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「ぷ、はーーーーーーっ」
きり丸が、ずるずると布団から這い出してくる。汗でぐっしょりだ。
「ご苦労さま。ほら着替え、風呂入っておいで」
にこにこ顔の保健委員長からねまきを受け取りながら、きり丸は布団を見る。
半助が、同じように汗だくになってぐったりと眠っている。
「土井先生も着替えないといけないね。伊作君、湯をくんできてくれるかい」
「はい。きり丸、行こう」
伊作とともに、きり丸は保健室を出る。汗だくの肌着が冷たい空気にさらされて急激に冷える。けれど、体の芯まで冷える前に、風呂にありつけるのだ、自分は。
きり丸がバイトから戻って保健室に顔を出すと、ちょうど半助が発熱して急上昇する体温に体がついていけず、震えているところだった。
「おれがあっためてあげるっ!」
きり丸はすぐに肌着一枚になると、半助の懐に潜り込んだ。
潜り込むとき、半助が薄目を開けて自分と確認するのがわかった。半助はきり丸を抱き寄せ、震えながらいつしか眠りに落ちていった。
普段、町の借家で眠るときは、半助は奥の部屋で、きり丸は真ん中の囲炉裏の部屋で眠る。
しかし、冬場特に冷えるときには、囲炉裏端で二人で眠ることもある。
だからといって、今日のように抱きこまれるわけではない。きり丸が囲炉裏に寄り、その背に半助が背を合わせて眠るのだ。
きり丸も半助も、どちらも相手が背を覆うのを嫌っている。
互いに、それがわかっていた。
きり丸は、初めての夏休みを思い出す。
初めて、半助と暮らすと知った時。
きり丸は拒絶した。住み込みのバイトでもして過ごそうと思っていた。拒絶するきり丸に、半助はごまかしもせずに言った。
「私に子供を抱く趣味はないよ。ヤラれるのがイヤだってことは、よく知っている。お前をそんな目には遭わせない。住み込みだの泊まり歩いてバイトするだの、少しでも儲けようとするお前の性格からして、無事に過ごせるとは思えん。タダ飯食わせてやるし家賃も取らん。だから・・・・・・」
うちに来い、と。
だから、きり丸は半助を信じた。それでも、やはり緊張した。夏休みに入って同居生活わずか三日目で、きり丸は緊張からか高熱を出した。酷暑の中震えるきり丸を、ありったけの布団と衣類でくるんで、抱いてくれた。
頭から首までくるまれた状態で、まるで赤ん坊をおくるみに包んでいるかのような状態で、抱っこしてくれた。
寒気が収まった時には二人とも汗まみれで、布団もびっしょりになっていた。
井戸端にタライを置いてきり丸を放り込み、半助はびしょびしょの着物をおばちゃん達に笑われながら汗を流してくれた。
行水が逆に良かったのか、熱は一日で下がり、翌朝からきり丸は再びバイトに励んだ。体を心配した半助が犬の散歩を手伝ってくれて、以来、半助がバイトを手伝うのが当たり前になった。
きり丸は、半助のことだけは、信じた。大人の中で、半助だけは。
伊作が桶に湯を汲んで去り、きり丸は一人、湯船に沈んだ。湯気にあたった目に涙がわいてくる。他人を心配して流す涙を、きり丸は止めようと思わなかった。そんな相手がいる幸せを想い、それを失うかもしれない恐れを想った。
神も仏もない世の中だと思う。
けれど、神にも仏にも祈りたかった。
先生を助けて、と。
半助は、目を覚ますことなく身を清められ、乾いた寝間着に着替えさせられて布団の中に寝かされた。
新野と伊作は、淡々と必要な処置をする。大量の失血と高熱。予断を許さぬ状況であることは、互いに確認しあうまでもなくわかっている。きり丸には笑顔を見せていた伊作も、今は厳しい顔付きで半助に水分を与えようとしていた。
ぐったりと沈み込んだ体は何をしても指一本動かない。唇の隙間から匙で少量白湯を流し入れてみても、口の端からこぼれてくる。湿らせる程度の水分しか与えることができない。血流量の回復にも大量の発汗を補うにも、体に水分が必要だというのに。
新野が調合した香を焚く。伊作はその香りから成分を分析する。体をリラックスさせて回復力をあげようというのだろう。その香りの意図に、伊作は軽く深呼吸をする。自分も落ち着かねばならない。
誰かが来る。隠す様子もなくすばやく歩み寄る様子から、教師の誰かだろうと推察はできる。足運びと状況から、野村であろうと伊作は見当をつけた。
医務室の前で足音が止まる。夜間すでに戸を立ててあるので、外の人影はわからない。静かに戸が滑り、野村が姿を現した。
「どうです?」
小声で新野に問いながら、半助の枕元へ移動する。
「意識は一度戻ったのですが、高熱が出てまた・・・・・・」
「流行っていた風邪ですか?」
「喉が腫れたりはしていないので、違うかもしれません。あの風邪だと五日間は熱が下がらないので、今の土井先生の状態では危険です。水分を与えたいのですが、胃の状態からあまり大量には与えられないし。少しでもと思っても、湿らせる程度のことしかできないでいるのです」
「飲めないんですか」
野村が伊作の手元を見る。湯呑と匙でどう頑張っているかわかったらしい。
「今はまったく飲み込んでくれません。さっき意識が戻った時に2〜3口薬湯を飲んだだけです」
野村は、半助の顔を見下ろした。すっかり脱力して、呼吸さえもしているのかわからない。わずかに胸が上下しているし、何より熱気が伝わってくるので生きているのはわかるが、確かに自力で水分補給ができるようには見えなかった。
「野村先生、口移しで試してみていただけませんか?」
新野が言った。野村は新野を見る。野村と半助の関係に気づいているのだろう。二人の関係を試すつもりではなく、藁をもつかむ気持ちで言っているようだった。
匙で流し込んでも飲まない相手に飲ませるのは、口移しでもかなり大変なことだ。深い関係でもない男同士であまり進んでやりたいものでもない。
「やってみましょう」
野村は、伊作に手伝わせて半助の体を起こす。力が入らないのでひどく重たい。なんとか膝と腕でいい位置に頭を固定してやり、伊作から湯呑を受け取った。
少しだけ含んで、唇を合わせる。鼻をつまみつつ舌で口をこじあけるようにして白湯を移し、漏れ出ぬように唇を完全にふさいでやる。半助が、苦しげに首を動かす。そうして、ごくりと喉を鳴らして白湯を飲んだ。唇を離すと、少し荒い息をして、再びぐったりと野村の腕に頭を沈めてしまう。伊作が湯呑を構えて待っている。野村は、それをまた受け取った。
数度繰り返して、なんとか湯呑半分程度の水分を与えるのに成功した。半助の熱で、野村も汗ばんでしまった。半助を寝かし直すと、野村は言う。
「新野先生、土井先生がまだ忍術学園にいると知れてはまずい事態になりました。医務室には置かない方がいい。学園長と相談したところ、学園長のいる庵に移すように、と」
「わかりました。土井先生と必要な物を運びましょう。野村先生はまずうがいしてください」
新野が、にこにこと支度を始めた。
きり丸が風呂から戻ると、布団でくるんだ半助を野村が抱えて廊下に出て来たところだった。ひどく重そうだ。実際、半助は野村より体が大きいし、脱力した人間は体重そのままにひどく重い。それでも、野村は一人で運ぶと言わんばかりに大事そうに抱えていた。
「ど、どこに運ぶんすか?」
どこか圧倒するものを感じて、きり丸は唖然としつつ尋ねる。
「きり丸、服を着ろ。これから土井先生の長屋に行くぞ」
「えええーーーーーーーーっっっ!?」
野村にせかされて保健室に置いていった服を大慌てで着る。先に荷物を運んでいたらしい伊作が戻って来て、学園長の庵に移されると聞き、医薬品を運ぶのを手伝って庵へ行くと、奥の間に半助が寝かされていた。警備に残っていた先生方も来ていた。
「これより、土井先生が忍術学園内にいるということは極秘事項とする。土井先生は今日、京の長屋にきり丸と共に帰った。帰宅が遅れたのは始業準備のためじゃ。良いな?」
「はっ」
冬休みの前半、居残りとなる独身の先生方が声をそろえる。きり丸は何事が進んでいるのかわからないまま、野村に連れられて山中を抜け京の長屋へと向かった。