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「あ、仙蔵だ」
ヨハネに連れられ食事を取りに行ったところで、突然、声をかけられた。
「・・・・・・総次郎先輩!?」
ほやんとした顔で右手を挙げた男は、腰元で左手をわずかに振った。
仙蔵は、苦無で飛んできた手裏剣を弾き飛ばす。
「お、成長したなあ」
「先輩・・・・・・」
あの顔で挙げた右手に視線を引きつけておいて・・・・・・。
もう少し距離が近かったら跳ね返すことはできなかった。何より、不意打ちが大好きな先輩だと知っていたから動けたのだ。
「ソウジロウは、同じ学園?」
「ヨハネ様、大変失礼いたしました。はい、つい後輩をみつけて嬉しくて」
「嬉しくての大層な歓迎痛み入ります・・・・・・」
「ははは」
総次郎は、仙蔵が一年の時に六年生で、当時三羽烏と呼ばれたうちの一人だった。三羽烏はそろって同じ城に就職したと聞いている。仙蔵は、ほかの二人ももしや、と、食事のため行き来する人々に顔を向ける。
「私は先月転職して来たばかりなんだ。お前は就職活動か?」
「いえ、火薬の勉強に。就職先はまだ決まっていません」
「そっかあ。学園の生徒は引っ張りだこだもんな。まあ、よく考えろよ。しばらくいるのか?」
「年末までお世話になります」
「そうか、時間が採れたらお邪魔していいですか、ヨハネさん」
「いいよ。彼は私の部屋に泊まるから、おいで」
「わかりました。じゃあ、ゆっくり話せるといいな。またな」
時間があまりないようで、するりと去って行った。
「彼は山野城から転職してきたのだよ」
ヨハネが言う。山野城は、この滝野城とタソガレドキ領地との間にある、砦のような山岳地帯を領地とする城だ。では、三羽烏の就職先とは山野城だったのか、と仙蔵は思う。
「山野城と滝野城では、人事交流があるんだ」
六年生の三羽烏。
甲乙付け難い三人組が束になって智略をつくせば、先生方でさえいたずらの餌食になることもある。
そんな三人は、下級生たちの憧れだった。
食事を運びながら、仙蔵は思い出す。
そういえば、土井が教育実習に来たのは、三羽烏がいたときのことだった、と。
一部の先生方と六年生のほとんどと、三羽烏が対立した。
土井が実習訓練中に行方不明になった後、しばらくの間学園の空気はその対立でトゲトゲしかった。
謎に包まれたあの事件を、先輩は知っている。
仙蔵は興味本位に飛ばされてきた棒手裏剣を首をかしげて避けながら、総次郎に話を聞こうと決めていた。
総次郎は、翌晩、木の実を炒ったものを手土産にやってきた。
「ああ、あれね」
仙蔵がそれとなく尋ねると、総次郎は抵抗なく話し出した。ヨハネも同席していたが、気にしなくていい話らしい。
「あれも、学園長先生の突然の思いつきがそもそもの原因だったんだ」
忍術学園には、時々、教育実習生がやってくる。その時、斜堂が教育実習にやって来ていた。
「土井先生は、学園長に面会するなり思いつきで教育実習生にされちゃったのさ」
「では、土井先生はそもそも学園長にどのようなご用件でいらしていたのでしょう?」
「うん、求人票持って来たんだよ。なんでも、怪しい忍者教室なんかの資格証とか持って、全然役に立たない就職希望者とかもいるから、学園の噂を聞いて求人票持って来たけど、授業の様子を見てから出すよう一任されて来たんだって。で、それなら忍者らしく堂々とこっそり見るといいって、学園長が教育実習生だってことにしちゃったんだよ」
仙蔵は、そんなこんながあんな騒ぎに至ったのかと、相変わらずな学園長の思いつきの破壊力に呆れた。学園長の思いつきは、最終的に収まるところに収まるから不思議だが、深慮謀略あってのことなのか、毎度本気で不思議すぎる。
「で、土井先生が学園を探りに来たんじゃないかって疑う先生がいたりして、あんな騒動になったわけさ。私たち三人は、土井先生を信じる方に賭けたんだ。結局、土井先生の忍びとしての腕前を十分見せつけられて、学園長は教員合格出すし、私たちは先生の求人票で山野城に就職したし。内部分裂までしかけた大騒ぎだったけどさ。あれは結局、石田先生の一人合点だったのさ」
当時は、六年生に担任がいた。それが石田だった。
石田は常に六年生の担任であった。脱落せずに六年にまでなったプロ忍者寸前の最高学年を任されていた男。
その男が、土井を敵とみなしたのだ。
その石田には、前年まで仲の良かった教師がいた。
しかし、その教師は、火器が好きで火種を持ち歩いていた生徒が火薬委員をつとめていたとき、火薬庫内にうっかり禁じられていた火種を持ち込み落としたために起きた火薬庫の爆発事故で、生徒もろとも死んでしまった。
以降、石田が火薬の管理も担当していたのだが、教育実習生の土井にその管理の不適切さを指摘され、その不満が土井を見る目を狂わせたのだろうと言われている。
「俺たち六年生に土井先生を監視させたりもしていたよ。でも、俺ら三羽烏でさえ、毎回ばれてたな。途中からはみつけたと指摘するのも面倒になって、放っておかれたけどね。斜堂先生も駆り出されてたみたいだけど、そっちはまったく気づかないふりしていたみたいだね。本物の教育実習生の邪魔はしないようにしてたんじゃないか?」
そうして、二週間の実習期間がもうすぐ終わるという時に行われた六年生の夜間実習で、石田が暴走したのだ。
「石田先生と、補助で小林先生がついて、あと、土井先生。三人引率で裏々山に出て、そこで、石田先生がね、土井先生が忍術学園襲撃の下見に来た間者だから捕縛せよ、って。抵抗するならば殺してもいいって、ね」
小林先生は、今もまだ、忍術学園にいる。仙蔵が知る限り、担任のクラスを持ったことはない。先生方が出張の時に代理で教鞭をとったり、人手が足りない時に実習の補助に出る以外は、事務方よりは先生方よりの仕事を担当する全般助手のような仕事をしている先生だ。アクの強い石田を止められるような人材ではない。
「石田先生は一応人気があったからね。俺たち以外はもう土井先生は敵だと洗脳されていたし、唖然としている土井先生をたちまち囲いこんでね。殺気は一人前だったよ、みんな」
「総次郎先輩たちはどうしたんです?」
「えー? 土井先生は敵じゃないというのが俺たちの共通認識だったからね。だからって、庇うのも懸命じゃないだろうよ殺気が満ち満ちてる状況で、さ。俺らは傍観」
すみっこにまとまって、完全に傍観を決め込んだのだと、総次郎は語る。そうして、更に楽しそうに語り続けた。
「土井先生、凄かったよ。多勢に無勢で、助けもない。石田先生がもう、いや〜な笑顔でいてさあ。その石田先生を見て、土井先生、笑ったんだよ」
総次郎は、その時の石田がしていたのと同じような表情で笑んで、言った。
「石田先生を睨んで笑って、そうして、気配を変えていった」
プロに近いとはいえ、まだ卒業前の生徒たちと、現役を離れて何年も経っている教師たちを前に。
現役第一線のプロが放つ容赦ない殺気に、誰もが普通ではいられなくなった。
わずかにでも体の硬さや気持ちの持ちようが変わり、誰もが次の動きがほんの少し遅れてしまう。
土井が逃げるには、その『ほんの少し』で十分だったのだ。
土井が跳んだ。木に飛びつく姿を見る前に、焙烙火矢が落とされるのが見えた。
どうやってそんな瞬時に点火したのかも不明なら、それが地面に落ちるより早く爆発したことも、誰もが想定外だった。
強めの光と粉々になった欠片のみの攻撃力だったが、その展開の速さにだれもがついて行けず、一流の忍びが逃走する距離を確保するに十分な間ができてしまった。
それでも、彼らは追って行った。
山中を駆け川中を探し。
三羽烏は、彼らを放置して学園へ戻り、学園長へ報告すると夜食を作って食べ、風呂に入って寝た。
そうして、翌朝すっきりと、よれよれになって戻って来た生徒たちを迎えた。
土井はそうして、行方不明になった。
が、休日に町に出た生徒が、学園長あての文を預かって来た。美人から預かったと、興奮気味に。
仙蔵も、それは知っている。預かったのは小平太だった。清楚な美人で、少し背は高かったが女ではないと疑う要素はなかった。死にそうな祖父から預かったが、心配で早く戻りたいので届けてくれと。自分はくノ一なので学園の生徒であることはわかったのだと言っていた、と。
言われてみれば土井先生に似ていたかも、とも。しかし、一年生はそもそもあまり会う機会がなかったのだ。
届いた手紙には、求人票が添えられていた。
学園長自ら求人コーナーにその求人票を貼り出し、その求人票の担当者名が土井半助になっていて、その日のうちに今年の教育実習生二名は二人とも合格! と学園長が宣言したのを見て、六年生たちはすべての事情を把握したのだった。
「その求人票を真っ先に俺らがかっさらってさ。どっちみち、ほかの連中はとてもじゃないが、履歴書持っていけないだろう? おかげで、土井先生のお力もあって俺らは全員山野城の就職試験に合格し、プロデビューしたわけさ」
就職するなり、タソガレドキ軍の怪しい動きに振り回されたが、参謀格兼忍びという土井半助の実力大のおかげでその危機を乗り切った。
「まさかさあ、土井先生がそのあとお城をやめちゃって、本当に忍術学園に就職するとは、俺らも大誤算だったよ」
石田が六年生卒園と同時に退職し、新学期には土井が赴任してきた。
以来、若いながら火薬管理をまかされ、教科担当として六年生のハイレベルな講義も受け持っている。
「土井先生は元気か?」
訊かれて、仙蔵は苦笑する。
「一年生に振り回されて、すっかり胃痛持ちですよ」
と。
利吉は、仙蔵にも半助の現状を伝えずに去っていた。