、生活できているのだから一人前だろうに。両親のせいで未だに自分が未熟であると考え、それを盾に周囲は自分に同情し好意を寄せるべきだと考える。三十過ぎてまで親のせいにするようなそんな甘えた男に、中学生で自立せねばならなかったのに高校生ですでに心身ともに自立していた麻衣を与えてなどやるものか。
リンと事前に示し合わせてあったので、車に乗るや否や、達也が立ち直る前にリンと安原の運転でSPRの車は出発した。わざと遠回りして、途中のコンビニで休憩する。
「はーい。いいですよ、谷山さん」
げっそりと、ハイエースの荷台から麻衣は這い出した。
休憩には早すぎる。この時になって、ナルはようやくリンの説明を受け、事態を知った。
「馬鹿か」
二週間ぶりに、私的に語りかけられた内容が、これかよ・・・・・・。
返す言葉もなく、麻衣はただうなだれた。