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バースディ(1999.11.1)

 明けぬ夜はない。沈まぬ太陽もない。
 刻一刻、時は刻まれていく。歴史は日々つくられていく。
 そうして、人々には時の流れが与えられていく。
 その生命、ある限り。

 一人、席を離れてカウンターに落ち着いたナルは、注文した酒を前にようやく一息ついた。
 ごく少人数でのパーティー。ナルは参加する約束をし、この晩、指定された店にやってきた。
 確かに少人数でいつもの慣れたメンバーだけで気は楽だ。しかし、はっきり言って乾杯から一時間が経過した現状は、パーティーというより宴会だった。
 予測はしていたが、名目が名目だったので参加の覚悟を決めたのだ。飲んべえどもに少々うんざりしてはいるものの、不思議とやめておけば良かったとは思わない。
 ナルは、ちらりと様子見に振り返る。
 麻衣が、なじみのメンバーに囲まれて楽しげに笑っていた。
 ショートドレスに、色をあわせたイヤリングとネックレス、ヒールの靴。
 ドレスは綾子、アクセサリーは滝川とジョン、靴は真砂子。
 彼らからの二十歳の誕生日プレゼントを身にまとい、綾子に化粧までされた麻衣は、今日の主役として十二分に輝いていた。
 店に着いて、昼間オフィスから連れ去られた麻衣が大変身して座っているのを見た時には、正直、驚いた。滝川に「やっぱ女の子はいいねぇ」と耳打ちされ、とっさに言葉を返せずただ黙した。
 初めて会ったのは、実に四年も前だった。
 身近に居すぎて気づかなかったが、くらべてみれば背も伸びているし、あわせて体型も少し変わっている。顔ももはや子供っぽいとは言い難い。
 歳月は、確実に流れていた。
 はじめ、暗視カメラもサーモグラフィーもわからなかった麻衣が、今では使い方を尋ねることなどないベテランになっている。相変わらず危険のない霊には鈍感だが、意図的に透視をすることもできるようになったし、浄霊もまかせられるようになった。
 ジーンの助けがなければできなかったのに、今ではそんな様子はまるでうかがえない。
 ジーンのことは、一言も口にしない。
 ナルが調査時に鏡を持っているのを、じっとみつめていた時期もあった。哀しげな眼に、ナルは気づかないふりをし続けた。
 近頃では、その必要もなくなった。
 どういうことかは、ナルも知らない。
「ナル」
 すぐ脇から呼びかけられて、ナルはハッと我に返る。麻衣がネックレスを揺らして、ナルの顔をのぞきこむようにして微笑んでいた。
「何飲んでるの? お酒だよね、それ」
「ソルティードッグ」
「・・・塩漬けの犬、とか、てわけないか」
「馬鹿」
「しょうがないじゃんお酒の知識なんかないもんっ! ナルだって解禁になって一年たってないはずじゃないの?」
「何か頼むか?」
「わかんないってば。ごまかすんだから、もう」
 そこに、主役の登場にとっくに気づいていたバーテンが、本日はおめでとうございます、と、麻衣の前に赤い透き通る液体の入ったグラスを置いた。
「大人の仲間入りをしたあなたへ、貴婦人色のカクテルを。私からのお祝いです。赤ワインベースの軽いやつですよ」と。
「わっ、きれーい! ありがとうございます」
 グラスに口をつけて、麻衣は満足そうに笑む。バーテンは笑みを返してなじみ客のところへと戻って行った。
「貴婦人色だって。へへ。おいしい」
 グラスが照明を透過し、カウンターに赤い影を映した。
 ナルは自分のグラスを手に、それを眺めやる。
「ああ、忘れてた」
 ナルは脇に置いていた薄い上着から、細長い包みを出した。
「二十歳おめでとう」
 そっけなく言って、麻衣の前にそれを置いた。麻衣はグラスを口につけたまま、眼を丸くする。
「ええ!? く、くれるの?」
「二十歳は特別。去年もらったからな」  二十歳は特別。
 そう言って、ナルの二十歳の誕生日には、麻衣が贈り物をしてくれた。何を思ったのか、リボンをかけたピンクの薄い包みをあけた中身は一本の日本酒だったのだが。
「うっひゃあ、ありがとー。ありがたくいただきますぅ。へへへ」
 グラスを置いて、麻衣は低姿勢に包みを押し頂いた。すっかり大人の女性な姿とのギャップに、ナルは苦笑した。やはり、いつまでたっても麻衣は麻衣なのだ。
 開けていいかと断ってから、麻衣は包みを解く。
「わあ」
 出てきた薄紫のケースを開けたそこに入っていたのは、シルバーの細い鎖と細工された銀を飾る石。
「すっごい、高かったでしょー。いいのぉ、こんなんもらって?」
「どーぞ」
「へへへ、ありがとー。二十歳ってすごいんだ、お酒も飲めるし」
「その辺で酒はやめておけよ。二十歳そうそうトラ箱がいやなら」
「なんつーことを・・・。もう! 一気に興ざめじゃんか! 情緒ってもんがないのー? 二十歳過ぎた大人がさあ、もう」
 ふくれて見せつつ、麻衣はそっと鎖をつまむ。つけていた分を外し、替わりにつける。しかし、上品なつくりのそれは、留め具も目立たなく小さい。
「ナル、やってやって」
 麻衣が首の後ろに手をやったままナルに背を向ける。目の前にいきなりさらされた細い首と肩の線に、ナルは虚をつかれた。
「不器用モノ」
 反応の遅れをごまかすようにそう言ってやって、ナルはやむなく麻衣の指先から鎖を引き継ぐ。
「慣れてないんだよお。これからいー女になるから許して!」
「麻衣になれる範囲でか?」
「そーだよ! たいしたことないかもね、期待しないでね!」
「してない」
「もうっ!」
 実はその光景を席に居残っていた宴会メンバーが固唾を飲んで見守っていたのだが、さすがのナルもそれには気づかなかった。
「ほら」
「わーい、ありがと」
 くるりと麻衣が笑顔で振り返る。体ごと。
「似合う?」
「はいはい」
「気持ちがこもってなーい」
「大変よくお似合いです」
「もーっ」
 はっきり言って、こういった飾りモノはナルの興味の範疇にない。
よって、店員にすすめられた中から選んだのだが、まあ、合格かなとナルは内心ひとりごちる。麻衣は上機嫌で先にもらった分を替わりにしまい、包装を直した。
「へへ。ねー、ナル、それ味見させて」
 麻衣ははしゃいでいる間にもらったソルティードッグを指で示した。
「その縁のって、やっぱ塩なの?」
「そう」
 塩ごとグラスに口をつけて、麻衣は眉を寄せる。
「塩味。けど、グレープフルーツかな? お酒きつい」
「ウォッカだ」
「そ、それって、アルコール度めちゃ高いんじゃなかったっけ!?」
「そう」
「お酒ナル強いんだー」
「後ろの連中ほど飲まない」
「どーだか」
 グラスを返して、麻衣はカウンターに両肘をついた。
「ナル、今日は黒じゃないんだね」
「お祝いだからな」
 黒系統の服に慣れすぎて、実は気にしていなかったのだが、滝川に綾子に更にリンにまで、それぞれこっそりと釘を刺されたので着替えて来た。
「ありがと。そーだよね、昔は、黒以外のも着てたんでしょ?」
「さあ」
「だって、写真、そうだった」
「・・・・・」
 ダム湖に沈められていたジーンの体をみつけ、帰国する時、養母の忘れていった写真を麻衣にやった。言われて、ナルはそれを思い出した。
 ジーンと二人で撮らされた、最後の写真だった。
「ジーン、いるの? 今も」
 麻衣は、視線をうつむけたまま尋ねる。ナルも、グラスに眼を移した。
「さあ。最近、出てこないからわからない」
「いない、かも知れない?」
「かもな」
 ただチャンネルがずれただけなのかもしれない。けれど、あんな別れ方をしたものだから、麻衣を頼れずにいるだけなのか。それとも、何も言わず、ようやく光の中へと去ったのだろうか?
「そうなんだ・・・」
 三年近く、触れることのなかった話題だ。
 ジーンとの別れの後しばらくは、麻衣はナルを避けていた。
 さすがに、この月日に気持ちの整理もついたのだろうか。
 そう思ったとたん、ナルは嫌な予感に見舞われた。
「ナル、ジーンに体貸したの、覚えてる?」
 案の定問われて、ナルは沈黙した。
「二年以上前。森林公園の調査の時。・・・ナル、いつ戻ったの?」
「・・・・・」
 多分、麻衣はどの時点か気づいているだろう。あの時はさすがに驚いて慌てて身を引いてしまったから。
「やっぱり、終わりの方ナルだったんだね?」
「・・・・・」
「そうなんでしょ?」
「どうでもいいだろう、そんなこと」
「どうでも良くない! そんなこと、じゃない!」
 大声でわめくのに、ナルは落ち着けと手を振った。
「酔ってるな」
「でなきゃ訊かないよ。初めてだったんだもん、大事なことだよ」
 どちらにしろナルの体だったというのに。ナルはため息をついた。
「初めて? キスが?」
「そう。女の子には大事なの」
「ジーンだったんだろう?」
「そう。だけど、一回で、ファーストキスと、セカンドキス、すましちゃったのかなと・・・」
 酒の勢いが切れてきたのか、麻衣はだんだん小声になっていく。
「次が二度目だったか三度目だったか気になるってことか?」
「ないよそんなの、まだ」
「で? それで僕が二人目じゃ都合が悪いのか?」
 今度は、麻衣が沈黙する番だった。
 考えたこともなかったらしい。
「・・・・・べつに、そーゆーわけじゃ、ない、けど」
「ならどうでもいいだろう」
「いや、そーも、やっぱり」
「だとしても、ジーンと間接キスだろう。一緒にしておけば」
「え!?」
「驚くことか?」
「って、あ、そうか。ナルって外国人だっけ? 実は慣れてるんだ・・・」
 子供の頃の話だけれど。ナル自身はその点、日本の方がいいと思っているが、別に逃げ回るようなことはしない。ジーン相手なら怒ったりもしたが。
「じゃあ、二十歳おめでとーとかって、するの?」
「・・・して欲しいのか?」
「ええっっ!? ・・・してって言ったら、するの?」
 恐る恐る尋ねる麻衣に、ナルはあっさりと応えた。
「しない」
「だったら言うなあっっ!」
「だったら訊くな」
「うーーーー」
 麻衣はカウンターに爪をたてる。そして、ぱっと立ち上がった。
「ナル、大人になりなね」
「は?」
 麻衣は不可解なことを言い置いて、さっさと宴会の中に戻ってしまった。
 突然の反逆に、ナルは首をかしげた。


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