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ひとり 14

「そんなこと、ありうるのか」
 広田の言である。場所はもはやおなじみの、おばちゃんの店だ。
「あいよーっ、唐揚げお待ち、大盛りサービスだ。今日は野菜の兄ちゃん来てないんだね」
「はい、今日は肉食系ですっ」
「あははっ、どんどん頼んどくれー」
 今日もおばちゃんは元気だ。
「わたくしまで肉食系にしないでくださいませ」
「唐揚げ頼んだの真砂子じゃん」
 今日のメンバーは麻衣と真砂子、ジョンに広田である。ジョンは昨日のことがあったので入っていいものかと悩んでいたが、真砂子が入口のおじさんと話をして了解を得てくれたので、すんなり入ることができた。
 有名霊能者の原真砂子に、金髪碧眼のジョン。麻衣に続いて入ってきたこの二人に、店内は一瞬、フリーズした。そこにおばちゃんが、
「兄ちゃん、二十歳過ぎないとお酒はダメだよ」と突っ込んだところに、
「僕、これでも二十五になりますねん」とジョンが関西弁で返したものだから、真砂子まで笑い出して店内は一気になごんだ。入るのが一番最後だった広田は、おばちゃん以外には入って来たことさえ気づいてもらえなかったというオチもある。
 サイコメトリをしたナルはその後所長室から出て来ず、リンがおしゃぶりを持って出てきて広田と古川に視たものを説明し、二人は大慌てで帰って行った。しかし、ナルとジーンが入れ替わるという現象を目撃した広田は、事件の事後報告もするからと、事情を聴くために夜会おうと約束を取り付けて帰ったのだった。
 真砂子は麻衣のその後を心配していて、明日の午前中は空いているからと、麻衣の部屋に今日泊まる支度をしてきていた。ジョンも一度教会へ行くが今日もナルの部屋に泊めてもらいたいと言うことで、駅前で合流したのである。
「なんにせよ、赤ちゃんがみつかって良かったです」
「ああ」
 無事発見の乾杯をして、広田からその辺の説明をしてもらった。
 ナルが所長室に籠る前に言っていた新聞記事は、母子が行方不明になり、母親の遺体が発見され小学一年生の子供が行方不明のままだという記事だった。母親の弟が同様に行方不明となっており、その弟がある宗教団体に属していたという内容だった。
 ジーンが赤ん坊の母親が目撃したと言って語った週刊誌の記事は、その母子の事件を扱ったものだったのだ。
 広田は、ビールに唐揚げを頬張りつつ、その宗教団体が龍を崇めている新興宗教の団体であると教えてくれた。
「そこにはまって家を出てしまう信者が何人もいて、それを心配した家族とトラブルになっていた。先の事件の弟はまだそこにいたそうだ。無事だった甥っ子には、お母さんはお前を置いて帰ったと言っていたそうだ」
 今回事件に巻き込まれたのは、トラブルを起こしていた家族や脱退した元信者らが集まり、被害者の会を結成しようとするのを手伝っていた弁護士の妻子だった。
 ナルがサイコメトリをして確認したこと。
 赤ん坊がその男の子と一緒にいること。そうして、その男の子がひどくやせ細り怪我をしている様子であること。更に、世話を押し付けられたらしい男の子が、泣き止まない赤ん坊に哺乳瓶を投げつけ自分も泣いていること。それらが、広田らに伝えられたことだった。
 救済を急ぐ必要がある。即日家宅捜索へ持ち込むほどのスピード捜査。そこは、ナルの実績がひそかに役立っていた。表には出ていないし、信じる者も知る者もわずかにしかいない。かつて、大量誘拐人身売買事件で二十人以上の若者の命を救った、その能力を知り信じるものは、警視庁の中にもいたのだ。
 団体が本拠地とする数カ所の建物は警察も把握しており、そこにある車をNシステムを使って逆にたどり、弁護士宅付近に昼前にいたことが確認された。直接の容疑は細かい罪状だったが、夕方早々に家宅捜索に入り、赤ん坊と小一の男の子を保護、母親の遺体も発見したという。
「古川さんも後で合流すると言っていた。担当ではないので現場には行ってないんだが、情報を一通り得てから来ると言っていた」
「いいんですかしら? わたくしたち、ご担当の事件の関係者ですわよね?」
「古川さんはもう別の事件の担当に移ったそうだ。だからもう支障はないと一応本人は言ってるがな。まあ、なんでも、彼は原さん、君の、ファンなんだそうで。俺には理解しがたいんだが、ご縁が持てるなら担当から喜んで外れるとかなんとか・・・・・・」
「まあ」
 両手で頬を隠し、真砂子が視線をそらす。
 直前まで握っていた生中がすでに空だと気づいたジョンが、慌てて飲み物メニューを引っ張りだした。
「なんだかんだ、真砂子を知ってる人はよくいるけど、真砂子のファン、て人は初めて会うね」
 アツアツの唐揚げをつまみつつ、麻衣が言う。美少女とはいえ、霊能者のファンと言い切れる人物はなかなかいないものだ。
「そうですわねえ。若い男性では珍しいですわね」
 ジョンが広げた飲み物メニューを見ながら、真砂子は語る。
「自称ファンだという年配男性は多いですわ。二人きりになろうとするおじさま方は。幸い、マネージャーの叔母が絶対に離れませんの。どんなお偉い方でもね。叔母は、わたくしに何かあれば能力が失われると思っているのですわ。実際どうなるかわかりませんけれど、わたくし、どうせ失くなる能力なら、職業が選択できる大学生のうちがいいと思ってますのよ? ですのに、能力のピークは過ぎたと思いますけれど、まだ枯れそうにはないですし、ガードが固くて男友達の一人も作れませんの。叔母も渋谷絡みは長年のおつきあいですから無害と判断しているようで、こういった時間も作れますけれど。スマホのGPSで監視しているようで、不審に思うとメールや電話が来るんですの。あ、ほら、来ましたわ」
 言っているそばからメールの着信音がする。今日は麻衣のところに泊まるって言ってあるのに! とむくれつつ失礼、と返信を打っている。
「真砂子、生中? 日本酒?」
 自分も生中を空けた麻衣が飲み物メニューを覗きながら尋ねると、熱燗二合! と返事 が来る。ジョンが、ご相伴に預からせてください、と笑顔で言った。
「唐揚げまだあるし、あたしは生中にしよっと。広田さんは?」
「生大」
 ついでに、安原に聞いたミニトマトのベーコン巻きを頼む。日本酒組はホタルイカだ。
「話を戻すが。双方能力者の双子とはいえ、一度死んだ者がそんな形で生き返るなんてありうるのか? まだ多重人格の方が納得いくぞ?」
「その説は事務所でも出たんですけどね。リンさんが言うには、リンさんとジーンしか知らないことを知っているから本当だろうって。ナルに知らせたくないことだったからジーンがしゃべったはずないって。なんかの事件絡みみたいで、なんのことかは教えてくれなかったんですけど。広田さんが帰った後、所長室でジーンがまた出てきて、その時にいくつか確認したって」
「麻衣はリンさんと交代で所長室にいたでしょう? どうでしたの?」
「あたしがいる時はナルだったよ。頭痛いって、結構きつそうだった」
 ナルは所長室のソファで寝込んでいた。意識があれば耐えているが、寝ると呻くこともあるほどつらい様子だった。今朝も具合は悪かった。実際に、ナルの一部が死んでいっているのかもしれない。
 しかし、そんな状態だというのに、二人だけで意識があるとき、ナルは麻衣に言ったのだ。
「和室も、駄目だな」と。
 麻衣は心の中で
(あんたは今なんでもそれかいっ!)
と突っ込んでいた。
 ナルが言うには、抵抗する母親に対し、犯人は馬乗りになって彼女を絞殺した。赤ん坊は、泣きもせずにそれを見ていたのだと。そういった光景は、和室であってもほかのサイコメトリした事件にリンクしてしまうのだという。
(あたしの部屋も駄目、と)
 真砂子が泊めてくださいませ、と言っていたので、ナルにはその時に夜の予定を伝えた。
 ナルは、わかった、とだけ言っていた。その後、リンが車を近くまで持って来て、ナルを連れて帰った。今夜はリンの部屋で様子を見るという。ジョンは、今日は野菜の配達日なので、ナルのマンションに行って配達の野菜を回収してそのまま泊まるという。帰り際、麻衣と真砂子を送って。
(別に、うちで、ナルと、て、今日、て、どっちみち、生理、だし)
 人のことは言えない。自分もすぐそっちに連想が行ってしまうのだから。
「どうしましたの? 麻衣。もう酔いましたの? 仕上げに写真をお願いしますわ」
「おーけー」
 麻衣と一緒だという証拠写真をメール添付して終了であった。
「真砂子も大変だねえ」
「無視すると余計大変なんですもの。もっとも、大変に立ち向かう気になる出会いがあれば別ですわよ?」
「お、駅に着いたって古川さんからメール来たぞ」
「場所わかりますやろか? 一本裏手ですけど」
「大丈夫だろう」
 真砂子は、ジョンから酌を受け、また酌を返す。目が少しトロンとしてきているが、何やら考えているらしい。
「どしたの? 真砂子」
「・・・・・・ジーンの言っていたことを考えていたんですわ。この世に、成仏できずにとどまることが、身内を殺そうとしてしまうほどにつらいと、言っていましたでしょう?」
「うん」
 真砂子は、ぐいっとお猪口を空け、立ち上がった。
「表のおじ様と、お話してきます」
「へ?」
 すたすたと、真砂子にしては大股で歩いてガラリと店を出て行ってしまった。
「表の、守ってるおじさん? かな?」
「害はないんでしょうけど。長くいれば、変質するかもしれませんです」
 亡くなってからさほど経っていなくて、かつ役割を得ているから今はいいのかもしれないけれど。
「まあ、真砂子の判断に、任せよっか、そっちは」
 酔ってはいるが、そこはプロだ。
「それで、ユージーンが、渋谷君を殺そうとした、というのは? 何か、あったのか?」
 広田の問いに、麻衣はごく簡単に説明した。この冬に、ジーンがナルの体を奪って自殺しようとしたが果たせなかったのだと。
「それは、荷物がみつかる前か?」
「荷物?」
 なんのことだと視線を向けられ、広田は気まずそうに言う。
「三月に、ユージーンのトランクが見つかったんだが。聞いてないか? 渋谷君が現地まで取りに行ったはずだが」
 三月。麻衣が湖にジーンに別れを告げに行き、ナルと会った時、か?
「聞いてない・・・・・・」
 真砂子とジョンも知らなかった。
「多分、それよりは前。島の事件のすぐ後のことだから、二月かな」
「じゃあ、その後か。中古のペンションを買った人がみつけたんだ。山腹のペンションで北側が崖下で南側が崖上なんだな。その裏に上の道路から捨てられたらしいゴミがたくさんあって、その中からみつかったんだ。鍵をこじ開けたらパスポートまで出てきたのでおかしいと警察に届け出て、それで俺のところに連絡があった。何かあれば先にこっちに連絡を寄越すことにしてあったんでな。俺から渋谷君に伝えて、受け取る意思があるというので、つなぎをつけた。トランクはだいぶ劣化していたんで、中身だけ受け取ったと、渋谷君からは一応、連絡を貰った」
 それで、ナルはあそこにいたのか、と麻衣は思う。荷物を受け取るために。改めて宿泊地と現場を確認して。
「それが、きっかけになったのかな?」
 統合の。
 死に場所と、遺体の投棄場所、そして、当時の荷物。それらが。
「統合の予知の後、ドイツ出張の前に安原さんたちと話したです。ユージーンは、二つの方向に現れている、と」
 ジョンが語る。
『霊』としてのジーン。麻衣が、湖のほとりで話をしたジーン。真砂子をヴラドの屋敷で励ましてくれたジーン。そうして、島の事件で麻衣とナルが閉じ込められた場所を示したジーン。
 そうして、ナルの内側に閉じ込められているジーン。麻衣のインナースペースに接触してくるジーン、だ。
「もしかしたら、亡くなられはった現場に行ったことで『霊』のユージーンと内側のユージーンが、つながったのかも知れません」
 それが、きっかけになったのかも。
「でも、その『霊』のジーンもそこに残ってたってわけじゃないよ。あたしたちの周辺に出没してるし」
「もしかしたら、三つ目がいたのかも知れまへん。事故現場か、投棄現場か、荷物に残された、地縛霊、が」
 ただ、沈んでいく光景・・・・・・。
 麻衣の目に、その光景が思い出されてくる。ナルが視た光景。湖に投棄され、包まれたシートに閉じ込められた空気が、上へ上へとこぼれていく。何を思うこともなく、ただ、見ていた。銀色のシートの内側から。
 残されていた、ジーンのかけらを。
 荷物と共に、ナルが取り込んだ。
 そんなイメージが、麻衣の頭に浮かんでくる。
「・・・・・・そう。それ、みたい。やっぱり、それが、きっかけだ」
 麻衣の頭に、更にイメージがくる。
 何か、暗いものが、紙袋を手にするナルを取り巻いている。そうして、染みていく。ナルの、内側に。そうして、更に内側へ、薄く広く広がっていく、奥深くへ。
 小さく、火花が見えた。
 ほんの、一瞬だけ。
 更に広がるそこは、すべてにつながっている。麻衣へも、ジョンへも、広田へも。
 その、ナルにごく近い場所で、その火花は視えた。
「・・・麻衣さん?」
「谷山さん・・・・・・?」
 はっと、麻衣は瞬きをする。意識が捕らわれてしまっていた。
「ん、ごめん。・・・・・・大丈夫。多分、それ。荷物、だ。何か、ジーンがこだわるものが入ってたんだ」
 ナルが、一人、宿の部屋で、荷物を見ている。
 選び出し、手にしたもの。
 ・・・・・・一枚の、写真。
 ジーンと、ナルと。
 養父母と。自宅の庭で撮った、写真。
 子供の頃に撮った、家族写真。
「麻衣さん?」
 麻衣の眼から、涙がこぼれ落ちた。
 ナルだ。
 宿で、一人、その写真を見て。
 ナルが、泣いた。
 それが、火花。

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