今、生きるために

11

 六年生の立花仙蔵は、初めて訪れた町の様子を頭を動かすこともせずに観察しつつ歩いていた。
 家には用があるのでこの冬は戻らぬかも知れぬと手紙を送った。途中一泊してようやくたどりついた町。街道から望む山の上に、城壁に囲まれた城が見える。平和に慣れた城下町の様子が、領主の人柄を伝えているようだった。
 仙蔵は、店屋の間の小路に入った。一本裏通りに回り込み、更に土塀から民家の屋根へと飛び移り、身をひそめた。誰かが後をつけている気配がしたのだ。
 すぐに、気配を隠すでもなく人気のない通りに若い男の足音が軽く響く。
「立花君。変装グッズは持ってるかい?」
 利吉の声だ。仙蔵は驚きつつすばやく思案する。忍術学園から遠く離れた町で偶然出会うとは不自然だ。しかし変装すべしと言っているところからすると、相手も自分がここにいることは予想外だったのだろう。では本物の利吉なのだろうか。
 ぽんと、風呂敷包みが屋根に飛んできた。返事を待つ暇はないらしい。
「贅沢言わずに変装したら表の団子屋においで」
 さっさと歩み去って行く気配。仙蔵は警戒しつつ風呂敷を開く。そうして、がっくりした。間違いなく、相手は利吉だ。
 こんな趣味の悪い男の変装グッズは、利吉以外ありえない。
 利吉は変装術にも定評がある。どこからどうみても利吉には見えない、と。全く想像がつかないくらいの醜男に変装するので。
 仙蔵は観念して無精ひげに鼻毛まで伸びている変装顔をつけ、ぼさぼさ髪付の烏帽子に髪を押し込み、着物を裏返しにして醜い男に化けると、道に降りて表の団子屋へ向かった。
 団子と茶2人分を前に、悪人面の毛羽立った髪をした男が仙蔵に手を挙げる。これまた趣味が悪い。中身の面影はかけらもない。
「やあ」
 仙蔵が隣に腰かけるのに、ひとことだけ利吉の地声であいさつしてきた。
「こんなところで会うとは」
 次にはひどく低音のかすれた声を出す。仙蔵も、倍の年くらいの男の声を作った。
「こちらこそびっくりです。仕事ですか?」
「ああ。そっちは、勉強かい?」
「ええ」
「ならば城へ行くんだね」
「そう思いますか?」
「あの城には火薬の技術で有名な忍びがいる。紹介状を手に入れたのかな?」
「おっしゃるとおりです」
 利吉は、仙蔵に団子をすすめながら顔を寄せて来た。
「城へ同行させてもらいたい」
「・・・・・・利吉さんの仕事につきあえと?」
 利吉の言うことは当たっている。仙蔵がこの町にいるのを見かけ、火薬の達人のことを知っていれば当然、そう連想するだろう。確かに、事前の変装が必要だった。利吉につかまらないために。
「私も達人に用があるんだが、ツテがなくて忍びこむしかないと思っていたところさ。君の修行の邪魔はしないよ」
「どうですかね」
 仕事中の忍びの言うことを迂闊に信じるものではない。目的のためには手段を選ばないのが忍びだ。
「紹介状は土井先生から?」
「ええ」
 火薬とくれば半助だ。隠す必要があるとは思えない。仙蔵は、紹介状をもらった顛末を利吉に語った。
 火薬委員長の5年生久々知兵助が、仙蔵の部屋にそれを届けに来たのは、冬休み開始の前夜のことだった。
「土井先生から頼まれました。連絡はしていないけれど、行けるようなら行ってみるといい、とのことでした」
 和紙を開くと、ニカワで封をされた手紙と、折りたたんだ手紙とが入っていた。久々知は言い含められていたのか、手紙を置いてすぐに立ち去っていた。同室の文次郎は自主訓練でおらず、仙蔵は誰に邪魔されることもなく、それを見た。封された手紙の宛名に驚き、自分宛になっている折りたたんだ手紙を開いた。
 そこには、呪文のような言葉が書かれていた。
「その手紙はもう燃やしてしまいました」
 そう指示が書かれていたので。利吉はただうなずく。
「食べたら、早速行こう。せっかく紹介状で昼間から堂々と入れるんだから」
「・・・・・・私はお連れするとは言っていませんが?」
「依頼人は学園長だよ」
 最後の団子をかじりながら、利吉は言う。
「内容までは話せないが、ここで騒ぎを起こす予定はない。達人と話す必要があるだけだ。一緒に修行に来たことにしてくれ」
 仙蔵は、油断しないことに決めて、利吉の同行を受け入れることにした。

 城の門番に達人への面会を求める。少し待たされて、門の脇から男が出て来た。武人のように見えるが、忍びであると仙蔵は判じた。
「誰の紹介で来たのだ。まさかファンがサインをくれと来たわけじゃあるまい?」
 忍びからみてみれば、あからさまな醜男二人組が変装であることは簡単に見抜けただろう。見抜いていることを説明する必要さえも感じないらしい。
「達人に会いに行ってみろと、この手紙を預かって参りました。手紙の主の名を私から語ることはできません」
 半助から預かった、達人宛の手紙を手渡す。忍びは封を切らずに手紙を検める。
 半助の字は、黒板ではよく見るが、紙に書かれたものを見る機会はほとんどない。とはいえ、その宛名は、ただ丁寧に書かれているだけのもので、個性はまったくにじんでいない。半助が普段書く字でないことは確かだ。
「他に何か示すものはないのか?」
「あとは、意味のわからない言葉を預かっています」
「なんだそれは」
「『よはねらるかばるりでろ』と。わかりますか?」
 忍びはしばし考え、「ああ」とつぶやく。
「あいわかった。今しばし待たれよ」
 忍びはすぐに戻って来、門の内に入れてくれた。しかし入るなり、変装を解くよう命じられる。仙蔵は利吉が面を外すのにならった。
「なんじゃ、隠すに忍びない美男子揃いじゃないか。まあ事情は仁右衛門様のところで聞こうじゃないか」
 忍びは気安く言い、二人に背を向け先導してくれた。信用されたらしい。それも、思いっきり。あの手紙と呪文の威力で。
 土井先生は、ここで火薬の修行をしたのだろうが・・・・・・。
 仙蔵は、和やかに行きかう城の人々を見る。
 こんなところでも、あれほどの実力が培われるものなのだろうか。

 通されたのは、城からは離れた蔵のような建物だった。扉も厚い。忍術学園の焔硝蔵のようだ。扉を忍びの男が開ける。天井近くに切ってある窓から入る光でわずかに明るいその中に、人の気配が二つだけ。
「仁右衛門様、よはね、お客人をお連れした」
 利吉に促され、仙蔵は先に中へ入った。
「おお、こっちに来てくれ。暗いだろうが躓くようなものはないぞ」
 シャキシャキとした老人の声が促す。その影はひどく小さかった。反して傍で作業する男は異様に大きい。忍びの男も入って、扉が締められる。目はすぐに薄暗がりに慣れた。
 仙蔵と利吉が本名で挨拶を述べると、小さな影は嬉しそうに頷いた。
「奴が人を送り込んで来たのは初めてじゃ。お主はよほど見込まれたな」
 小さな影こそが、火薬の達人、黒田仁右衛門その人だった。影が小さいのもそのはず。老人には、足がなかった。特製の脇息のようなものに三方を囲まれ、座布団に座っている。座布団の下の板と囲いは一体化しているようだった。
 そんな老人だが、言葉は仙蔵に向けられている。2人のうちどちらが紹介された者か見抜いているのだ。
「ここはご覧のとおり密室じゃ。声は外には漏れぬ。ここにいる『よはね』と源治に隠す話はないし、われらは誰にも何も語らぬ。そのかわり今は茶も出せぬが、気を悪くしないでくれよ」
「滅相もございません」
 仙蔵は、背筋を正して仁右衛門に向かう。
「先に一つ確認させてください。私は手紙の中身を知りません。手紙を託されてから、紹介主と顔を合わせる間がなかったので。あの方は、ここにいたことがあって、そして今の消息が知れることは良いことではないのですね?」
 仁右衛門は皺だらけの顔に笑みをはいたまま返す。
「奴は死んだことになっておる」
と。
「手紙はただ、自分に教えられることはもうほとんどないのでそちらへ送ると。それだけだ。名乗りもせんしその後の消息もないし挨拶の一つもない。だからこそ、奴じゃとわかる。何も書けないからこそ奴なのじゃと」
 老人の傍に座す大男が、体を揺らす。
「あの子の弟子ならわしなんぞ太刀打ちできませんな」と。
 少し、発音がおかしかった。よく見ると、異人だった。よはねと呼ばれていた。仙蔵は、あの呪文が彼の名前なのだと気づいた。
「弟子というわけでは・・・・・・」
 忍術学園で、あの若さでありながら、火薬について半助の右に出る者はいない。火薬に限った話かどうかも怪しい。半助の実力のほどは、隠されているというのが正しいだろう。
 六年ともなれば、先生方の訓練を見学する機会もある。しかし、半助が混じっている訓練に行き会ったことがない。
 しかし、仙蔵と文次郎は半助の剣術の腕前を知る機会を得た。ありえないほどの強さだった。
 やさしくて世話焼きで1年は組に振り回されている教科担任という今の顔は、いったいどんな過程を経てたどりついたものなのだろう。
 仙蔵らが1年生だった頃、ひと月だけ、半助は学園にいた。教育実習生として。そうして、半助は突如として姿を消した。詳しいことは周知されていないが、当時の六年生の実技研修について行って、行方知れずになった。そこで一騒ぎあったらしい。やさしい先生だったので、一年生も気にした。委員会の先輩に聞いたところでは、土井先生は悪くなかった、とだけ教えてくれた。そうして、仙蔵らが2年生になる時、彼は正式に忍術学園に採用されたのだった。
「ふむ。ぬしは忍術学園の生徒か。そして山田殿はあの山田伝蔵の子じゃな」
 2人とも肯定はせず黙った。老人は一人で頷いている。
「大川め。手元に封印しよったか」
 そう、嬉しそうに呟く。
「学園長の大川は知っておるぞ。相変わらずふざけた奴なんじゃろうな。わしが足を失くしてこの城からほとんど出なくなってから、二度ばかり会いに来てくれた。忍術学園を作ったので忍者が欲しい時は求人票を寄越せと手紙が来たのが最後の音信じゃな。押し付けてこないところをみると、ぬしらは求人票が足りておるのだな。では仙蔵。我らは今、新型の百雷筒の開発をしておるところじゃ。勉強になろう、手伝ってみるか」
「はいっ」
 仙蔵のキレのいい返事に、よはねもにこにこしている。
「山田殿は、源治と話してみるのがよかろう。源治、なんでも話してやるが良いぞ」
「はっ」
 源治と呼ばれた男も、嬉しそうな気配をにじませた。

 みおは、脇息に突っ伏していた。
 朝、汁物のみを食し、あとは白湯だけ。
 元々食が細いのでひもじいとは思わないが、できるだけ体力を使わぬようにしようとは思う。
 こうしていると、意識があらぬところへと向かって行く。のぞむところだ。
 兄者・・・・・・。
 今度こそ、会えるだろうか。

創作TOP次へうたかたのときTOP落第忍者乱太郎ファンサイトTOP