15
半助は、遠い昔を思い出していた。
あの時に比べれば、マシかな・・・・・・。
同じように、樹上に逃げた。
抵抗できない体で、野獣に襲われぬように。
木に絡んでいた蔓に腕を絡ませ、多少ふらついても転落しないようにし、ようやく幹に体を預け、そっと息を落とす。
苦しい。
意識がふと戻り、捕らわれていると気づくなり、ほとんど反射的に状況を読み取り最善策を考えわずかなチャンスを狙って脱出した。道が荒くて荷車の音が大きい時に這い出して落ち、去るまでじっと地面に同化し、距離を保ってすばやく森に入り木を登った。
途中、体調が最悪なことには気が付いた。その最悪な体調で最善で可能な退避方法として反射的に選んだのが、木の上だった。
一息ついてから、体調が最悪な理由を思い出す。よくぞここまで逃げられたものだと、我ながら感心する。凍るほどに寒い上に、頭がぐるぐるして支えていられない。枝に頭を乗せ、なんとかバランスをとりながら体を休めているが、いつまで安定していられるかわからない。腕を蔓に絡めていても、どれだけ役に立つのかわからない。ちゃんとできたのかわからない。
あの時に比べれば・・・・・・。違いは、気の持ちようくらいかもしれないけれど。
何故自分が捕らわれていたのかもわからない。理由を考えられるほどの余裕がない。ただ、死ぬときは死ぬし、とは思う。
あの頃はまだ、死にたくないという気持ちがあったから、つらかった。
季節はもっと良かった。晩秋の頃だった。忍び組に入れられて、幼いころから忍びとして育てられた者たちにさほど劣らぬ程度には腕を上げたと自分でも思えるようになった頃だった。
簡易な任務をほかの若い修行中の忍び2人とこなした、帰り。
その2人に襲われた。
相手に迷いはなかったが、自分にはまだ人を傷つける覚悟がなかった。
利き足の膝をやられ、急な斜面に転がり落とされた。
冬を前にした獣たちに生きたまま食われることを望んだのだろう、彼らは。
足の激痛に耐えながら木に登り、頭巾で体を幹に縛り、身を守ろうとした。
痛いし寒いし苦しいし、そんな目に合う理由を思うと理不尽さに腹が立った。恨みもし哀しみもし死の恐れもあれば生き残ったところで今後も似た目に合うだろう予測もでき、途方にくれた。
彼らが自分を敵視する理由。自分が優秀だからだと、わかっていた。彼らの思考があまりに浅くて、常に不思議なほどだった。山野で鍛えた体は、幼少のころから修行してきた彼らに劣ることはなく、忍具の使い方さえ覚えれば、その応用力などは明らかに自分の方が上だった。彼らを明らかに、追い越そうとしていた。だからなのだと、わかっていた。
わかっていたけれど、それが理由になるということが、理解できなかった。
膝はひどくねじられ、単なる脱臼とは言えない状況で、もはや元通りにはなるまいと思った。怪我で熱が出て痛みもあって朦朧となり、次に気づいた時には、城で寝かされていた。
枕元で、巨大な異人が看病しているのを見たときには、地獄かと思った。
忍び組の頭が、忍務に失敗して死んだという報告を受け、信じたふりをしつつ捜索に大人の忍びを出し、救出してくれたのだと、後で聞いた。そうして、火薬の達人の元で養生するよう手配してくれたのだと。
そこで、多くの書物と、火薬の知識を学びながら怪我を癒した。
もしかしたら、忍び組の頭は、詫びのつもりもあったのかもしれない。同行し危害を加えたのが、自分の息子だったから。
利き足の膝の故障と引き換えに学んだものは、大きかった。
忍務に再び出るようになって、やはり仲間に裏切られ再び足を痛め死にかけた時、野村に救われた。
今度も失敗して死んだと報告されるだろうことはわかっていたから、そのまま逃げようかとも思ったが、火薬の師匠である仁右衛門やヨハネへの恩を思えば、それはできなかった。
膝の故障が決定的になって、忍びとしてより、自分の頭を使うことで役に立とうと決めた。
そして、それは向いていた。自分の作戦を知っていたのは、仁右衛門と、仁右衛門を通して了解した忍び組の頭だけ。
頭があとは根回しをした。自分は、自分の優秀さをひけらかし付け上がったイケ好かない奴、と評価されるようにした。
そうして、転職させられるようにした。頭は卑屈になっていた息子をお付きにして出した。
すべて、計画通りに。
半助は、昔を思い、笑みをはく。
すべてが、計画通り。計画通りに動く人々。その感情の動きから行動まで、すべて計画通り。万全の根回しと操作で・・・・・・。
そんな自分が、今は子供たちに振り回されている。まったく計画通りにいかない。予想通りにいかない。
それが、とても楽しいと感じられて。
自分のいていい場所。それまでの生き様も何も受け入れてくれて、役に立てて、そして、思い通りにいかない場所。
一年は組の子供たち。
彼らを想い幸せを感じて、半助の意識は安らぎ、落ちていった。
寒空の下、下から発見することなどかなわぬ、広葉樹の樹上で。