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ふたり

 麻衣がナルに妊娠を告白した翌日。
 それはそれは、ハードな日程が強行された。
 朝食の準備をしようとする麻衣に、ナルは自分の分はいらない、と家を出る支度をする。
「食事をしたら、荷物をまとめておけ。車を取ってくる。段ボールも持ってくるから」
「へ?」
 ナルは、服を着て顔を洗い、冷蔵庫のコンセントを引っこ抜くと、お茶も飲まずに麻衣の部屋を出て行った。
 麻衣は、ぐるりと自室を見まわしてみる。
 ここに越して来た時は、小型トラック引っ越し便一回で済んだ。小さいとはいえ冷蔵庫があったので、手伝うという滝川のセダンでは無理だったためトラックを頼んだものの、解体しないままの三段ボックスやこたつを入れてもトラックの中はガラガラだった。確かに、ナルの車なら一回で運べる。
 ナルは十八になると、早々に国際免許を取得した。
 ナルが堂々と運転できるようになると、渋谷サイキックリサーチ名義で、車をもう一台購入した。実用一点張り。どこからどうみても業務用の、グレーのワゴン車だった。
 調査に使っていたハイエースは大きいため、機材を多く積める代わりに、設置場所に近づきにくいこともあった。軽にするか迷ったらしいが、結局積載重量の大きい小型ワゴンになったのだ。
 とはいえ、駐車スペースの関係もあり、小型ワゴンは常にはナルのマンションのそばの駐車場に置いてある。
 なので、確かに、自力引っ越しは可能だ。が。
「今日、引っ越し? て、どこに?」
 尋ねた時には、もうナルはいなかった。
 なんの話し合いもなく、麻衣がナルの部屋に今日引っ越す、と決まってしまっていた。相談したところで、今日かどうかはともかく、早々にナルの部屋に移ることになっていただろうが、展開が早過ぎる。
「こういうとこは、ナルだよね」
 麻衣は一人ごちた。
 一時間ほどで、ナルが段ボールを持って戻ってきた。いつもよりは動きやすい恰好に着替えて。
「ナルが、黒く、ない」
 麻衣の感想に、ナルが渋い顔をした。
「自分で買う時に選ぶのが面倒なだけだ。これはルエラが送ってきた普段着」
 ナルも二十歳を過ぎた頃には成長が停まり、この一〜二年で細身のまま体格も定まったようだった。顔つきも一応二十代に見えるようになり、対外的にスーツを着ることも増えた。確かに、日本支部設置当初はスーツを着ること自体無理があったので、ノーネクタイながらビジネス色がなくもないという辺りでまとめていたのだろう。スーツは暗色系だが、Yシャツは白か薄いグレーで、ネクタイはスーツに合わせているようだった。なのでいつも黒、ということではすでにないのだが、仕事以外の恰好自体が珍しいからなのだろう。麻衣はぼーっと見とれてしまった。
 こういった時、ジーンを想像しているのがわかる。今のナルにとっては、複雑だ。ともあれ、解説を加える。
 サイズが定まったので、ルエラも服を買いやすくなったのだと。手作りのジャムや菓子と一緒に、室内着やカジュアルな服が時々送られてくる。普段が黒っぽいのを知っているので、あまり無茶な配色のものは送ってこないし、上下や上着をセットして送ってくるし、店員に相談して年代も合わせているという。組み合わせを考えずに着られるし、私用のみの時は着て出かけることもある、と。
「ふえ〜」
「ぼけてる暇はないぞ。鈴木さん・・・・・・マンションの管理人には引っ越しがあると伝えてある。とにかく荷物を詰めろ。僕が運ぶ」
「えー・・・・・・と」
 麻衣は、急な展開に呆然としつつも荷造りを進めていた。戸惑う麻衣にかまわず、ナルはさっさと縛った本やそのまま運べそうなものを玄関ドア近くへ移していく。
「ナルの、部屋に、お引越し、てこと、だよ、ね?」
「ここじゃ無理だろう? 部屋探しも面倒だし、この荷物の量なら今のところで大丈夫だ。何か問題があるのか?」
「いや、ない、けど」
 視線をあわせることもなく、二人とも作業を進めている。
「いずれ手狭になるようなら、引っ越しはまた考えればいい」
 冷蔵庫と煎餅布団一式、三段ボックスは処分、あとは持っていくと決まった。年代物の冷蔵庫はともかく、奮発して買ったテレビと炊飯器が生き残ったので、麻衣は胸をなでおろす。ナルの部屋にもテレビは一応あるが、モニタとして使用可能なので持ち込み許可が出た。炊飯器もすでにあるが、今後離乳食とか一方病人でおかゆなんて事態もあるだろうから、一応持って行くということになったのだ。
 九時開店の店で茶菓子を求めてから近所の大家のところへ急な転居の挨拶に行くと、学生相手のためいろんな事態に慣れている様子で、不用品処分も敷金から差し引きで引き受けてくれるという。荷物を運び出して簡単に掃除機をかけた部屋をすぐ点検してくれ、家賃の引き落とし口座に敷金差額を振り込んでくれる約束で鍵を返し、引き渡しは終了した。 麻衣が引っ越しを悟ってから、わずか二時間後のことである。
「仕事は?」
「さっき電話でリンに二人とも休むと伝えた。明日は顔は出すが時間は未定と言ってある」
「理由は?」
「まだ何も」
 ナルのマンションへ車で移動しながら、今日明日の日程を決める。ナルが常識的な予定を上げるのに、麻衣は少しびっくりする。そのフィールドワーク能力からすればそれで当たり前なのだろうけれど、傍若無人なイメージが元々あるので、驚いてしまう。ほとんどの荷運びをナルにまかせてとりあえずリビングに置く。ナルが荷物を運ぶ間に、麻衣は冷蔵庫の中身のお引越しだけ完了させると、ナルの指示どおり様々な連絡調整をし、シャワーを浴び着替えをする。ナルも荷物を運び終えると、スーツに着替えた。
「用意するものは?」
「えーとね、門前にお店あるから、現地で大丈夫」
 まずは、麻衣の両親の墓参りをして報告する、ということになった。ナルの養父母については、時差の関係で夕方電話報告するという。
 とりあえず、すべきことを一つずつクリアして行こうということで。
 通りがかりに区役所へ寄り、結婚の手続きを確認する。とりあえず日本の結婚は、婚姻届を出せば良いという。ただし、独身証明書を英国から取り寄せる必要があるとのことだった。
「ひと月近くかかりますよ」
 おまけに、あくまで日本での話で、英国での結婚はまた別の手続きなのだという。
 婚姻届の用紙をもらって、区役所を後にした。
 ナビをセットし、ナルは一路神奈川の墓地を目指す。
 麻衣は、そんなナルの横顔を眺めつつ、現実に進んでいく事態に戸惑っていた。
 どんどん切り開かれていく感じ。研究者であるナルには、一つ一つ確実に段階を踏みつつ道を切り開いていくのに慣れているのかもしれない。
 けれど、平々凡々と状況に合わせつつ随時対応していく麻衣には、このスピード感あふれる開拓事業は、かなりどびっくりな展開だった。こんな速さでも確実に進行している。これでいいんだ!? と、軽くカルチャーショックであった。
「手続きに時間がかかるし、それに合わせる必要もないだろう。『結婚した日』を、僕らで決めてしまおう」
 運転しながら、ナルが言う。
「世間でも、入籍日より結婚式の日を結婚記念日というそうだし?」
「そうか、そうだね」
 どちらかというと、世間では先に入籍して後から結婚式という授かり婚パターンで日にちにずれがあるのではないかと思うが、そこは突っ込まないでおく。
「早い方がいいよねえ。とはいえ、あんまりさかのぼるのもねえ」
 初エッチの日、までさかのぼるのはさすがにいただけないだろう。
「せいぜい、昨日くらいか。以降数日中で。麻衣が決めていい」
「う〜ん。結婚記念写真を子供に見せたいなあって思うんだけど。つきあってくれる?」
 少し考える間が開いた。
「式は、挙げないとルエラが不満だろう。養子に入ったばかりの頃、僕らに自分たちの結婚写真をみせてくれた。僕らのも楽しみにしていると言って」
「え!? 式!? 写真だけでもと思ったんだけど! そうか、ルエラは、きっとそうだね。写真すぐ撮れるならその日でもいいかなって思ったんだけど、式挙げるならその時の写真でいいもんねえ」
 麻衣は、ちらりと横目でナルを見る。
「んー。気分的には、昨日、なんだけど?」
 ナルが薄く笑うのがわかった。
「・・・・・・そうだな」
「プロポーズの日?」
「いいんじゃないか?」
「そだね」

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