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ひとり 15

 頭痛がひどい。
 ナルは、じっとベッドに身を横たえていた。
 手の怪我のために貰ってあった痛み止めを飲んでいるのに、ほとんど効かない。息をつめるほどの痛みではなくなったが。
(死んでいっている)
 自分の一部が。
 どんな影響が出るのか。自分が自分でいられなくなるだろうことは理解している。
 それでもいいと、思ったのだ。
(らしくない)
 けれど。
 ジーンと。義父母と。
 家族が。
 分かたれた。
 母親の胎内に芽生えたときから、共にいたジーンが。
 ずっと深く何かを分かち合っていた。もしくは共有していた兄が。
 死んだ。
 ジーンの遺体がみつかった地で、六年も前に投棄された荷物がみつかり。
 その中にあった一枚の写真が。
 ナルに、失われたものを突き付けた。
 自分が何故この地にいるのか。
 この国でのすべてが、彼の死の上に成り立っているというのに。
 仕事も何も、恵まれた環境で。
 それを与えたのが、彼の死で。
 あのアメリカでの日々。イギリスでの生活。
 ずっと、彼の笑顔を、彼の幸せを思ってきたのに。
 彼の死が、自分に幸せを与えたのか。
 写真の、彼が見えなくなって。
 涙がこぼれ落ちた。
 自分が、泣いている。
 失われたものと、与えられたもの。
 これが、現実か。
 ジーンの上着を借りるために入った、ジーンの部屋で。
 上着からジーンの死をリアルタイムでサイコメトリした。
 制御できず、PKを暴走させ、倒れた。
 気づいた時には病院だった。
 彼の死からすでに三日も過ぎていた。
 ナル自身の命も危うかったのに、助かった。
 退院してから見たジーンの部屋。PKの暴走で、壊れたものもあった。
 ベッドサイドの目覚まし時計は、前面を外してあった。
 机の上の写真立てからは、ガラスがなくなっていた。
 写真が入っていない、壊れた写真立てが一つ、あった。
 そこに入れてあった写真が、彼が死んだ地で、みつかったものだった。
 自分の、統合の、予知。
 それを聞いた時。
 じわじわと、心の奥底からあふれ出してきた、歓喜。
 ゆっくりときたので、表に出すことはなかった。自分がそれほどに思うことも、理解できなかった。
 ひどく、困惑した。
 自分の想いなのか、すでに統合が始まっていてジーンの感情が湧き出してきたのか、と。
 けれど、それは、確かに自分の想いだったのだと。
 少しずつ、理解していった。
 そうして、少しずつ、変化は訪れた。
 麻衣が襲われた時に、ジーンが一度体から抜け出して。
 どう作用したのかはわからないが、そこから 急激に統合が進行し始めた。
 体にも負荷がかかってくることは、予想できていたことだ。
 互いの記憶を辿りあうことになるとは、予想していなかったけれど。
 今朝、麻衣に触れた。
 体に触れて、キスをした。
 麻衣は、拒否しなかった。
 ナルと結ばれることに、協力する姿勢を見せている。
 麻衣は、ナルも好きだと、言った。
 すでにジーンとの境界が薄らいでいるナルには、もはやどちらかということはどうでもいいのだけれど。
 麻衣は、ナルと、と、こだわるように言っていた。
 ならば、まだ境があるうちに。
 麻衣を、抱きたい。
 肌をあわせ、あのぬくもりを、得たい。
 一晩眠れば、頭痛はまた少し改善するはずだ。明日は動けるうちにマンションへ戻ろう、とナルは考える。抜糸の日でもあるし、病院だけ行って仕事は休んだ方がいいだろう。
 起きているうちにまた頭痛がひどくなるかもしれないから。
 きっと、明日の晩はジョンが泊まって様子を見ることになる。大丈夫なら、土曜の夜は一人になれる。
 麻衣を、呼べる。
 自身の経験が、障害になるかも知れない。今朝は麻衣に触れている間、記憶との間に壁を作ろうとした。けれど、その壁をうまく作れないうちに頭の中に泥の渦が巻いていって、続けられなくなってしまった。次の約束をするのが、精一杯だった。
 必ずしも、最後までしなくてもいい。
 麻衣は、つきあってくれるだろう。
 土曜の夜、統合はどこまで進んでいるのだろう。
(・・・・・・ごめん)
 ジーンから伝わってくる想い。
 ナルの一部を殺しても、自分も生きたいという。否定できない想い。
(いいんだ)
 ナルが、呼び込んだことでもあるのだ。そう動き出したのであれば、そのままでいい。自分が変わってしまっても。だから。
(ひとりに、なろう)
 二人から、一人へ。
 あとはもう、ジーンからは何も届いてこなかった。
 ナルも、眠りの中へと落ちていった。

「紙と書くものをおかりできます?」
 外から戻った真砂子が、通りかかったおばちゃんに言う。後ろから、たどり着いた古川刑事も入ってきた。
「あいよ、いらっしゃい。こんなんでいいかい?」
 おばちゃんはレジのそばから裏の白い広告を切って洗濯バサミでとめた紙と、鉛筆を真砂子へ渡し、古川にはおひとりさんかい? と聞く。
「あ、私はこちらと一緒で」
「ああ、遅れて来るって言ってたお連れさんかい。席はあっちだよ、飲み物なんにする?」
「生大で」
「あいよっ」
「生中追加お願いします」  真砂子も言う。
「大丈夫かい? そんなに飲んで」
「大丈夫ですわ」
 真砂子は、古川を席に案内する。そうして、自分の席で広告の裏に文字と図を書いた。
 急にそんなことを始めた真砂子に、一同は首を傾げる。
「あいよー、生大、生中お待ち」
「おばさま」
 どかんとジョッキを置くおばちゃんに、真砂子がメモ用紙と鉛筆を返した。
「今、お外で伝言を預かりましたの」
「へ?」
 ジョッキで湿った手で、おばちゃんが真砂子から貸したものを受け取る。
「なんだい、こりゃ?」
「わかりません。こう書いてお渡しすればわかると」
 おばちゃんは紙をじっと見る。麻衣たちが見たのは、カタカナで書かれた『コーセー』という文字と、長方形を四段重ねた絵。四段の内、上から二段目だけ薄く、そこに二重のハートマークが描かれていた。
「誰に?」
「戸口の前にいらした、四十前後のおじさまですわ。背はおばさまくらいで、白髪まじりの髪は短くしてあって、右目の上に古傷のようなものがありました。長らくお店の門番をお勤めだったそうですが、やめるのでこれだけ伝言してほしい、とおっしゃっておられました。・・・・・・先ほど、旅立たれましたわ」
 おばちゃんは、じろりと真砂子の顔を見、真砂子がじっと見つめ返すのを確認する。
「わかったよ。ほかに注文はないかい? 金髪の兄ちゃんは?」
「あ、焼き鳥おまかせをタレと塩ひとつずつお願いしますです」
「あいよっ」
 おばちゃんはメモ用紙と鉛筆を持って、いつもどおりの足取りで戻って行った。
「真砂子、あれは?」
「お店の前のおじさまは、おばさまの前の御主人なのですって。『こうせい』さんとおっしゃるそうです。結婚した時に指輪を買ったそうなんですけれど、おじさまは板前でおばさまも洗い物などをなさるしで、結局、冠婚葬祭の時くらいしか使わなかったそうですの。おばさまはおおざっぱなので、御主人が指輪を管理していたそうで、あれが隠し場所の図なんだそうですわ。ハートの二重マークも、たまに使う時に忘れ物チェック表に暗号として書いていたマークなのだそうです。署名も、おばさまへのメモはカタカナでコーセーと。今の板前さんと再婚されたのもご存じでした。別のお店を構えていらしたそうですが、雰囲気が良いからとそちらを畳んでこちらのお店を生かしてくれたんだそうです。このあたりの組合でご一緒だったので、おじ様もその方のお人柄はよくご存じだそうで、二人のために門番をしていらしたそうです。指輪が気がかりで、上に上がる気になれずにいたから、と」
 麻衣がおばちゃんの姿を探すと、さきほどまでくるくると動き回っていたのに、見当たらない。住居を兼ねたお店のようなので、真砂子のメモを頼りに探しに行ったのかもしれない。
「・・・・・・みつかるといいね」
「ええ・・・・・・」
 おばちゃんは、やきとりと一緒に、日本酒の四合瓶を持ってやってきた。おちょこ五個も併せて。
 もらいもんだけど、あたしからのサービスだ、ありがとよ。と。

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