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ひとり 23

 麻衣が目を覚ました時。
 ナルは、まだ眠っていた。
 麻衣はしばらく、ぼうっとナルの長い睫を見ていた。
 起きる気配はない。
 麻衣はまばたきをして、次に、ナルのその安らいだ顔を見る。
 カーテンを開けっ放しにしていた窓から入り込んでくる明かりだけでも、ナルの白い首筋や骨ばった肩も良く見えた。
(ナルと、寝ちゃった、なあ)
 この部屋に来て。
 お茶をして、お風呂に入って。
 そのまま、一気になだれこんでしまった。
 洗面所の着替えの間に挟んでおいたゴムを手にする余裕もまったくなく。
 思ったよりも激しい交わりに、麻衣が動けずにナルの腕の中で休んでいる内にナルが眠ってしまい。
 麻衣も、離れがたくて。旅の疲れもあったのだろう。寝ちゃおうかな、と思ったら、自分もすぐに眠れてしまったようだ。
 麻衣は、そうっとベッドを抜け出した。
 トイレとシャワーを借りて。掃除道具もあったので風呂を軽く洗い流す。
 脱いでそのまま脱衣所に置いてあったワンピースに着替え、洗濯機から自分の洗濯物を引っ張り出し、麻衣は洗面所を出た。
 LDKに行ってヤカンを火にかけ、自分の荷物を整理する。時計を見れば、もう九時近い。ずいぶんと眠ってしまった。そのおかげか、あまり体のダメージも感じられなかった。
 お湯が沸いたのでナルの様子を見に行くと、ベッドからこちらを見返してきた。目を覚ましたばかりのようだった。
「おはよ」
 夜だけど、と呟きを混ぜつつ戸口から言ってみると、ああ、と返事があった。
 挨拶には挨拶を返せよー、と思いつつ見ていると、ナルはひどく複雑な表情をしていた。寝ぼけているようでもあるし、困っているようにも見える。
「お茶、飲む?」
「ああ」
「お湯は沸いてるから、早めに起きて来てね」
 麻衣がお茶をカップに注いでいると、ナルがリビングに入って来た。スウェットの上下を着ている。パジャマ代わりなのだろう。 「カップ、これで良かったのかな?」
 ソファに身を投げ出すように座ったナルの前に、白いデカカップを置く。自分の分は、アメコミ調のスーパーマンだ。
 ナルは頷くようにうつむき、少し体を起こしてカップを手にとった。
 麻衣は、ガラステーブルを挟んだ向かいの床に座り込む。ソファはあったが、間が開いていたので床にした。
「・・・・・・泊まらないのか?」
「え? あ、着替え、ありがと。まだ帰れる時間だから帰るよ」
「明日は早くなくていいんだろう? これを飲んだら夕食を作るから。遅くなるから、泊まった方がいい」
 夕食を作る・・・・・・?
「・・・ナルが、作ってくれるの?」
「一昨日野菜の配達があったからな。ジョンが整理してくれてあった」
「・・・・・・手伝う、ね」
「ああ」
 麻衣は、淡々と会話するナルに、知らず笑んでいた。なんだか、ナルの特別になった気分だ。
 麻衣が処女だったことは話してあるし、今日はしないと言っていたのに結局してしまっているし、色々、気を使う気になる要素があるのだろう。
(さすがのナルでも・・・・・・)
 それとも、ナルではないのだろうか?
 ナルは、ソファに身を預け、両手でカップを支えて紅茶を飲んでいる。
 伏し目がちに紅い液体をみつめるその目元。カップの持ち方。投げ出した足。
 本当に、これが、ナルだろうか?
(ジーン・・・・・・?)
 麻衣はジーンを知らない。
 今でははっきりそう思うことができる。
 彼が紅茶を飲むところなど、見たことはない。
(ああ、そうか)
 事故現場や湖で、ジーンのかけらを回収して。
 麻衣と交わって。
 ・・・・・・ナルとジーンの統合は、完結したのだ。
 そう、思えた。
(じゃあ、目の前にいるのは・・・・・・)
 ナルでも、ジーンでもない、誰か。
 ナルの体だけれども。
 ぼうっとみつめていると、ナルが視線を寄越した。
 そうして、うっすらと笑う。
「案外、悪くない感じだ。・・・・・・統合しても」
「・・・・・・そう。良かったね」
 麻衣も、自分のカップを口にする。
 ジーンにとても近かったという自分が、どう作用したのかはわからないが。
 長らく体調不良に陥っていたナルの気配が、澄んで視える。
 きっと、良かったのだ。
 そう、思えた。
 ナルは、宣言どおり、紅茶を飲み終えるとキッチンに立った。
 トマトベースの季節の野菜を使ったパスタ。調理時間はさしてかからず、麻衣も手伝ったがほぼ材料やら皿やらを出して運んだだけだった。ナルがキッチン上の棚から出したワインも、ワインオープナーをぐりぐりするところまではできたものの、結局コルクを抜けずにナルにまかせることになってしまった。
 パスタとワインのみの夕食だが、いろどり良く具だくさんなので不足は感じられない。
 肉は入っていないが、麻衣には見慣れない豆をゆでたものが入っていて、食べ終わってみれば十分に満足だった。ワインもおいしい。
「片づけくらいするから、ナルもシャワー浴びたら? あたしはさっき借りたから」
 長湯したせいなのか、ナルは交わりの時にかなり汗をかいていた。
 すでに時刻は十一時近い。夕方からの一眠りは四時間ほどだったが、お酒も入ったし旅帰りでもあるし色々もあったせいか、麻衣は眠気を感じている。とてもじゃないが、帰る気はしない。
 ナルは短く返事をしてリビングを出て行った。麻衣は片づけをしつつ、眠い頭を悩ませる。
(眠いけど、泊まったらまたアレあるのかな。あまりしゃべんないから一応普通に対応できるけど、ナルじゃない、感じはするしなあ)
 ナルの体だけれど、ナルではない。
 身を任せてもいいとは、あまり思えない。
 眠いし。
(やっぱり、帰った方がいいのかなあ)
 先ほど引き留められたので、帰るというのも気が引ける。
 片付け終えてソファに座ったところに、ナルが濡れた髪にタオルをかぶったまま戻ってきた。ドアが開いた時に、かすかに洗濯機が稼働する音が聞こえた。手には、麻衣がかりたTシャツと麻衣のパジャマズボンを持っている。帰るつもりでワンピースを着て、それらは洗面所に置きっぱなしで忘れていた。
「着替えれば」
 ナルは、やはり泊まらせるつもりのようだった。
「ん。ありがと」
 受け取りつつどこで着替えようか思案を巡らした麻衣は、ふと思い至って硬直した。
 さっき、シャワーを浴びて着替える時。
 Tシャツとパジャマズボンはそのままに、下着だけ間から出して身につけ、ワンピースに着替えた。
 洗濯機の中身を持って出て、Tシャツとパジャマズボンを忘れて来てしまったのだが。
 たしか、これらの間には、念のために用意したブツを、挟んでおいたはずである。
 麻衣は、手にしていたTシャツとパジャマズボンを持ったまま、フリーズしてしまった。目の前のナルはただ立っている。麻衣の様子を不審に思う気配もない。麻衣は、着替えの間を確認することもできず、じりじりと、視線をあげていった。
 特に表情もなく見下ろすナルと視線が合う。
 次の瞬間には、ナルに抱き寄せられて着替えが落ちた。
「うわあ」
 とっさに呻くように声を上げる麻衣の手を、ナルの片手がつかむ。
 片手は麻衣の背に、もう一方の手は、麻衣の手を自分の背よりも下方へまわさせた。
 無理やり片手をナルの尻あたりに引っ張られた麻衣は、手にあたったナルの尻の、スエットズボンのポケットの感触に気づく。
(うげっ)
 ナルは麻衣に確認させておいて、自分でその中身を引っ張り出して麻衣の前に掲げて見せた。
「準備は良かったが、出さないと意味がなかったな」
 着替えに挟んでおいた、コンドーム二個セット。
 麻衣は、顔が熱くなるのを感じた。けれど、その顔をナルの胸に押し付けられて。
 軽く背中を叩かれて。
 恥じらいと自身の馬鹿さ加減に自己嫌悪に陥るわずかな間をナルに見せずに済んで。
 そんな気遣いに。
 麻衣は、ナルの背中に腕をまわし。
 ナルの胸に顔を埋めたまま、抱き合って。
 こんなナルも、好きかも。
 そう、思った。

 これは、また今度。と。
 ナルが発見物をまたポケットに仕舞って、もう少し飲むか? とお酒に誘ってくれた。
 トマトベースのパスタには赤ワインだったが、飲みかけだが白もあるから、と出してくれた。
「一応、確認だが」
 ワインを注ぎながら、ナルが問う。
 ピルを飲んでいるか? と。
「飲んでない」
「生理痛が重い様子もないし。日本は避妊目的としてもあまり普及していないしな」
 生理痛が重い場合、子宮内膜症の可能性がある。その治療薬として、ピルを処方されることがあるのだが、日本では避妊薬のイメージしかほぼなく、そしてこの国では避妊薬を女性が常用することはあまり許容されていない。
「僕が用意しておくべきだった。悪かった」
 白ワインを注いだグラスを手渡しながら、ナルが素直に謝ってくる。
「ううん。一応、用意したけど、言い出せなくて。ダメだね、あたし」
「この国の性教育の基準から考えれば、用意しただけでも評価に値するだろう。僕は用意もしなかったうえにセーブもできなかった。かろうじて、外に出したけれど。完全な避妊ではないな。悪かった」
「日本の、その、教育、が、先進国では遅れてるってのは聞いたことあるけど。ナル、よく知ってたね」
「新聞に載っていた」
 ナルがグラスを上げたので、麻衣はカチリと自分のグラスをあてる。
「なんの乾杯かな?」
 ナルが問う。
「えー? 統合おめでとう?」
「&脱童貞脱処女?」
「ソレハ・ジーンモード・デスカ?」
「合わさった結果ですよ、谷山さん」
 白ワインは、あまり甘くないのにすっきりしすぎず、素直においしいと思えた。
「おいしいね、これ」
 ラベルが日本のものだったので、麻衣は少し意外に感じた。スーパーで見るものではないけれど。
「白は日本のものも独特でいい。赤は選ばないけれど。山梨の人に現地なら生ワインがあると聞いたので、機会があれば飲んでみたいと思っている」
「山梨なら電車ですぐじゃん」
「わざわざ行くほどじゃない」
「山梨。葡萄。富士山。夏から秋かなあ。行くなら」
「調査でも入ればいいんだが」
 一緒に旅行に行こうという発想には至らないらしい。麻衣はあえて突っ込まず、ワインをいただく。
「・・・・・・一応、外に出したが。麻衣も、まだ排卵日まで間がある、よな?」
「そりゃ、生理終わったばっかだからね」
「モーニングアフターピルも、この国では入手が面倒なんだな?」
「産婦人科行かなきゃいけないんでしょう? 高いし。多分、大丈夫だよ。産婦人科は、ちょっと、敷居高いよ」
「今回は全面的に僕が悪かった。すまない」
 ナルがグラスを置いて両手を挙げる。
 ナルなら、やらないだろう動作だと思う。けれど、悪い感じはしない。
「こういうのは、お互い様じゃないかな。あたしだって、知識はあったし。まして、ナルがちゃんと、断っていい教育受けてる国の人だってわかってたんだから。あたし、ちゃんと、同意、だよ?」
「・・・・・・用意を忘れたと気づいて、一度はあきらめたんだ。でも、流された。流されるなんてただの不用意な馬鹿のすることだと思っていたんだが、馬鹿になるものなんだな」
「ナルが自分を馬鹿扱いするなんて、前なら有り得ないよー」
「自覚してても言わなかっただけだ。そもそも用意を忘れる方がどうかしている」
「怪我もあったし体調も悪かったし、急な旅もあったし。仕方ないよ」
「延期すればいいだけだった。それができなかったんだ」
「まあ、えーと、うん、その、決めて、たし、もう、変更、とか、ない、かな? て。うん」
 麻衣は、曖昧に言って、ぐいっとワインを飲みほした。
「同意、なの。あたしも、延ばす気、なかったの」
 麻衣は、ワインのボトルをとった。ん! とナルに向けて。ビールのようにドボドボと注ぐ。注ぎ終わるとナルが麻衣からボトルを奪い、丁寧に麻衣のグラスに注いでくれた。
 そうして、ぽつぽつと、統合の過程で起きたことを話してくれる。
 二人の過去の記憶の再生と、二人の能力の統合。副作用の頭痛や能力のコントロールの低下。
「今は、コントロールは?」
「暴走の気配はないが。落ち着いているのか、・・・・・・力が消えた可能性もあるな」
「統合の途中は両方かぶってたのに?」
「記憶は二人分、概ね、ある。元々自分でも忘れていたようなことも思い出したけれど、忘れたままの部分もかなりあるだろうな。過剰だとは感じないから。まあ、時間が経てば些末時は少しずつ忘れていくだろうが、多分、そのせいで、眠い。もう一眠りすれば、記憶はだいぶ整理できると思う」
 そう言いつつ、更にワインをグラスに追加する。二人分。
「体調は大丈夫なの?」
「頭痛はない。眠いし、体の疲労は感じるが」
「『ジーンの眼』は、どうやって確認したの?」
「あれは・・・・・・」
 ナルは、自分のグラスをテーブルに置き、立ち上がった。
「裏の通りを視たんだ。歪みがある」
 リビングを出て行くナルに麻衣がついて行くと、寝室に入り、更にベランダの窓を開けて出て行く。
「裏の建物で、飛び降り自殺があったんだ」
 その痕跡が歪みとなって視えたのだという。
 ベランダのサンダルを片方麻衣に譲ってくれたので、麻衣も片足立ちで出てベランダの柵につかまった。北側なので用はないだろうになんでサンダルがあるのかなあと思いつつ、ナルの言う裏通りを見る。そして、視てみた。
 意識して。歪みとやらはどう視えたのかなあ、と。
 そして、重く、スイッチが入る感覚を麻衣は得た。
 急に、空気が、視えた。まるで、透明なゼリーの中に閉じ込められたように。身動きしたらゼリーが歪んで視界が壊れてしまうのではないかと、思った。
「麻衣?」
 声は、くぐもることなくクリアに聞こえた。ナルの動きも視界の端に抵抗なく見えた。
 大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら、麻衣はベランダに身を乗り出す。ゆっくりと。
 ゼリーは歪まないし、視界も壊れない。けれど、視えた。
 きっと、飛び降りたのはあの窓。
 歪みの始まり、細い滝のような流れが視える。
 地面にも。他にも歪みは少しある。飛び降りの気配には及ばないが。
「麻衣?」
 ナルに再び呼ばれて、麻衣は自分の肩に置かれた手に自分の手を重ねた。温かい、手。
 麻衣は、自分に視えるものをナルに伝えた。
「前に僕が視たのと同じだ。僕は、もう切り換えられない」
 戻ろう、と促すナルに従って、中に戻った。
 リビングのソファに座って、麻衣は意識的にまばたきをする。部屋に戻った時点であのゼリーな視界はなくなったが、睫にゼリーがついているかのような違和感を振り払いたかった。
「容量を超えていた分が、麻衣にいったのか? オーバーしているせいで頭痛がひどいんだろうとは思っていたが」
「頭痛以外も大丈夫なの?」
「ああ。体の疲労や眠気はあるが。不具合は感じていない。麻衣は?」
「頭痛とかは、ない。眠い、けど。あとは、ナルと同じで、疲れとか、そんなんだと思う」
 二人で過ごした時間の後遺症なら、ある。
「一時的なものである可能性もある。眠いという意見は一致しているし、寝るか」
 ナルが、ためていた息を吐きだした。

 ナルが、洗面台の鏡の裏を見せてくれた。
 予備の歯ブラシなどと一緒に、数々のオイル。
 驚く麻衣に、ルエラが送ってくるのだと語る。何故それらのオイルを選んで送ってきたのかという解説付きで。
 寝室で使ってもいいと言ってくれたので、数々のオイルの中から、麻衣でもわかるラベンダーを選んだ。今度少し勉強してくるね、と。
(今度って・・・・・・)
 とっさに口走ってしまったが、これではまた泊まりにくるという宣言をしているようなものではないか。
 ナルは、好きにしろ、と言ってくれたが。
 麻衣は、ナルが安原に聞いたという、ティッシュに数滴落として振り回す、というのを試してみた。ティッシュに落とす段階で強く香り、それなりに広い寝室で振りまわす間もなく薄れてしまった気がする。強い香りを先にかいでしまったせいで、微細な香りがわからなくなってしまったのかもしれない。あえて追加するのはやめることにして、オイルを落としたティッシュは枕元に畳んで置くことにする。
 ナルは、麻衣がオイルで遊んでいる間に、ポケットから例のものを出して、シーツなどを仕舞っているベッド下の引出しに片付けた。麻衣にも片づけた場所がわかるように、あえて麻衣に視線を寄越しつつ。
 麻衣は、リビングのクッションにタオルを巻いて枕にする。先日、真砂子と泊まったときもこの手で乗り切った。明かりを消してベッドに入ったナルも腕枕をする気はないようで、ただ、掛布団は一緒に、ベッドに納まった。
 体が触れるか触れないか。しばらくは間を空けていたが、面倒になったのか、ナルが少しずれて麻衣の手を握ってきた。
 きっと、麻衣が緊張しているのが、ばれた。
 ナルは、片手の指先だけで麻衣の手をトントンと叩き、手の力を抜く。
「・・・・・・僕は、またしてもいいけれど?」
「・・・・・・寝よう、ね」
 とはいえ、緊張する。
 これが伝わるからまずいのだと、麻衣は手を離そうとする。しかし、ナルが離した手を麻衣の体に巻きつけて来た。
「ね、寝よう、ね?」
 ナルは麻衣の言葉を無視して、麻衣を抱き寄せる。麻衣の頭がナルの腕に乗る。
「僕はまだ、できるけど?」
「・・・・・・ね、寝ましょ、う・・・・・・」
「気になって眠れないなら、済ませた方がよくないか?」
「いや、なんつーか、即物的?」
「即物的なものだろう? これは」
「まあそうだろうけど・・・・・・」
 確かに、セックスに乙女チックなものは何もない。求めるのが間違っているのかもしれない。
「隣りで眠れる程度に、なじんでから寝よう」
「充分なじんだと思うけど、さっき」
「足りないから固くなってるんだろう?」
 どっちがだ、どこがだ、と思いつつ、麻衣はTシャツの下に忍び込むナルの手に身を縮める。
 軽く体を起こしたナルは、やすやすと麻衣の胸を手で覆い、親指で乳首を撫でる。
「・・・・・・」
 もはや言葉で抵抗することをやめた麻衣の緊張した体に、手を這わせ、唇を寄せ、足を絡ませる。
「あ」
 顎の下に寄せられた唇から熱く湿った固い感触。思わず、声が漏れた。
 濡れた熱い舌先が、そのまま喉を撫でて降りて行く。
「ふ」
 親指にいじられる乳首と、その感触が、体を硬くしていく。
「ぅ、ふ」
 吐息と共に漏れる声を、どう抑えればいいのかわからない。
 降りた舌が乳首に触れる。尖った先をつつくようにして湿らせ、輪郭をなぞり、唇の先で挟まれる。
「んんっ」
 反対側の胸を揉みつつ、舌と唇で麻衣をそそらせていく。
 ナルの膝が麻衣の足の間にある。パジャマのズボンが触れていて、それだけで下半身が刺激されている。
 麻衣は、ナルの頭をぎゅっと強く抱いた。
 窒息しかけて、ナルが頭を起こす。麻衣は、その顔を手でとらえる。
「寝、寝よう? ね?」
 ナルは、しばし麻衣の肩に頭を載せて麻衣を抱いていた。
 麻衣は、その頭を軽く撫で続けた。無理に中断させてしまったのだろうかと気を揉みつつ。
 ナルは、麻衣の頬を撫で、ゆっくりと体を離す。
 表情は暗くて見えないが、優しい気配が伝わってきた。
 ナルは、そっと麻衣の隣りに身を横たえる。麻衣は、Tシャツの裾を直した。
 さっきよりは、少し近い。体のあちこちが触れる。温かいと、感じられる距離。
 ナルが、布団をきちんとかけ直してくれる。
 そうして、軽く手を握ってくる。麻衣も、軽く握り返す。そうして、そうっと、手を離した。
 ナルの手が麻衣の手を軽く撫でて、離れる。
 数秒で、寝息が聞こえてきた。
(はやっ)
 本当に、かなり眠かったのだろう。麻衣のためにじゃれてくれただけで。
 麻衣は、ゆるく息を吐く。
(あたし、隣りにいて、いいんだ)
 ナルの隣りに。
 麻衣も、自分の眠気に身をゆだねる。睡魔はゆるくやってくる。
 明日の朝、いろいろ忘れてびっくりしたりしないよね?
 少しだけ懸念しつつ、麻衣も眠りへと落ちていった。
 とても近い距離で、ナルの寝息を聞きながら。

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