今、生きるために

  「決して、侮るんじゃないぞ」
 忍組頭雑渡昆奈門が、尊奈門に忠告した台詞だ。
 相手は自分とたいして歳の変わらぬ深窓の姫君だ。
 色々紆余曲折あって、小さいながらも要所にある城の城主の養女として、タソガレドキ城の若殿の嫁になることになったとはいえ、高貴な血を引く姫であるという。
 プライドが高いのか、条件を通さねば嫁には行かぬと断食しているという。
 尊奈門は、高坂と共にその姫のわがままをかなえるためにその小さな城へ派遣されたのだった。
 ついつい、ため息を落としてしまう。
 詳しくは直接姫に聞けとのことだが、人探しだという。しかも、男。
 尊奈門は、どっかの読み物のようにほんの一時垣間見たきりの男を捜せのなんのと言われるのではないかと、高坂のあとを歩きながら考えていた。
 初恋の思い出をなんとかしてから嫁に行きたいなどと、若い姫が思いつきそうなことだ。
 ほんの三代ほど前の先祖、つまり姫の母の母の母は、伊勢の斎宮であったという。伊勢の斎宮は、皇族の姫が務める。
 帝の娘である内親王か、帝の兄弟の娘である女王(にょおう)か、その辺りだ。
 賀茂の斎宮は長く務めるが、伊勢の斎宮は短期に入れ替わるので、その後結婚することもある。
 姫の祖母はまだ貴族であったが、母は零落しきった家から豊かな領主の下へと嫁に出され、姫を産んだのだという。
 しかし、その領地が滅ぼされ、姫を連れて実家に戻り、また別の領主の下へと送り出されたのだという。
 何度目になるかわからぬため息に、高坂が睨みつけてきた。
「・・・・・・すみません」
 おそらく、高坂もイヤなのだろう。
 伊勢の斎宮は、お飾りだ。そう、尊奈門は思う。
 しかし、話によれば、その代の伊勢の斎宮は「本物」だったのだという。
 そして、そのひ孫である姫にも、その能力は受け継がれているのだと。
 それゆえに昆奈門は「侮るな」といったのだろう。
 城に着くと、すぐに姫の下へと案内された。とはいえ、案内されたのは、中庭だ。
 高坂も尊奈門も、忍者隊の中では重用されているため、タソガレドキ城であれば昆奈門と共に城に上がることもある。
 なのに、格下の領主の人質同然の養女の花嫁に面会するのに、庭で待てとは。
 先代が貴族であろうと、三代前が皇族であろうと、京の近くにはその程度で貧乏のどん底にいる者たちはいくらでもいる。
 この時代、貴族は生活が成り立たぬほどに貧しくなっているのだ。
 この花嫁を高く持ち上げて自分達の価値を上げるのが領主の目的なのかもしれない。
 なにはともあれ、忍びの者は影の者。少し気になったが、高坂も尊奈門も指示された庭に座し、姫の登場を待った。
 少しして、女が1人、渡り廊下を歩いているのが見えた。するすると歩いているが、速い。
 その後を、急いで追ってくる女が2人。急いでいるように見えるのに、先を行く女にどんどん引き離されている。
 建物の陰になって一時見えなくなったが、追う女たちの声で彼女達が近づいていることはわかる。が、追われているはずの女の気配は、ない。
 気配がないまま、その女は中庭へ続く廊下へと姿を現した。扇で顔を隠してはいるが、小さな体を堂々と正して。
 尊奈門は、高坂に肘で突かれ、慌てて頭を下げた。許しもなく若殿の婚約者の姿を見たなどとばれたら、大変なことだった。
「構わぬ。顔を上げよ」
 気配のない女は、近く低い位置から声を上げた。
「姫様、なりませぬ、奥へ」
 慌てて追ってきた女たちが言うのに、叱責が飛ぶ。
「人に物を頼むのに部屋の奥でき帳を立て御簾をおろして伝言ゲームなんぞ、できるか」
 声の位置からすると、高坂と尊奈門に一番近い廊下のそのまた階(きざはし)にまで下りて腰掛けているらしい。
「おまえたち、下がっていて良いのだぞ。どうしても見張っていたいのなら、黙って勝手にそこにおるがいい」
 お付きの女達は、そんな、とか、姫様ともあろうお方が、などと言っていたが、姫はまったく構わずに再び2人に声をかけてきた。
「顔を上げよ。話は顔を見てするものだと、私は母に言われて育った。私なぞより高貴な血をもっていたはずの母にな。顔を見せぬ者は信じてはならぬとの遺言じゃ。顔を上げよ」
 対等であるかのような態度の割りに命令口調で、高貴なんだかただの威張り屋なんだかわからない。2人は、少しだけ顔を上げた。
 高位の者に対して、身分制度の中では額を地につけるようにして万事対するものだった。顔を上げろと言われても、地から顔を離す程度のことで、実際に顔を上げるようなことはしない。
「面倒じゃな。良いか、おまえたちは顔を上げて私の顔を見なければならんのじゃ。依頼は聞いていよう? 私は人探しを頼みたいのじゃ。探す相手は私の兄じゃ。私の顔は大事な手がかりなのだよ。命令じゃ、しかと顔を上げて我が顔を見よ」
 尊奈門は、兄と聞いて自分の想像が全く外れていたことにショックを受けた。それにしても、破天荒な姫である。どうしようか迷っていると、隣の高坂が身を起こす気配がしたので、あわせて起こした。
「失礼ながら、お言葉に従わせていただきます」
 高坂が、正面を向いて言う。2mほど先の階段に、姫は足を下ろして座っていた。一番下の段に足をおき、次の段に腰を下ろして。
 降りられる一番低い場所に。
 顔を見ろというくせに、その顔はまだ扇の向こうにあった。気の強そうな瞳が、2人に向けられていた。
「それで良い。そのまま上げておれ。私はそなた達が仕える城主様のご子息の嫁になるのだという。私はそなた達の城で、嫁として妻として母として、仕えることになるのじゃ。立場はあれど、同僚じゃ。私を城に迎えてくれる気があるのなら、気を張らずに対しておくれ。まずは、名を聞こうか」
 立場は違えども同僚・・・。なるほど、そういう態度か、と、尊奈門は半ば呆れた。もっとも、顔に出しはしないが。
「私は忍び組の高坂陣内左衛門でございます」
「同じく忍び組の諸泉尊奈門でございます」
「高坂と諸泉か。私の名はみおという。捜して欲しい兄の名は福原兵衛介時昌(ふくはらへえすけときまさ)という。わかっていることを話そう」
 みおは、既に調べが済んでいることについて語った。
 小さいながらも瀬戸内の海の要所に領地はあったが、隣地の領主に攻められ父と長兄を失ったこと。
 生き残った次兄が捜して欲しい兄で、混乱の内に修行していた寺からいなくなったこと。
 寺への調べで、修験道者たちの中に紛れて逃げ、数年そこにいたものの町へと下りたことがわかっていると。
「おまえたち、忍びならば、瀬戸孝之助という名を知っているか?」
「若くして名を立てた忍びでございます」
「そうじゃ。それが兄であるらしい」
 高坂は黙って姫を見据えた。尊奈門も、その名は知っている。知っているが、ならば、その兄はすでに死んでいるということだ。
「言いたいことはわかる。ならば死んでさらし首になったはずだと言いたいのであろう?」
「・・・・・・姫は、兄君の亡骸をお探しなのでございますか?」
「否。兄者は生きている」
 尊奈門は、ここにきて想像に近づいてきたな、と思った。死んだ者を死んでいないと信じて捜そうとは・・・。
「諸泉。そなた呆れたであろう」
「えっ? 滅相もございません」
「ならば、そなたの後ろに立つ者が見えるか?」
「は?」
 尊奈門は、気配を探る。実際に、首をめぐらせてみる。しかし、高坂のほかには誰もいない。
「私の目には、ここに十人以上の姿が見える。生きておるのは5人だけじゃがな」
 伊勢の斎宮。本物の斎宮の能力。それを引き継ぐ者。その者が見るもの。
「時々、兄の気配をたどっているのじゃ。私達は同腹の兄妹。父のことは覚えておらぬが、母の気配はよく知っておる。兄の行方については、5年ほど前に調べて貰って、調べの糸は瀬戸孝之助の死によって切れたが、それによって兄の気配を知ることができたのじゃ」
 みお姫は、斜めに視線をやり、意識をどこかへ向けた。
「兄の経歴に見合う気配を知っていた。時々、様々な意識に触れるのじゃが、その中にあった意識の中に、母に似た者がおったのじゃ」
 みお姫は、瞼を閉じた。強い瞳が隠されると、十七の姫の顔になった。
「強い出来事に絡むのだろう、感情の強い波が伝わってくることがあった。穏やかに生きてはいられなかったとわかる。状況の大きな変化があった時期と、報告のあった経歴は確かに一致していたのじゃ。だからこそわかるのじゃ。兄は生きている、とな」
 そう言って、姫は再び目を開けた。
「瀬戸孝之助が死を迎えた頃、確かに、兄者も危機の中にいた様子じゃった。私は意識を切り離せなくて、一月あまりも寝込んだ。すべてがわかったわけではないが、複雑な想いが飛び交っていた。そうして、それを抜けた。その後も多少の波はあるが、繋がっている。兄は生きている」
 特殊な能力ゆえの確信をどう信じたものか。尊奈門は、半信半疑だったが、高坂は信じたようだった。
「つまり、死んだ瀬戸孝之助は身代わりであったと?」
「調べによれば、落ちた城へはお付きと2人で赴任したという。おそらく、そのとき入れ替わったのだろう。だから、さらし首になってもばれなかったのじゃ」
 姫が兄の死を信じなかったため、調べは前に勤めた城に集中した。結果、その城の者がさらされた首を確認していたことがわかったのだ。お付きの男の方である、と。それは、秘密にされていたという。
「その後の行方がわからぬ。兄が今どこで何をして生きておるのか、調べて欲しい。急いでくれるか? どうも昨日から、気配がおかしいのじゃ。一昨日からかも知れぬ。私も今回の話で気が散っていたので、はっきりせぬが。異様に遠くなったり間近になったりする。意識がまともではないようなのじゃ。怪我か病かわからぬが、生死の境におるようなのじゃ」
「わかりました。急ぎまする。しかし姫、食を絶っておられると聞いています。きっと兄君にたどりついてみせますゆえ、きちんと食事を採ってお待ちください。生死の境をさまよう兄君にあまり引かれますな」
 姫は、くすりと笑った。
「話のわかる男じゃな、高坂。心配せんでも朝だけは軽く食べておる。死んでは元も子もないからな。けれど、長く摂食を続ければ、身はもたなくなろうよ。兄に会うという念願が叶わないのであれば、それも良いが」
 慌てて何か言い募ろうとする高坂に、姫は重ねて言う。
「私はおまえたちを信じるぞ。顔を見たでな。必ずや兄をみつけてくれるであろう」
 強い瞳が、笑みに和らいだ。そうして、姫はその笑顔を見せた。扇を閉じて。
 尊奈門は、その顔に驚きを隠せなかった。
 高坂はわずかに驚いたが、顔を伏せようとし、しかし言葉を思い出して再び顔を見るという、高貴な姫が顔をさらしたための動揺であるかのようにごまかした。
「ひ、姫。お顔はしかと記憶いたしました。どうぞ」
「そうか。同腹の兄妹じゃ。手がかりになろう」
 みお姫は、扇を広げた。
「一つ、質問をしてもよろしいですか?」
「かまわぬ」
「・・・・・・姫は、兄君をみつけて、その後どうしたいのですか?」
「・・・・・・心配せんでも、兄をタソガレドキで重用してくれなどとは言わぬよ」
 質問の意図を察して、みお姫は言う。
「ただ、会って訊きたいことがあるのじゃ。会えるならば、こちらの状態がわからぬように変装でもなんでもしよう。会って、訊きたいのじゃよ」
 忍術学園の土井半助によく似た姫は、遠くを見るようにして言った。
「何故、父や兄の仇をとろうとせぬのかと。母は父が禁じたと言うておったが。兄に、問うてみたいのじゃ。その答えを聞いてみたいのじゃ。何ゆえに、過去を振り返らぬのかと」
 高坂と尊奈門は、帰路の途中、二手に分かれた。高坂はまっすぐ、タソガレドキ城へと戻った。
 本当は、調査にそのままかかるように昆奈門に言われていたのだが、事情が変わった。
 主だった忍術学園の教師たちの過去は、すでに調べられている。
 中には、ある程度実力を知られるようになる以前の過去をたどれぬ者もいる。
 土井半助も、その1人だった。
 瀬戸孝之助の死と、土井半助の知れる限りの過去との間はわずかな空白のみ。
 土井半助の持つ知識と技量の源は、知れる限りの過去だけでは了解できるものではなかった。
 が、彼が瀬戸孝之助であったのなら、納得がいく。
 みお姫が捜している次兄は、土井半助だ。
 決定打は、あの顔だ。
 答えだけは確かだったから、高坂はまず、昆奈門に報告をしようとタソガレドキ城へと戻った。
 そうして、尊奈門は、まっすぐ土井半助の元へと向かった。
 忍術学園は冬休みに入った頃だ。みお姫の言うことが本当ならば、土井半助は死にかけている。
 まず、京の洛外にある町屋を訪ね、そこにいなければ忍術学園へ向かう。
 尊奈門は、内心、別人であればいいと思っていた。土井半助が元気にしていれば、姫の兄ではない。
 姫の兄であるかどうかよりも、土井半助に死にかけていて欲しくない。
 まだ、彼に勝てていないのだから。

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