扉を抜けて、二人きりになって。
ナルが、再び長いキスをした。
麻衣の腰を抱いたまま顔を離し、とまどうように見つめ合う。
「明日までの、予定は?」
「・・・・・・明日、午後は学校」
「泊まれるか?」
「ん」
「できれば、セックスするつもりだが」
「ん」
「o.k?」
「ん。o.k.」
大学で、英国留学歴のある講師があちらの話をしてくれたことがある。日本のように雰囲気でなだれ込み、同意をとらないようなことはしないのだと。互いの完全な同意の元、性的関係に至る。性教育のレベルが違う。
一人で処理するのも当たり前なら、二人でするのも当たり前、ただし、同意は必ず得る。性的なものは当たり前の本能で、隠すものではない。なんと、ピルもゴムも無料で手に入るというのだから、まったく違う。望まない妊娠による困難や悲劇を避けるためになされているという。地域や宗派によって違うところもあるそうだが、ナルも、そういった教育を受けているのだろう。
「途中でも、嫌なら中断するから言ってくれ」
興醒めな感じもしないではないが、知識があったので大切なことだと納得できる。
「ん。ナルも、無理しないでね」
「ああ」
「いつでも、機会は作るから。生理中以外だけど」
「ああ」
確認すると、ナルが体を離した。
そうして、軽く唇にキスを落とす。
「まずは、お茶でも」
ナルの意外な物言いに、虚をつかれた麻衣はクスリと笑う。
「ナルが淹れてくれるの?」
「今日のところは」
ナルがお茶の支度をしてくれている間に、麻衣は洗濯機を借りに行った。二泊の予定ではなかったので、予備に用意しているものもあるが、足りないものもある。濡れたタオルなどもできれば洗ってしまいたいと実は思っていたところ、使っていいとナルから申し出てくれたのだ。
(以心伝心? てことにしとくかな)
自分の分は後で洗うと言う。タオルくらい一緒に洗おうかと聞いてみたが、宿のタオルは置いて来たのだという。ホテルと違って持って帰ってよいのだと、そもそも知らなかったらしい。
(ナルって、ジーン探してたくさん泊まり歩いてるはずなのに。もったいないなあ)
ほとんどはホテルだったのだろうけれど。麻衣は、洗面所のタオルをみて、温泉宿の名前だらけのタオル置き場を想像してほくそ笑みつつ、乾燥機能つき洗濯機をセットした。
麻衣がリビングに戻ると、ナルがお湯を注いでいるところだった。
手伝おうかと近づくと座ってろと言われ、麻衣はおとなしく二人掛けのソファに腰を下ろす。
濃紺のワンピースは丈も長めで、座っても膝は見えない。襟元も伸びる素材の楕円に頭を突っ込む形で大きく開いているわけではなく、色気のかけらもない。
(かわいいと思って奮発して買ったんだけどなあ)
後ろがストンとしているのが気に入ったのだが。そもそも、色気を狙ったわけではなかったのでやむを得まい。胸の位置で前が切り替えてあるので、胸のなさが目立たないところも気に入った理由だった。
(英国の人たちとくらべたら、小学生・・・・・・)
背も低い。胸もない。尻もない。
やせているからとうらやましがられることもあるが、色気につながるものはことごとくないないづくしだ。
(かろうじて、ウエストの凹だけはある・・・・・・)
胸と尻が出張っていないとあまり意味はないが。
「どうした?」
気づけば、うつむいて落ち込んでいた。
ナルがガラステーブルに来客用のカップを麻衣の前に置きながら尋ねてきた。
「いや、なんでも。ありがと」
向かいの一人掛けに座りながら、ナルが麻衣をうかがう。
「・・・・・・暗い」
「う・・・・・・。いや、その、この後のこと考えて暗いわけじゃないから」
「理由は?」
黙っていては、ナルがマイナス方向に向かってしまう恐れもある。ここは正直に答えるべきか。
「・・・・・・ナルは、やっぱり、、、ぐらまーな方がいい!?」
「・・・・・・」
勢い込んで訊いてみたら、ナルが呆れた様子で見返してきた。
「いや、ほら、男の人って、大きい方がいいって・・・・・・」
自分の真っ平に近い胸を手で押さえつつ言ってみる。
「・・・・・・どちらがいいとも特に思わない。僕は麻衣を抱きたいので、麻衣のサイズでいい。気にするな」
「うう・・・・・・わかった」
微妙に自分で納得いかないが、麻衣にとって悪い回答ではない。気をつかっているのかもしれないが。
(気をつかってる?)
それは、ナルだろうか?
ナルを見返した。
ナルは、麻衣に勧めてから自分のカップを手にする。
姿は、ナル。ナルそのものだ。
けれど、ナルはそんな気の遣い方をしただろうか?
視線が合う。
ナルは、麻衣の思いを正確に読み取っている。ほんのわずかだが、表情がやわらいだ。
「僕が今どちらなのか、気になるか?」
麻衣は、少し考え、うなずいた。
「メインは『ナル』だ。だが、自分でも、自分ではないと感じることがある。今も感じた。まだ、ジーンとは完全には一人になれていないけれど・・・・・・『ナル』だけではなくなっている」
「違和感ないんだ?」
「案外ないな。支障はあるが。頭痛もするし、仕事は進まないし、な。早く終わった方がいいと思っている。だから、ただ、なるようにまかせている。・・・・・・麻衣は、いいのか? 中途半端な状態の僕が相手でも」
「ん。それに、ナルだけだったらこういう進展なかったと思うし。ジーンは、もしかして慣れてるのかな?」
「あいつはそれなりに遊んでいた。じゃれ合う程度だったようだが。・・・・・・こっちに来て、少し遊びが過ぎた、かな?」
ナルが、指先をこめかみにあてて探るように言う。
「まあ、そういう記憶も、今は悪くない。僕だけだと、いい記憶がないから。麻衣は嫌かもしれないが」
「うーん。まあ、浮気とかじゃないし。二股とかだったら許さないけど」
麻衣と出会う以前のジーンの話だ。
「あちらでは複数とつきあっていたことがあったな、ジーンは。深い関係ではなかったが」
「ああ、そう・・・・・・」
「僕はないぞ。面倒だったし」
「うん。でも、今回は、・・・・・・面倒じゃないの?」
「ああ」
麻衣は、問いかけを途中で変えた。
そういえば、麻衣を抱きたい理由を聞いていなかったと気づいたのだ。
けれど、自分を何故抱きたいのか、を、今は、訊かない方がいい。そう思った。
数々のトラウマを超えて、女を抱く気になった。麻衣なら抱けると。
そのために自分が利用されるだけ、なのかもしれない。
今は、知らない方がいい。
初めては、ナルがいい。そう、自分が思うのだから。
ナルも、自分を選んでくれたのだから。
麻衣は、お風呂、入りたいな。と言ってみた。
ナルに促されて、洗面所へ向かう。
麻衣はまっすぐお風呂場に行って軽くシャワーで湯船を流すと、栓をしてお湯を出した。結構、いい勢いで出る。温度もすぐ適温になったし、大き目の湯船だが、すぐに入れるだろう。
洗濯機はまだ稼働中だが、下の下着だけなら、余分がある。荷物を取りに行くと、ナルが寝室から着替えを持って現れた。
「着替えは、Tシャツくらいしかないけど?」
「下着は余分にあるから十分だよ、ありがと。てかTシャツ持ってる!?」
「・・・・・・ルエラが送ってきた。部屋では着てる」
Tシャツナルが想像できない。ナルは憮然としつつ、カップを持って流しへ行ってしまう。
麻衣は、自分の荷物を漁ってみる。
まだ夕方なので、パジャマは不要だ。貸してくれるというTシャツだけでは色っぽくなりすぎてしまうので、パジャマズボンだけは自分のものを使うことにする。パジャマを仕分けようと出したところ、ポトリと、衣類ではないものが落ちた。
(うおっとぉっ)
綾子に買ってもらって念のため持ってきた、ゴム製品である。
麻衣は慌てて拾ってパジャマズボンの間に突っ込み、下着を荷物から出してパジャマの上を仕舞った。
(いつ、使うか、わかんないし・・・・・・)
とりあえず、身に着けていた方がいいだろう。
(でもって、ブラは・・・・・・省略、かな)
セットブラは使い尽くした。勝負下着は昨日一応車で見られたが、暗かったのであまり意味はなかった。昨日の日中も大泣きして変な汗をかいたし、それを着替えた後に出かけたものだから、勝負セットでもやはり変に汗をかいてしまった。
接触されるかもしれないときに、汗臭いブラをするよりはない方がマシだと言える程度に、不自由のない胸である。
「じゃ、お風呂借りるねー」
着替えを持って、洗面所へ行く。湯の様子を見ると、まだ湯は半分にもならないが、麻衣の身長ならば身を横たえれば十分浸かれるだろうと思い、給湯を止めた。
洗面所に戻ると、ちょうど、廊下側の戸をナルが開けた。
「足りないものや場所がわからないものは?」
「んー、大丈夫だと思う。こないだ真砂子と一回泊まった時にシャワー借りたしね。シャンプーとかも男物ってわけでもないし。借りちゃうよ?」
「ご自由に」
ナルは、戸を閉めようとし、けれど、少し考えてまた開けて中に入ってきた。
「少し・・・・・・」
それだけ言って、近づいてくる。麻衣は、おお、と思いつつ待ち受けた。
洗面所も浴室も窓がないので、明かりがついている。
先日、ナルの寝室で触れられた時は、カーテンも引いてあったし、まだ夜明けでかなり暗かった。
昨夜は、街灯はあったもののその明かりは車中まで多くは届かず、よくは見えなかったはずだ。
(これは、丸見え、だなあ)
勝負下着のかいはあるが。
しかし、かぶるタイプのワンピースは、こういった時微妙だった。
(しまった。そこまで考えなかった)
抱き寄せられて、ナルの手がスカート部分を引っ張るのを感じながら、麻衣は思う。
バンザイで脱ぐしかない。なんとなく、どうせ剥かれるなら上からというイメージなのに、首回りは胸までは開かない輪なので、下からめくられていくしかない。
(もうちょっと、考えれば良かった・・・・・・)
予定では、このワンピースはコトがあった翌日の衣装のはずだったのだ。
ナルは、焦らして脱がすつもりはないらしい。麻衣はナルの動きにあわせて、おとなしくバンザイして脱がされた。そうなれば、上下の勝負下着のみ、だ。
脱がし終える間もなく、ナルが麻衣を抱き寄せる。
腕が抜けた時には、すでにナルの腕の中だった。
ナルはまだ、全く脱いでいない。これまでもそうだった。少し、ずるいと思った。
だから、麻衣はナルの背にまわした手で、ナルの服を軽く引っ張る。ナルは、軽く麻衣の素肌の肩をなでると、少し離れて麻衣の顔を見てきた。
「脱ぐ、か?」
「・・・・・・うん」
ここで脱いだら、このまま進行してしまう。そこまで考えての行動ではなかったのだが。
(やっぱ、ずるいよ)
麻衣は、両手でナルの襟元に手を伸ばした。
ジーンが混じっているのなら、ナルの求めを拒否してはならないという真砂子の助言を気にしなくていいのかもしれない。しかし、メインはナルのはずだ。下手に拒否にチャレンジするよりは助言に従った方がいいだろう。
ボタンを外しにかかると、ナルも自分のベルトをゆるめにかかった。
ボタンを確認しつつ、麻衣はナルの顔をチェックする。
照明のせいなのか、顔色はあまりよくなかった。
大丈夫じゃないかもしれない。本人も不安は持っているのだろう。
「お風呂は、大丈夫なの?」
あえて尋ねる。不安を共有するために。
「バスは視たことがない」
その割には、表情が固い。
(お風呂と殺人といえば、解体現場だなあ)
明かりを消してくれとは頼めないな、と。
そう考えつつ、麻衣はナルのシャツのボタンを外しきった。
ナルが自分で袖を抜いてシャツを脱ぎ、衣類を減らしていく。
「手首の傷は?」
「多少痛みはあるが、支障はない」
なんの支障だ。
運転は手がすべるからと素手だったが、昨夜も傷痕が熱を持っていた。既に抜糸をしているので傷は塞がっているが、利き腕の手のひらにわたる傷だ。ジョンが、サポーターか包帯で保護した方がいいと勧めていた。
(あとで、巻いてあげようかな)
風呂のあと、か。その、あと、か。
麻衣も、もそもそと背中のブラのホックを外した。
なんとなく、互いに正面からは角度をずらして肌着を脱いで。
先に、麻衣が風呂場に入った。
(やはり、勘違いではない)
ジーンとの統合による副作用。ナルの頭痛とPKの軽度の暴走。
これが、麻衣に触れると明らかに和らぐのだ。
事故現場で泣き崩れた麻衣を抱き寄せ、湖の駐車場で身を寄せた。
頭痛とPKを制御する緊張が解けて、眠気とだるさがやってくる。
おかげで、宿に着いてから熟睡したし、湖から戻って酒を飲んだ後も安眠できた。
睡眠時間を稼いだおかげか、今日は朝からかなり調子は良かった。
しかし、さすがに体調不良からの二日連続長時間運転がきいたのか、マンションに着く頃に頭痛が戻ってきていた。PKの制御もやや怪しい。
麻衣が風呂に入るというので好きにさせようと思ったのだが、明らかに始まった頭痛と制御が緩む感覚から、試しに、と麻衣に身を寄せてみた。
夏の外気から冷房の中に入った時ほどに極端に、それは和らいだのだ。
ナルは、湯につかる習慣がないので部屋の風呂に入ったことはなかった。
けれど、今日は、湯船に入り。
麻衣を、抱き寄せた。
素肌が密着する分だけ、頭痛も和らぎ、緊張も解けた。
それだけで安らいで、いい気分になれたので。
性的な行動に出る気にはなれない。
ナルの緊張が緩む分だけ、麻衣の緊張が高まっているようで。
ナルはいじわるく、麻衣の肌を軽く撫でつつ、その柔肌に満足していた。
行動に出る気はないが、体はきちんと反応していたので麻衣が緊張するのもやむをえまい。湯船で密着していれば、当然、麻衣の体にも触れてしまうのだ。
「まだ、しない」
言葉にしてやれば、麻衣の緊張が少しやわらぐ。
ここでは避妊もできないし、と思ったところで、ナルは失態にようやく気付いた。
(避妊具がない)
気づいてすぐ、ナルは今夜のセックスは諦めた。それはそれで、気が安らぐ。ただ、触れ合うだけで満足だ。
(頭痛もとれるし)
ナルとて、性的なものへの嫌悪があっても体は幸か不幸か正常だったので、溜まるものは溜まる。けれど、これまでのそれは、やや手間のかかる、単なる必要な排泄行為。
嫌悪する行為とは切り離していた。
そうして、自分がする行為と、サイコメトリでの経験も切り離せている。
けれど、他人から向けられることに対する嫌悪はどうにもならなかった。
しかし、麻衣へはそもそも自分の気持ちが先行していたせいなのか、麻衣からの気持ちは、嫌悪につながらなかった。
麻衣なら、抱ける。
18歳以上の方は続きをどうぞ。読まなくても全然問題ありません。