3
次に気付いたときには、また吐いていた。
声が複数聞こえた。室内だ。誰かが体を支え、誰かが口元に桶をあてている。
「さっきもこんなに吐いたんですか?」
新野の声。半助は応えようがない。
「はい」
代わりに、誰かが応えた。
胃が空になるまで吐くと、身を横たえられる。意識はかろうじてあるが、声の聞こえ方も変だし、胃は楽になっても頭が気持ち悪い。
「ひどい胃潰瘍ですね。出血が多いから、貧血もひどいでしょう。土井先生、わかりますか?」
手に触れられたので、軽く握って見せる。
「ああ、意識が戻りましたね。医務室ですよ。薬も飲めないのでとりあえず眠って治すしかありません。この際しっかり治してくださいね」
「先生、着替えてください。お手伝いします」
保健委員長の善法寺伊作の声だ。さっさと忍び装束をはぎとりにかかる。すでに頭巾と履物はないし、装束の結び目はゆるめてあったらしい。
半助は、脱がせやすいよう、着せやすいように力加減をするくらいしかできなかった。伊作は、手際よく着替えさせてくれる。
さすが保健委員歴6年だ。
寝かされて落ち着くと、香の匂いがした。薬のかわりなのだろう。
眠り薬でも入っているのか、意識がまた遠のいていく。室内に他に人がいるのだから、量は加減してあるはずなのに効くのが早すぎる。
眠り薬と関係なく意識が落ちていくのならば・・・・・・。
出血が多すぎたのか。
半助は、冷静に状況を読み取った。
胃の中の出血がおさまらなければ、もたないかも知れない。
戦場での死因のほとんどは、失血だ。止血が生死を分ける。けれど、胃の中ではどうしようもない。
半助は、おとなしく眠りに入る。
このまま目覚めなくとも、世の中は回っていく。
多くの死を見てきたので、そのことはよくわかっていた。
妻子がいるわけでもない。は組には新しい先生がつくだろう。自分の穴はいくらでも埋められる。
なんの抵抗もなく、半助は意識を手放した。
「学園長にも報告した方がいいですね」
新野が言った。
「では、私が行ってきます」
「お願いします、野村先生」
医務室には、新野と伊作、伝蔵が残った。
三人とも、単の上に一枚羽織っただけの格好だ。
新野は戦う会計委員長に寝込みを急襲された。
伊作はいけどん体育委員長に景気よく起こされた。
伝蔵は、着替えをとりに半助の部屋に入りたいという伊作に起こされて出てきた。
あれから、半助が外に出ていたとは。
野村雄三と土井半助の関係は、先生方はなんとはなしに知っていた。
誰も2人同時にいるところを見たことはない。
ただ、2人同時に真夜中にいないことがあるだけだ。
古い因縁があると聞いていたので、そうなのだろう、と。
優秀な忍び二人が忍んで会っているのだから、確証などつかませはしない。
今夜も忍び会っていて、半助が急変してしまったのだろう。
野村が半助を抱きかかえて急ぎ戻るところに、自主訓練をしていた紋次郎と小平太が行き会い、新野と伊作を起こしに行ってくれたのだという。
「・・・・・・きり丸、起こしますか?」
伊作が言う。
「いや・・・・・・。土井先生の気力体力を信じたい、ね」
新野は言う。
「土井先生は、少々淡白なところがあるからなあ」
一見するだけではわからないけれど。忍びであれば誰でも、死に直面することを考える。
死ぬもんかと思うかあっさりあきらめるかで、生死が分かれることもある。
だから、生徒たちには忍びは生きのびねばならないと教えているというのに、当の教師が妙に淡白なのだ。
この人は、自分の死は、死ぬときは死ぬ、で片付けてしまいそうだなあ。
新野は思う。助かろうという気力が、今、必要であるのに。
「新野先生。半助は、やはり危ないのですか」
伝蔵が訊く。
「そうですね、2度大量に血を吐いていますから。出血が止まってくれればいいんですが。けれど、もう、十分失血してます。目が離せません」
3度目があればまず助からない。このままでも生死の境目だ、ということだ。
輸血も止血もできない時代のこと。
ただ、半助の気力だけが、今は頼りだった。
新野が伊作を帰して少しして、学園長が野村を従えて現れた。
半助のそばに座ると、わずかな明かりの中でも青白く見えるその顔をじっと見下ろし、やがて、新野たちの方へ体を向けた。
「は組の終業式は頼むぞ、伝蔵」
「はっ」
「半助は当分動けぬのだな?」
「はい。これ以上出血がなかったとしても、2〜3日は目が離せません。私が学園に残ることをお許しください」
新野が言うのに、学園長はうなずいた。
「許す。頼む。しかし、おぬし1人では重荷であろう。日直や宿直として残る先生方にも交替で付き添ってもらうように」
「私にもその役をやらせてください」
野村が身を乗り出して言った。
「帰っても誰が待つわけでなし。土井先生とは色々因縁があります。どうか」
学園長はわずかに眉を寄せ、じっと野村を見据えた。
「・・・・・・よかろう、頼む。人手は多い方が良い」
学園長はすくと立ち上がった。
「伝蔵、きり丸の行き先も考えてやってくれるかの」
「はっ、承知しました」
学園長は供を断り、一人ですたすたと庵へと帰って行った。
伝蔵が野村の様子を伺うと、野村は、少しバツが悪そうな顔をして半助を見ていた。