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ひとり 6

「ど、どうしよ?」
 麻衣が、恐る恐るジョンにお伺いをたてると、ジョンは、困った顔に笑みをのせた。
「寝不足がひどいようでしたから、無理ですやろ、起こすのは」
 ナルが、麻衣のチェストにもたれて寝入ってしまったのだ。
 麻衣の部屋にはお猪口などというものはないので、酒はすべてコップ酒。三人でおばちゃんの店のおかずで夕食をとりながら酒瓶二本目になった頃、麻衣が一旦冷蔵庫へ入れていたおかずを取りに行って戻ってきたら、ナルが寝落ちしていた。
 一応、ジョンがそろそろ帰りましょう、部屋に帰って寝ましょう、と声を掛けたが、反応はまったくない。死んでいるのかと思うほどだ。
「でも、これじゃゆっくり寝られないし。うちで寝かせるにしても布団一組しかないし」
「とりあえず、片づけまひょか。僕も長旅でしたんでそろそろおいとましますです」
 テーブルの上を片づけて、テーブルの足を折って部屋の隅に立てかける。
「う〜ん」
 麻衣は畳んだ布団の脇で腕を組む。
 ナルの本体は部屋の端のチェストに寄りかかっているのでいいのだが、その長い足が邪魔で布団が敷けない。敷いたところでこの物体をどうしようかと悩んでいると、ジョンがトイレから戻ってくる。
「全然起きまへんですねえ」
 うつむきがちに寄りかかったままだ。
「夕方少しまとめて寝てましたんですけど。最近、落ち着いて眠れてへんかったようです。眠れる時に眠らせてあげたいとも思うです。女性の部屋ですけど・・・・・・」
「ナルも眠れてないの?」
「『も』ですか?」
 麻衣が、しまった、という顔をする。
「えっと、やっぱりちょっと、怖い目にあったから。この部屋の窓から玄関まで通ったんだよ、犯人。気配残ってたりしたのかな? 気になっちゃって。でも、ジョンが清めてくれたからもう大丈夫な気はするんだ」
 ジョンが、ぐるりと部屋を見渡す。部屋の仕切りの襖は開けてあったので、窓から玄関まで見渡せた。見渡すと言っても、右をみて左を見れば終了という、小さな部屋なのだが。
 部屋に来てまず、ジョンが聖水を撒いてお祈りをした。ナルの指示だった。
 気休めですけど、と言っていたけれど、麻衣にもすっと気配が変わったように感じられた。ナルとジョンが一緒に部屋で過ごしてくれたので、部屋も二人の気配に上書きされた。男が通り抜けたと口にしても大丈夫なくらい、自分も落ち着くことができた。
「さいですか。ですけども、このままじゃ寝られないですよね、麻衣さんは」
 ジョンが、少し考える様子を見せる。顔色も何も変わってはいないが、ドイツから帰国したばかりで結構飲んでいるので、酒も効いているし疲労もしているはずだった。
「なんとかするから、ジョンは帰っていいよ? 疲れてるでしょ?」
「・・・・・・とりあえず、お布団お借りしていいなら渋谷さんをちゃんと寝かせまひょか。麻衣さんも安眠できる方法思いつきましたですから」
 にこりと、ジョンが言いながら早速ナルの足を避けさせる。その隙に麻衣が布団を敷き、ナルをその上に寝かせた。上着は脱いでいたので、ジョンがベルトを抜いて衣服をゆるめ、靴下を脱がせて布団をかけた。
「で、あたしはどうするの?」
 ジョンが、にこりとして言う。
「一泊できるお支度をしてください」
「へ?」
 麻衣は、驚いてジョンの青い瞳を見返した。
「渋谷さんにお布団取られてしもたんですから、麻衣さんは渋谷さんのベッドを取ってしまえばええんです」
「へ?」
 やぱり、ジョン、酔ってる?
 麻衣は、ほらほらと促され、外で待つというジョンを待たせないよう大慌てで一泊の準備をする。生理用品や万が一に備えてシーツの上に敷こうとバスタオルまで持つ。いつもより大荷物になってしまった。
 そうして、しまいこんでいた部屋の親鍵を出し、ナルの鞄の前に置く。
「お待たせー」
 まったく起きる気配のないナルを置いて電気を消し、外に出て鍵をかける。
「ほな、行きまひょか」
 ナルの部屋へ、主抜きで。
 麻衣は、あれ? と首をかしげる。
 それで、ジョンはどうするんだろう? ソファで寝るのかな?
 ジョンは男として無害だとは思っている。しかし、男女が一つ屋根の下に二人きりというのは、まずいのではないだろうか?
 そう思いつつ、ドイツでの調査の話などをするジョンに、その先のことを尋ねる間がない内に、部屋に着いてしまった。
 もう遅い時間だったので、管理人はいない。ジョンが暗証番号を打ち込みエレベーターホールに入り、部屋にはジョンの持つ合鍵で入る。麻衣も一応持ってきていたが、出番なしだ。
(えーと)
「どうぞ」
「あ、お邪魔しますー」
 ジョンに促されて、麻衣はナルの部屋におずおずと足を踏み入れた。

(胸、ないなあ)
 洗面所兼風呂場。
 麻衣は、鏡に映る自分の上半身を見ながら思う。
 髪を拭きながら、わずかに盛り上がった胸と、ピンク色の乳首を眺めた。
(揉むと大きくなるって説もあったっけ?)
 タオルで体の水気をとりながら、片手で自分の乳房を握ってみる。握るというか覆うというか、無理やりつかんでみても指先でつまむだけで手のひらは空っぽだ。そのまま指をすぼめて乳首をつまむと、ツンと、体がひきつる感じがする。
(感じるって、やつなのかな?)
 乳房をもめないので少し乳首をもんでみると、風呂上りでやわらかかった乳首が固くなって、乳首の先がコロリと丸く飛び出し、その周りの乳輪もしぼんだようになった。ツンとした感じも継続し、下腹部に何故か違和感が出る。
(そっちが、連動して反応してるのかな?)
 手を乳房から離し、体を拭く。ガリガリの体。細い太もも。肉感的な要素はない。
(こんな体でも、抱きたいとか、思ってくれるのかな)
 鏡に背を向けて見る。全体に細いのでくびれもさしてない。わずかに尻へ向かっての曲線が見えた。
(背中から、抱いて、あの、大きな手で、こんなちっちゃな胸に触れてくれたり、なんて。ないか)
 ため息を落としつつ、薄い水色の下着を身につけ、パジャマに腕を通す。
 畳の部屋に戻り、テーブルをたたんで布団を敷く。その上に座って、写真立てを見た。
 ナルと、ジーンが写っている。
(ナル、今日、スーツだったな。こないだの調査の報告書を依頼人に届けに行ったんだろうな)
 脳裏に、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めるナルの姿が浮かぶ。
(あの、大きな手)
 ネクタイを緩める手。麻衣の胸にまわされる手。
 体が、ツンとなった。
(ナル、なら、触ってもいいのに)

 はっと目を覚ましたナルは、真っ暗闇の中で息を整える。
(なんて夢だ)
 にぶい、ひどい頭痛がする。息がつまるほどの。気付いた一瞬、夢を忘れるほどに。
(何故?)
 そうして、今どこにいるのかわからないことに気づく。
 ベッドではなく、布団の上。やわらかい匂い。
 麻衣の部屋でジョンと三人、夕食を摂りつつ飲んでいたこと思い出す。
 寝落ちコース、と自分で予見していた。そして、その通りになったのだ。
(さっさと帰るべきだった)
 けれど、麻衣の部屋に残る男の気配を、ジーンが察知したのだ。生霊のような、生々しい気配。ただし、元が強すぎただけであるのは残り香のようなものだ、と。
 なので、すぐにジョンに祈祷をしてもらった。ジーンはそれで消えたと、ジョンを誉めていた。
 きれいになったのがわかったようで、麻衣が機嫌よく場を整える様子に、今さら帰るとも言えず。
 飲む量を控えたつもりだったが、見事に寝落ちしたらしい。それにしても、こんな頭痛は経験がない。
(夢、じゃなかった、か?)
 眠りながら、サイコメトリをしたのだ。麻衣の布団から。
 急に汗がにじみ出てくる。
 体が熱くなった。
 ナルはむりやり体を起こす。頭を殴られたような痛みがきた。
 起きてうかがえば、ほかに人がいる様子はない。麻衣とジョンはどこに消えたのか。
 痛みに耐えながらはめたままだった腕時計を見ると、時刻は三時近い。衣服はゆるめてあって、ベルトがない。ナルは頭を押さえつつも立って灯りを点けた。
 眩しさに目をまたたかせながら、周囲を確認する。まばたきにあわせてズキズキと鈍い痛みが頭を襲う。
 食事の跡は片付いてあり、テーブルもたたまれている。ナルの鞄と、その手前にベルトと一本の鍵。メモの類はない。
 ナルは自分の頭痛を無視して鞄をあさり、携帯を取り出す。メールの着信があった。
 見れば麻衣からで「ナルの部屋に行く。念のため鍵置いていくね。」とだけ。
 そもそも、自分が真夜中に起きることを想定していなかったのだろう。
 実際、頭痛だけでなく体がひどく重い。刺激的なサイコメトリの画(え)で目が覚めたけれど、横になればもうある程度回復するまでは立ち上がれないだろう。
 ナルは、ベルトを締めて帰り支度をする。
 麻衣はナルの部屋だという。では、ジョンは?
 ジョンに限ってまちがいはないと思うが、あんな画を観た後ではさすがのナルも確認せずにはいられない。
 麻衣の部屋に鍵をかけ、自室を目指す。
 さすがに、三時の道中はとても静かだった。
 吐き気が湧いてくるほどの頭痛が続いている。摂取量からして、酒のせいとは思えない。
 しかし、ナルの心中はそれどころではない。
 寝ながら見た映像が頭をよぎる。身近な人間の心を覗き見るようなマネはしたくなかった。まして、あんな内容のものを。
 ナルはひたすら歩き、マンションにたどり着く。暗証番号を入れ、エレベーターで上がり、部屋の前に立つ。
 開けていいものかと思いつつ鍵を開け。
 見てはならないものを見てしまったらと思いつつドアを開ける。
 玄関には、女物の靴が一足、あるだけだった。
 念のため下駄箱を開けてみて、ジョンの靴が置きっぱなしになっていたもの以外ないことを確認する。きっと、麻衣を送り届けた後、教会へ行ったのだろう。
 リビングに行ってみても、人の気配はない。冷蔵庫をのぞけば、今夜の残りと思われる惣菜と酒が入っていた。
 ナルは、再び廊下に出ると、そっと、寝室の扉を開けてみた。
 自分のベッドに、小さな人影が眠っていた。
 再び、そうっと扉を閉じる。
 そこまで確認して、限界だった。
 閉めた扉に手をついたまま、ナルは頭痛に耐えきれず膝をつく。そのまま、廊下に倒れた。
 頭の中で続く痛みを感じる以外何もできない。そんな状態がしばらく続いた。ただひたすら耐えていた。ふと気づけば、頭を載せていた袖がぐっしょりと濡れている。全身汗だくで、けれど頭痛は少し和らいだような気もする。
 酒のせいではないと思う。では何か病気なのか。怪我をした覚えはない。
 心当たりは・・・・・・。
(ジーン?)
 ようやく、兄のことを思い出す。
 なんの反応も気配もない。
 ジーンもダメージを受けているのか、それとも統合が進んでいる結果なのか、いずれともわからない。
 なんとか体を起こすと、床も濡れている。水をかぶったかのようだ。
 ナルは壁を支えに洗面所へ移動し、服を脱いで風呂場へ行く。
 頭から、シャワーを浴びた。
 低めの水温で湯を浴びると、少し気分がよくなってきた。
(病気ではなさそうだ)
 統合の影響なのかも知れない。
 サイコメトリのコントロールも効かなかった。気を付けなければいけない。
 風呂場を出て着替えて、ともかく寝よう、と思う。
 そうして、自分のベッドには麻衣が寝ているのだと思い出す。
 ソファを整える余力などない。
 ベッドに寝るか、整えていないソファに身を縮めて寝るか。
 迷うまでもないことだ。
(いったい、何を迷っているんだ)
 ベッドには麻衣がいる。一つベッドで眠るような仲ではないのだ。
 ナルは、壁に手をつきながら洗面所を出た。

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