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暗闇(2000.2.19)

 大きな音。
 重い金属が落ちる音。
 反響している。
 この音は・・・・・・。
 重い蓋が、閉じられた音。

 はっと気づくと、冷たい指先が頬に触れていた。
「きゃっ! だっつ!!」
 起きざまに身を引いて頑丈な壁に背中を打ちつけ、麻衣は二重に悲鳴を上げる。
「麻衣」
 痛みに奥歯をかみしめているところに、すぐそばから聞き慣れた声がした。
「ナル?」
 ぱちりと目を見開いた麻衣の目に飛び込んできたのは、黒。
「え? ここ、何?」
 黒色、とさえ表現しがたい、真の闇。
「ナル!」
 光源がまるでない。目の前にかざしたはずの自分の手さえも見えない。
「どこ!?」
 夢だろうか? 違うという確信だけはなぜかある。
 手探りするように、麻衣の手に軽くぶつかった腕。
 麻衣はとっさにしっかりとそれを両手でつかまえた。
「ナル?」
「・・・・・・ああ。こんなところにいたのか」
 こんなところとは、どこだろう。
 麻衣はぐるりと首をまわす。視線を巡らせたつもりなのに、なんの陰影もみつけられない。
 ただ、濃密な闇だけがある。
「ここは、どこ?」
「森の番小屋の床下」
「床下?」
 素肌をさらした足に触れる感触は、凍るように冷たいコンクリート。
 そう思った途端に、全身がかけのぼる寒気に強く震えた。
「どうした?」
 つかむ腕の他に、温かいぬくもりが背中に触れた。麻衣は腕を這いのぼるようにして、ナルの胸に身を よせる。
「・・・・・・寒い」
 ナルは麻衣を引き剥がす。冷たいヤツ、という言葉がとっさに口をつく前に、戻された。
(あれ? さっきよりあったかい)
 服地が減った。そう悟ると同時に、ナルの上着ごと抱きすくめられた。
「あ、こっちの方があったかい」
「・・・・・・ああ、そうだな」
 複雑そうな声で耳元につぶやいて、ナルが上着とコートで麻衣の体を包んでくれた。
 冷える足腰よりも温かい部分に意識を集中して、麻衣はようやく、事の次第を思い出した。

 小島での調査が終了して、あとは帰るばかりだった。
 悲惨な運命をたどった少女たちの慟哭が染みついた屋敷から、早く逃げ出したい。早く帰りたい。
 麻衣のその想いをうち砕いたのは、遠い国での地震だった。
 規模はわからないが、津波がくる。
 はるかに遠い国。高くても船が沈むほどのものはくるまい。
 けれど、甚大な被害が予想される震災国の情報と、船舶への注意を促すニュースに、 ナルが移動は本島までと決めた。屋敷にもう一晩泊まってはどうかとすすめられたけれど。
 津波の到達予想時刻は深夜。
 それでも、本島からの船は欠航となっていたのだ。
 無事に本島にたどり着いても、麻衣は落ち着けなかった。
 本島の森には、少女たちの遺体が眠っている。誰に知られることもなく。
 本島で機材の減量化のために残ったリンと情報収集にあたっていた安原に合流し、 彼らが宿にしていた旅館に入ったのは、まだ日のある時間だった。
 どうせ何もできないのだからと、少女たちの眠る森へ花を手向けに行こうと言い出したのは、 誰だったか。
 船着き場の売店で島で栽培している花を買い求め、調査データに没頭しているリンを残し、みんなで森に 行った。
「派手かなあ、これ」
「観光用ですからねえ。温室で栽培してるの見ましたよ」
「冬はさすがに無理か・・・・・・て、咲いてるぞ、あそこ」
「けど、ちょっと花が小さいんやないですか、あれ」
「女の子にあげるんだから、派手でいいのよ。普通の女の子に菊の花あげるの? あんたたち」
「そうですわね、いただけるなら、菊の花より、こちらの方が嬉しいですわ」
 真砂子は抱えた花を見、それからちらりとナルに視線を送る。
 それを見ていた麻衣は真砂子の視線を追ってみたが、ナルは前方を見据え、 夕陽を受けてまぶしげに目を細めているだけだった。
 少女たちを葬るためのスコップなどが納められていた、森の番小屋と呼ばれていた小屋から続く埋もれた 小道に花を手向け、麻衣は目を閉じ手をあわせた。
 立ち上がって振り返ると、ナルだけは少し離れた小屋によりかかり、ぼんやりと地面を見下ろしていた。

 何にせよ、調査は終わった。研究としてのデータの解析などは、麻衣や霊能者らにはあまり関係ない。 結果を教えてもらえるといいな、という程度で、協力できる範囲ではない。酒も入り、大きなお風呂に入り で、麻衣も少しは気分が晴れたかなと感じた。
 しかし、ふと廊下の窓から森をみつけると、気持ちは一気に冷める。
「あれ?」
 ちらりと、森に光が見えた。
「どうしたの? 麻衣」
「灯りが見えた、一瞬だけだけど」
「ええ? のぼせてんじゃないの?」
 綾子が窓を開け、身を乗り出すようにしてじっと見る。冷たい空気が入ってきただけで、灯りは見えない。
「ああ寒い。のぼせるどころか風邪引いちゃうわ、見間違いでしょ」
「見えたもん。のぼせてない」
「何か、珍しいものでもあるのかも知れませんわ。人に知られないように夜中に採りに来ているのかも」
「キノコとか?」
「あんたねえ、真冬の真夜中よ? 見間違いか酔っぱらいの幻覚よ」
「う〜〜。ちょっと、玄関先まで見てくる」
「無駄無駄。風邪引くだけ損よ」
「見てくる」
 意固地に言って麻衣は一人でのぼって来たばかりの階段へ向かう。
「荷物を置いてきますわ」
 つきあってくれる気らしい笑みを見せる真砂子に風呂用具一式を預けて、麻衣は一階に降りた。
 素足に旅館の下駄を履き、これまた旅館の浴衣に丹前という格好のまま、鍵を開けて玄関を出た。
 満天の星が、頭上にあった。
(すごい、こんなに星ってあったんだ・・・・・・)
 玄関の灯りから遠ざかり、門の手前まで進む。ゆるい風が背後に流れていった。
 目が慣れるのか、かの有名なプレアデス星団の四角の中の星の数がみつめる内に増えていく。
 ぼんやりと、麻衣は心の中でそれを数える。
(一、二、三、四・・・・・・・・・・・・) 
 小さな物音には気づかなかった。そっと忍び寄る人影にも。
(五、六・・・・・・っ!)
 後ろから抱えられ、顔に濡れたタオルのようなものを押し付けられた。
 がっちりと力強い男の力。精一杯の抵抗はそれが無駄と知るだけのもの。
いつまでも息を止めていられない。
(誰か!!)
 真砂子が来るはずだ。少しでも時間を持たせれば・・・・・・。
 男は、薬を染み込ませたタオルを麻衣の顔におしつけたまま、麻衣を引きずるようにして門を抜けた。

「麻衣がいない、と原さんが僕らの部屋に来たのが、十時頃だったな。下駄が落ちていて、何か薬剤の 匂いが残っていたと」
 ナルも寒いのか、麻衣の耳に頬を寄せるようにして小声で語る。皆で付近を捜してもみつからなかっ たので、駐在所に連絡して地元の人々にも協力してもらい捜索していると。
「今、何時くらいかな」
「三時は過ぎてる」
「で、ナルはなんでここに?」
 自分は眠らされてここに運ばれたのだろうが、なぜ、ナルは逃げようともせず、ここにいるのだろうか。
「狭い道を探してたら人に会って」
「ナルも、薬で気絶しちゃったの?」
「いや。殴る蹴るで。意識はずっとあった。動けなかっただけだ」
「大丈夫なの!?」
「たいしたことはない。今は寒い方がきついな」
 言って、ナルは更に麻衣を引き寄せた。
 麻衣はなされるままにしていたが、闇の中で眉をひそめた。
 確かに、更に前より温かくなったが、ナルをソファがわりに座っているような格好になってしまった。
「重いと痛いんじゃない?」
「寒い」
「ナルって、寒がりなの?」
「暑いよりは寒い方がマシだな。けど、今は寒い」
 ただの湯たんぽがわりなら、こちらも今は人間湯たんぽだと思うことにしよう、と麻衣は決めた。 もっとも、こちらは浴衣に丹前、その下は上は長袖のTシャツを着込んでいるものの・・・・・・。乱暴に 扱われたのか、どうもかなり着崩れている感じがする。
(湯たんぽだ、湯たんぽ)
 ようするに、ナルもまた閉じこめられてしまったわけだ。
 重い蓋をおろす音を聞いたのは、ナルを入れて再び蓋を閉めた音だったのだ。
 あの、戸もなくなった朽ちかけた小屋の下に、こんな地下室があったとは。
 気配としては、そんなに広くない。倒れていて手足が壁に当たっていたということもないから、二、三畳 くらいの広さだろう。あの音はひどく近かったし、深さもそんなにないはずだ。
「高さ、どんくらいかな」
「立ったら頭ぶつけるぞ」
「ぶつけたの?」
「麻衣じゃあるまいし」
「あたしで頭なら、ナルは背中ぶつけたのかな」
「・・・・・・・・・1.5メートルはないな」
「出られないの? それでも」
「頑丈だな、天井も蓋も。蓋はしっかりした留め具が上についていたし、持ち上がらない」
「閉じこめてどうしようっての?」
「あの床下にこんなスペースがあると知っているのは、誰だと思う?」
 朽ちかけた小屋の地下。夕方覗いた時には、入口近くにまで雑多なものが積まれていて、床の様子は わからなかった。しかし、床が壁同様に抜けそうに老朽化していたのかどうかは確認していないし、 見捨てられた様々な物の向こうに無事な床があったかどうかも見ていない。背の高い荷に隠されていた のだろう。
 こんな隠し部屋もどきを整えることができたのは、誰だ?
 この山とこのボロ小屋の持ち主と考えるのが妥当な線だ。
 そう言うと、ナルもうなずいた。
「つまり、今回の依頼主だ」
 道理で、屋敷にとどまるようにしつこくすすめたはずだ。
「口封じ、ってこと?」
「僕らがいなければ、リンたちもすぐには帰らない。とりあえず足止めして・・・・・・」
「つまり、みんな、ここに連れて来られるかもってこと!?」
「なら、その時に出るチャンスがあるかも知れない」
 色のない声で、ナルは言う。こういう声の時は、隠した言葉がある時だ。
「ここじゃ、ないかも・・・・・・。だったら、蓋を開けられることはない。そういうこと?」
「・・・・・・・・・・・・その可能性もある」
 それでは、ここで飢え渇きじわじわと死んで行くかも知れないということか。
「大丈夫だ。リンさえ無事なら、みつけられる」
「あ、そっか。前に、マンホール落っこちた時もみつけてくれたもんね」
 リンならそうそう捕まることもないだろう。本人も強いし、式もいる。
「こんな密室でも、みつけられるのかな」
「大丈夫だろう。・・・・・・それにしても、地下が好きなヤツだな」
「は? ・・・・・・・・・・・・誰も好きでこんなとこいるわけじゃなああああいっ!!!」
 叫んだら、声が反響してしばらく消えなかった。
「・・・・・・うるさい」
「ふんだ」
 それで黙り込んだが、今度は静かすぎる。かすかな息づかいさえもはっきり聞こえるけれど、それ以外 のなんの音も聞こえなかった。
「・・・・・・ここ、なんのための部屋なんだろう」
 人が立ち歩くこともできない地下室。それも、廃屋の下だ。
「・・・・・・隅に、金庫が埋めてある」
「隠し金庫ってこと?」
「小屋の中のものがかなり動かされていたし、中身を運び出してかわりに放り込んだんだろう。 税金逃れの資産の隠し場所か、ただの保管庫かはわからないけれど」
 麻衣が見たのは、運び出し作業のために灯された明かりだったのだろう。
 しかし、ここから旅館までは少し距離がある。犯人は複数だ。
 助けを求めて依頼してきたくせに、なんて連中だと大きく息を吐いたところで、麻衣はそれに気づく。
 冷たい空気。その成分が・・・・・・。
「・・・・・・ここ、酸素・・・・・・」
「ああ。空気の流れがないな」
 飢え渇く以前に、酸欠だ。しゃべっちゃいけない、呼吸も細くしなくては、と思った途端に、呼吸の しかたがわからなくなる。呼吸量を減らすどころじゃない。
「今更気にするな。逆効果だ」
「でも・・・・・・。しゃべらない方がいいんじゃ」
「僕はかまわないが。いいのか?」
 目が慣れているはずなのに、相変わらず何も見えない。ナルのぬくもりだけ。ナルの声だけ。それだけ が今の支えだ。
「・・・・・・いやかも」
「なら、気にするな」
 けれど、それで死ぬのは自分だけではない。同じ空間を共有しているナルも一緒だ・・・・・・。
「・・・・・・できるだけ、黙ってるけど、返事してね」
「ああ」
 いつのまにか、自分でもナルの服地をつかみ体を寄せていた。温かい。これだけでも、大丈夫。
 たまに姿勢を変え、時々言葉を交わす。麻衣は心の内で数を数えてみて、時間の流れが恐ろしく遅いこと に気づいた。いいことなのか、悪いことなのか。
「津波、どうだった?」
「ここでは被害ない程度」
 互い以外に、なんの気配もない。頭痛を感じるようになって、麻衣はナルの肩に額をすりつけた。
「なんだ?」
「なんでもない。寒いだけ」
 実際には、麻衣はナルの上にほとんどのっている格好だから、寒さはかなりましだった。
 逆に、ナルは冷えた床に座り込んで冷たい壁に背を預けているのだから、人間湯たんぽなどほとんど 気休めだろう。

 眠ったのか、ひどい頭痛に麻衣は目を開ける。相変わらず、暗い。そして・・・・・・。
「ナル?」
 ぬくもりが、体温が低い。
 呼びかけに、応えはない。
「ナル!?」
 大きな声を上げると、頭を打ち込まれるような痛みが襲う。
 返事はない。
 そっと身動きすると、背にまわされていた腕が落ちた。頬に直に触れると、冷たい肌の内に温もり を感じた。瞼に触れると、それは閉じられていた。
「ナル・・・・・・」
 胸に耳を寄せると、ごくゆっくりとだが心音は聞こえた。
(あたしが、不用心に外に出たりしたから・・・・・・)
「・・・・・・ごめんね」
 手探りして、唇に触れる。柔らかい唇が、渇いて冷えていた。
「ごめん」
 唇をあわせ、熱い呼気を吹き込んでみてもナルは動かない。
(ジーン・・・・・・)
 彼にも、謝らねばならない。
(ごめん。ナルも、連れて行っちゃう。あたしのせいで)
 ジーンの声は聞こえない。こんな時にも、来てくれない。 最後に会ったのは、もう、何年も前のことだ。
(ごめん)
 麻衣は、冷え切ったコンクリートに足をつける。頭が痛い。
 ナルの体をひきずるようにして壁際から放し、寝かせる。丹前を脱いでたたみ、ナルの頭の下に敷いた。
 これだけ動かしても、額をなでてみても、ナルの意識は戻らない。 その方が楽に逝けるだろうと、麻衣は頬をなでながら微笑んだ。
 そうして、麻衣はナルに寄り添い身を横たえた。
 上着とコートの中に。さっきまでと同じように。けれど、床の冷たさが伝わってくる。 ぴったりと身を寄せて、麻衣は目を閉じた。
(ごめんね)
 せめて、最期まで温めているから。
(ジーン・・・・・・)
 ちゃんと、ナルを光の向こうに連れていってあげてね・・・・・・・・・・・・。

「麻衣、麻衣!!」
 気づくと、目の前に滝川の顔があった。
「麻衣・・・・・・。もう大丈夫だ、大丈夫」
 ぬくもりの残る上着に包まれたまま、麻衣は滝川に抱き寄せられた。ぽんぽんと背中をはたいてくれる。 助かったのだ。
「ナルは!?」
 わめくと、思い出したように激しい頭痛が戻ってきた。それでも、滝川の腕を逃れ、首を巡らす。
 ちょうど、リンがナルを背負ってジョンが付き添い歩き出したところだった。
「下に車を用意してもらっています。谷山さんも」
「ああ。麻衣、行くぞ」
 滝川に背負われて、麻衣もナルの後を追う。
 太陽が、水平線から強烈な光を放っていた。

 小さな病院に入院させられて、麻衣は暖かい部屋で眠った。
 起きると、真砂子がいた。
「おはよう。災難でしたわね」
「・・・・・・ナルは?」
「大丈夫ですわ。熱が出てますけれど、隣の部屋に。あなたもよ、麻衣」
 そう言って、麻衣の額に手を置く。まだ高いようですわね、と、頭をよけさせて氷枕の状態を確認 する。
「枕をかえてきますわ。おとなしくしててくださいね、こんな騒ぎはもうごめんですわよ」
「うん、わかった」
 微笑んで、真砂子が氷枕を抱えて出ていく。この様子なら、ナルも本当に大丈夫なのだろう。
 窓から、薄いカーテンを通して日が射し込んでいた。
 明るい。
 暖かい。
(良かった・・・・・・)
 ナルを死なせずに済んだ。
(あんなんで死なせちゃったら、ジーンに会わせる顔がないもん)
 麻衣は、射し込む光の中になつかしいジーンの姿を思い浮かべる。
(ごめんは撤回ね)
 彼が苦笑したのが、わかる気がした。

 犯人は、予想通り屋敷の人々だった。
 警察沙汰で、屋敷の過去も表沙汰になるかも知れない。彼らの船からは、あの地下室に隠して いたらしい隠し財産などがみつかったし、以前の事件はとっくに時効としても、子孫が別件で法の裁きを 受けることは間違いない。
 一度は、滝川らもあの番小屋を見に行ったのだと言う。しかし、夕刻来た時に中を見ていなかったので、 荷物が動いていることに気づかなかった。少し目を離した隙にナルがいなくなり、リンも式を使って 捜す努力をしたが、悪条件が重なり、場所をしぼれなかった。
 結局、こんな騒ぎを起こすのは屋敷の連中としか考えられないからと、森を徹底的に捜すことにした。
 そうして、真砂子がジーンの姿をみつけたのだ。
 番小屋の中に立つ姿を。
 床板が外れることに気づき、頑丈な蓋の鍵を壊すために島民にも協力してもらい、ボロい小屋自体も ぶち壊して鍵を壊し、やっとのことで二人を救出したのだと言う。
「心中かと思いましたよー。違うってわかってても」
 にやにやと安原が言うのに、ジョンが苦笑する。実際に地下室に入って二人を引っぱり出したのは、 安原とジョンなのだ。
 麻衣はつんと顔をそむけて見せた。帰りの船の中である。
「寄り添ってただけなのお? 暖をとりあう基本は裸でしょ?」
「おおっと、松崎巫女さん、問題発言!」
「雪山じゃないんだから。第一、気温より空気が問題だったんだろうが、あそこは」
「本当に、間に合って良かったですわ」
 冷静になって考えてみると、あの体勢でみつかった現状の方が良かったと思うので、麻衣は それについてからかわれても文句を言わない。ナルの膝にのった状態よりはマシだろう。
 ナルは、リンに付き添われて、医務室を借り横になっている。熱もまだあるし、暴行を受けた痛みが まだあるらしく、歩く様子もまだ頼りなかった。それでも、ちゃんと生きている。
 麻衣は、ナルとはまだ隣りの病室を見舞いに訪れた時に短い会話を交わしただけだった。
(なんか、会わす顔ないかも)
 ナルは、怒ってはいなかった。けれど、笑って済ます風でもない。そっけない言葉だけで、麻衣をちらりと 見ると、後は視線を寄こさなかった。
(あたしって、こりないなあ)
 ナルの心中も知らず、麻衣は遠くかすむ陸地を見やり、ふううっと大きなため息を吐き出した。


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