夜は、いつ明けるのだろう。
時計の文字盤も見えない闇の中、ナルは木を支えに立ち、辺りの気配をうかがっていた。
風に揺れる森の音。闇に生きる鳥の声。リンは、麻衣は、滝川らはどうしてしまっただろうか。あれほどバラバラになるなと言っておいたのに、森に巣くう霊達の急襲で見事にばらけてしまった。
あの廃校になった小学校の時のように、ただめくらましをかけられているだけなのか、それとも、やはり、近くにはいないのだろうか。
ナルは、右手を目の前に開いた。
わずかな星明かりに、ちらりと光を反射した鏡。その鏡面に親指を触れさせる。
(麻衣たちはどこにいるんだ?)
(わからない。近くにはいないと思う。それより、霊達が集まってきてるよ)
ナルの呼びかけに応えるのは、双子の兄、ジーン。不慮の事故で2年も前に他界したはずが、未だに現世をさまよっている元霊媒。霊媒が迷ってどうするんだと何度思ったことか。ナルは手鏡と向き合った。
(ここにか? 全部?)
(そう。ナルのまわりに)
三ヶ月前の一家心中を皮切りに、月に二、三人のペースで自殺が続く森林公園。
その管理事務所から依頼を受けたのが三日前。森林公園ならばあてになるかと思われた綾子は、ここにも生きている木はないという。広い公園内のあちこちに自殺ポイントはあり、電源を確保することもままならない。
連鎖的に自殺を引き起こす現象は、ままある。アイドルの後追いなどということとは別に、強烈な印象を残す死に、惹かれるようにその現場近くで自殺が続くのだ。
その場となった場所に興味を持ち、ナルは依頼を受けた。
どこをどうつついても自殺願望のなさそうななじみの霊能者達を集めて乗り込んだこの夜、真砂子が存在を確認した十数人の霊達は、何を思ったかいきなり襲いかかってきた。
小石をとばしたり枝葉をぶつけてくる程度なのだが、その数と量が並ではなかった。
攻撃により追い出すことが目的だったのか、それとも、こうしてメンバーを拡散させることが目的だったのだろうか。
ジーンの言うとおり、あちこちの木々の隙間に霊の姿が現れる。
確かに、数は十を超えている。集まる理由はなんだろう。リーダーがナルだと知って、ターゲットに定めたのだろうか。
ジーンがいるから、除霊することもできるが・・・。
(ナル)
(なんだ?)
(浄霊できるよ。彼らは苦しんでいる。仲間を欲しているけど、後悔してるんだ)
(僕にできるわけないだろう)
(だから、僕がやる)
(そこからできるのか?)
(いいや。・・・けど、ナルの体を借りれば、できると思う)
(・・・・・)
彼らは、ジーンを求めて集まってきたのか? 救済を求めて。駄目なら、ナルを仲間に引き入れようと?
(僕に憑依して浄霊できるっていうのか?)
(憑依霊が浮遊霊を浄霊するっても変だけどね。できるよ、きっと。ナルの体なら)
双子だから、か。
正直、イヤだ。けれど、この状況。そして、霊媒の見え方などなどを体験できるかも知れないということ。更に、誰かくる気配もないということ。
(仕方ないな)
ため息を吐き出して、ナルはジーンの要望に応えた。
「もおお、なんでこんなに広いのぉぉぉ」
森林公園内の様子を見てまわって集まったところで受けた急襲。
吹き寄せる葉に相手が確認できず、また、長く口を開くこともできない。
結局、麻衣は無我夢中に逃げまどい、我に返ると辺りには誰もいなかった。
迷子になったら動くなというが、みんながみんなじっとしてたら永遠に逢えんわと、乏しい星明かりの中、小声で声をかけながら細い道を行く。やっぱり動かないべきだったのだろうかと心細くなった時、かすかに、人声が聞こえた。
(・・・誰だろう)
声は若い男性のもの。優しい口調。リンではない、滝川でもない。ジョンとは声の調子が違うし、安原は今日はきていない。
(誰・・・?)
声を頼りに、麻衣は木々の間に踏み込み、道なき道を進んだ。
優しく呼びかける声。なんの気負いもない調子。麻衣は足を速める。この声は、ナル?
淡い光が見えた。霊の姿。その大勢の。
麻衣は、足を止めた。
唯一生身で立つ人物。語りかける声はナルのもの。けれど、その優しげな笑みは、霊達を安らげる言葉は、導く手の動きは・・・。
(ジーンっ!?)
麻衣は、霊達が光の中へと歩み去っていくのをじっと見守った。導いた彼の姿と共に。
彼らを見送って、ナルが麻衣に視線を向ける。いや、ジーンが。ゆっくりと歩み寄ってくるのに、麻衣もまた歩き出していた。
「ジーン・・・?」
目の前に立つナルを見上げ、麻衣はそう呼びかけた。
ナルは、ただ、哀しげな笑みを浮かべてみせた。言葉はない。
これはジーンだと、麻衣は確信した。
「どうして? ナルは、中にいるの?」
この問いにも、ジーンはただ立ちつくしている。
ナルが鏡を持っているのには気づいていた。ジーンが起きてそばにいる可能性には、気づいていた。けれど、ナルにそれを尋ねることはできなかった。
やはり、ジーンはいたのだ。
これまで、ジーンはナルと接触できず、麻衣を通して事態を伝えていた。けれど、鏡を使えばジーンはナルと直接コンタクトをとることができるようになった。
麻衣の夢に現れる必要性は、今やなくなったのだ。
気づいていなかった。ジーンがまだいるとわかって複雑な想いはあったが、いても自分のところに現れることがなくなるかも知れないのだとは。
見上げる麻衣の顔をみつめていたジーンが、視線を伏せた。麻衣の心を読んだかのように。それが正しいとでも言うかのように。
ジーンはもう、自分のところに現れる気はないのだと、麻衣は知った。くんと胸が縮こまる。目の奥がしみた。たちまち、涙が湧いてきた。
「〜〜〜〜〜〜」
何も言えず、麻衣もまたうつむいた。こぼれ落ちていく涙。目を開けていられなかった。肩に、あたたかい手がそっと置かれた。とまどうように。うつむいた頭が胸に寄せられる。肩の手が背にまわり、麻衣はジーンの腕の中に包まれた。
(あったかい)
これは、別れなのだ。
(ごめんね、ナル)
今だけ、もう少しだけ、ジーンでいて欲しい。
うっすらと闇が薄らいでいく。夜明けが近い。
浄霊の光に、真砂子らがこの場所に気づいて向かってきているだろう。いつまでも、ナルがジーンに体を預けて置いてくれるとも思えない。
気持ちが落ち着いて麻衣にそんな焦りが出てくると、ジーンが抱き寄せていた腕の力を抜いた。肩に手を移して、見上げた麻衣をみつめ返す。
そうして、口を開いた。
「さよなら」
そう、一言。麻衣の頬に手が触れた。別れを告げた唇が寄せられる。麻衣は目を閉じた。
浄霊の光をみつけた霊能者達は、道々落ち合いながら現場に向かった。霊はもういないという真砂子に、一同は顔を見合わせる。いないのは、ナルと麻衣。また麻衣にやられたかと、それぞれ複雑な表情を見せた。
「麻衣さん、大活躍ですね」
「まあ、頭数だけでたいしたことなかったし」
「きゃあきゃあ言って人の足踏んどいて何言ってんだか」
「うるさいわね! あんただって今回なんにも役立ってないじゃないのよ!」
途中まではそんなこんなで言い合いながら先を急いでいたのだが、あまりの静けさにだんだんと口数が減っていった。
星の光がうっすらと明けてきた空に薄らいでいく。
「この辺りのはずですけれど」
真砂子の言葉に辺りを見回しながらゆっくりと足を進める。
「あ」
ジョンがあげた声に、一同、そのまま固まってしまったジョンの視線を追った。
「へ?」
「げ?」
「・・・」
ようやくみつけた、ナルと麻衣。
向かい合い立つ二人。
何処からどう見ても、これは、ラブシーン?
しかも、これはそのうちの、キスシーンか?
滝川らは、唖然とほうけて眺めていた。見るに、積極的に行動に出たのはナルのようだし、どう解釈すればいいのかと。
「・・・あれは、ナルじゃありません」
真砂子が、静かな声で告げた。
「あれは、ジーンです・・・」
滝川は、広場の木製のベンチに座っていたナルをやっとのことでみつけた。麻衣の声は聞こえない。泣きやんだのか、聞こえないほど遠いのか。
「よお、ナルちゃん。お元気ぃ?」
前にまわってあっかるーく手をふって声をかけてみたが、ナルはぐったりとベンチによりかかったまま睨みあげてきた。ご機嫌ななめだ。
「あんま元気でないと。まあ、憑依されてたわけだもんなあ。お疲れさん」
「・・・麻衣は?」
「大泣き中」
「・・・・・・」
滝川はナルの隣に腰を落ち着けると、枯れた下草をみつめているナルの顔をのぞき込むようにして尋ねた。
「浄霊したのは兄ちゃんか?」
答えはない。
「兄ちゃんは、今は?」
「寝た」
「ほお。よく、体レンタルしたなあ」
「・・・・・」
「体貸してた間のことは覚えてるか?」
「いいや」
これにはむっつりとした答えが返った。
「憑依体験研究しそこねたかい、残念でした」
不機嫌な様子に、やはりそれも目当てで貸したのかと滝川は納得する。さすがはナルだ。
「浄霊のために貸して、目的外使用もされちゃったわけだ。理由聞いたか?」
「・・・麻衣とはもう会わないから」
「・・・つまり、あれは、別れのキスか」
「そういうことだな」
「で、キスしたまま入れ替わった?」
「・・・・・」
「お兄ちゃんなかなかお茶目だな・・・」
「・・・・・」
朝焼けの中、鳥があちこちで元気に鳴いている。
「朝焼けだあ。今日は雨かな」
滝川が言うと、ナルも顔をあげて赤く染まる雲を見やる。
「まあ、兄ちゃんの判断は正しいんでないの? 麻衣のためを思ってのことだろう」
麻衣の想いを知っていたから。そして、自分はもう死んでいるのだから。だから。
「とっとと帰って休んだ方がいいぜ、戻ろう」
滝川が先に立って促すと、ナルは気後れした様子でうつむく。滝川は、くすりと笑ってその頭をぽんと叩いた。
「ほれ、行くべよ」
二人が戻ると、麻衣は綾子の背中に隠れるようにしてうつむき、背を向けて立っていた。
「どうせまだ誰も出勤していない。後で報告するから、帰ろう」
ナルの指示に、そろって駐車場へと向かう。途中、ナルは麻衣を追い越した。
ぽんと、その頭を叩いて。