ドアの陰から、麻衣の顔がゆっくりと現れる。
ナルは、それをじっと見ていた。
「あ、ナル、起きたんだね」
ほっとした顔で、麻衣はそう言って部屋に入ってきた。
出会った時、麻衣は十五歳だった。今は二十一歳。ナルは当時十六で、今は二十二。
六年の歳月。
ジーンが死んでから過ごした年月。
そこには、麻衣がいた。
出会ってすぐ、麻衣はナルにとってのジーンのポジションに滑り込んでいた。
何を思うことも、感じることもないうちから。
「起きたなら、まず着替えね。熱はないみたいだけどすごい汗かいて冷えちゃってるから。できればお風呂入った方がいいんだけど、入れそう? あったまるよ?」
ナルが勝手に麻衣の寝るベッドに寝たことについて、おとがめはないらしい。ソファを寝られる状態にする余力がなく、かつ床に寝るのも耐えられず、そこにベッドが半分空いているという状況を与えられて。体を休めることを優先した。
麻衣の隣りなら大丈夫、と。誰かと同じベッドで眠るなど、ジーン以外ありえなかったのに。
「お茶用のお湯は沸かしてあるから、お風呂溜まるまであったかいお茶飲むってのは、ど?」
麻衣はすぐそばまで来て、そんなことを言う。
確かに体が冷えている。自分の様子をうかがってみると、いつの間にか枕もあてがわれているし、布団も掛けてある。背中だけ冷えを感じないと思ったら、タオルが入れられていた。
「あ、それね。ジョンのアドバイス。ナル、具合悪そうだったからジョンに連絡したの。始発で来てくれるって言ってたから、今電車乗ったくらいじゃないかな。疲れてると思うんだけどさ、ちょっと緊急事態? 申し訳なかったけど、ナル、全然起きないし。あたし非力で」
ナルは、布団から包帯におおわれた右手を出した。
そうして、麻衣の腕をとった。
手首をつかまれて、麻衣は驚いた様子でナルを見返していた。掴んだ右手が少し痛む。
そういえば、ナルがジーンに乗っ取られた時、この場所でジーンは麻衣をベッドに引きずり込んだのだと、ナルは思い出す。思い出すと同時に、それを知っているのはジーンであって、ナルは知らないはずの記憶だと気づく。その記憶はジーンの記憶であるにも関わらず、既にナルの記憶になっていた。
「僕は、普段はシャワーだけだ。泊まる宿によっては浸かることもあるけれど」
麻衣が以前のことを思い出して警戒する可能性を思いつつも手を離せず、手首をつかんだまま、自分がジーンではなくナルであることを伝えたくて言った。麻衣から、少しだけ力が抜ける。
「そうなの? お風呂、あったまるし、リラックスできるし、いいよー? まあ、あたしもあんまり入らないけどさ。一人じゃ不経済だし。冬は耐えらんなくて時々お湯入れる。入浴剤入れて温泉気分とか、綾子に貰ったバラの香りとかもたまにやるの。気分転換できるんだ。ここのお風呂、湯船うちのより大きいし、手足伸ばせていいんじゃない? お湯入れてくるよ」
麻衣は身をひるがえして行こうとしたが、ナルは手を離さなかった。
「・・・・・・ナル? 怪我で、駄目、かな?」
「・・・・・・麻衣の部屋で」
「ん?」
「麻衣の布団で寝たせいで、余分なものを視た」
「ん? 何を?」
「寝たまま、うっかりサイコメトリした」
「・・・・・・」
布団を貸すことでそんなことが起こるとは想像していなかったらしい。
口をぱっくりと開けて、次には真っ赤になった。
「い、い、い、いったい、・・・・・・何、を?」
「普段は寝起きだろうとセーブできているから、余分なものを視ることはないんだが。・・・・・・麻衣が、風呂で、自分の胸を触っていた」
「!!!!!!」
麻衣は体を強く引こうとしたが、ナルはがっちりつかんで離さなかった。
「僕になら、触られてもいい、と思って触っているのが視えた」
麻衣は、がちがちに固まっていた。真っ赤な顔をナルにつかまれていない方の腕で隠しつつも。ナルの表情をうかがっている。
「・・・・・・麻衣は、僕の過去を視ただろう? ジーンからイメージが来ている」
麻衣が更に体をこわばらせる。ひきつった表情が、すべてを語っていた。
「それ以外にも、僕はサイコメトリでいろいろな経験をしている。性的な暴力を、いくつも。被害にあった本人が死ぬほどのものを」
麻衣は、ナルを見返していた。顔も体もこわばっているが、逃げようとはしていない。
「だから僕は、性的なものに嫌悪感を持っている。自分に性的関心を向けられることに耐えられない」
麻衣は、無言のままナルの言葉の続きを待った。麻衣は、ナルに性的関心を向けた。ナルにとっては耐えがたいはずのことだ。しかし、そんなナルが、麻衣の腕をつかんで離さない。
「けれど、僕は麻衣が僕に触られてもいいと思ったことを知っても、嫌だとは思わなかった」
ナルは、体を起こす。ベッドに座って、少し高い位置にある麻衣の、呆然とする顔を見て、言った。
「僕が視たのがいつの麻衣なのかはわからない。麻衣は、今もまだ、僕に触られてもいいと思っているのか? 気が変わっているなら、僕は何もしない」
気が変わっているなら、何もしない。けれど、変わっていないのならば・・・・・・。
「僕は、多分・・・・・・麻衣なら抱ける」
ナルの、強い瞳が麻衣をみつめていた。
「許されるなら、・・・・・・抱きたい」
気は、変わっていない。それどころか、風呂でそう思って自分の胸に触れたのは、つい先日のことなのだ。
(でも、今、モロ生理。おまけにジョン来るし)
否定してはいけない。
その意識だけは、真っ先に来た。
『好きなら、拒絶してはいけません。ナルに対しては、決して』
真砂子の忠告。
自分なら、麻衣なら、大丈夫だと。そう、ナルは言った。
麻衣は、自然に、笑んだ。一時的にパニックになったが、真砂子の言葉を思い出したら、急に落ち着いた。そして、自分の気持ちに素直になれた。
ナルが、微笑む麻衣を見て、目を見開くのがわかる。
順番を間違えずに言わなくてはならない。麻衣は、少し緊張する。
「変わってないけど、週末じゃ、駄目?」
ナルが、まばたきをする。意表をつかれたらしい。
「ナル、なら、いい。今も、そう思ってる。けど、あたし、おとといから生理中なの。一番ひどいの、今。おまけに、ジョン呼んじゃったから、もうすぐ来るし」
否定の連続。すばやくそれを否定しなくてはいけない。
「だから、週末。なら、ちょうど、いい、から」
ナルは、黙って麻衣をみつめている。嘘を警戒しているのか、真意をつかもうとしている。
「あたしは・・・・・・ナルのこと、好きだから。ジーンも、好きだった。けど、そもそも分けられないんだよね、ナルとジーンって。気持ちは、ナルも、ジーンも、好きだよ。
体も、ナルか、ジーンなら、許せるって、思ってる。けど、ジーンにはもう体がないし。だから、あたしは、ナル、に、それこそ、性欲? あんま言いたくはないんだけど。けど、やっぱ、だれかといつかするなら、それ、ナルしか、考えられないし」
手首をつかむ大きな手。麻衣は、そこに反対側の手を添えた。
「あたしは、まだ、誰とも、経験ないから。だから、やっぱり、ちょっと怖いけど。でも、相手がナルなら・・・・・・。あたしなら、って思ってくれるの。嬉しい、よ?」
嘘は見抜かれる。
麻衣は、真っ正直に体当たりした。
ナルは、麻衣の目を見ている。麻衣は、見つめ返しながら、語った。
目をそらしてはいけない。恥ずかしいけど、恥ずかしいさまをそのまま見せればいい。
今恐れなくてはいけないのは、ナル気持ちを壊すこと。
統合という不安定な状態にいるナルに、マイナス要素を与えてはいけない。
自分の気持ちに、嘘はない。ナルのために言葉を選ぶけれど、気持ちに、嘘はないから。
拡大推奨?(笑)
「週末、来ても、いい? ・・・・・・お風呂、入れてくるよ」
麻衣は、そうっと、ナルの手を外した。外してから、一度そっと包帯におおわれた手を両手で握り返す。ナルは、麻衣をみつめたまま、ただ握られていた。
ナルの手をナルの体の上に置いて、麻衣はゆっくりと離れた。そうして、視線を離してドアへ向かおうと体をひねった。
が、ナルの手が、再び麻衣の体をとらえた。
腰をとらえられ、麻衣はぽすんと、ベッドの上に尻もちをついた。
ぎゅっと、後ろから抱きしめられた。麻衣の小さな肩に、ナルの頭が乗せられる。
ナルの体は、冷たかった。
少しずつ、自分の体温がうつっていくのがわかる。
麻衣は、ナルの腕に手を添えて、体温を分けてやった。
自分に、ナルの心を癒すことができるなら、と。
触れている部分の体温差がわからなくなってきたころ。後ろから腕をまわし、麻衣の肩と腰を抱いていた手が、ゆるく動き出す。
肩の上にあった手が下がって、麻衣の胸をそっと覆ってきた。
同時に、腰にあった手が下がって、着ていた長袖Tシャツの裾の中に忍び込む。Tシャツの下には何も着ていない。胸の下の肌に、じかにナルの手が触れてきた。
首筋に触れる唇が肌を撫でる。
(う、わ、あ)
麻衣は緊張しつつも、熱を帯びる肌を感じていた。
(せ、生理中・・・・・・)
だから、週末まで待ってくれと。わかってくれたのだと思うのだが。
(なんでこんな時に、生理)
このまま抱かれたいと思う自分がいる。
けれど、ジョンが来る。それに、まだ三日目だ。
肌に触れていた手が更に上がり、指先が乳首に触れる。麻衣は、びくりと身を縮めた。
乳首に触れたまま、反対側の服の上から胸に触れていた手が離れる。肩をつかまれ、体の向きを変えさせられた。向き合う形になり、触れ合いに戸惑う表情を見られてしまう。
ナルは、やはり戸惑っているらしい顔をしていた。
そのまま麻衣に顔を寄せてくる。
互いに、瞳を閉じて。
唇を、触れ合った。
押し付け合い、ついばんで、互いの唇を求めた。気づけばナルの左手が乳首をつまみ、固くとがっている先をもてあそんでいる。
ちょんっと唇をついて離れたかと思えば、Tシャツをめくって顔を近づけてくる。
丸く飛び出した乳首の先を、口に含まれた。
「んっ〜〜っ」
更に先端に舌を触れさせながら、乳首ごと口に含まれる。強弱をつけて吸われて、麻衣はたまらず呼吸を逃す。
「お、願、い。週末、に。来る、から」
胸を唇にまかせたナルの手は、麻衣の太ももに触れている。麻衣はその手に手を重ねる。
「土曜に、来るから。泊めて、くれる?」
ナルが、顔を上げる。麻衣の目を見上げてくる。
「・・・・・・土曜、か?」
「日曜は、オフィス休みだし。私も、土曜ならだいたい終わってるから。生理」
「・・・・・・わかった」
そう呟いて、麻衣の唇に唇を落とす。そして、ようやく麻衣の体から手を離した。
そこに、ピンポーン、と、玄関チャイムの音が鳴り響いた。
ジョンだ。ほっと一息ついた麻衣の胸に、ナルの頭がぶつかってきた。
「うおっと、・・・て、ナルっ?」
玄関から、開錠する音が聞こえ、ドアが開くのがわかる。
「ジョンっ! ナルがっ」
麻衣がナルを抱き留めているところに、ジョンが駆けつけてきてくれた。
少しびっくりしてはいたが、すぐに駆け寄ってきてナルを麻衣から引きはがしてくれる。ナルは意識を失っていた。
「一度起きたんでっか?」
「うん。起きて話してたんだけど、今、また急に倒れてきて」
ジョンは、いったんナルを寝かせて体温や脈などを確認する。
「ホンマ、汗かなりかいてますね。もう冷えてもうて。とりあえず着替えさせますです」
ジョンに後をまかせて、麻衣は寝室を出た。
よく考えれば、自分もノーブラで薄着だ。
(そりゃ、驚くよね?)
パジャマの男女が抱き合っているかのような状況だった。いや実際、直前まですごかったのだ。気配くらいあったかも知れない。
(でも、あたしとナルが、なんて、ジョンは考えないだろうから)
だから、すぐ冷静に駆け寄ってきてくれたのだろう。
(で、でも、ホント、あと一分早かったら・・・)
麻衣は洗面所に荷物を持ち込み、着替えながら先ほどのことを思い返す。
(な、なんか・・・。Aとか、Bとか、しちゃったようないたしちゃったような・・・。う、ええ〜〜〜〜〜っっっ!!!)
麻衣は一人、洗面所で真っ赤になりながら頭を抱えてしゃがみこみ、回想する。
触られた、素肌を、胸も、乳首も、キスもした、何回も、肌にも乳首にもキスされて、おまけに吸われた・・・。
(う、ひいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜っっっ!!!)
キスは、初めてではない。
森林公園で、ジーンにキスされて、その最中にジーンが身を引いたため引き続きナルとキスした。
ナルは知らないけれど、島で地下室に閉じ込められた時にも、キスをした。
だから、三度目、だけれど。
(全然、色っぽさ違いすぎ・・・)
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、と脳内でつぶやきつつ、麻衣はよろよろと立ち上がる。着替えながら、脳内の暴走を鎮静化しようと試みるが、うまくいかない。
(うしろから、胸、て、あたしが、よく想像する過程、じゃん? やっぱ本当にサイコメトリしたんだああ〜〜〜っ!)
麻衣もお年頃だ。ナルへの好意を自覚してからは、Hな妄想やら体験やらを友人らから吹きこまれる時、話から自分だったらとうっかり妄想する相手はナルだった。ほかの男はありえなかった。
(許されるなら、抱きたいって・・・・・・)
そりゃ、ナルなら、許さなくはない。ほかの男なら絶対許さないけれど。
(土曜、約束しちゃった・・・)
生理は土曜には五日目だ。麻衣の場合、五日目なら少々名残がある程度で、夜にはほぼ終わっているはず。支障はない。おまけに、安全日な頃のはずだ。
(ひ、避妊、とか。ナル、持ってないだろうしなあ)
自分で用意すべきなのか? どこに売ってる? お店で買うの?
脳みそはひたすら暴走を続け、麻衣は顔が普通になかなか戻らず、いつまでたっても洗面所を出ることができなかった。