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幽霊島2

 駆けつけて来たのは、ぼーさんだった。
 使用人部屋の浴室に置いたカメラの様子を見に行ったジョンが、襲われたのだ。
 顔を引っ掻かれただけで済んだのだけれど、その場面の記録は残っていない。3階も同様。ただ、 窓際に立つ女性の姿だけは映像が残っていた。
「浴室にいたら金縛りで急に動けんようになって・・・・・・。そしたら、若い娘さんの霊が入って きて。・・・・・・いきなり、キスされましてん」
 ジョンが言うには、虚ろな顔をして寄って来た女性は、キスをしながら顔を引っ掻いてくれたんだ そうだ。すぐに真砂子が気配に気づいてぼーさんが駆けつけたので、それだけで済んだらしい。
 ナルも、同様な襲われ方をしたらしい。あたしたちには言わなかったけど、ぼーさんが聞いたところ では、積極的にせまられたらしい・・・・・・。
 結果、首と肩と胸に、引っ掻き傷と噛み傷。更に、シャツ一枚が使用不能になった。
 噛み傷が深くてたくさん血が出てしまったけれど、ナルは30分と経たずにパソコンの前に復活した。
 わずかな間とはいえ気絶するほどのショックを受けたのに(噛み破られるのは相当痛いものらしい。 注、ぼーさん談)、たくましいんだか、ただの仕事馬鹿なんだか・・・・・・。
「初日から、たいした歓迎をしてくれるな」
 涼しい顔して言っているけど、首を動かさないところを見ると、まだ痛いんだろうな。あたしは 引っ掻かれただけだけど、それでも少し動かしただけで痛いもん。
「安原さんから報告がきてる」
 ナルがプリントアウトしたそれを、みんなで顔をつきあわせて読む。ぼーさんは、ナルと一緒に パソコン画面で読んでいる。ナルのそばから離れないことにしたらしいのよね、ぼーさん。
 まかされているのに怪我させちゃったからなんだろうけど、あたし、その場にいたのに。
 あたしの力が足りなかったせいで、ナルに怪我をさせてしまった・・・・・・。

「ようするに、ヒヒ爺どもが好き勝手やってたわけね、ここで」
 綾子が、軽蔑も露わに言い捨てた。
 真砂子はコメントしない。ジョンも、何も言わず十字を切った。
 安原さんの探偵の結果。昔のことだけれど、ずっと本島に住んでいる人たちは、先祖に聞いた話を しっかりと覚えていた。
 昭和初期、政界の有力者が小島の屋敷を建てるにあたっては、島の人々も駆り出されて、無茶な工事に 犠牲者も出たらしい。資材の調達のために本島の山を一つ買い占め、小島に豪勢な屋敷を造りあげ、 使用人は都会から招き寄せていた。
 本島を経由して小島に向かう船には、あどけない少女たちの姿もあったという。
 年に数度の会合の前に連れ込まれた少女たちが、元の姿で戻ってくることはなかった。幾人か戻って きたのを見たけれど、権力者たちにしなだれかかるようにして、別人になって島を出て行ったのだと いう。
 使用人として連れて来られたはずの少女たち。
 ある者は会合に集った権力者に気に入られて島から連れ出され、残りは小島で一生を終えた。
 真夜中に、小島から船が来る。買い占めた山に、遺体を埋めにきているのだと、本島の人たちは噂 していたという。実際に目撃した人もいたらしいけれど、お金で口を封じられ、話が島から外に漏れる ことはなかったようで、表沙汰になったことはない。
「・・・・・・ひどい」
 たまらずに言ったあたしに、真砂子がそっと手を握ってくれた。ヴラドの屋敷と同じ。何も知らず 働きにきた人たちが、犠牲になる。権力者に虫けらのように扱われて殺される。日本中のあちこちに、 世界中のあちこちに、どれだけそんな歴史があるんだろう。
「みんな、犠牲者なのに、可哀想」
 誰も何も言わない。騙され苦しみ死んで、長い時を哀しみ憤り過ごした少女たちの霊。
 窓の前に立っていた女性。騙されたと知った時には、逃げるすべもない離島で。絶望のうちに 死んでいった・・・・・・。

「原さん、浄霊はできますか?」
 ナルが、パソコンをみつめたまま訊く。真砂子は、ため息を吐きながら応えた。
「何人かは、死んだことがわかっていないだけのようですから、できると思います。 けれど、攻撃するようになった霊は無理ですわ」
「残念だけど、あたしもダメよ」
 綾子も悔しげに言う。襲うようになった霊は、力任せに除霊するしかない。

 小川さんが食事の用意ができたと伝えに来てくれたので、ナルとぼーさんを残して食べに行く。
 食欲はなかったけれど、できるだけ、無理して食べた。
 ベースに戻り、入れ替わりにナルとぼーさんが食事に立つ。
 パソコンの前には、今度はあたしが座った。
「ジョン、怪我、大丈夫?」
「大丈夫です。引っ掻かれただけですよって。おおきに」
 左の頬に、1本の引っ掻き傷と2本のミミズ腫れ。白い肌に、赤い線が痛々しい。
「僕より、渋谷さんの怪我が心配です。顔色も悪いですし」
「・・・・・・あたしがいたのに、怪我させちゃった」
「そんな、3階は大丈夫なはずでしたんですし、麻衣さんのせいじゃおまへんです」
 ジョンが慌てて言ってくれる。ごめんね、困らせて。けど、あたしの力不足のせいだ。
「あたくしが見た時には、かすかに気配があるだけでしたわ。2人分の気配がありましたけれど、 そんなに危険な霊には見えなかったのです。あたくしのせいですわ・・・・・・」
「そんなこと・・・・・・っ!」
 今度はあたしが慌てる番だった、真砂子がそんなことを言うなんて。
「いいえ。あたくしの霊能力は、衰えてきているんです。以前ほどはっきり見えることはありません。 何も見えない時期もあります。今回は、これでも、見えている方だと思うのですけれど・・・・・・。 それでも、以前の調子の悪い時期に近いですわ。遠からず、何も見えなくなる日がくるんでしょうね」
 真砂子のそんな告白は、あたしにはショックだった。真砂子が見えなくなる。霊能者として世間的に 知られ、学会にも認められている。芸能界でも霊能者としての地位を築いている。
 その真砂子から、霊能力を奪ってしまったら・・・・・・。
「そうすれば、あたくしに残るものは何もない。ただ、霊能力に振り回されて、これまで生きて来た だけなんですもの・・・・・・」
 真砂子は哀しげにそう言って、笑った。
「そんなことないよ!」
 あたしは、たまらず叫んでいた。ただ振り回されてきたなんて、そんなことない。無駄な時間だった なんてことはない。
「だって、だって、それがなかったら、あたしたち会ってなかったよ。友達に なる機会なかったかも知れない。ジョンとだって、綾子とだって、ナルとだって、会えなかった。 あたしたちと会えたじゃない!」
 あたしは、真砂子と会えて良かった。一緒に過ごしてきたたくさんの時間。一緒に経験した様々な こと。
「調査だって、今回みたいに、哀しいことが多いけど、だからこそわかったことっていうのもあるよ。 普通に暮らしてたら知ることもないようなこと。人の表面だけ見ていたら、わからなかったこと。
 見えないところで傷ついているのを、見過ごしたりしているかも知れない。そんな可能性に気づかずに、 ただ過ごしていたんだったら・・・・・・。知らないことで楽しく暮らしているのは、あたしはいや だもん。
 哀しいことでも、知ることができたのは、悪いことじゃない。必要なことだったと思う。
 だから、真砂子だって、振り回されただけだなんてことない! あたしたち、たくさんのことを一緒に 経験してきたじゃないっ」
 もう、なんて言ったらいいのかわからない。めちゃくちゃ言ってる。小さいころから霊能力をもって いた真砂子とあたしとじゃ、全然違うんだろうけど、だけど、違う経験が無用だってことはない。
 真砂子が、ちゃんと言葉にできなくてまどろっこしくて泣きそうになっているあたしを見て、笑った。
「麻衣は、あたくしを好きでいてくれるのね?」
「当たり前じゃない!」
 真砂子は、にっこりと微笑んだ。今も、昔も、お人形さんのように綺麗なその顔で。
「じゃあ、いいですわ・・・・・・。
 大切な友人を得たのですもの。大事なものが、残されるんですもの」
 笑顔の頬に、涙。
「あたくしも、大好きよ、麻衣」

 ジョンと綾子に慰められて、真砂子もあたしもようやく落ち着いた。
 ひどい経験だって、失敗だって、それを無駄にしないようにするのは自分自身だと、ジョンが言った。
 人生に無駄なことなんてないのよっ、と言い切ったのは綾子だ。
 やさしいジョン。たくましい綾子。2人とも、強い人だ。
 あたしと真砂子は、いい人生の先輩に恵まれていたんだねと、あとで2人で言い合った。

 ナルは戻ってくるなり、ジョンと一緒に奥に引っ込んでしまった。ガーゼに血がにじんできたので 替えるためだ。
 ぼーさんは、扉が閉まるなり、大きなため息を吐き出した。
「どしたの?」
「・・・・・・やりあっちまった」
 ぼーさんは、奥の部屋と下とを指さして言う。・・・・・・ナルと、笹本さんか。
「やりあっちゃったの・・・・・・」
「まあ、いい年こいて、向こうが悪いんだがな。綾子さんや、今度はVIP殿がナルと一緒してくれ」
「ああら、なめられちゃったわけ? ぼーずは」
「ぜぇんぜん。俺なんざ、しがない一般市民ざんすよ」
 肩をすくめて、綾子がベースを出ていった。
「ナルも、いい年こいて大人じゃないよねぇ」
 容赦ない毒舌も相変わらず。日本語に慣れ親しむに至って、辛辣さに拍車がかかった気さえする。
「いや、あれは、かなり失礼だったぜ。綾子にもな。あの顔でイイとこの奥様につけこんでもうけてるん だろうって言い方で。『噛まれた』ってのも、誰に噛みつかれたんだかって。何考えてんだかねー。 まあ、ナルちゃんに徹底的にやり込められたけど〜」
 あの顔であの毒舌だもんなあ。喧嘩売る相手をまちがえてるよ、笹本さん(って、あたしに売られても 困るけど)。
 あたしは、呆れつつ手持ちぶさたでパソコンをいじる。メールチェックをしたら、1通来ていた。
「あ、タカからメールが来てる」
 あたしより一つ年上のタカこと高橋優子さんも、未だにバイトを続けている。今は事務だけじゃなく、 安原さんの助手として調べ物に駆り出されることもしばしばで、今回は東京で戦中の上流階級の人間関係 調査をしているはずだった。
 メールは、今日の収穫を報告したものだった。この屋敷を建てた人物と、周辺の関係者に関する諸々の 事項。
「あ!」
 あたしは、画面に並ぶ人物の名前の一つを指さした。
 それは、この屋敷をごく若い頃に晩年のためにと入手した、依頼主の父親の名前だった。

「先代は知っていたわけだな。ここで何が行われていたかを」
 タカの報告。この屋敷を建てた極悪権力者のとりまきの1人だった先代。
 そのとりまきの中に、晩年に小さな出版社から自伝を出した人物がいて、今日、タカはそれを 発見した。そこには、この島のことも 書かれていたのだという。言葉をにごしてあったけれど、重要な極秘会議や、怪しげなパーティが開か れた会場として。
 そして、はっきりと名前は書かれていないものの、島から女性を連れ出した人物がいたことも書かれて いた。
 それが、先代のことだとしか思えないと、タカは報告している。
 後に、その島を買い取ったと書かれていたのだから、まちがいないんだろう。
「この島の役割ごと、買い取ったわけか・・・・・・」
 若い頃に晩年のためにと島を買う。
 珍しいおじいさんだと思っていたら、とんでもない! 妻子を都会に残して、年に数回、仲間たち と共に休暇に訪れていた目的は、屋敷を建てた男と同じだった。裏側の会議と、怪しげな楽しみ。
 ここは、権力者に買われた島。
 ここは、少女たちを閉じこめた島。
 様々なたくらみを進行させ、この国に誤った歴史を刻ませた島。
 多くの人々を苦しませた島。
 今も、なんの罪もない少女たちは苦しみ続けている・・・・・・・・・・・・。


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