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ひとり 21

 広田を降ろして、再び出発した車。
 ナルと、麻衣の、二人きり。
 しばらく、沈黙が続いた。
 麻衣は、今日はワンピースを着ていた。
 ゆったりとした、七分袖のワンピース。
 丈は長めで、色は濃紺。カジュアルな雰囲気のある素材で、前が胸の下で少し絞ってあるだけで後ろは肩から裾までストンとしている。スニーカーでも違和感はない。
 本当は、服に合わせた大き目のネックレスを用意してあったのだが、首に下げる気になれなかった。
 話をする気にも、なれなかった。
 喪服を着ているような、そんな気分だった。
 昨夜、湖に行くというナルに無理やりついていった時。
 急いでいたので、畳んだまま出してあったその日着ていた服を着直した。
 湖までも、ほとんど話はしなかった。
 あの、まざまざと見た事故の状況。
 霊の記憶。
 そこには、ジーンがいた。
 残滓、だと思った。
 ほんの欠片。
 けれど、確かに、ジーンは、そこにいた。
 そこで、待っていたのだ。
 ナルを。
 その、ジーンの記憶。
 繰り返し繰り返し。事故をひたすら繰り返して思い返してきたのだろう。
 六年間も。
 麻衣が泣いているうちに。
 欠片は、ナルの中に還ったようだった。
 そうして、湖で。
 麻衣は、再びジーンをみつけた。
 自分はこの下にいる、と、訴えるように。
 湖面に立つ彼は、遺体が回収されていることを知らないのだろうか。
『あれが、最後』
 ナルが、ひと言呟いた。
 湖面のジーンは、満月の月明かりの中に溶けた。
 麻衣は、ナルの中に還ったと感じた。
『あれが、最後?』
 麻衣が呟くと、
『ああ』と、ナルが湖面から視線を移した。
 フェンスに取り付けられた扉の南京錠に。
 まだ新しいらしく、月明かりに光って見えた。
 ナルが、麻衣の手をとった。
 手を引かれて、麻衣はナルの後について、湖を後にした。
 駐車場には、ナルの車しかなかった。
 ナルは、車の後部ドアを開け、麻衣に入るよう促した。
 麻衣が入ると、自分も続けて入って、ドアを閉めた。
 そうして、ロックをかけた。
 フロントガラスから、湖が見えた。
 ナルが言った。
 約束の、土曜の晩だ、と。
 麻衣も、言った。
 そうだね、と。
 ナルからのキスを、麻衣は受けた。
 前回のような、長いキス。
 ナルの唇は、冷たかった。
 少しだけいいか、と。ナルが訊き。
 いいよ、と、麻衣が返した。
 ナルは、麻衣に温もりを求めた。
 麻衣は、ナルの頭を抱いて。素肌の胸でその唇を温め。
 ナルは、麻衣の体で、冷たくなっていた手を温めた。
 温まったナルは、続きは明日、と言い。
 さらしていた素肌を隠しながら、麻衣は、うん、と言った。

 車は、麻衣のアパートに寄ることなく、ナルのマンション近くの駐車場に納まった。
 陽は、西へと傾いていた。

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