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幽霊島3

 深夜。
 2階の廊下を、温度の低い何かがさまよう。
 ジョンが襲われた使用人部屋の浴室の気温が部屋より5度ほど低いまま一定している。
 3階の主人の部屋では、霊姿がはっきりと映っていた。あの、窓際に立っていた女性。 室内をぼんやりと歩き回っている。
 そして、あたしが足をつかまれた棚の下も、気温が低いままだった。ナルを襲ったのは、歩きまわって いる女性の方だったんだ・・・・・・。
 今回、モニターは一台のみ。画面を分割して映し出される映像。次々とリンさんから解析された データが送られてきて、その数字や記号の羅列を判断してナルが映像を選択する。
「麻衣、そろそろ行きましょう」
「うん」
 あたしと真砂子は、廊下に出た。
 2階の廊下をさまよう霊のほとんどは、死んだことを自覚していないか、迷っている霊たち。
「何人くらいかな?」
「今は、4人ですわ」
 あたしは、廊下の突き当たりに座った。
 壁に寄りかかって目をつぶり、意識を内側に向ける。
 深く深く。かつ、体の力を抜いていく。基本は、昔ジーンに教わったとおりなんだけど、だんだん 自己流になってきた。
 深く潜った意識が、ただ一点の光を見いだす。そこに、一気に吸い込まれるがままになる。すると、 あたしは自分の体を抜けだし、廊下に立っていた。
 真砂子が言ったよりも、多い。
 6人の女性たち。真砂子が、そのうちの1人と話している。
 あたしは、使用人部屋の扉の横に身を縮めて座っている女性のところに向かった。
『どうしたの?』
 一度では気づいてもらえない。何度も呼びかけて、やっと、彼女はあたしの声に気づいてくれた。
 あたしを見上げた顔を見て、驚いた。
 昔の人は今の人より若く見えるものだとはいえ、まだ、12、3歳にしか見えない。実際には15くらい かも知れない。彼女は、あたしの姿を見るなり、顔をくしゃくしゃにして訴えた。
『家に、帰りたいの・・・・・・』
 彼女の帰る家はない。家族もとっくに代替わりしてしまっている。こんな時、何を言ってあげれば いいんだろうかと、いつも悩む。
『あなたには、行くべきところがあるんだよ』
 下手に、過去を思い出させてはいけない。特に、悲惨な経過をたどった霊は。 恐慌状態に陥って、暴走することがあるから、言葉に気をつけないといけない。
『家に、帰りたいの。ここはいや』
 彼女は、母親に売られたのだという。帰ればお金を返さないといけないだろうけれど、帰ったらその分 精一杯働くから、お母さんに迎えて欲しいと。
 貧困から自分を売った母親を恨んではいないようだった。母と大勢の弟妹たちのため。戦争に行った 父と兄たちのため。生活のために売られてきたけれど、こんなところはいやだと。
 彼女は、ここでの経験を覚えていた。家族のことも覚えていた。
『おうちには帰れないけど、お母さんたちのいるところには行けるよ』
 両親や大勢の兄弟たちと過ごした楽しい思い出。それらを思い出させ、語らせる。彼女は光をみつけ、 家族の元へと駆けて行った。
 開かれたその入り口に気づいた霊が幾人か、なつかしい何かをみつけて光へと向かって行った。
 真砂子が語りかけていた少女も歩み去る。真砂子を見ると、光を見ながら微笑んでいた。あたしは、 その笑みにさそわれて、少し嬉しい気分になる。
 真砂子は、すぐに廊下に残った1人の霊のところへと駆け寄った。光が残っているうちに、導こうと。
 あたしは、使用人部屋に向かった。

 扉を通り抜けて、ベッドに眠る少女を起こす。
『ねえ、きれいな光が見えるよ』
 あたしの言葉に、少女は自ら光を呼び出す。彼女の思いこみで、閉じかけた入り口が再びまばゆく開か れた。壁も屋根も関係なく、天空に開いている。それでも、この部屋に入った時には見えなかった。 彼女の意識が部屋を閉じていたから。あたしの言葉で彼女は部屋を解放し、光をみつけた。
『あなたのなつかしい人が、待ってるよ』
 彼女はその姿を光の内に見いだす。そうして、ベッドを抜け出して光を目指す。あたしには見えない 何かを、彼女は見ている。本当にいるのか、浄化を求める彼女の幻覚なのかは、わからないけれど。
 本当に、迎えが来てくれているといい。
 あたしは、霊を騙して浄化させている。そんな意識があるから。霊たちのほっとする顔を見ると、 すごく安心する。けど、本当のところはどうなのか、あたしにはわからない。

 2階の霊は、ジョンを襲った霊を1人残して、浄化した。
 真砂子は3階へ向かう。3階の廊下にも1人いるのが、あたしには見えた。あとは、主人の部屋の 2人。
 残る霊は、4人。
 あたしは、2階の使用人部屋の浴室へ向かう。
 廊下から扉を抜け、狭い使用人部屋に入る。
 ケーブルを通すために細く開いている浴室の扉。そこに、若い女性がいた。
 20歳前後の女性。長い髪を乱し、青白い顔で一点をみつめ立ち尽くしている。
 寝間着の裾が赤い。両脇に垂らした手首の辺りから下が、血に染まっている。この人は自殺したんだ。
 あたしは呼びかけてみる。
 声は届かない。
 けれど、声が聞こえた。
『抵抗するとひどい目にあうの・・・・・・』
『なのに、爪をたてても怒らないのよ。変よね・・・・・・』
『だから、引っ掻くの。爪を立てるの。血が滲むほど』
『噛んでも怒らないのよ。だから、噛んでやるのよ』
『あたしたちにできるのは、その程度。だからせいぜい、従順に振る舞いながら、心の内で蔑み、 爪を立てるの』
『引っ掻いて、噛みついて。・・・・・・それだけ』
『殺される』
『あの子はうまくやった。けど、あたしはイヤ』
『死んでしまった・・・・・・。次は誰?』
『ああ、また、何も知らずにやって来た。ここは、地獄の島なのに・・・・・・』
 彼女に声は届かない。聞こえてくる彼女の言葉。きっと、やさしい人だったんだろう。
 絶望の中でも、仲間たちを励まして、けれど、繰り返される悲劇に、彼女はついに死を選んだ。
 声は届かない。
 けど、ずっと、こんなところでつらい記憶にさいなまれたままには、しておけない。
 3階の廊下の霊が真砂子の声を聞いて浄化した。
 あたしは、自分の体に戻った。

「残りは、3人か」
 襲う霊たち。浄霊できない、除霊するしかない霊たち。
 綾子がついて、ジョンが2階の霊を。
 ぼーさんが3階の霊を除霊することに決まった。
 あたしと真砂子はナルと一緒にベースに残る。
 3人で、パソコン画面を見守る。2階の浴室と、3階の部屋の2つのカメラ。リンさんから送られて くるデータ。
 除霊が始まる。
 早く終わらせて、ナルを休ませたい。それで、一気に片をつけることになった。
 慣れない船での移動で、みんな疲れている。けど、ナルはひどい怪我をした上に、 ずっとパソコンを睨みっぱなしだ。顔色は悪いのに、目は赤い。口数も極端に少ない。
 早く、終わって欲しい。
 彼女たちの苦しみを終わらせるためにも。
 音は、3階の部屋のもの。ぼーさんの唱える真言が流れている。
 2階の映像に変化が起きる。浴室の扉が開いたり閉じたりを繰り返している。内開きなので、部屋にいる ジョンと綾子に危険はないけれど、湯船に設置したカメラが揺れている。
 ジョンが聖水を撒く。扉から煙が上がる。カメラが倒れて、天井を映す。天井と壁には血の手形がいくつ もいくつもついていた。それは、更に増えていく。音を切り替えると、手を壁に打ち付ける音が聞こえて きた。ラップ音にも似た音。声無き悲鳴だ。
 やがて、扉を開け閉めする音が途絶えた。同時に、手を打ち付ける音も消え、手形の数も増えるのを やめた。
 仲間たちを励ましながらも絶望に追いやられていき、ついには自ら命を絶った女性の霊は、 除霊された。

 ナルは、即座に音を3階に切り替える。
「浴室の女性は除霊されました」
 真砂子が言う。見ると、真砂子は祈るように両手を合わせていた。
 ぼーさんの声は続いている。その声に混じって、女の人の呻くような声が聞こえる。
「3階は、まだいます。苦しんでいます」
 そう言った真砂子が、急に顔を上げる。
「逃げましたわ!」
 真砂子が言い終わらないうちに、ベースの一切の明かりが消えた。

 照明が消え、見守っていた画面が吸い込まれるように光を失う。音も消え、電源が入っていることを 示す素子も消えた。
 とっさに、あたしと真砂子は互いを探ってみつけ、手を握りあう。
「ど、どうなったの?」
「1人、逃げたんですわ。3階の除霊は続いてますけれど・・・・・・」
 逃げた・・・・・・。3階の主人の部屋は、この1番広い客室の、真上・・・・・・。
 背筋を寒気が走る。いる。
「麻衣?」
「・・・・・・窓の外にいる」
 真砂子と抱き合うようにして、ドアの方に1歩下がる。イスのきしむ音がして、闇の中、目の前に更に 深い闇が立った。
「ゆっくりと、ドアの方に」
 あたしたちと窓の間に立ったナルが、短く指示を出す。
 じりじりと下がる。カーテンの隙間から、外の星明かりが入る。きっちりと閉めていたはずなのに、 押し広げられていく。
 ガラスを通り抜けて、なのにカーテンを開きながら、3階の窓辺に立っていたあの女性が入ってきて いた。
 ナルを襲った、1番凶悪な霊が。

 ドアノブを捻っても、ドアは開かない。
「麻衣! 真砂子! ナル!」
 背中で、綾子がドアを叩いている。女の霊は、窓辺に降り立った。
 ドアを叩く音が途絶える。ジョンの声。早く、ドアを開けて。女が1歩足を進める。1歩。 また1歩と。
 外開きのドアが開く。あたしと真砂子は即座に廊下に飛び出した。ナルは中に留まっている。 入れ違いに、ジョンが中に飛び込んだ。
 振り返ったあたしは、女がナルを目指して歩いているのがわかった。
 ジョンが聖水を撒くと、女は跳び退ってジョンを睨み上げる。
 ようやく、ナルがドアのそばまで後退してきた。
「原さん、上の様子は?」
「終わりました。今っ」
「麻衣、ぼーさんを」
 あたしは大急ぎで3階に駆け上がる。廊下の奥から、ぼーさんが部屋を出てくる。
「おー、麻衣。こっち終わったぞ」
 ぼーさんはのんきに言う。終わってないって。
「ぼーさん、ベースにいる!! 早く行って!!」

 2階に戻ると、この騒ぎに小川さんたちも起き出して廊下に集まっていた。彼らを綾子が 止めている。真砂子はドアの前いた。
「もう終わったんですっ。もう誰もあなたを苦しめたりしません! 話を聞いてっ、もうやめて!」
 ベースからは様々な音が聞こえている。
 なのに、ドアが閉まってる!
「真砂子、そこどけ!」
 真砂子がよける。ぼーさんがドアの前に立ち、印を結ぶ。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
 ドアが開いて、ナルとジョンが転がり出てきた。中から開けようとしていたんだろう。
 2人はすぐにドアの前を離れた。開かれた扉の向こうは、嵐。
 その真ん中に、彼女はいた。窓辺に立っていた時と同じ。ぼんやりと、少し驚いたような表情で ただ立ち尽くしている。
「オンキリキリバジリバジリホラマンダマンダウンハッタ!」
 彼女は視線をぼーさんに向ける。表情が一変する。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン! 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
 ぼーさんの指先から、赤い光が走る。まっすぐに部屋の中へ、彼女へと向かっていく。あたしは 彼女に届くのを見届けずに、目を閉じた。
 物の落ちる音が続いて、静かになる。
「今度こそ、終わりっと」
 ぼーさんの軽い声が聞こえた。

 ベースは荒れ放題。ナルとジョンは、ポルターガイストによる飛来物のおかげで怪我が若干増。
 何より大きな被害は、ベースに持ち込んだ機材。パソコンが壊れて、ナルはやむなく、朝になってから 本島にいるリンさんに電話をかけた。
 調査終了、と。



 さて、ナルちゃんをいじめすぎてナルの呪いで消滅した百物語第12話を復活させねば・・・・。

 アップから1日経った管理人。誤字2文字修正。
 綾子は玉の輿に乗ってしまってます。ちなみに、ご主人は2歳ほど年下。多分、「おはよう」の続きに 出てくるはずです。
 除霊や浄霊のやり方は、できるだけシリーズに準じております。違う部分は、管理人の創作。管理人は 幽霊も見えませんし幽体離脱もできません(笑)
 最後のぼーさんの除霊は、今見るとなにやら、 コソリの除霊シーンにそっくり(^^;) いや、あのシーンは大好きなんですけどね。一気に除霊するぼーさ んっつった場合の見本があの場面くらいしかなかったので、影響受けまくったのでしょう〜むにゅむにゅ。

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