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ひとり 19

(なんでこんなことに)
 広田が浴衣姿で布団にあぐらをかきながらそう心中で嘆いたのは、東京を遠く離れたとある旅館の一室だった。
 隣の布団には、ナルが眠っている。
 横向きに寝ているために口元に軽くこぶしを握った片手が置かれ、顎先が布団に隠れているものだから、年よりも幼く見えた。
 美少年の寝顔。それも、深く眠っているものだから、無防備感ありまくり。
 こんなのを目の前に放置されては、揺らぐはずのないものまで揺らぎそうだ。
 おまけに、もう片方の手は、別の手をしっかりと握っている。数少ない、この部屋の人物の、だ。
 広田は、逃避するようにぐるりと視線を巡らせた。
 八畳一間。
 広くもなく、狭くもない広さだ。
 床の間もなく、窓側に卓と椅子があるタイプでもない。
 クローゼットの下に金庫があり、上がり口の襖を開ければ一畳に満たない廊下があり、右手にはトイレ、正面には廊下に出る扉がある構造。風呂は大風呂しかなくて、洗面所も共用だ。
(風呂は悪くなかった)
 ガラス張りの屋内からも露店風呂からも背の高い葦が原が見え、さわさわと風に揺れるさまにも風情があった。ヒノキの湯船も年代物で、建物も風呂もあちこち古さはあったものの、手入れに気をつかっている様子がところどころにみえ、悪い感じはしない。
(しかし・・・・・・)
 広田の視線は、部屋のことよりもしっかりと握り合う手へと引かれてひかれて行く。
(まずいだろう、これは)
 なんでこんなことに。
 広田は、頭を無駄に悩ませた。

 風呂から部屋に戻った広田の目に飛び込んできた光景。
 一瞬、部屋を間違えたと思い、次にジョンの姿をみつけ、我が目を疑った。
 ナルと麻衣。
 何故か二人、別々の布団に寝かせてあったというのに、額がつきそうなほど近づいていて、おまけに、手を繋いでいたのだ。
 広田は、小声で部屋に残っていたジョンを非難した。未婚の若い男女が布団でこんなくっつきあっていていいのか、と。
「そういわれましても。気づいたら、こうなってましてん」
 ジョンはそう言い置いて、広田に後をまかせて風呂に行ってしまった。
 部屋はもう一部屋とってあったが、すぐにも休ませた方がいい状態の二人を一緒に寝かせておいた方が見守りやすいだろうと、ジョンと広田で意見が一致した。夕飯の時にでも起こせばいい、そのころには麻衣を一人にしても大丈夫であろう、と。
 しかし、やはり分けるべきだったと、広田は深く後悔した。
 ・・・・・・目の毒過ぎて。


 金曜に、ユージーン・デイビスの遺品が更に発見され、証拠品の状態も良く窃盗の疑いもあることから捜査を再開するという一報が広田の元に入った。ついては、できるだけ早目に遺族の協力を得たい、とも。
 連絡を取った被害者の弟からは、明日にも地元警察へ行くと言って寄越した。なので、広田も仕事を超え、同行することにしたのだった。
 広田は、この春にようやくゼロ班から異動になった。担当検事が代わっても、相方の事務官が代わっても、広田はいつまでも残っていた。異例の長さだった。
 SPRとの貴重な繋がりが異動を妨げていたと、広田も思う。彼らの実績、更にその所長の正体と警察でも内密になっている実績の数々。
 この窓口たりえるのが、広田だったのだ。
 しかし、昨年度赴任してきた若い検事がSPRと過去に縁があり、彼らとのつきあいを検事自らに引き継ぐことができた。そうして今年、広田はようやく、異動することができたのだった。
 それでも、古い案件は前職場から聞かれることがあるし、検事が忙しい時には「ちょっと頼む」と広田の上司の検事をも通して手伝わされることがある。先日の赤ん坊のおしゃぶりの件もそうだったし、今回もそうだった。
 今回の話が来たのが、金曜日。どうにも気になった。それに、ちょうど週末。行ってみるか、と交通費自腹を覚悟したものの、車で行くというので同乗させてくれと頼んでみたらあっさり諾と返事が来た。
 リン経由で待ち合わせ場所と時間を指定され、翌朝そこに現れたのは、運転手にナル、助手席にジョン、そして後部座席に麻衣という大所帯だった。
 しかし、ナルと二人きりという状況と交通費自腹を量りにかけてぎりぎり貯蓄を優先することにした広田としては、歓迎する状況ではあった。
 更に大所帯になった事情を訊いて、歓迎というより大歓迎だ、と考えを変えた。
 ジョンは一応日本でも運転できる免許を取っていたが、交通ルールに自信がないという。
 麻衣はペーパードライバーで、広田も同様だった。
 ナルは運転を負担には思わないらしく、誰のアドバイスもなく首都高を通過し高速を北上して行った。
 運転するナルは、ほとんどジョンとしか話をしなかった。
 元々無駄話をする男ではない。リンよりは話をするが。
 後部座席と話をしないのは、日本語がうまく話せない状況であるからなのだと、ジョンが説明した。
 そのため、通訳としてジョンがついてきたのだと。麻衣も英語は通訳ができる程度に話せるので、予備要員としてナルが連れて行くと言って半強制的に乗せられてきたのだという。広田は通訳できるほど英会話をこなす自信はないので、助かった、と思った。
 しかし、麻衣と話がはずむわけでもない。麻衣は、じっとナルとジョンの話を聞いていた。広田もすることもないので、それを聞いていた。
 ナルとジョンは、英語と日本語で聖書を暗唱していたのだ。
 ジョンが英語で何の何章、というと、ナルが英語で暗唱する。数節ごとにジョンが交代して日本語で暗唱する。それをずっと、繰り返していた。
 麻衣は、聖書と英語の勉強。ナルは日本語回復のため、らしかった。
 SAで一回休憩を取ると、今度はナルとジョンが言語を変えた。ジョンが何の何章、と英語でいうのは変更ないものの、今度はナルがラテン語を話し、ジョンがドイツ語を話した。
 ラテン語は、広田と麻衣はかけらもわからない。時々、お互いに訂正しあっていることがあるので、ナルはラテン語、ジョンはドイツ語の勉強ということらしかった。
 そんなわけで、後半は二人とも居眠りし、東京から四時間近くかけて遺品を預かる警察署についた。
 日本語なら、と、ここでは広田が前面に立って手続きをした。相手も、外国人相手は気が引けていたし、ナルも面倒なのか広田にまかせてくれたので。
 ジーンの遺体から、指紋はとれなかった。トランク内部からは複数指紋がみつかっていたが、鍵がかかっていたので犯人の指紋は期待できなかった。しかし、今回は財布から札が抜き取られている。荷物に犯人か関係者が指紋を残した可能性があった。
 ナルは、母国に連絡をしてジーンの指紋を取り寄せてきていた。
 ジョンと麻衣の通訳によれば、二人の能力を研究する過程で、双子という点に注目した研究者が様々な比較をするために指紋もとっていたのだという。指紋も掌紋も、二人は百%近い一致率だった。
 すでに、荷物から指紋の採取作業はされていた。多いものがジーンのものであるとは、取り寄せた指紋ですぐに判明した。ナルのものも混ざっていたであろうが、それについては判別の必要なしとされた。荷物を検分したナルが、日本で購入したと思われる物品を選ぶ。
 それらに、ジーン以外の指紋で共通するものが、あった。
 今後、大量の警察が持つ指紋データと照合されるという。いくつかの証拠品を残し、荷物の一部がナルに引き渡され、警察署での手続きは終了した。
 ナルが、みつかった場所を知りたがったので聞き取り、警察署を出ると、そこへ向かった。
 眼下に、あの湖が見える。そんな山中。
 車を停め、ガードレールの下を見ると、崖と言ってもいいような急斜面の下にペンションが見え、その向こうに湖が見えた。
 景観が良く、反対側の山の形状から車幅が少しだけ広くなり、路駐が可能な場所。
 知る人ぞ知る絶景ポイントなのだろう。おかげで、ペンション裏にごみを投げ込まれることにもなるのだ。
 ナルはそこをざっと見ただけで、景色に感嘆する一同に構わず、さっさと車に戻る。エンジンをかけられてしまって慌てて三人が乗り込むと、更に市街から離れて行った。
 ところどころバス停があり、小さな集落や観光名所らしき滝などの案内もあった。
 それらを無視して、荷物の投棄場所から更に車で二十分ほど進んだ先で、ナルが車を停めた。
 身通しは良いものの幅は広くないため、ぎりぎりまで路肩に寄せ、大型車が通れる幅を確保して止める。おかげで、左からは降りられず、ジョンと広田は右側から降りた。
 ナルは道を歩いて戻って行く。その少し先は、見通しのあまりよくないカーブだった。カーブの形状もやや急で、崖っぷちのカーブミラーの周辺には、危険を促す看板が乱立している。
 早足のナルに遅れて三人が続いていたが、カーブの先にナルが消え、ミラーにその姿が映るのを視た麻衣が、急に立ち止まった。
「麻衣さん・・・・・・?」
 麻衣は、ミラーに映る姿を見ている。
 ナルが、少し行った先で立ち止まり、周辺を検分している。
「・・・・・・あそこが、事故現場だ。・・・・・・ジーンの」
 その後のことは、広田にはよく理解できなかった。
 ナルは、しゃがみこんでアスファルトを手で触れてみていた。麻衣が近づいて行くと、何か英語で呟き、立ち上がった。
 そうして、広田にもわかる簡単な文節の英語で、状況を説明した。
 曰く。
 このすぐ先にスキー場に近い村がある。
 そこにはいくつか宿がある。
 ジーンはそこに泊まった。
 村がバス停の終点である。
 一つ手前のバス停には滝がある。
 バスの本数は少ない。
 ジーンが宿を出た時、バスが出たばかりだった。
 彼は歩くことにした。
 トランクを引きながらこの道を下って来た。
 そうして、ここで事故に遭った。
 古すぎて、この場所はもう事故を覚えていない。
 見えるのは嵐などばかり。
 場所がわかったのは、ジーンの記憶を拾えたからだ。
 と。
 語り終えたところに、車を停めた方向から一台の乗用車が現れた。音が聞こえていたので、四人は道の端に避けていた。
 車は、彼らのすぐ脇を走りぬけて行った。
 ナルは車が進む先を見ていた。
 麻衣は、迫る車を見ていた。
 車が通り過ぎた後。
 麻衣が、膝をついた。
 そのまま倒れかけた麻衣を、近くにいたナルが抱き留める。
 その腕の中で。
 麻衣はぼろぼろと泣き始めた。
 そうして、途切れ途切れに語った。
 最初の怪我は、ぶつかった足の骨折と、吹っ飛んで着地の際に滑った頭や体の打撲や擦り傷程度だと。痛みで動けず、頭の出血がひどかったために、運転手は動揺したのだろう、と。
 轢き直された時、首や肺、内臓などをやられた。
 運転手は女性だった。遺体の処分を主導したのは、同乗していた男だが、轢き直したのはパニックになった女性のとっさの行動だった。
 ガレージで遺体を銀色のシートにくるみ、トランクに積み直し、湖へ向かった。
 男は、ボート乗り場のフェンスにある出入り口の南京錠の鍵を持っていた。
 夜間は全く人気がないそこからボートへ遺体を移し、湖へと漕ぎ出した。
 男は、ボート乗り場に放置されていた古いイカリを一緒に積み込み、ジーンの遺体に結びつけ、敢えてシートに傷をつけ、イカリを重しに遺体を湖に投げ込んだ。
 そう言って、麻衣はナルにすがりついて大泣きした。ナルは、黙ってアスファルトに座り込み、麻衣を抱き寄せていた。
 観光客がボートをこぎ出す範囲での投棄。
 ジーンの遺体はひどく傷ついていたし、シートに傷をつけたことで遺体から出るガスが抜けやすくなっていたので、その程度の重しでも浮上することはなかったのだろう。
 男は、湖のボート乗り場の関係者なのか、死体がどうなるかも熟知しているし、湖に近いところで働くか住むかしている可能性が高いと思われた。
 更に数台、車が行き来した。
 麻衣はなかなか泣き止まず、ナルがため息を落として、麻衣を抱き上げた。麻衣は少し暴れたが、それでも泣き止めずナルの首にすがりついて泣き続けた。
「ジョン。宿はすぐそこだ。運転を頼む」
 車に向かいながら、ナルが日本語で言った。
 後部座席に二人が乗り、広田は助手席に移った。
 チェックインが始まる時間だったのでそのまま宿に向かったが、近すぎて麻衣が泣きやむ間もない。駐車場に車が着くなり、宿の人が迎えに出て来て、大泣きしている麻衣に何事かと不審そうな目を向けてくる。しかし、泣きながらもナルにしがみついていたので、男どもが悪いわけではないとはすぐ理解してくれたようだった。おまけに、ナルが前回トランクの荷物を受け取った時にも宿泊していたようで、その美貌のせいか宿の人間が二度目の宿泊だと思い出してくれた。何軒もある宿の中、立派なホテルや旅館もあるのに自分たちの宿に再び現れた超絶美形。しかも、新客を連れてだ。一気に好待遇になった。
 亡くなった身内の事故現場を見てきたのだと説明すると、女将が気を利かせてすぐに布団を用意してくれ、熱いおしぼりとタオルもたくさん持って来てくれた。
 一人にできなかったので、いったん麻衣を男部屋に寝かせた。
 落ち着いたらお風呂もいいし、裏の葦が原を散歩するのもいいですよ、と言って女将は去って行った。
「僕も少し休む。風呂に行ってくる」
 ナルはジョンと広田に麻衣をまかせて風呂へ行き、戻ってくると宣言どおり、さっさと布団にもぐりこんだ。麻衣の隣りに。
 男部屋には布団が三枚敷いてくれてあった。麻衣は端っこに寝ていた。反対端に寝るかと思ったのに、隣りに寝るとは、と広田は少し驚いた。
 風呂には誰もいなかったと聞いたので、空いている内に、と広田も風呂へ行き、戻ってきたらそんなことになっていた。
 結局、目の毒すぎて、広田は一旦ロビーに降りて自販機でビールを二本買って戻った。とても、飲まずにこの場にはいられない。
 風呂から戻ったジョンは、広田の心中を察したのか、とがめることもない。
「このところ体調を崩してたのに、一人で四時間も運転しはったんですから、寝かせておきましょう」
 ナルも麻衣も、相変わらず手を握り合ったままぐっすりと眠っていた。ジョンが二人の様子を確認して、ナルの怪我をした手が少し熱を持っているから、と、宿の人に保冷剤を貰いに行き、枕元に置いていた手にそれを握らせて一緒に借りてきた手ぬぐいを使って手当をする。それが終わると、おつきあいさせてもろても? とにこやかに言うので、広田はもう一缶のビールをジョンに手渡した。
 きっと、ジョンも心中は同じだったのだろう、と。


 夕食を早目の六時に設定してあったので、その少し前に二人を起こす。
 ナルは寝ぼけながらも、ここの夕食は牛ステーキを小鍋で目の前で焼くのでその匂いが消えた頃に行く、と、また布団をかぶってしまった。肉と魚は食っていい、と。
 麻衣は起き出し、握りあっていた手を特に気にするでもなく離した。そもそも手を握り合っていたことに気づかなかったようだ。
「あたし、お風呂入ってから行く。先に食べてて」
 夕食の途中に麻衣とナルがそれぞれ遅れてやって来て、ナルはサラダとごはんと煮物を少しだけ食べた。
 ジョンも刺身は食べないというので、広田と麻衣は刺身を二人前ずつ。ナルの三切れの焼き立てステーキはジョンが食べた。
 酒を飲まなかったナルは、デザートを待たずに出かけてくる、と言い出した。
「もう七時過ぎだぞ?」
「ジーンが湖に投棄されたのは、夜の九時頃らしい。薄曇りの晩だが、満月が山の間から見え始めていた。幸い今日も満月だから、見てくる」
 初めからそのつもりだったのだろう。ナルは浴衣から着替えて夕食に来ていた。
 投棄された状況を確認したいという気持ちは、わからないでもない。荷物の投棄場所や事故現場も確認していた。遺族の行動としては、あることだ。しかし、それがナルの行動となると、広田には少し、違和感が感じられた。では、これはジーンの意図する行動なのか、と考え直す。それとも、この男も双子の兄相手ならそこまでするのだろうか? とも思う。すでに、ジーンを殺したのはナルだ、という考えは消えてしまっていた。
「あたしも行く」
 麻衣が、さっと立ち上がった。車の鍵も財布もって来ていたナルに置いて行かれまいと、三人の反応も待たずに動き出す。
「五分で行くから、ロビーで待ってて」
 そう、ナルに声をかけて。
 あまりの素早さに、ナルが何を言い返す間もなかった。ナルのそんな唖然とした様子に、広田は軽く噴き出した。ジョンも笑っている。
 ナルが、席を立ちかけたまましんねりと二人に視線を寄越し、けれどやはり何も言えずにため息を落とし、ようやっと立ち上がった。
「できるだけ早く戻る」
 そう言い置いて行った。
 結局、二人が戻って来たのは十時近かった。念のため戸を閉めないでほしいと帳場に頼みに行った広田とジョンは、既に話を聞いているという女将に湖まで車で一時間程度かかると教えてもらっていたので、おおよそ、予想どおりの時間だった。
 広田とジョンは、お互い、色々な話をぼそぼそと語り合いつつ待っていた。四合瓶の日本酒を傾けつつ。
 麻衣は直接部屋へ帰った、と告げ、ナルは寝支度にかかる。
「・・・・・・おまえも呑まないか?」
「まだギリギリルームサービス頼めますよ? ビールなら自販機もありますですけど」
 ジョンがパウチされた酒のメニュー表をナルに向ける。ナルは、着替えながら視線を寄越した。飲む気がないわけではないらしい。
「日本酒はにごりも吟醸も近県のが数種類ずつありますです。ワインも。ビールも近くの醸造所のがありますですよ」
 にっこりとジョンが説明する。こいつは呑兵衛だな、と、広田はジョンの認識を新たにした。
「・・・・・・冷酒。辛口」
「ほな、明日残らんように少しええのいきまひょか」
「まかせる」
 ジョンが言うには、すっきり系のいい日本酒は二日酔いになりにくいのだという。つまり、悪酔いしないということだ。
 実際、こんな旅の時にハズレの酒など飲みたくはないだろう。
 残ったら持って帰ればええですし、と。ジョンが豪快に一升瓶を頼む。四合瓶もあるのに何故一升瓶!? と、広田は驚いたがナルは全く動じていない。
 部屋は素朴だが、食事は良かった。その分差引でそれなりに普通な一泊料金である宿代よりも高い酒だった。
 一升瓶と大き目のお猪口三つが届けられた。ジョンが麻衣に日本酒どうですかとメールを送ったが、寝るのでいいと返事がきた。
 そう伝えると、ナルはつぎ分ける時に部屋にあったコップにも半分ほど注がせ、置いてくる、と届けに行き、手ぶらで戻ってきた。
 広田は酒はつきあいの範疇で飲むだけでこだわりはないのだが、うまいということだけはわかった。
 ナルとジョンはペースも早い。ジョンはすでに風呂上りにビール、食事中にもビール、食後に広田と日本酒四合瓶を空けているというのに。
「渋谷君、明日も運転手をお願いするしかないんだ、ほどほどにしてくれ?」
「十一時には切り上げる」
「それがいい。十一時以降飲むと朝残ると言われている。運転手にそれ以降飲ませてはいかん」
「じゃあ十一時までに空かなかったら二人でなんとかしまひょ」
「持って帰れるから一升瓶って話じゃなかったか?」
 あえて、今回の旅の中身や湖での話はせず。時間で部屋飲みは切り上げられた。
 翌朝、九時過ぎには宿を出た。広田の要望で、遺体が発見された湖に寄ってもらう。
 ナルが犯人と顔を合わせるわけにはいかないし、ジョンも姿が目立つ。麻衣を危険にさらすことになってもいけないので、広田だけ車から降り、麻衣の言うボート乗り場を確認した。準備していた従業員に尋ねると、四〜五年前に経営者が替わっており、それ以前の従業員は誰も残っていないということだった。
 まだ開けたばかりだったせいか、受付のところに南京錠もあった。それは、まだ真新しく。聞けば周辺は夜間全く人気がなくなるためにいたずらが多く、シーズン中だけでも何度も壊されることがあるのだという。
 広田は車に戻りながら、ならば時期が特定できるだけに従業員の人数も絞られる、と考えた。
 帰路は、あまり会話もなかった。高速を降りるとまずジョンが教会近くで降り、次に広田が待ち合わせ場所で降ろされた。麻衣は、ナルと部屋が近い。
「お疲れ様でした。また」
 麻衣はそう言って、広田が降りた時に一度車を降り、助手席に乗り直した。
 半分仕事ではあったが、土日のことでもあり。
 同行者三人の、これまで見たことのなかった様子も見れたし、話もした。
 少し、気心が知れて。
 まあ、悪くない旅だった、と広田は思った。

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