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おやすみ

15歳未満の方でここに踏み込んで しまった方。以下の文章を読まずに、即、退去して下さい。

 SPR日本支部室長オリバー・デイビス、もとい渋谷サイキックリサーチ所長渋谷一也が 住んでいるのは、東京都某区某町JR某駅より徒歩8分のところにある、 15階建て賃貸マンション3階の2LDKの部屋である。
 兄の葬儀のためにイギリスへ帰国するまでは、新宿のホテルに住み着いていた。しかし、兄の遺体捜索 という名目で宿泊費の援助を受けていた関係上、日本に舞い戻って後まで甘えるのははばかられる。
 そのため、ナルは渋谷にある事務所からさして離れていない場所に、部屋を借りることにした。
 それも、リンを巻き込むと確実に同じ建物内にされてしまうので、あえて自力で探した。 外国人に部屋を貸してくれる不動産屋を滝川に尋ねた時には、にんまりと笑われたが。
 部屋探しは、疲れる上に無用に時間がかかりすぎる。
 そんなわけで、結婚が決まった時、ナルは迷わず配偶者となった麻衣をこの部屋に引っ越して来させ たのだった。

 元々、物を蒐集する趣味のない夫婦である。
 片や仕事に関連したもの以外に興味を見いださない夫。
 片や節約生活が身についている妻。
 新婚生活の始まった2LDKの部屋・・・・・・。家財が2人分に増えたはずなのに、物持ちの独り者の 部屋より物の少ない部屋である。

 そんな彼らが、唯一新しく購入した家具が、ベッドである。
 麻衣はこれまで布団生活だった。しかし、ナルの部屋に和室はない。
 そして、ナルのベッドはセミダブル。2人で眠れないことはないが、それでずっと・・・・・・という 気にはなれない。まして、麻衣は妊婦。これからお腹が大きくなっていくのに、それでセミダブルに2人は ・・・・・・きつい。

「麻衣の分、買い足せばいいだろう」
「シングル買ったとしたってあの部屋にベッド2つにベビーベッド置いたらスペースなくなっちゃうよ。 もう一つの部屋をナルの部屋じゃなくて子供部屋にするならそれでもいいけど?」
「あの部屋はダメだ」
 これまで書斎代わりに使っていた部屋である。本や資料のほとんどは事務所に置いてあるので物が多い わけではないが、自宅でも仕事をすることを考えれば、個室をキープして置きたい。その点は麻衣も認め ている。
「じゃあ、今のセミダブル書斎に移してシングル2つ買うか、ダブル1つ買うかだよ」
 最初からシングルを置いていればもう1つ買い足すだけで済んだのだ。 ナルはうんざりとため息を吐く。
「そもそも、なんでセミダブル置いてたの?」
 麻衣の今更な素朴な疑問に、ナルが黙り込む。
 ナルは、なんでそんなこと説明しなくてはならないのかと、面倒になって黙っただけだった。
 しかし、コトがベッドの話である。いくらでも、疑おうと思えば疑えるシロモノだ。 ここで沈黙した場合、あらぬ疑いをかけられたところでナルが悪い。
「ふーん、黙っちゃうんだ。ナル、寝相悪くないよね。なのに、なあんでセミダブルなのかにゃあ。 何かと便利だもんねえ、セミダブルだとぉ」
 何が便利なのかわからずに、ナルは沈黙を継続する。このベッドに関しては、ろくな思い出がない。
 日常的に使わずにすむようになることに、異存はない。麻衣の発言は無視して、ナルは心を決めた。
「シングル2つ買うか?」
「ごまかしたな」
「どうでもいいだろう、そんなことは」
「そんなこと。あっそう」
 新婚にも関わらず、麻衣の機嫌はあまりよくない。
 妊娠初期のホルモンバランスの崩れによる精神不安定状態のせいである。
 つわりの負担もあるし、何かとイライラしてしまうのだ。
「ナ〜ル。正直に、言ってくんない? 新婚そうそうわだかまり残すのはよくないと思わない?」
 何故セミダブルベッドの存在ごときにそんなにこだわるのかと、ナルはまたため息を吐く。
「単なる家具屋のミスだ。僕が頼んだのはシングル。まちがえてあれが来ただけ。配送料は店の負担だった から、戻してまた送ると費用がかかるだろう。だからできればそのまま引き取ってくれというんで、面倒 だから交換しなかっただけだ」
 そのせいでぼーさんと朝を迎えることになったり、こんな騒ぎまで起きることになったのだから、 ひどい迷惑だ。得した気分はさらさらない。
「ふうん、あっそう」
「いったい、何が気に入らないって言うんだ?」
 このあたり、妙に鈍感なナルであった・・・・・・。

「ダブル」
「シングル」
 前者が麻衣。後者がナルである。
 麻衣にダブルベッドを勧めたのは綾子である。曰く、シングル2つよりスペースが節約できる、ベッド メイクの手間が半分になる、当然、洗濯も楽になる。
 その場にはナルもいたので、麻衣がダブルベッドを主張する理由はわかっている。しかも、麻衣が席を 外した隙に、綾子はナルに耳打ちまでしてくれた。『ダブルの方が、せまる時便利よ』と。
 それを思い出したナルは、さきほどの麻衣の『セミダブルの方が何かと便利』の意味をようやく理解 した。何を疑っているんだか・・・・・・。
 その恩恵に預かった結果が22歳同士の夫婦誕生だということには、思考をつなげない。
「僕は寝る時間が不規則なんだ。ダブルじゃ目を覚ますだろう?」
「大丈夫だよー、目が覚めてもすぐ眠れるし」
「寝ようとした時に麻衣が真ん中に寝てたらどうしろって言うんだ?」
「あたしそんなに寝相悪くない」
「風邪でもひいたらどうするんだ? 一緒じゃうつるだろう?」
「そのために書斎にセミダブルとっとくんじゃない。同じ部屋にいたらベッド違っても同じでしょ?」
 結局、折れたのはナルだった。
 麻衣にベッドを占領されてしまったときにも、避難所は用意されているのだ。

 婚姻届を出し同居を始めてから、5日目。
 新婚家庭にダブルベッドがやってきた。
 これを迎えるために、麻衣はわざわざバイトを休んだのだ。
 ナルが仕事から帰ってきたら、セミダブルは書斎に移り、替わりにダブルベッドが鎮座していた。
 ナルはそれを見て、ため息を落とす。
 結婚した、という現実を見せ付けられる感じがして、いやになる。
「気に入らない?」
 麻衣が顔を覗き込んでくる。エプロン姿の妻に、ダブルベッド・・・・・・。眩暈がしそうだ。
 ナルはさっと麻衣の額にキスして、とっとと寝室を後にした。
「き、急に何すんだよ〜」
 あわあわして後を追ってくる麻衣の声に、ナルはこの手はまだしばらく有効だな、などと考える。

 可もなく不可もなく、という麻衣の作った食事をとり、一息つく。
 食器を下げるのだけはナルも手伝ったが、今日は機嫌のいい麻衣が「片付けやるから好きにしてて」 と言ってくれたので、遠慮なくリビングに落ち着いた。
 キッチンに料理の本が数冊積みあがっていたのは、とりあえず見なかったことにしておいた方がいいの だろうか?
 ソファに落ち着き、膝の上には今日届いたばかりの読みかけの専門書。
 にもかかわらず、ナルは対面カウンターの向こう側で食器を洗っている麻衣に視線をそそいでいた。
 ふと我に返ったナルは、本に視線を落とす。
 その顔には、微笑が浮かんでいた。
 麻衣に気を取られてしまっていた。未知の本を目の前にしながら、この自分が・・・・・・。
 不覚にも、と思うのに、気分はいい。
 くすりと、ナルは小さく自分を笑う。
 これで良かったのだ。
 きっかけがなければ、自分は動かなかっただろう。一度関係を持っただけだ、と。
 麻衣の心の変化を知りつつも、それはまたいずれ変わるものだと。
 麻衣を欲した自分の心を知りつつも、だからこそ動けずに。
 そう、あの時・・・・・・。わずかにひと月ほど前のあの日、この部屋を訪れたのは麻衣だった。
 仕事を休んだナルを心配して、たった1人でやって来た。
 もしも、やって来たのが麻衣ではなく、たとえば、真砂子だったとしても・・・・・・、同意さえ得ら れれば、ナルは真砂子を抱いただろう。
 そんな状態だった。それをナルは知っている。麻衣もそれは知っている。
 愛情から麻衣を求めたわけじゃない。
 だからこそ、動けなかった。
 なしくずしに関係を保つことなどできなかった。
 けれど、期待もあった。そして、麻衣が自分から離れていくことを選択する怖れも・・・・・・。
 麻衣の妊娠とその告白が、ナルの中で止まっていた時間を動かした。
 彼女を愛することを許された。
 そんな気分だった。
 解放された想いのおもむくままに行動してしまったので、麻衣の方は2度目も不本意な形で結ばれてしま ったと思っているかも知れない。
 引っ越しやら何やらでひどく疲れたり、つわりが始まったりで、新婚とは名ばかりに同じベッドに眠り ながらこれまで安静にさせていたけれど・・・・・・。
 ナルは、キッチンの麻衣へと視線を上げる。
 麻衣は、真剣な顔で朝御飯のタイマーをセットしていた。
 ということは、台所仕事は終わりだ。では、とっとと風呂に入っていただいて・・・・・・。
 麻衣がリビングに戻ってきたらどういう展開でもって早々にお風呂場に行っていただこうかと思案する ナルの予想を裏切って、麻衣は炊飯器の前を離れると、廊下へと姿を消した。それも、やや小走りに。
 ナルは眉をひそめ、音に集中する。戸を開け閉めする音が、トイレの方から・・・・・・。
 1行も読み進めなかった本を脇に置いて、ナルはリビングを出る。
 トイレの前には、麻衣のスリッパが好き勝手な方角を向いて取り残されていた。
 そして、戸の内側からは、せき込む音が・・・・・・。
 ナルは、コンコンコンと軽くノックする。
「大丈夫か?」
「・・・・・・大丈夫。お風呂沸いてるから、ナル、先に・・・・・・」
 不自然に言葉がとぎれる。ナルは、肩を落としながら一緒にため息も落とした。
「わかった。後はゆっくりしてろよ?」
「うん」
 ナルは、麻衣のスリッパをそろえてから1人寂しく風呂場に向かった。
 トイレの前でうろうろしていては、吐けるものも吐けなくなるだろう。
 麻衣をとっとと風呂に入らせる方法を思案していたというのに、自分がとっとと風呂に入ることに なってしまった。
 服を脱ぎながら、ナルはまたため息を吐く。
 あの新品のダブルベッドで、また、ただ添い寝するだけなのか・・・・・・?

 リビングに戻ると、ソファで麻衣がぐったりと横になっていた。
「おさまったか?」
「・・・・・・まだ、かも・・・・・・」
 薄目を開けてそれだけ言うと、麻衣はまた目を閉じてしまう。
「何か飲むか?」
「うん。さっぱりしそうなのがいいな」
 ナルが冷蔵庫を開けると、買い物をしたらしく、スポーツドリンクが入っていた。レモン系のものが。
「・・・・・・・・・・・・」
 扉を開けたまま、しばし固まってしまった。
 それでも、一呼吸おいてそれを取り出し、2人分をグラスに入れてリビングに運ぶ。
「ん〜、ありがと」
 麻衣は物憂げに体を起こす。顔色は青白い。
「えへへ、ナルに入れてもらうなんて、すごいなあ」
 そんな顔色でいながら、麻衣はにこにことグラスを受け取った。
「あたし、今日は書斎で寝るね」
「なんで?」
「だって、新品のベッド汚したくないもん。あ、仕事する? 邪魔かな?」
「いや・・・・・・。するけど、明るくていいなら構わないが?」
「うん。静かにしてるから」

 午前2時。ナルはパソコンの電源を切り、資料類を片付ける。麻衣はいない。
 お腹がすいた、と部屋を出ていったのが1時過ぎ。15分ほど前に戻ってきたのだが・・・・・・ ついさっき、「あ、ダメ」と、部屋を飛び出して行った。
 夕食も夜食も、結局吐いてしまったようだった。
 片付け終わったところに、麻衣がぐったりと戻ってきた。洗面器を抱えて。
「あれ? ナル、仕事終わり?」
「ああ。まだ落ち着かないか?」
「うん・・・・・・。念のためにコレもってきたの。間に合わなかったらヤだから」
 洗面器にビニールと新聞紙をかけたものを、麻衣はベッド脇の床に置く。ナルは黙って書斎を出て行 った。
「あ、ナル、おやすみなさい」
 麻衣があわててその背に声をかけたが、ナルは返事をしなかった。
 そうして、枕を抱えて戻ってきた。
「ナル、こっちで寝るの?」
「あの広いベッドに1人で寝ろっていうのか?」
 唖然とする麻衣に、ナルは睨むようにして言う。何が悲しくて新品のダブルベッドに1人で寝なければ ならないんだ。
「えと、だったら、奥に寝てくれる? あたし、急に起きるかも知れないから」
「ああ」
 いつもは、ナルが右側、麻衣が左側に寝ている。特にどっちに寝ると決めたわけではないのだが、自然と そうなっていた。しかし、書斎に移したセミダブルは、左側を壁にくっつけてしまっていた。ナルは麻衣の 枕を手前に、自分の枕を奥に置いてベッドに入り、スタンドを点けた。麻衣が部屋の明かりを消して後に 続く。
「広いのに1人っていうのも、良くない?」
 麻衣が横になって尋ねる。
「麻衣は?」
 訊き返されて、麻衣は笑う。
「やだな」
 ナルは薄く笑い、麻衣の額にキスをした。麻衣はちょっと首を縮める。ナルは楽しげに微笑み、 そうして、スタンドの明かりも消した。
「おやすみ」

 さて、18歳未満の皆様。申し訳ありませんが、このページ内から行ける隠しページは探さないで下さい。うっかり入ってしまったら、ただちに引き返してください。18歳以上の方も、ナル×麻衣です、読後の責任はとりかねます。読みたくなくなったら引き返してください。

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